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文化村を襲つた子供

槇本楠郎




「来た来た!」

「やあ、来たぞ来たぞ!」

「汽車だ汽車だ!」

「みんな用意をしろツ! この汽車には張作霖が乗つてるんだぞツ!」

 子供たちは線路の中に躍り上りました。気の早い子はもう尻をまくり上げ、はだしになつて、その草履をふところや、脊中の帯の下にねぢ込みました。

「さあ気を落ちつけて、そして大急ぎにバクダンを埋めるんだ! いゝか? 大急ぎにやるんだ! すんだら早く飛び出せ!」

 大将の吉はレールに飛び上つて命令しました。小さい大勢の子供たちは尻を突つ立つて、大騒ぎしながらレールの下に団栗どんぐりを埋めにかゝりました。

 まつ直ぐな一本道の線路です。草の茂つた原つぱのまん中です。線路の一方の端は賑やかな霞んだ町に続き、一方の端は青々と茂つた杉林の中に入つて消えてゐます。

 汽車は町の方からだん/\近づいて来ます。初めは鉛筆のさきで突いたほどの黒い点でしたが、だん/\大きくなつて豆粒ほどになり、甲虫かぶとむしほどになり、それから急にムクムクツと尨犬むくいぬのやうに大きくなつて、目も鼻も短い足までも見えるやうに近づいて来ました。

 みんなはバタ/\ツと線路の外へ飛び出して行きました。そして土堤どてれ伏しました。けれど大将の吉はまだ一人線路に残つてゐました。

 吉は張作霖よりもその汽車といふ奴が気にくはぬのでした。そいつはいつも子供を馬鹿にして、「こゝは俺さまの道だ、どけ/\!」と云つた風に、とても威張つて、畜生のやうに鼻息荒く、ピヨン/\跳ね上つて、脊中をゆすつて突進して来るからです。

「よし、今日はきつと止めてやる!」

 吉は一間ばかり汽車の来る方へ駈け出して行きました。そして汽車に向つて目を見張り頻りに十文字を切り結びました。そして「うウん!」と一つ唸りかけました。

 だがその忍術は駄目でした。汽笛がピイツと一つ鳴響いた時、小さい忍術使は吹き飛ばされたやうに線路を飛び出し、みんなと同じやうに土堤の芝生にしがみついてゐました。

 汽車は地響を立てながら、鼻先を地面にすりつけるやうにしてドカドカツと近づいて来それから脊中をくねらし尻をふり/\大威張りに杉林の方へ過ぎて行きます。

「逃がしたか張作霖!」

「みんな不発弾だあ!」

 ワツと土堤の上に子供たちは躍り上りました。秋のはキンキラと照つてゐます。

「えゝい、かくなる上は是非におよばず。ものどもつゞけえ!」

 吉は右手を高く差上げて叫ぶと、先頭に立つて線路堤をまつ直ぐに杉林の方へ駈け出しました。みんなその後につゞきました。


 線路が杉林に差しかゝつたところまで来ると、みんなヘト/\になつて、だん/\おくれるやうになりました。そこから向ふへは誰も一度も行つたことがなかつたからです。

 それを見ると吉は一番ビリにつきました。そしておくれるやうな者の尻をすすきの穂で叩きながら、大きな声でどなりつけました。

「なんだ意気地なし! 弱虫はブルジヨアだぞツ!」

 子供たちは「意気地なし」「弱虫」「ブルジヨア」などと云はれるのがつらさに、両足がもつれもつれでも走つて行きました。

 やがて杉林が尽きて、広い原つぱに出て来ました。すると元気よく走つてゐた先頭の二三人が、急に立ちとまつて原つぱの方を見下しだしました。

「どうしたんだツ? 進めえ! 先頭進めえ!」

 けれど先頭はちつとも進みません。吉は腹を立てゝ芒の穂をふり上げて飛んで行きました。けれど来て見てびつくりしました。

 第一、杉林の向ふにこんな広い原つぱのある事は夢にも思はぬ事でした。そればかりでなく原つぱの向ふは一面の家で、ゴチヤ/\込み合つて立ち並んだ小さい家の屋根には、「井戸ポンプ修繕」「ブリキ」「下駄のはいれ」などと書いた看板さへハツキリ見えてゐるのです。けれど、もつとおどろいた事は、その広い原つぱの芒の中で十五六人の男の子が駈けずり廻つてゐることでした。

