母親に
「こんなに張っているのを飲まされないなんて······すこしくらいなら
母親は、
私はあくまでもそれを叱りつけ、看護婦会で
「素性の知れないものの乳を遣るのは、どんなものでしょう。それに病気なぞあったりすると、牛乳で育てるより
「よく医者にからだを診て貰ったらいい。医者がよいと言えばいい。」
そう話しているうちにも、朝と昼と、そして晩には、女中の夏と、世話をしてやっている平林とが
「子供が三人も四人もごろごろしていて二間きりの家です。けれども乳はたくさん出るらしいんです。」
「こちらから行くと厭な顔をしないか。」
「厭な顔なぞしません。」
「三度に一度くらいでも、晩方なぞ忙しいときに······。」
私の気もちを知っている平林は、「そんな事は無い」と言った。そして、
「家じゅうのものが行くごとに赤ちゃんは今日はかげんがよいかとか、わるかったら関わず乳を棄ててとりに来てくれとか言ってくれるんです。乳は時間を見計って新鮮らしいのをお上げすると言っているんです。」そう言ったので、私はまだ会わないが善い人達だと思い、心から感謝した。
「そうか、こんどは何か持たせてあげないと悪い||。」
夏も口をそえ「ああいう親切な人たちはない。」と言った。
「
そう言い、お祝いの品物の、さしあたり要らないものをあれも上げるこれも呈げると言った。そして自分の乳をしぼり、陶物にたまった濃い白い液体を覗きこんだ。
「こんなに乳が出るのに、これが飲まされないなんて||。」
そういうと、そっと夏に、「こっそりと飲ましてやりたい。」と言った。
「そのコッソリで万事ブチコワシになることがあるぞ。」
私は気むずかしく叱りつけた。しまいに乳を棄てるところがなくなり、庭の萩の植った陰地を掘って棄てた。
或晩、玄関に客があったので、家のものが忙しく、私が何気なく出た。が、まだ一度も来たことのない女であった。
「あの······動坂から参ったんでございますが。」
「あ、動坂からですか。」
すぐ貰い乳をさせて呉れる人だと思った。手巾に包んだ瓶をさげ、妹らしいのが格子の外で、からだをちぢめていた。
「いつもお世話さまで······オイ、動坂から
そう奥へ声をかけると、妻も夏もみんな出て来た。
「お手すきがございませんでしょうと、こちらへ
手巾を開き、乳の瓶を取り出した。藍色の
「まあ、ご親切に、どうかおあがりなすってくださいな。」
こんどは格子戸に隠れるようにしている妹の人にも、「お
「毎日お乳をさし上げていましても、もしも腐ったりなぞしたりしては、大変だと思いましてね。」
「いえ、すっかりゴムの乳首にも慣れましたものですから||三度ずつおいそがしいのに頂いたりなぞして||。」
妻はそういうと、赤児のねている部屋へあんないをしながら、
「ともかく一度見てやって下さい。こんなに肥って。」
「まあよくお肥りになって·········。」そう四十近い女の人は言い、「どんなお子さまでしょうと毎日お噂をしていたんでございますよ。それにどうしましょう、こんなにお可愛くて||
「これでわたしも
小さい
「気になって気になって
そういう夏に、「おれにしても気になる。」と私は言った。
||一日に三度ずつ動坂へ行くのには、あまりに人手がなかった。もうすこし近いとよいのだがと皆が言い合った。それにしても乳母の方の
その日、乳母は、六十ばかりの母親と、口入屋の爺さんと連れ立って来たが、私は口入屋の爺さんの顔をみると、すぐ目を伏せてしまった。厭な奴だと、直覚的に上向いた鼻と日焼けのしたあぶらぎった顔をみたときにそう思った。
「月給は三十円くらいにしていただきましてな、それを半年分さき払いに、そして私の手間賃は十五円いただきます。」
そう切口上をいうと乳母の母親に
「これだけ言えばわしの役目は済んだのだから、あとはお母さんがよく娘さんに話をしなさい。」
爺さんは、こんどは老母のわきに坐り、硬くなっている健康そうな娘に、「こう話が決ったら気にいらない事があったりしても、
「一年くらいの間だから、よく辛抱をしての、ときどきわしは逢いに来るし、つむぎ屋さんに万事おまかせしてあるから||。」
眼の円い二十一二くらいの娘なる女は、その間じゅう
「肝心のお乳を医者に診てもらわないと困りますね。お願いするにしてもそれが気にかかりますから。」
先方の独り
「乳のことは千葉の医者でも診てもらってきたんですが、大丈夫だそうです。最もお宅でも
爺の言葉に続いて、母親も言った。「この子は近年病気一つしたことはなし、この通り頑固なからだをして居りますから心配はございません。」
娘の方を見て、この話が乳のことでコワれないかと、いくらか不安そうに言った。
「では試験管にでもしぼっていただいて、すぐ樋口さんに見てもらいましょう。||ちょいとこちらへ入らしって。」
妻は、乳母を勝手へつれて行き、そこで管に入れた乳を平林が医者へ持って行った。
「早稲田の方にも一軒廻らなければなりませんから、事の決まり次第に失礼いたします。」
爺さんは契約書と、周旋料とを私から受取り、大きな財布にしまい込んだ。何しろこのごろは乳母になる女がないから仕事に骨が折れると云った。
「二三日べつに
母親は、使いの
平林が帰って来た。「乳はべつに不良いところがないそうです。」と言い、別に医者からの証明書のようなものを持って来た。妻も私も喜んだ。
