鬼は、
「もういいか。」
と、鬼になったものが言うと、何処かでクスクスと、隠れた者の笑い声が聞えて、
「もういいぞ。」
と答えるものがあった。すると、鬼になったものは自分で、手を
隠れているものは、みんな、鬼の来るのを怖れて見つかりはせぬかと、
「何処へ行ったろう······何処に隠れているだろう、ここでもない。」
などと口で言って、わざと
此方の、見付けられたと思ったものは、やっと心のうちで、これはいいあんばいに、助かったと思って、まだ胸をどきどきとして息の音を殺している。
すると、彼方へ行きかけた鬼は、また此方へうかうかとやって来て、
見つけられたと思ったものは、急に頭から冷水をかけられたような気分がして、穴があったら地の中へ隠れたいと思う
「見つかった!」
と鬼は叫んで、
正一は、この子供等の中でも、どちらかといえば臆病な子供であった。而して鬼になるより、隠れる方が好きであった。
彼は、見つかった! と頭の上で言われる時には、身がぶるぶると
ある秋の晩方であった。白い
子供等は、紅い沈んだ夕日を眺めていたが、
「おい、君等の中で幽霊を見たものはないかい。」
と一人がいった。
すると、一人は、「見たよ。」といった。
「何処で。」
「あの杉の木の中で。」
とその少年は、後方の紅い夕日の沈んだ森を
「どんなものであったい。」
と、一人が言った。
「黒い着物を
「而して、その黒い坊さんはどうしたい。」
「僕は、その坊さんに石を投げてやった。」
「何か物を言ったかい。」
「何処かへ消えてしまった。」
「何、それは幽霊でないよ、誰か、杉の枯枝を拾いに来ていたのだよ。君、幽霊なんかこの世界にありはしないよ。」
「うん、ありはしない。学校の先生が幽霊などありはしないといったよ。」と一人が
皆んなは、これで黙ってしまった。それから、またわいわい言っていたが、
「隠れんぼうをしよう。」
と、一人が言った。
「しよう。」と、其処にいたものは、皆んな同意した。而して、また、石の転っている空地に輪を造って、りゃんけんぽと言って、拳に敗けたものは鬼になった。
その時、臆病の正一はこういった。
「君、隠れる
すると、皆んなは、もう遅くて、暗くなったから、彼方の
「じゃ、あの杉の木の森······。」と正一は言った。
「何、森がなくちゃ隠れる場処はありゃしないじゃないか。」
と、一人が打消した。
やはり正一は、鬼にならなかった。皆んなは、
皆んなは、杉の森のところまで来ると、
「オイ、固って隠れては駄目だ。
と、一人が発議した。皆なは、「そうだ。皆んな別々に隠れよう。」といって各自はこそこそと森の中の、藪の中に、それぞれ隠れてしまった。
もう、夕靄が一面に下りて、森の下は暗くなって、少しも見えなかった。紅い夕日は、
先刻、幽霊の話を聞いたので、日頃から臆病であったから、独りで隠れる気にはなれなかった。
正一は、こう思った||もし、自分が鬼になれや黙って帰れない、若しも鬼になって、黙って家に帰ると
何だか、黒い、暗い頭の上から、誰か覗いているような気がして、独りで、藪の中に竦んでいることが出来なかった。
このとき、鬼は、
「もういいか。」
と、叫んだ。その方を振向くと、夕靄の中に立って、眼を隠している友の姿がぼんやりとして見えた。
「ま||だ||だよ。」
と、一生懸命で正一は、せつなそうな声を出して叫んだ。
すると、彼方の黒くなった藪の蔭から、
「何しているんだ。早く隠れれよ[#「隠れれよ」はママ]。」
という声がした。
正一の気は、
彼は、まごまごしてうろついている訳には行かなくなったので、自分独り、何処か他にいい処はないかと
何処を見ても、眼を遮るようなものがなくて、ただ、この
正一は、仕方なしに地面の上に
空井戸の中を覗くと、
中には、水がなかったけれど、落葉が溜ってきて、湿気ばんでいた。而して井戸の周囲には、苔が生えて、夜の靄は、この中から浮き上るように天上の方はぼんやりと霞んでいる。