 よく見ると、それは戦争ごつこです。

 吉は唾をのみこんで、突つ立つたまゝぢつと見下しました。

 芒の穂は風になびいてゐます。子供たちはその間を見え隠れして駈けて行きます。みんな棒を一本づつ持つてゐます。中には腰にさしたり肩に担つて小腰を屈めて、這ふやうにして敵に近づいて行く者もあります。

 くさむらからピリピリイと笛が鳴りひゞきました。あちらからもこちらからも黒い頭が、白い穂芒の間に現はれてワアツとときの声をあげました。向ふから蔓草つるぐさをたすきにかけた一隊が出てきました。トロ/\トロ/\と追つかけごつこがはじまりました。そして斬り合ひになりました。

「さあ来い、斬るぞ!」

「なにを小癪なツ!」

「やあ/\! やあ/\!」

 芒の穂は波のやうになびいてゐます。子供たちは野兎のやうに駈けずり廻ります。またピリピリイと向ふの方で笛が鳴ります、と、左の方の叢の中からボカーンと土煙があがります。新聞紙に包んで投げたのです。するとまた右の方からも、向ふの方からも土煙があがります。

 方々で斬り合ひがはじまつてゐます。

「やあ/\! やあ/\!」

「何をツ! ふれゝば斬るぞ!」

「ものどもつゞけえ!」

「こゝろえたあ!」

 吉はもう堪りかねて、たうとうこの時覚えず大声をはり上げて、向ふの仲間に呼びかけてしまひました。

「おうい、ちよつと待つてくれえ! 俺も仲間に入れてくれえ!」

 すると吉のその声があんまり大きなとんきやうな声だつたので、向ふの戦争ごつこの仲間も何事が起つたのかと刀をふり上げたまゝみんなこつちに振り向きました。

 吉は少々きまり悪くもなりましたが、こちらも七八人あるので、思ひきつて、も一度大声を張り上げました。

「おうい、俺らも仲間に入れてくれえ! お前の方の大将はなんと云ふんだ?」

 すると向ふの方の叢の中から三四人の子供がヌーと顔を出して、その中の大将らしい、額に芒の穂をくゝりつけた一人が大声で叫び返しました。

「お前たちはどこから来たんだあ?」

 吉は突つ立つたまゝ、自分たちの来た方を指さしながら、も一度どなりました。

「俺たちアこつちから来たんだあ!」

「それぢやア文化村の子供かあ? それとはちがふんかあ?」

「ちがふぞオ! 俺たちや杉林の向ふから来たんだよう! 仲間に入れてくれえ! 入れてくれなけア帰つちまふぞう!」

「お前の方の大将はなんと云ふんだあ? お前かあ?」

「うん、俺だあ! 俺は吉てんだあ!」

「たゞそれだけかあ?」

「ほんたうは坂本吉郎ツてんだあ!」

「さうかあ! こつちの大将は俺だあ! 好川松男ツて云ふんだあ! みんな仲間にしてやるからおりて来ウい! そのかはり意地の悪いことはしつこなしだぞオ!」

「ようし、がつてんだあ! こゝろえたあ! ものどもつゞけえ!」

 吉はまつ先に原つぱにおりて行きました。そして行き会ふ者ごとに右手を挙げて「しつけい」をしました。

 みんな吉について来ました。


 二組いつしよになつてからは、いつそう賑かな烈しい戦争ごつこになりました。どちらも負けてはならぬと思つたからです。

 吉は脊が高かつたので、すぐ一方の大将にされましたけれど吉の戦争は大分流儀が変つてゐました。

 吉は負けさうになると、すぐ味方を呼び集めて、鉄砲も刀もそこにはふり捨てさせました。そしてみんな腕を組み合はして、ワツシヨイ/\と敵の陣屋へ飛び込んで行き、なにもかも踏み散らし、蹴つ飛ばしました。