「よく使ったからだですから、よい乳が出る筈です。」
爺さんは、身仕度をすると、「じゃお母さんは明日にでもお伺いして、金の方のことを決めなさるとよい。わしは急ぐしするから。」と附け加え、一緒にかえるという母親と、玄関へ出た。
「なるべく汁気の多いものをいただいて、そして自分の家だと思っていないと、乳というものは不意に止まることがあるものだから。」
乳が止まることのあるものだと聞くと、乳母は、胸へ手を当て、眼を
爺さんと老母とが帰ったあとで、妻は、すぐ乳を赤児にやって呉れと云った。貰い乳ばかりしていた赤児は、ゴムの吸管とは、全然かんじの違った柔らかい、いくらか
「おいチいでしょう。ほら、たんと出るでしょう。」
妻はその指さきで、乳母の乳房を上からこころもち
が、赤児は、すぐ乳首を離した。そして泣いた。すぐ又乳首をさしつけると、ちょいと
「おかしい、出ないかな。しぼってごらん指さきで。」
こんどは乏しい乳がちびりと出たきりだった。いくらやっても同じ事であった。乳母は、顔を真赤に染めた。しばらくしてから||
「も一度やってください。」
そう妻が言いかけ、赤児の口を乳首にさしつけても、もう吸いつきそうもなかった。「空乳首をやって見るとよい。」私がそういうと妻はすぐ空乳首を
「どうして出ないんでしょう。」
乳母は、心を焦ってしぼるほど、乳は、ちびりとしか出なかった。「毎日棄てているほど出た乳なんでございますが。」と、乳房をぐりぐりしぼった。そうしている乳母の額に汗さえ滲んで見えた。「しばらく休んでからにした方がいい。」私は見兼ねてそう言い、心で嘆息した。胸肌のうすい皮づきがくらみを持っているのまで、気になり絶望的な気もちにした。
女中部屋で
妻は乳母と私とをみながら「どうして出ないんでしょう。」と云い、そうして「すぐ平林さんに動坂へ貰いに行ってもらいましょう。」と手巾に瓶をつつんでいる。夏は夕方で急しいからと、平林に行ってもらうことにした。平林は、すぐ出て行った。
「困ったな。乳首になじまないからいけないんだ。」
私は妻に、わざと乳の出ないことを言わないで、そう言った。乳母は、あぶら汗をかいていた。
「あなたの子どもはどうしたんですの。」
ふと妻がそう尋ねると、乳母は、汗とあぶらで光る顔を
「死んでしまったのです。生れるとすぐに。」
「まあ。」
妻は、目を円くしたが、私はべつに何んとも思わなかった。子供というものは死にやすい。もろい花のように思っていたからである。
「そして千葉にいたの。」
「いいえ。」
「どこに。」
乳母は、言いにくそうに黙ってしまった。わたしは尋ねるなと目で知らせた。乳母は、やはり身体中をコワ張らせ、そのため
平林がかえって来た。
「いつもより時間が遅かったから、こちらで持ってあがろうかと今言っていたところです、と、言って手巾にくるんでありました。」
乳は生ぬるかった。それを消毒して飲ませると、赤児はハアハア言って甘美そうに飲んだ。こういう風にのませてあるから、よほど出る乳でないと向きませんと、妻が誰にいうとなく言った。乳母は、伏目に
晩も遅くなってから、夏がきゅうに書斎へやってきて、乳母が着物やその他の用事で浅草の宿までやって呉れと言って、さっき持って来た風呂敷を持ち、勝手口で今にも出掛けようとしていると言い、「何んでも吉原に奉公していたことがあるそうで、お宅は気づまりなんでしょう。」とも云った。
「今夜行ってもらうと、明日の朝お乳を飲ませないじゃないか。こまったことを言う人だね。」
妻は不平を言い出した。
「今晩出してやると、あの女は帰って来ないかも知れないよ。」
先刻、居苦しそうにしていた乳母が、何かを口実にして窮屈なこの家を出たいと考えているらしく私には思われた。
「そうね。でも来たばかりだのに·········けれども分らないわね。」
妻も危ながった。
「用事があったら明日昼間にしろと言って呉れ。今夜はだめだから。」
夏は、その通りを言い、すぐ乳母を
「旦那さまの
妻にそう女中は
翌朝、ひと晩やすんだから、乳母の乳は出るだろうと心愉しみにしていたが、やはりちびりとしか出なかった。しまいに赤児の方で変に柔らかい乳首を厭がった。平林は、すぐ出掛ける用意をして玄関で待った。
「家へくる前にほんとに出たんですか。」
妻は牴牾かしがって尋ねると、乳母は、やはりいつも茶碗にしぼっては棄てていたと言った。わたしは
平林は、瓶をもって出て行った。||それを乳母は見送ると同じい
お昼にも、白い液体は出そうにもなく、さしつけたばかりでも赤児は厭がった。||乳母は、夏を通じて、昨夜の約束通りちょいと浅草まで遣って呉れと、しきりにせがんで
「そんなに言うなら行って来いと云え。どうせ帰ってこないだろうから、乳が出ないから仕方がないじゃないか。」
「それもそうね。じゃ遣りましょう。」
妻は、では、なるべく早くかえってくるように言って、乳母をやることにした。あとで私は、夏にたずねた。
「包みを持って行ったか。」
「ええ、みんな、ただ歯みがきだけ置いて行きました。」
晩になっても帰ってこないことは目に見えていても、
「やはり当分は貰い乳をするんだな。どうも
「
「あれだけ捜してやっと見つけて、これだ、ちょっと急にはなかろう。」
ふたりが話していると、夏は、こんなことを言い出した。
「勝手口で乳母さんが出しなに、歯磨はあんたに上げると言っていましたから、もうかえらないんでしょう。」
