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はちとばらの花

小川未明




 はちは、人間にんげん邪魔じゃまにならぬところに、また、あんまり子供こどもたちからづかれないようなところに、をつくりはじめました。

 仲間なかまたちといっしょに、あさはやく、まだ太陽たいようのぼらないうちから、晩方ばんがたはまたおそく、まったくしずんでしまうころまで、せっせとはたらいたのであります。

 かれらが、こうしてはたらいているときに、このなかでは、いろいろなおもしろいことや、またおもしろくないことなどがこっても、けっして、それにもとまらなければ、またこころのひかれるようなことがなかったほど、いっしょうけんめいであったのでした。

 ひまなとんぼがあそんでいたり、おしゃべりなせみがいていたりするあいだに、はちはせっせとはたらいていました。

 一ぴきのはちは、はなれて、そとへいっていて、すこしひまがとれたのでした。

「ああおそくなった。はやかえっておてつだいをしなければならぬ。」とおもって、いそいで、あおそらしたを、自分じぶんたちのほうかって、一直線ちょくせんはしってきました。

 すると、どうでしょう。留守るすにたいへんなことがこりました。せっかく、幾日いくにちとなく、せいして、やっと半分はんぶんつくったは、たたきとされてめちゃめちゃにくだかれ、そのうえに、仲間なかままでがいくひきとなくころされていたからです。これをて、はちは、とおくなるほどおどろきました。そして、かなしみました。

「だれが、こんなことをしたのだろう?」とかんがえましたが、すぐそれは、人間にんげんのいたずらがしたということがわかりました。

 そこへ、そと仲間なかまが、つぎつぎともどってきました。そして、みんなが、このさまておどろき、はらをたてぬものはなかったのです。

 くだかれた、のまわりをびまわり、どうしたらいいものかと思案しあんれました。にくいいたずらはりしてやりたいとおもいましたが、どこへげたか、その子供こどもらの、かげも、かたちもあたりにはえませんでした。

「どうしたら、いいものだろうか。」

「また、つくなおそう。」

「そんな元気げんきが、わたしたちにあるものか。」

 はちたちは、たがいに、おもおもいのはなしをしましたが、すぐには、とても仕事しごとにつきませんので、いつかまたいっしょにはたらくこともあろうが、このかなしみのえるまでは、みんながわかれようということになりました。

 一ぴきのはちは、あてもなく、そこからりました。そのときの気持きもちはどんなにさびしかったでしょう。そらんでくると、した花園はなぞのがあって、うつくしいばらが、いまをさかりにいているのをました。

 はちは、ついりるになって、そのばらのうえへとまり、いいにおいをおも存分ぞんぶんうことにしました。クリームいろうつくしいはなは、なんの心配しんぱいもなさそうに、愉快ゆかいげにえます。これにくらべて、はちは、こころかなしみがあったので、ひたすらばらのうえをうらやまずにはいられませんでした。はなは、そのあかるいかおけて、「あなたは、どうなさいましたのですか。」と、はちにかってたずねた。

 はちは、やさしくはなかれたので、なにから物語ものがたったらいいかとおもっていましたやさきへ、また、人間にんげんのいたずらが、あちらから、のこのこと花園はなぞのほうにやってきました。

 はちはあわててって、すこしはなれたところにとまって、ながめていました。子供こどもは、しばらくそこにって、はなていました。はちは、何事なにごとこらなければいいがと、はなうえあんじられて、むねがどきどきしていました。

 そのとき、子供こどもは、ばしてはなれようとしました。すると、ばらは、とげでちくりと子供こどもゆびさきをさしました。子供こどもは、まだちいさかったから、すぐにしていえほうけてゆきました。はちはうつくしいはなが、おもいきったことをするものだとたまげてていますと、いえなかから、おかあさんがてきました。

「こんどは、はながひどいめにあわされるだろう。」と、はちは、だまって、ちいさくなって、ようすをうかがっていると、おかあさんは、はなたいしては、なんともいわずに、かえって、子供こどもが、はなろうとしたのはわるいことだといって、子供こどもをしかったのであります。

「なんという、あなたは幸福こうふくかたですか。わたしたちがはりでさしてごらんなさい、人間にんげんはどんなにおこることかしれません。わたしたちは、なにもしないのに、られたり、ころされたりします。いったいこれはどうしたことでしょうか······。」と、人間にんげん姿すがたえなくなると、ふたたびばらのはなうえにとまって、はちはいいました。

 クリームいろのばらのはなは、すこぶる傲慢ごうまんそうなかおつきにえました。

「はちさん、それは、あたりまえです。自分じぶんのことをいうのは、おかしいが、あなたは方々ほうぼうびまわりなさいますが、もし、わたしより、きれいなはなをごらんなさったら、おしえてください。そして、あなたご自身じしんかおは、どんなであるか、ちょっとみずおもてうつしてごらんなされば、すべてわかることとおもいます。」と、ばらのはなはいいました。

 はちは、なんとなくずかしさをかんじました。

「いえ、わたしは、まだあなたほどうつくしいはなたことがありません。」といって、はちはすぐにって、みずたまりへやってきました。そこで、自分じぶんかおうつしてみました。

「あっ!」といって、はちは、うしろへひっくりかえりそうになりました。どうして、自分じぶんたちは、こんなにおそろしく、またみにくかおまれてきたのであろう?

 みずたまりのなかを、いつもわらぬまるかおをして、太陽たいようがのぞいていました。太陽たいようは、にこにことはちのおかしそうなようすをて、わらっていました。

「おさま、どうして、わたしたちばかり、こんなにしあわせでなければならぬのでしょうか。そして、あのばらのはなは、なにをしたって、しかられもせず、かえって幸福こうふくらされるというのは、どうしたことなんでしょうか。」と、うらめしそうにうったえました。

 なんといっても太陽たいようは、ただにこにことわらって、だまっていていたばかりであります。

 はちは、そのは、なげきながら、このみずたまりのほとりでごしました。そして、くるあさ、ばらのはなのいいにおいをごうとおもってやってきました。すると、意外いがいにも、いつのまにか、そのはなは、えだなかほどからられたとみえて、もう、その花園はなぞのにはなかったのであります。

 はちは、すべてのもののうえに、平等びょうどうである運命うんめいについてかんがえさせられたのであります。られたばらかられば、いま自分じぶんたちは、どんなに幸福こうふくであろうか? はちはふたたびはたらくべく、そして仲間なかまあつめて、もう一つくるためにいさんでかなたへんでゆきました。

||一九二六・五||






底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社

   1977(昭和52)年3月10日第1刷

底本の親本:「未明童話集1」丸善

   1927(昭和2)年1月5日発行

※表題は底本では、「はちとばらのはな」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:へくしん

2020年8月28日作成

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