 すると向ふの大将の松は、さういふ戦争ごつこはないと云つて、おこり出しました。

「だつて、こりや俺たちのお父さんだつてやるよ。」吉は顔をふくらしました。

「お前のお父さんはなんだ?」

 松はおこつて、額に芒の穂をくゝりつけた顔でにらみつけました。

「俺のお父さんは職工だ。労働者だよ」

「だから戦争ごつこを知らないんだよ」松はニコ/\しながら云ひました。「刀で斬られたらみんな寝ころがらなきや駄目だよ」

「だつてプロレタリアは、そんな手きずぐらゐで倒れちや駄目だつて||死ぬまでは、何度だつて起き上つて戦はなくつちや駄目だつて||うちのお父さんは云ふよ」

「プロレタリアつてなんだ?」

 松はそんな言葉を聞いたことがなかつたので、つい、つりこまれてきました。

「プロレタリアつて、貧乏人のことさ。ブルジヨアでない者さ。俺もお前たちも、みんなプロレタリアだよ」

 すると松はプツと頬をふくらして、不服さうに云ひました。

「だつて俺のうちは貧乏人ぢやないぞ。お金だつてあるぞ」

 吉は弱りました。だが相手があんまりキレイな着物も洋服も着てゐないので、

「だつて、大金持ぢやないんだらう。大きな屋敷に住んでるんぢやないんだらう?」と云ひました。

 松はだまつて目をシク/\させました。

 すると一人の子が隅の方から云ひました。

「松男君のお父さんは大工だよ。めつたに家に居ないんだよ。お母さんと姉さんとで鶏を飼つてるんだ。路次の出口に『この奥にうみたて卵あり』ツて書いた札が出てゐらあ」

 みんな笑ひ出しました。

 松はきまり悪くなつて、その子に云ひかへしました。

「お前の家はなんだ。巴焼をやつてるんだよ。破れ障子に『ともゑやき』と書いてあらあ。みんなよく聞け。ほんたうだよう!」

 みんなまた笑ひ出しました。

 すると吉が云ひました。

「だからみんなプロレタリアだ。俺たちはみんなプロレタリアだあ、仲間だあ。だからみんな仲よくしてブルジヨアをやつゝけるんだあ!」

「異議なあし!」

「賛成! 賛成!」

「ばんざあい!」

「進めえ/\! みんなとつかんだあ!」

 松は俄かに線路の土堤をさして号令をかけました。

 みんな小鳥のやうにパツと飛び立つて、鼠のやうに土堤を駈け登りました。

 向ふから汽車が来てゐるのです。

「この汽車にはレーニンが乗つてゐるんだツ! いゝかみんな万歳をとなへるんだぞオ!」

 今度は吉が号令をかけました。

 子供たちは線路の両側に並びました。

「みんな尻からげを落せえ! たすきをとれえ! はなをすゝりこめえ!」

 汽車は鼻先を近づけて来ました。

「万歳!」

「ばんざあい!」

「×××××ばんざあい!」

「プロレタリアばんざあい!」

 貨物列車は疲れた牛のやうに、黒い張り出した腹をドカン/\と左右へ揺すりながら、子供たちの前をのろのろと通り過ぎます。ゴツトン/\と鳴つてゆく箱もあれば、ギギギギときしむ箱もあり、ギツチヤン/\と拍子をとつて行く箱もあります。

「もうやめえ! 万歳やめろ!」

 汽車が向ふの方へ行つた時、松がかうどなりました。

 もう陽は杉林の向ふへ傾いてゐました。

「今日はこれでおしまひ!」

 松がみんなに向つて云ひました。それから吉のそばへ来て、

「君、あすも来ない?」と云ひました。

 吉はちよつと考へてから、答へました。

「明日より日曜に来らあ、朝から」

「ぢや、さうだツ!」と松はとんきやうな声を張り上げました。

「ぢやア、日曜に文化村を観に行かう。すぐ向ふの駅のそばだ。金持の村だ。俺たちはあそこの子供たちに、しよつちゆう唾を引つかけられてるんだ。汽車の窓から。町の学校へ通つてるらしいんだ。だからそいつ等を見つけ出してウンと引つぱたいてやりたいんだ。ねえ、ぜひ来てくれたまへ、それに、あの村はとてもキレイなんだぞ。とてもキレイなんだから!」