·········わたしだちは四年前の冬、結婚した。その晩は珍らしい大雪の翌日で、夜中に、雨戸一枚を繰り
式を済すと、田端と神明町さかいの、或る百姓家の離れに住み、私は毎日抒情風な詩ばかり書いていたが、蟻の餌ほどの父が残して行った金なぞは、
そのころもう父親になっている恩樹という友だちが、やってくるごとに、三つばかりの女の子を抱いていた。私には恩樹がその子どもを得意そうに抱いたり、あやしたり、おしっこをさせたりしているのを見るごとに、いつもばかばかしい気がした。連れてこないときは、決って子供へのみやげの、パンとかお
「君のところでは、どうして子供ができないんだ。妻君はからだもわるくないし。」
恩樹は、濁らない美しい目をして、よく私にそう言った。
「どうしてかな。しかし今子供なぞできたりすると困るんだ。何の用意もないし、貧乏だし······。」
私はつとめてその話を避けるようにした。眼を
「子供は実に可愛くていいよ。」
恩樹は、まるで天にでも捧げるように高々と子供を抱いては、遠い中野の奥までかえって行った。町へ出ようとすると
家主の婆さんは、女が犬を可哀がるのを厭がって、
「犬なぞお置きになるから、子に、遠いんですよ。むかしからそういうんですよ。」
そう言っては、くるごとに嫌いな犬をしっしっと門のそばで、半ばコワがりながら叱っていた。
国の方からも手紙がくるごとに、子供はまだか、まだできぬかと書いてあった。そのたんびに不愉快をかんじた。あちこちの結婚したての友だちがみな子供を持つのを見ると、なお子供のできることが厭な気がした。そればかりではなく、自分達さえ苦しい暮しをしているのに、それが生れたら大変だという気もしていた。貧しさの骨身を削ってきた下宿時代のことを考えると、それが生れてこないことばかり考えられた。
夫婦きりで
「どうして子供がないでしょうね。」
「どうしてだか。」
むっつりと私はその話がでると黙り込んだ。そしてそのたんびに、
「子供なぞあったら困るだろうなア。なくてさえ困るんだから。」
そういうとプイと立って、座を外した。その事に触れてはならぬと思ってか、女は、その話をしなくなり、人がくるとどうしてできないんでしょうね、と、そう云うばかりだった。
三年過ぎても、女にはそのけはいさえなかった。友だちはよくその話で、わたしを皮肉ろうとした。恩樹は、もう次ぎの子どもを抱き、さきの女の子には、夏はすずしい白のレースの洋服をきせて歩かせていた。
「子供ができると、からだがさっぱりするそうですよ。ことにあなたは頭がいたむなんてよく言いますからね。」
恩樹は、女の前でこう言っては、
「できないものをどうにも為様がない。」
私のいうことは、それだけだった。が、心にはすこしずつ子供がほしかった。時々考え込むと、よく十年前にいたことのある下宿屋の若夫婦が、二人きりになって寝ていたが、いつまでも子供ができなかった。夫婦がごろりと二人きりで寝ているのは、綾もないうそ寂しいものだと、やっと思うようになった。そういえば自分等もいつも定って起きるにも寝るにも二人きりだった。花も綾もない。そして手頼りなくしまいには子供のないことが、夫婦きりであることに
が、
それゆえ私は或晩、ふと女に曾つて言い出したこともない子供のことを言い出した。
「お前さえ生む気なら、子供はいつだって出来そうな気がする。」
「どうして?」
女は今までにも出来なかったものが、急にできるものでないと言い出した。私は女に、私の秘かにしていたことを、まじめに話し出した。
「そんな事をいつしていました。いつころから。」
「国で式をあげたときから。」
自分でも意想外に
「そんなこと、嘘でしょう。」
しばらくすると、女は
「全く
「ほんとう?」
女は腹の上へ手をあててみたが、きゅうに立って次の間へ行って泣き出した。そんな恐ろしいことをひとりで遣っている人とは思わなんだと云い、朝まで泣き歇まなんだ。わたしは困難なときに子供なぞできなかったこと、そして子供が心からほしいと思ったときに、生れてくるものだと信じていたから、女の泣き歇むのを待つだけだった。
が、ふしぎに女は元気になったようなところが、それからあとに現われた。
「まだか
女は木の実でも埋めたのを覗き込むように、自分のからだに深い注意を
「あなたは悪いことをしていたと、そう思いませんか。」
「思わない。」
そう私はハッキリ答えたが、不自然ではあると心で附け加えた。
「わたしはそれを大変わるいことだと思います。」
女は、むきになりそう言ったが、黙ってそれには答えなかった。
腹に子ができてから、女は楽しそうに小さい
「こんなんなら、もっと早くできてくれればよいのに、わるいお父さんだ。」
女はこんなことを、ときには言い出したが、わたしは気むずかしい顔をし、なるべくそれには触れぬことにした。女は毎日指を折ってかぞえた。そして或晩わたしが、或る事を
翌朝になっても乳母はこないばかりか、千葉の方へ問合せても返辞すらなかった。為方なく毎日貰い乳をしたが、産婆からの紹介ですぐ下田端に乳があるということで、人手はなし動坂は遠いから、ひと
「動坂は善い人たちだが人手がないから、よく礼を言ってお断りしよう。」
動坂へ礼に行かせ、田端の下台へ毎日三度ずつ行くことにしたが、平林も夏もそのたんびに、下駄や着物の裾まわりを泥だらけにした。梅雨に入った元田圃であった下台は、