落葉の匂いが、
眼を上に向けて、もしや、鬼が来て、この中を覗きはしないかと仰いでいたけれど、誰も来て覗いて見るものもなかった。
その内に、ちらちらと星の輝くのが見え始めて来た。彼は、たとえ誰が来て、上から下を覗いても、中は真暗で見えないから見つかる気遣いはないと思っていた。
彼は、耳を澄していたけれど、何の声も聞えなかった。もう、今頃は、誰かが見付かった時分であろうと思ったが、皆んなの
空の色は、ますます青く冴えて、星の光りがはっきりと澄み渡って来た。
彼は、何となく心細くなったので、
「もう、いいぞ。」
と、井戸の内から叫いた。
その声は、穴の周囲に突き当って、上の方へは聞えなかったようだ。彼は、こう叫ぶと誰か来て覗きはしないかと、胸をどきどきさして竦んでいた。
自然に崩れて落ちる土の塊りが、ころころと転げて来て枯れ葉の上に落ちた。彼は、出て上を覗いて見ようと思った。
正一は、足を井戸の周囲に踏みかけた。けれど手に掴まる処がなかったので、容易に上ることが出来なかった。彼は、爪で、土を崩した。而して、其処に足をかけて、やっと片手を穴の上にかけることが出来た。
こんなことをする間にも、時間は余程たって、彼は、幾たびか上りかけては、下に落ちて穴の中で、尻餅を
四辺は、眠ったようにしんとして、彼は、言うにいわれない頼りない悲しい感じがした。まだ四つか五つの時分、母が
正一は、まだ誰か、その辺に残って居りはせぬかと、彼方、此方見廻しているうちに、誰か一人、十五六歩も隔って、白い靄の中に
「オイ、誰だい君は。」
と、正一は呼びかけて、その方に歩いて行った。
月が森から上った。
あたりは、急に明るくなった。
「オイ、君は、誰だい。」といって、正一は、立っている人の傍に寄って、顔を覗いた。
頭から、黒い
「オイ、君は誰だい。」
といって、その黒い人の前に立った。
けれど、その人は、やはり黙っていて返事がなかった。而して、あたりは余り静かで、しんとしているのでなんだか身に寒気を覚えて、変な気がして来た。
この時、立っている人は、始めて頭から黒い布をはずしたのである。
月の光りに見ると、
正一は、一目見て、この坊さんは、或時、何処かで見たことのあるような、微かな記憶が不思議に浮ぶような気がしてならなかった。坊さんは、
「わしの顔を覚えていないか。」
といった。すると急に正一の頭は、はっきりとなって、いろいろの過去のことが考え出された。
「去年の、春の日であったが、お前を見たことがある。」
と、坊さんは言った。
正一には、すべてがはっきりと分った。ちょうど桜の花の咲く頃の事であった。あの日の晩方、家の前に立っていると、あちらから、一人の旅僧が歩いて来た。その日は、朝のうちから、曇って、一日花曇りに日は暮れてしまうような穏かな日で、遠くでは、寺の鐘がゆるやかに鳴って聞えた。正一は、死んだ祖母のことなどを思い出していると、一人、
「大きくなった。また来るよ。」といって、その旅僧は行ってしまった。正一は、家に入って、そのことを母親に話すと、人違いだろう······お前に、そんなことをいう筈はない······あまり、可愛らしいから、そういったまでだろう······これから、知らぬ人が、いい児だから私と一しょにお出でなどといっても行ってはいけないといった。
今、自分の前に立っている坊さんは、その時の坊さんであった。
「覚えている。」
と、正一は心の
星の光りは、秋の冷たい空気の中に
「わしは、お前を見ようと思って来た。」
と、その坊さんは言った。正一は母の言葉を思い出していっしょに行ってはいけないと思った。帰る時、坊さんは、正一を家の近くまで送って来てくれた。
正一は、病気にかかって床についていた。今、夢から
||春の
その坊さんは、なんだか見覚えのあるような気がしてならなかった||。
医者が来て帰った。その診察によると、もう、正一は、二たびかくれんぼうをすることが出来なかった。