「ようし。ブルジヨアの村なんだな。ようし。一袋さげてくらあ」

「なにを?」

「どんぐり、どんぐりのバクダンだあ」

「やあ、バクダン、すてき/\! そりや面白いなあ。そしてみんな、みんな来給へよ。女の子もつれて||大勢がいゝんだからね」

「よし。きつと大勢つれて来るよ。そして||デモだ! デモだ!」

 空には赤い靴のやうな雲が飛んでゐました。

 子供たちはその下を線路づたひに西、東に別れてガヤガヤと帰つて行きました。


 日曜は朝からいゝ天気でした。杉林の上の方ではピーロロウと鳶が鳴きながら、しづかに大空に6の字や8の字や9の字を描いて舞つてゐました。

 吉につれられた十七人の子供たちは、みんなはしやぎ切つて騒ぎながら線路堤を杉林の方へ進んで行きました。

 向ふの子供たちも噪ぎ切つて騒いでゐました。みんなで二十五六人もゐました。

「やあ、来た来た!」

「西軍が来た来た!」

 子供たちは飛び上つて両手をさし上げました。その中には女の子や、小鬢の禿げた子や、びつこの男の子なども居ました。女の子たちは総大将の松が号令をかけてもまだ嬉しさうに線路の端の電柱を抱へて、二三人でぐるぐるまはりをしてキヤツ/\と騒いでゐました。

「しづかにしてくれえ。今日はこれから文化村におしかけるんだから、みんな僕たちの云ふことをよくきくんだぞ。云ふことをきかぬ者は迷ひ子になつても知らんぞ」

 みんなおとなしくなりました。

「進めえ!」

 そして出発しました。

 だがそれは変な行進でした。砂利の上ばかり通うて辷つたり転んでばかり居る者もあれば、わざと狭いレールの上を奇妙な風をして綱渡りして行く者もあります。さうかと思ふと、枕木を一つ飛ばしにピヨコン/\と飛んで行く者もあります。

 みんな「文化村」といふお金持ばかりの村を早く見たくて堪らないのです。そこにはどんな子供が居り、またどんな木や草や花やがなつてゐることだらう? ひよつとすると動物園や公園なんかもあるかも知れない、と思つたりするのでした。

 みんなわれ勝ちに急ぎ出しました。

 白い駅が見え出しました。黄色いのぼりを立て並べたやうにポプラの木がスク/\と立つてゐます。陽がキンキラと照つてゐます。

 その右手になだらかな丘があります。丘の上までキレイな町になつてゐます。キラキラと輝いてゐます。文化村です。

 子供たちは思はず立ちどまつて眺めました。

 丘の上の町は、色さま/″\の小切布を吊したやうな樹木にとり囲まれて、丘全体が吹き寄せられたメリンスの小切物の山か丘のやうです。あつちこつちに赤・青・黄・水色・草葉色・栗色などの色瓦で葺かれた、奇妙な寄木細工のやうな家がキラキラと陽にかゞやいてゐます。中には女の洋傘パラソルを開いたやうな丸味がかつた赤い屋根、青い屋根、または紙てんまりのやうなだんだら屋根の家もあります。かと思ふとまた黒い男の洋傘かうもりがさを窄めて突つ立てたやうなとがつた屋根、越後獅子の顎のはづれたやうなもの下駄箱の蓋をはね上げたやうにひさしの深い屋根もあります。そして町全体がパツとオレンヂ色の秋陽を浴びて浮び上つたやうに輝いてゐるのです。