「道路が悪いなんてまるで歩けないんですもの。」
あまりたびたびそういうので、私はそれだけなら我慢をして呉れとも言った。が、勝手口でその事を繰りかえされるとしゃくに
「イヤなら止めてくれ。」
とも云った。
平林は、泥まみれになっても、黙って井戸端で洗足して、そのことを口へ出さなかったが、垣根につかまったりして歩くのか、指股に泥をよく
「どんな家かね。」
「会社員みたいな家です。」
私はさきで厭なかおをせぬか、と、気になり平林にたずねた。
「ちゃんと時間になると、瓶に乳をしぼって玄関へ出してあるのです。いただきますと言って持ってくるんですが、奥さんは寝そべって
「いつでもかい。」
「いつでも、出してあるんです。」
平林は、へんに不平のある顔をし、それを言い出してはならぬというような表情をしていた。さきでも面倒くさがっているな、とすぐかんづいた。
「動坂の家とどちらが感じがいい?」
「そりゃ動坂の方です。」
「いつしぼったのかよく聞いて来るんだろうね。」
「え、おくさんはそのたびに、今しぼったばかりですと言っています。」
その日、赤児は緑便をしたので、乳のせいだと思った。その
「こんな乳だから······お腹をコワしたんです。」
女は、「よく気をつけて呉れればよいのに。」と、奥さんを
それからずっと赤児は、腹をコワし、じめじめした梅雨は部屋のなかまで湿り込み、夏と平林とは、下田端からかえると、井戸端で足を洗わねばならなかった。その高声がよく私をいらいらさせた。
「夕方はおれが取りに行く、たかが道路がぬかっているまでじゃないか。」
私はかっとし、夕方、瓶をさげ、八幡さまの垂れた緑の重い枝の下をぬけ、藍染川の上手の、二年ばかり前まで
土間の
「ごめんなさい。」
「はあ。」
「お乳をいただきに参りました。」
「そこに出してありますから······。」
奥さんは、そう寝そべりながら言ったが、蹠の位置はうごかなかった。わたしは瓶を手巾につつみ、
「いつもお忙しいところを済みません。これはいつころのお乳でしょうか。」
「今とっただけですよ。」
奥さんはやはり起き上りそうもなかったので、わたしは鶏卵の包みをそっと置き、「粗末なものでございますが、どうぞおおさめなすって下さい。」そう言い、格子の外へ出た。道路はさき来たより
わたしはなるべく、飛び飛びに歩いては、水たまりへ足を
「大変な路だ。まるで歩けない。」
井戸端で足を洗い洗い言うと、夏は、くすくす微笑っていた。が、女はさっそく飲まさなければならないので、消毒の炭火をおこしていたが、乳の瓶を明りに透しちょいと眉をしがめた。
「これは腐っている······」
「そんなことはない。しぼって直ぐだと言っていたよ。」
「いえ、これをご覧なさい、ほら、滓がたまってどろどろしているでしょう。これを飲ませたらすぐ又不良くなりますよ。」
「困ったなア、あんなに苦労をしてとって来たのに。」
そのとき障子のうちに寝そべっていた奥さんと、座敷中を取り散らしてあったのを私は思い出し、不愉快になった。
「動坂はどうだろう?」
「でも
「義理なぞ言って居られない時だから関わないじゃないか。」
「向うでは最うよその子に与っているんだそうですよ。」
「じゃ牛乳にするか。」
「そうするより為様がありませんわ。」
樋口さんに話しにやると、つなぎにはそれでもよいが、ぜひ乳母をさがしたらよいと言って来た。
「こんどは乳母を国の方へ言ってやって見よう。ひょっとすると質のよいのが居るかも知れない。」
「え、それがよござんすね。」
私はさっそく国へ手紙をかいた。すぐ捜して呉れるように頼んだ。||晩、或る友人が来て、山羊の乳というものは大へんよいそうだと話した。色が白くなるし営養も多いとのことだった。さっそく樋口さんに話しすると、牛乳よりよいかも知れないと言ってくれたので、田端のガードのそばにある山羊舎へ平林が毎日とりに行くことになった。
下田端の方へは、礼をもたせ断りにやった。そのときも膏気のない足の裏を私はさびしく思い出した。||国から乳母は一人もないと返事をしてきた。捜していたのか居なかったのか、腹立たしかった。
秋、写真を二枚撮った。夏がおもちゃを持って踊って見せると、にっと微笑ったところを写した。国の母親と妻のさとへ一枚ずつ送った。国の母親はそれを毎日抱いて寝ていると書いてよこした。愛憎のはげしい母親が、そういう優しい心になってくれたのを喜んだ。||すこし咳をすると、すぐ樋口さんを呼んだ。
「赤児よりかあんたがたが、神経質になるからいかん。」
肥った先生は、そういうとわたしと妻とに、或る程度まで打っちゃっておくようにと言った。わたしは外からかえるとすぐ赤児の顔を、その柔らかい頬を
「可哀そうに、そんな手荒いことなぞをして。」
「ほら、こうしてやると微笑っているじゃないか。ツマリこういう愛撫の方法もあることを知らないか。」
実際、赤児は、くすぐられたようで、いつもよく微笑った。電燈を置くために作らせた
寒いのに赤児は、正月を迎えた。みんな雑煮をたべ、
「よい正月だ。」と言った。そのたびに自分がこうして正月を自分の子どもと一しょにすることを、珍らしいものに感じた。荒壁の凍てた寒い街裏の部屋にいた私は、よくその震えを振りかえってはぞっとした。||大寒も過んだ或日、夏がくらい咳を一つした。夕方も勝手の方でつづけさまにしていた。
