太郎の一番怖がっているのは、向うの萩原のお婆さんで、太郎は今年八歳になります。この村中での一番の
「これ太郎! どこにいる。お前はまた家の勇を泣かせましたねえ、太郎、さあ私がお前さんをいじめて上げるから、お
ある日太郎は
今日は、往来へ出て見ましても、あたりに友達の影が見えないので、ひとりで独楽を持ったまま、友達欲しそうに歩いていますと、頭の上には
そうするとむこうの
「僕が今度ぎんを
勇は、[#「勇は、」はママ]
「ほんとうにお
「それはきっと上げるさ。」
「いつ呉れるのだい。」
「明日。」
「何時に。」
「朝上げるよ。」
「でも、また独楽割られるから厭だ······。」
勇は
太郎は少し言葉が
「勇さん、この間割ったのは堪忍しておくれ? 今日はきっと割らんから。」
「でも、力を入れて撃つんだもの······。」
「力を入れないから。」
「お婆さんが買ってくれたんだもの······。」
「え、お婆さん? が買ってくれたの?······。」
「ああ、もう割っていけんって、今度割ると
「
「いいえ、木独楽だ。」
「大きいのかい······。」
「ああ、大きいんだ。」
「僕はもう割らないがなあ······。」と太郎は溜息を
「太郎さんは私にあの絵紙呉れないか? そうせば僕独楽を廻すけも[#「廻すけも」はママ]······。」
「牛に子供の乗っている絵紙かい?」
「あれ、呉れればいいがなあ······誰か呉れんかしらん。」
「お月様が出ていて、笛を吹いている絵紙だろう?」
「うん」と勇は
「あれを上げれば、独楽をお廻しかい。」
「廻すけども割るんなら厭だ。」
「僕はもう割らんよ。」
「じゃ絵紙は呉れるの······。」
「ああ、上げよう。」
「銀蜻蛉は明日の朝呉れるの?」
「ああ、明日の朝捕って上げるよ······。」
「独楽を割るんでないよ。え、きっと!」
「ああ、割らないってば。家に独楽はあるの······じゃ早く行って持ってお出で、待っているから。」
勇は新しい、軽そうな木独楽を持って来ました。それに較べると太郎のは厚い鉄の胴がはまっていて、なかなか重たい独楽であります。
「太郎さん、お前さんが先にお廻しよ。」
「僕?」
「そうっとお廻しよ。」
「ああ。」
「割るんでないよ、さあ手をお出し。」
と勇と太郎とは互に手を握り合って、約束をしました。そこで勇は安心をして、太郎の廻すのを待っています。
太郎はなるたけ軽く廻しました。勇は思い切って力を入れて太郎の独楽を打ちますから、いつも太郎は負けてばかりいます。
「太郎さん、私の独楽は強いだろう。」
「強くないわい。」
「君は軽く廻すんだよ。だってこっちは木独楽だもの。」
太郎は言うなりに軽く廻します。勇は力を入れて打ちましたから太郎の独楽は
「やあ、太郎さんの独楽は溝の中へ
もはや太郎は約束のことなど忘れて、白い木独楽を
勇は
太郎は、もうここなら大丈夫だと思って、桑の畑中に隠れました。
紫色に熟した桑の実が
すると桑畑を抜け出て、程なく行きますと野中の大きな栗の樹の下にそれはそれは水晶のように綺麗な清水が湧き出ているのであります。太郎は独楽を
「お花ちゃん好く来てお呉れだった。僕は一人で寂しかったよ。」
「太郎さんはいつここへ来たの。」
「今少し前に。」
「おお、美しい清水だことね。」
「お花ちゃんは、萩原のお婆さん見たかい。」
「ああ見た、大そう怒っててよ。」
「怒っていたかい?」
「太郎さんを探していたわ。」
「萩原の梅干婆なんか、誰が怖れるもんだ。」太郎は口ではそういいましたものの、家へ帰ることも出来んで困っていました。
「あ、太郎さん御覧、この清水の中にあんな光ったものがあってよ。」
「なんだろう、僕が取って上げよう。」と太郎は水の中に手を
その中に花ちゃんも手を入れて、二人が掻き廻しましたけれども遂に取ることが出来ませんでした。
「なんでしょうね、太郎さん。」
「なんだろう、お花ちゃん。」
「
「ええ、この独楽を投げてやれ!」と太郎は独楽を清水に投げ込みました。しますると
「まあ、美しい手毬だことねえ、太郎さん妾にお呉れでないの。」
「みんな上げるよ。僕の独楽はどこへ行ったろうか。」
「あら、見えんのね。」
「ああ、独楽はどっかへ行っちゃった······。」太郎は悲しそうな顔付をしています。その内に時間もよほど経ちましたので、花ちゃんは家を思い出して太郎を誘うのであります。
「太郎さん、妾が萩原のお婆さんにお詫びをして上げるから帰りましょうね。」
「じゃお花ちゃんお詫びをしてくれるの。」
「ああ、妾がしてあげるのよ。」
「婆さん、許して呉れればいいが······お花ちゃん晩になって暗くなるまでここにいておくれでないか。僕は暗くなるまで待っていよう。」
「でも、妾、母さんが心配するもの。」
「お花ちゃん、いておくれよ。暗くなったら、じき帰るから。」
「遅く帰ると母さんに叱られますもの。」
「いやか?」
「············。」
「お花ちゃん、いやなのか······。」
黙った花ちゃんは
「いやならその毬みんな返せ。いじめてやるぞ。」
花ちゃんは悲しそうな顔付をして、一ぱい涙ぐんでいます。しかし手毬はしっかりと胸に押しあててうつむいていたのであります。
二人がそうやって、押問答をしているうちに日は暮れてしまい、大空には真珠のような光る星影が
「あれ!」と覚えず二人は叫んで互に手と手を握り合いました。なおも二人はじっと見詰めています。今度は太郎と花ちゃんの二人の顔がそこに並んで現われたのであります。この時二人は覚えず前に進み出て、その泉の中を覗きました。
「お花ちゃん!」
「太郎さん!」
「あれ、独楽が見える。」
「あれ、音楽がこの中で聞えてよ。」
「まだ光るものが見えて?」
「星の影が映ってる。」
「あれあれまた二人の顔が映ってよ。」
「お花ちゃん中へ入って見よう。」
「あれ、太郎さん一しょに入りましょう。」
二人は手を取りあって、花ちゃんは手毬を持ったまま小さな清水の中に入った。とすれば忽ち底の浅かった清水は見る見る深く深く、広く広くなって、二人の姿は見えなくどこへか沈んでしまった。
* * *
あくる日そこへ行って見ると、栗の樹の下には清水もなければ、その跡にただ二本の美しい百合の花が咲き乱れていたのであります。