 子供たちは思はず一度にバンザイをとなへました。そして一層先を急いで、われ勝ちにと進んで行きました。

 どこからかピアノの音が響いて来ました。

「やあ、妙な音が聞えて来るぞ! 敵が知つたのかな?」

「馬鹿! ピアノつてオルガンだよ」

 暫く行くと女の子が松のそばへ駈け寄つて来て云ひました。

「ねえ、きつと公園もあるわねえ」

「公園? あるよ、あるよ!」

 今度は外の女の子が駈け寄つて来て松に尋ねました。

「動物園はない?」

「あるよ、あるよ!」

「ぢやブランコは?」

「あるとも、あるとも! なんだつてあるよ。すべり台だつてあるぞ!」

「やあ! そんなものもあるのか?」

「あるとも/\、なんだつてあるんだ。金持の村だからな。きつとなんだつてあるよ。」

「ぢや、木馬があるか、木馬が?」

「木馬? 木馬つてなんだい?」

「木でこさへた馬さ。乗れるんだよ。耳があつて脊中があつて、そこに跨つてね」

「ある/\! そんなものなら百でもある。木でこさへた牛だつて象だつてあらあ!」

「ハハハハア!」

 だが松は得意でした。吉と二人並んでまつ先に立つて歩きました。吉はどんぐりの袋をさげてゐました。二人とも大人のやうにタバコでも吹かして見たいやうな気持でした。


 駅前の踏切を渡つて、いよ/\文化村の入口の大通りにさしかゝると、二人とも浮かぬ顔をして黙りこんでしまひました。

 両側の店先には大きな尨犬むくいぬや、脚の長いほつそりした大犬がごろ/\してゐました。店の人は※(「口+耳」、第3水準1-14-94)きながら覗き見をしました。

「遠足かな?」

「先生が居ないらしいぞ!」

「どこへ行くんだらう?」

「一年生か? いや大きなのもゐるぞ」

 松も吉も黙つてゐました。子供たちは男の子は男の子同志、女の子は女の子同志になつて、どちらも固まり合つて歩いてゐました。

 だん/\丘を登つて、文化村に入つて来ました。ピアノの音がハツキリと聞え出しました。変な家がそこら中に見え出しました。けれど不思議と人通りの少ない町です。

 或る家の広い芝生の庭にはブランコやすべり台がありました。けれど子供は一人も居らず、人声さへ聞えませんでした。

 或る庭では頸から上をやけどした、鶴のやうな鳥がケロ/\と鳴いてゐましたが、やつぱり誰も居ないらしく入口の扉は土蔵のやうにピンと錠をかけてありました。

 また空家あきやが沢山ありました。玄関から高い窓にまで蔦蔓つたかづらが登つて、門の石柱の上では焼物の唐獅子が番をしてゐました。けれど不思議なことには、裏の方の物干台の竿には、洗濯したばかりの色々な着物や洋服がブラ下つてゐました。

「君々、いつたい人が居るんだらうか居ないんだらうか?」

 吉は案内役の松にきゝました。けれど松もハツキリわかりませんでした。

「空家が多いらしいんだね」

「さうさ。こゝも、そこも空家だね」

 子供たちはだん/\元気に、陽気になつて来ました。そして騒ぎはじめました。

「公園はどこだよう?」

「動物園はまだ遠いの?」

「おれ、腹がへつたあ」

「子供のやつ、ちつとも居ねえなあ。見つかつたら引つぱたいてやるんだが」

 吉は歩きながら松にきゝました。

「君、公園はどこにあるんだ?」

 すると松は立ちとまつて、頭をふり/\考へながら、

「まてよ、おれ、忘れちやつたぞ」と云ひながら、首を伸して四方を見廻しました。

 その時、すぐ前の空家のやうな大きな家から、ライオンのやうな尨犬が、二匹も吠えながら、飛び出して来ました。

 ワツと子供たちは鬨の声をあげました。

「やつゝけろツ!」

「ワアツ!」

「バクダンだあ!」

 男の子たちはてんでに石を拾つて投げつけました。小石は門や塀や玄関にまで飛びこんで行きました。

 犬が逃げこむと女中が出て来ました。子供たちはまだ投げ止めませんでした。

 女中が引つこむと二階の窓が開いて、桃色のカーテンの中から人形のやうな女の子や、男の子や、おかつぱの娘や、花嫁のやうな顔が覗き出ました。

「ワアツ! ワアツ!」

 子供たちはよろこんで躍り上りました。

 と、玄関からチヨビひげを生やした男が荒々しく、はだしで飛び出して来てどなりつけました。

「ばツ、ばツ、ばかあ!」

 子供たちは鬨の声をあげて逃げ出しました。逃げながらバンザイを叫びました。

 誰かが「ワツシヨイ/\!」と云ひ出しました。吉は「デモだデ! デモだと!」叫び出しました。

 そしていつの間にか、みんな駈けつゞけながら「ワツシヨイ/\! デモだ/\!」

と叫んでゐるのでした。

 文化村の人たちはびつくりしました。そして通から通へ駈けて行くその騒ぎを見ようとして、みんな窓を開けて覗きました。

 子供たちはどの家からも、人間の顔が葡萄の房のやうに鈴なりになつて見下してゐるので、一層愉快になりました。そして三四人づつ腕を組むと、一層元気よく、通から通へと無茶苦茶に駈けて行くのでした。






底本:「日本児童文学大系 三〇巻」ほるぷ出版

   1978(昭和53)年11月30日初刷発行

底本の親本:「戦旗」全日本無産者芸術連盟本部

   1928(昭和3)年12月

初出:「戦旗」全日本無産者芸術連盟本部

   1928(昭和3)年12月

入力:菅野朋子

校正:雪森

2014年6月12日作成

青空文庫作成ファイル:

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