「あれは風邪をひいているから、子どもを抱かせてはいけない。」
妻にその注意をしているとき、夏は、赤児を抱いていたから、わたしはすぐ赤児を

「しまった。うつったぞ。」
「どうもそうらしいんですね、こまった事をした。」
熱を計ってみると八度五分あった。それに不思議なことには、咳をするたびにぜいぜい苦しそうに息を切らすことだった。今夜はおそいから、明朝早く樋口さんを呼ぶことにし、水枕をしかせた。
朝になっても熱が下りず、樋口さんは、風邪だと言い、それほど心配することはないと言った。私だちは氷で冷した。||が三日経ち四日経っても、まだ熱が下りずに、咳がつづいた。ぜいぜいいうのは
それから二日経った。樋口さんは頭をひねった。
「本郷の写野さんに診てもらって下さい。どうも気になりますから。」
樋口さんは「わしは他のお医者と立ち会うことは平気です。わしばかりでは診られないところもあるから、却って立ち会ってもらった方があなた方がご安心でしょうから。」と、わけもなくそういうと、一向そんなことに関わらない顔をした。
「ではそういうことに願いたいものです。」
無理もないことだと思い、すぐ写野さんへ電話をかけ、看護婦にも来てもらうことにした。その晩から赤児は、目に見えて苦しそうにぜいぜいやった。「こんなことで死なせるものか。」という腹が引締って私にあった。
それに乳だけは順調に、そういう苦しいなかでも飲んだので、その方で切りぬけられると思えた。けれども熱がしつこく降りなかった。上る一方だった。
写野さんがくると、すぐ厚みにきせた着物をゆるめ、
「これが出ないと、ちょいと困るんだ。」
写野さんはこういうと、障子に布を覆うこと、吸入は
「酸素
写野さんは、これだけ言うと、無駄をいわずに、座を立とうとした。この人は技術で病気に向う人だと思った。樋口さんは情熱で病気に対う人と思った。
「大丈夫でしょうか。ああも悪いとは気がつかなかったのです。」
私は新しく驚いて、写野さんの少し気取ったような、しかし自信の強い広い額を見あげた。
「からしの反応が遅かったからちょいと心配はしました。しかし手当に残っていたものがありましたから······。」
そういうと、すぐ帰ってしまった。どこか重々しく一流の
吸入器を一つは伊織のおばさんが持ち、他の一つは車やの鈴木が水をさし、妻と看護婦が交る交る酸素吸入の口を向けた。炭火を起したりつぐために夏は忙しかった。夜中に、も一人看護婦が来た。吸入の霧のなかで、赤児はぜいぜい苦しそうに空気が足りなそうに
赤児は、わたしも妻も茶目であるにかかわらず、黒いつやつやした瞳をしていた。それがなおつやつやしくセルロイドのように光って、熱で、悲しそうに動いてみえた。
「しっかりしろ、死ぬには早いぞ。」
わたしはそういうと、赤児の名をよんだ。あたりは吸入の霧で、ほとほと
「今夜のうちに熱を下げなければなりません。」
妻は、半分気狂いのようになり、吸入が窒ったとか、炭が足りないとか言った。実際今夜しくじったら取り返しがつかないと、私も頭に熱がさして来た。
「三十八度に下った、下った。」
妻は、夜明方になり、そう叫びながら私の寝ているところへ来て言った。わたしは飛び起き、赤児の顔をさしのぞくとやはり苦しそうにハアハア言っている。
「この
看護婦が見当をつけ、私と妻とに安心をさせようとした。が、酸素の鉄管のからばかりがたまり、もう次ぎの分がなかった。
「困った。宮川病院を起したらどうだ。」
すぐ近くに、去年私が入院したそれがあるので、夏が
「起きなかったら、石で門を叩け。」
そういううちにも、酸素は全くきれ、きゅうに室内がその水を
「何をしているんだろう。」
私は気が気でなかった。「ちょいと行って来る。」そういうと、すぐ通りへ出、病院へ走った。病院の白い門の前に、夜明けがたの白っぽい門がみえ、夏がぼんやり黒ずんで立った。
「オイ、起きたか。」
近づくと私はそう叫んだ。
「ええ、いま開けていらっしゃるところです。」
間もなく、ぎいと門の開く音がした。私は夏をそっち退けにし、酸素を貸してくれるように頼んだ。
「事務のものも居ないものですから。」
下働きが睡そうにそう云って、すぐ出してくれそうもなかった。
「酸素のあるところを知っていますか。君は。」
「ええ、そりゃ存じて居ります。」
「じゃ僕が持って行く、そうして明日院長に話すから渡してくれたまえ。今はぐずぐず言って居られないから。」
「困りますわ。そんなこと。」
「責任は僕が負う。早くして下さい。死にかかっている病人があるんだ。」
私は、下働きが薬局へ這入ると、そこへも
「明日来て話するから。」
そういうと私はすぐ家へかえった。門の前に看護婦が出て私のかえるのを待った。みんなは景気のよい音をきくと、ほっと一ト息ついた。
「なかなか起きて呉れないんですもの。」
夏は、ぶつぶつ言っていた。
夜が明けると、赤児がすやすや睡っていた。樋口さんが朝飯前にやって来た。
「すこし熱は降ったようだ。」
水銀を振りながら、「赤児はすぐ悪くなるんだから安心がならない。」と言った。
「いつか僕らがあまり神経質過ぎるって言ったじゃありませんか。」
「そんなことを言いましたか、いや、それで赤児の場合は結構ですよ。けれども何んでもないときに騒がれると困る。」
そういうと、おひるころに又来るからと言い、「この
