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自由

小川未明




 まち鳥屋とりやまえとおったとき、なんというとりらないけれど、小鳥ことりにしてはおおきい、ちょうどちいさいはとのようなかたちをしたとりが、かごのなかにいれられて、きゅうくつそうに、じっとしていました。

 黄色きいろなくちばし、その鈍重どんじゅうなからだつき、そして、たえずものおじする、つぶらなくろると、いじらしいというかんじをさせられた。わたしは、このとりをきらいでなかったのです。

「こんなに、せまいかごへいれられたのでは、身動みうごきもできないだろう。」

 自分じぶんいえには、これよりは、おおきなきかごのあることがあたまかびました。で、ついこの小鳥ことりあたいをきいてみるになりました。

 鳥屋とりやのかみさんは、さっそく、みせさきへてきたが、あたいは、あまりやすくなかった。しかし、一おうとおもったこころは、すこしくらいのことで、また、やめるにもなれなかったのです。それほど、わたしは、このとりをほしくなりました。子供こども時分じぶんむらはずれのはやしや、てら墓地ぼちなどへ、おとりのとりかごをさげていって、ひわや、しじゅうからなどをらえたことをおもすと、どこからともなく、すがすがしいつちがして、あいだをくぐってくるややかなかぜが、にしみて、もうひさしいことわすれていた生活せいかつに、ふたたびたましいがよみがえるように、きゅうに、からだじゅうがいきいきとしたのであります。

「こんなに、ちいさいかごにいれておいてもいいのだろうか。」

「このとりには、すこしかごが、ちいさすぎますね。もっとおおきなのにいれてやれば、ほんとうはいいのですが。」と、かみさんは、こたえた。

 なぜ、そうわかっていたら、そうしてやらないのだろう? とりは、ものがいえないから、されるままになって、ただえさべて、きている。しかし、そのようすをると、それに満足まんぞくしているようにもおもわれるが、それも、ものがいえないからだろうとかんがえられるのでした。

 わたしは、紙袋かみぶくろなかへ、とりをいれてもらって、いえかえり、もっとおおきなかごにいれてやりました。とりは、らぬ場所ばしょにきたので、いっそう、ものおじして、をぱちくりしていました。

「このとりは、よほど臆病おくびょうとみえるな。」

 わたしは、をこらして、とりているうちに、とりながいはずのが、みじかられているのを発見はっけんしたのです。

「あ、ちいさなかごへいれるのに、じゃまになって、ったのだ。」

 そうおもうと、いいれぬ不快ふかいを、だれがしたか、この残忍ざんにん行為こういからかんじられました。きているとり本位ほんいにして、かえって、無理むりとりちいさくしようとする、冷酷れいこくさをおもわずにいられません。

 日数にっすうがたってから、そのとりが、いかるがであることもわかりました。なんでも、はとの種族しゅぞくぞくするこのとりは、とりなかでもよく大空おおぞら自由じゆうける、つばさつよとりだということをりました。

「そんなに、よくぶものを、こんなかごのなかにいれておくのは、よくないことだ。」

 こう、わたしは、おもったのです。そのときから、自分じぶんは、なにかわるいことをしているような、とりるたびに、良心りょうしんめるものがありました。

がしてやろう?」

 そう、おもいました。

「しかし、こんなに、みじかくては、よくべないだろう。それに、せまいかごのなかに、はいっていたので、羽先はさきがすれているから。」

 わたしは、がしても、ねこにられるとおもった。まだ、ここにいるほうが、とりにとって安全あんぜんであろう。そうかんがえると、がすことにちゅうちょしました。

 さむふゆぎて、やがてはるになろうとした。この時分じぶんから、いろいろのとりが、そらいて、わたった。すると、かごのなかのいかるがは、竹骨たけぼねのすきまから、くびをげながら、そらあおいで、とりかげ見送みおくっていました。

「おれも、ああして、かつては、自由じゆう大空おおぞらんだものだが······。」といわぬばかりにえました。そして、しばらくは、じっとしてとまりにとまったまま身動みうごきもせずに、なんとなく陰気いんきにしていました。

 このうえ、このとりを、かごのなかにいれておくのは、罪深つみぶかいことだ。わたしは、そうおもうと、ぐちひらいて、

「さあ、げていけよ。」といった。

 とりは、すべてをうたがうように、あちらへいき、こちらへきたりして、すぐには、ようとせずに、ためらっていました。

ゆきが、そのいただきにかがやき、ふもとに、きよ谷川たにがわながれる、とおやまほうへ、はやくんでいけ!」と、わたしは、とりかごから、いかるがを無理むりおうとしました。

 かれは、かごのぐちへとまったが、ふいに、そとした。しかし、みじかられ、はねは、すりれていて、昔日せきじつのように、敏捷びんしょうぶことはできなかった。にわ木立こだちえだまろうとして、地面じめんちてしまいました。わたしは、とりあしまでが、きかないことをりました。けれど、いま、あこがれていた自由じゆうが、まえられるのだとると、あわれなとりは、しきりにばたきをしてあせった。そして、とうとう、そらがって、にわうえひとまわりしたかとみると、あちらのたかがけて、懸命けんめいに、きずついたはね空気くうききざみながらんでいきました。

 わたしは、十ねん、二十ねん牢獄ろうごくにあった囚徒しゅうとが、放免ほうめんされたあかつき日光にっこうのさんさんとしてみなぎる街上がいじょうへ、されたときのことを想像そうぞうしたのであります。

 かれらが、鉄窓てっそうもとで、やせた両手りょうてたかくさしばして、

自由じゆうあたえよ。しからざれば、あたえよ!」と、さけこえを、このときこそ、はっきりとくようながしました。

 やがて、れかかった。あのとりはどこへいったろう。これにこりて、二人間にんげんらえれることもあるまいとおもわれました。しかし、かごからして、自由じゆうとなったのは、たまたま一だけであって、あの鳥屋とりやに、またおおくの家庭かていに、たくさんのとりが、せまいかごのなかにいれられているけれど、そして、大空おおぞら自由じゆうぶことをあこがれているけれど、だれも、それらのとりのためにかんがえるものがないばかりか、そのこえたのしんでいる。たとえとりたいしてすら、人間にんげんにはそんな権利けんりがないのを、おなじ、人間にんげん自由じゆう束縛そくばくしたり、または牢獄ろうごくにいれたりする。そして、自分じぶんのすることについて矛盾むじゅんかんじなければ、そうした社会しゃかいをよくしなければならないともかんがえない。

 まちは、いつものごとく燈火とうかいろどられ、人々ひとびとは、歓喜かんきしています。||わたしは、憂鬱ゆううつになりました。ひとり、いつまでも、くらくなりかけたそらに、たかくそびえる木立こだちつめて、あわれなとりが、あせりながら、いまでなければ、自由じゆうられないとんでいった姿すがたえがいていたのでありました。

||一九二九・三作||


☆いかるが──えんじゃくもくはとりとり






底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社

   1977(昭和52)年4月10日第1刷

底本の親本:「童話文学」

   1929(昭和4)年4月

初出:「童話文学」

   1929(昭和4)年4月

※表題は底本では、「自由じゆう」となっています。

※本文末の語注のページ数は省略しました。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:へくしん

2021年5月27日作成

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