「気さくないい人ですね。一日に三度も来て下さるんですよ。」
妻は、看護婦にそう話した。樋口さんとは私が田端へきて八年にもなる知合いであった。
翌日、写野さんがやってくると、樋口さんに、薬の方のことを言い、
「もう取り止めたようですね。」
そう静かに言った。危険期を越えているとも言った。が、まだまだ安心はできない、どういう風にかわるかも知れないとも云った。私は写野さんを信じた。
「下手なことをやると、書かれるからな。」
そう樋口さんを振りかえった。この前、やはり書きものをしている人の子供を見、書かれたと言った。
「医者にだってどうにもならない場合があるものですよ。」
私はそれに同感した。あんなに善くしてくれたのに、書くなぞとは私は思いもよらなかった。
医者は、毎日、写野さんと樋口さんとが立ち会って呉れ、一週間目になった。
「もう大丈夫だ。何しろ乳を飲むから都合がよい。」
写野さんは、初めてハッキリ言ってくれ、私だちは安心した。看護婦も一人だけにした。気がつくと、夏も妻もみんな一週間のまにすっかり
「一時どうなるかと思いましたよ。やれやれ。」
妻は、やっと帯を解いてねむった。その間じゅう私はひとりでゆっくり睡っていた。自分だけが安眠するのに気がひけたが、おれは仕事はあるし、一ト晩でもねむらないと、すぐからだを遣られるからという口実をつくった。「あなたは眠らないとあとあとに
樋口さんは、やはり一日に三度ずつ来てくれた。生れるとすぐ赤児を見ていた医者は、よくこんなことを言った。
「これまでに苦心してきたんだから、もしものことがあってはあなた方に顔向けがなりませんからね。」
正直一図で善良な樋口さんは、或る朝、晴れた座敷へこぼれる日ざしに、もうセルの服を着込んで茶をすすりながら、はればれした表情をした。
「こんどはいろいろどうも······。」
そう私はあいさつをした。
「たいがい写野さんとも意見は同じかったんですよ。あの方はなかなか目利きですからね。」
樋口さんは、そういうと立って帰って行った。私は樋口さんのむしろ無邪気なところを
誕生月が過ぎても、まだ歯がでなかったばかりでなく、這うこともしなかった。やっと抱き上げると、足に手を当ててやると立てたのが、このごろになって足を曲げ、触ると痛そうに泣いた。
「この子はいったいどうしたんでしょうね。足が立たなくなったの。見て下さい。」
そう言えば、足をくの字に曲げて、さわると泣いた。「ともかく写野さんへ行って見てもらうとよいな。」
「え、そうしましょう。」
写野から俥でかえると、妻は、青い顔をしていた。
「楽山堂病院の整形科へ紹介をかいてもらいましたの、写野さんでも専門ちがいで分りかねるそうです。」
「楽山堂病院って遠いんじゃないか。電車じゃあだめだし。」
「俥にします。」
「そう、じゃ行ってくるとよい。」
妻は、すぐ下町へでかけた。まだ、なおったばかりなのにあんなに連れてあるいてよいか知らと思えたが、あのままにして置けば足の方の病気が固まっても困るという考えが私にあった。帰えると、
「この子は神経が立っていて足の筋が一本引き釣っているんだそうです。マッサーヂするより外に治療の仕方がないって、そうして頂いて参りました。まあ、随分泣きましてね。」
「そうだろう、がこんな赤児の足なんか揉んで、あとで何かにさわりはしないかな。門の前まで聞えるように泣いたりなぞしては、心臓にさわりはしないか。」
「それは丈夫だと言っていました。病気で泣くんじゃないって||そして
「そうか。」
私はしかしこの楽山堂行きは、なんだか気がすすまなかった。が、もう治療にかかっているのだから、それを歇めるわけに行かなかったが、隔日に俥が門の前へ梶をおろし、赤児を抱いた女の姿をみると、
「きょうは休んだらどうだ。風もすこし寒いし泣くから······。」
そう言っても、隔日だから一日遅れると、それだけ治療が遅れると言って聞かなかった。いったいに赤児に注射するときでも、女はそれを平気な顔で眺め、こうすれば
「あんまり泣くものですから、よその病室からみんな集ってきて覗きにくるほどですよ。ほんとにこんな大きい声を出す子はありません。」
病院からかえった女は、いくらか足が楽になったらしいと言って、赤児の足をみせた。わずかしかない肉附きを揉むなんて、やはり私は信じかねた。
「いまに後悔することがあっても、おれは知らない。あそこへ連れてゆくのはどうも厭な気がする。」
「だって仕様がありません。」
「全く仕様がないことだ。」
私は黙り込んでしまい、室を立った。赤児はすこしずつ肉がついたようにも見え、瘠せたようにも見えた。食事をするとき、ああと言い、何かをつかもうとした。赤児がそばへきていると、食事がウマかった。自分のようなものにもこんな子が生れたのだという、あたり前の考えが珍らしく、きめ細かい人間の内側のちからを感じた。
緑が深くなると、向いの画家のKさんの家でも、おとなりの早瀬さんでも、気候が不順だからと、鎌倉と房州とへ子供をつれ転地をした。どちらにも弱い子があったが、それよりもずっと
或晩、地震が来た。恐ろしい音が屋内をもんどり打った。ちょうど茶をのんでいたのだが、私は機械的に庭へ飛び出した。そこに石燈籠があったので、台笠が落ちはしないかと
「あ、恐かった。」
そういう妻は、ちゃんと赤児を抱き、赤児は、くろぐろした瞳をくらやみのなかにツヤ消しをしたその光をふくみ浮していた。私はそのとき赤児よりも自分がさきに飛び出したことに、自分自身を不愉快に感じた。
「思わず知らず抱いて出たんですよ。何も考える間もないんですもの。」
妻は、しずまった空に樹の
「いやな気もちだ。」
「どうして?」
「お前よりさきにあいつを抱いて出なかったことが、イヤな気もちだというのだ。お前はなぜおれに抱いて下さいッて頼まなんだ。」
「そんな間なんてあるものですか。母親のそれが役目なんです。」
「それではお前だけの子か。」
私は負けたのを知りながら、どうも子供は
「自分がコワイからさきにあなたは飛び出した。」
「あ、飛び出した。」
「わたしはあとからコワかったんですの。子どもを抱いて出たあとでね。」
「うむ。」
私は黙ってしまった。やはり凝り固まった自分ばかりを考えている私自身に、不愉快をかさねた。
樹の青みが深くなると、発育の遅れた赤児を抱いた夏や妻が、よく庭へでているとき、不思議に赤児は、空の方をよく見詰めていた。そばへ寄って透してみると、空ではない、樹でもない、何か木の葉が枝端れにひらひら舞うている一枚を、珍らしそうに眺めているのだった。
「お前をよく知っているらしいが、どうもおれというものを確かに知っていないらしい。つまりおれが父親だということを、そういう意味をはなれてもお前とくらべると、赤児は全で他人のような顔をしてみているように思われる。」
「そうでしょうかしら、しかし
女は、そう言って赤児をさしつけても、私より夏の方へ行こうとした。女は、なるべく私に馴染ませようとしても、駄目だった。しかし
国から母親が来、二週間ばかりすると帰った。その日、はじめて電車に乗せ、晩方上野まで行ったが、赤児は電車の音や騒々しい人込みに怖れた。田端の静かな家のまわりだけしか知らなかった赤児は、眼を
あくる日、樋口さんは、ちょいと風邪を
田舎にいる杉原という詩人も、もう父親になっていたが、やって来ると、すぐ赤児の
「うちの子は色が黒くて、てんで話にならない、これは傑作だ。」
杉原が、そういうと私は、赤児が私似であるか、それとも女に似ているかと尋ねて見た。
「奥さんに似ている。」と言った。
「しかし半分くらい似ていないか。」
「そういえば少し似ている。」
とも言った。
実際赤児の顔ほど、ふしぎに両親の顔をうつし出しているものはなかった。その表情の動きのなかにも、
「こんど又できるんだ。こまった。
「よせ、そんなことは!」
「でもおれは子供どもというものは、そう可愛くないんだ。少しも愛情がうつらないんだ。」
「どうしてだろう?」
私には杉原のそういう気もちが分らなかった。そのくせ彼れは子供どものお弄品を街から包にして持って、いつも田舎へかえった。
「第一綺倆がわるい||。」
美しいものに溺れる杉原は、そういう単純なことにも、自分のすききらいを言い張った。それにしても可愛くないなぞとは、どうしても思われなかった。
「抱いたりなんかするだろう。」
「それは抱いてもやるさ、しかしどうも君くらいに愛情がおこらない。君はマルで夢中だ。悪党のくせによく可愛がっているから感心だ。」
杉原はこういうと、それが私だけの前でつくろって言っているのではないように思われた。かれは優しい美しいものには、それと同じい柔らかい気もちになることができたが、そうでないものには、かれらしい病的な悒としい気分になるらしかった。
が、赤児は、一日ずつ咳をしつづけた。それに喘息の気もありそうであったが、いつもの事で、気にかけようもなく、毎日、医者は一度ずつ来てくれた。玄関に靴音がし、そうしてすぐ樋口さんの白い夏服をみると、赤児は、すぐ直覚的に泣き出した。
「どうも困るなア、そう嫌われてしまっては!」
樋口さんはしまいに裏木戸からこっそり庭へ廻り、そうして、
「どうですか、寝ていますか。」と、こ声でいい光る夏服をみせまいとした。そういう注意深いところも、何んだか私にはたいへん好ましかった。
「目をさましていますよ。そっとして。」
「咳は?」
「ときどき出ます。それにぜいぜいやるんです。」
「啖がきれないんでしょう。啖のきれる薬を上げましょう。じゃ失礼。」
樋口さんは、そういうと又裏木戸からかえって行った。||が、赤児は、それから二日たつと、青いダルい顔をし、しきりに咳をしはじめた。
その朝、女は私の部屋へきて言った。
「おとなりの早瀬の奥さんがね。どうも坊ちゃんは百日咳らしいと言って、いまのうちに注射をしておもらいなさい、そうでないと
早瀬さんとは、垣どなりで、よく聞くとやはり同じい郷里の人だった。それにもう三人も子供をそだてた経験から、その注意は私の胸にぎくりと来た。
「どうもそうらしい。いいことを教えてもらった。」
私は感謝し、すぐ医者に注射をしてもらったが、「いまから百日咳になりかかろうとしているのだ。」樋口も写野も言ってくれた。何となく大きい困難を前に払ってしまったようで嬉しかった。
が、どういうものか咳が発作的に来た。一日に一度ずつくらいに||しかしそういうことに馴れているので、気にしながらも、ただ服薬だけさせた、樋口さんも大したことではないと言っていた。しかし顔の色はだんだんに悪くなり、手足がよく冷え、すこしでも抱いていないと火のつくように泣き立った。
或る朝、夏は赤児を抱いたまま、これも顔色を変えながら言った。
「いま大へん咳をなすった、そしてからだをブルブル震わせなさるんですもの、びっくりしてしまいまして||。」
「ブルブル震わせた?」
妻はすぐ抱きとったが、しかし別にかわりはなかった。あやして見ると微笑い、ううと言った。
「しかし顔色がわるいな。どうも気になる青さだ。」
私は赤児をさしのぞき、いくらか力なさそうにしている瞳の色を見た。何となく寂しい気がした。赤児のわるい顔色と勢のない眼のいろは、いつも私にイヤな寂しい気をおこさせた。それがいつもよりずっと変な気にならせた。
「足をみろ。」
「冷えています。けれどもほら微笑っていましょう。」
「床にねかしておいたらどう。」
「下に置くと泣き出すのです。泣くと咳が出てぜいぜい遣るんです。」
「困ったな。どうすればいいんだか。」
やはり抱いているより外に仕方がなかった。気のせいか、脣の色まで、いつもより紅いところがなかった。医者は喘息の発作だと言い、実際それ以外に何等の徴候とてはなかったのである。
あやすと微笑い、山羊乳もいつもほど飲んだが、むやみに頭を振り、物憂そうにしていた。
或朝、妻は赤児を抱き、書斎へはいって来た。いつものことなので、机の上から、わるい顔をしているのと、元気のなさそうなのを見た。
「豹、どうした、いいかげんに癒ってくれないと、みんなが困るぜ。」
私はそう言い、立って赤児をあやそうとしたが、妻は、ふとこんなことを言った。
「さんざん病気をしたあげくに、この子は死ぬんじゃないでしょうか。」
「そうお前は思うか。」
「ええ、どうもそんな気がしてなりませんの。」
私は黙っていたが、「いまトラれてたまるか。」と少し腹立つような声で言った。コレまで育ててきて、死なせるなんてことが有り得ようかとも思った。死んでも引き戻してやるとも言ったが、空疎なことを言ったので心寂しかった。
「そんな考えをもたない方がよいよ、こうして、ほら、この通りにぴんぴんしているんだから、なア、豹。」
私は、手をとってみたとき、あまり冷くなっているのに、驚いた。足も、きのうよりも酷かった。
「どうもおかしい、こんなに手足が冷えている。」
「そうね、医者を呼びにやりましょうか。」
「すぐに呼ぶとよい、いや、おれが電話をかけに行ってくる。」
私はすぐ宮川病院へ、電話をかけに出かけた。電話をめったにかけない私は、あわてて番号を間違わせ、うまく言い当てたときに、交換手が出るときゅうに番号が
「············」
黙っているうち、向うではどんどん切ってしまった。これでは遅れるばかりだと、すぐ家へかえり
「これはいけない。これは
背中に私はぞくぞくした寒さを感じ、又使を出した、が出ちがって来なかった。手も足も冷たくなった。しかしれいの黒い瞳はやはり静かにちからない顔のなかで、くろぐろと光っていた。
「豹、豹。」
妻はうろうろした声で呼んだ。
「早く医者がきてくれるといいんだが······。」
そこへ樋口さんがきたが、大分長く考えていたが、
「心臓がわるくなっている······こりゃ大変だ。」
そういうと、さっそく注射をし、「こんなになっているとは知らなんだ。とにかく写野さんに見せておく方がいいですね。」と言った。
「わたしもそう思っていたんです。」
手頼りにならない気がして、私は樋口さんをぼんやり眺めた。急にきたと云えば急だったし、ゆっくり来たといえば、ずっとさきからこの傾きがあったのだ。が、私はいつもの発作だから大したことはあるまいと思っていた。
写野さんの電話が通じないので、使を出したのが四時ころで、外出していて急の間にあわないらしかった。私だちは苛々した。樋口さんも手のつけようもないらしく、一ト先ず帰って、電話で打合せをしてから、一しょに来ると云った。
夕方、客があり話していると、妻は、私を呼んだ。その声はいつもより違っているので、飛んで行った。そのとき赤児は、第三回目の劇しい咳と引息で
「どんなに苦しいか知れない。」
私はひとり言をいい、そして手のつけようもなかった。
「医者が来ない。困った。」
私だちは、腹のなかまであぶらを流す思いをつづけた。晩の八時になった。何という変りようであろう、赤児は、もう床にはいったまま、いつもそうする子でないのに、おとなしくぐったりしていた。私はからだじゅうの毛あなに、ぞくぞくする懸命な異体のわからない
「夏、表へ出て見ろ、俥が来ないか。」
夏はそとへ出たが、すぐ引きかえし、
「お見えになりません。」と、これも息を切らした。とにかくおれは落着いていなければいけない、そう心を引き締めた。
「大丈夫でしょうか。」
「さあ。」
私はそれきり何も言わなかった。
「潜りがあいた。医者だ。」
そういうと、私はすぐ書斎へ行き、机のわきに落ちつき、どす黒い姿を凝り固まらせ、あわてたところを見せまいと、煙草に火をつけた。
写野さんへは、病状を話した。そして急にきたものらしいと附け加え、
「どうも手足が冷え、へんだと思っていたんですが。」と言った。
写野さんは、私の説明をこの人がよくするように、考え考え、そうして大概の見当が頭でつきそうな時分に、じゃ一つ見ましょうと立ち上った。
写野さんは、すぐ看護婦に「今夜は三十分ごとに注射しなければいけない。」と言ったときに、樋口さんはそれを用意して一本打った。が、又一本打った。そして写野さんは赤児の頭の枕の下へ手を入れ、その頭を四寸ばかり高めた。
「辛しの湿布だ。それから湯たんぽで手と足を温めるんだ。」
「紙にするんだ。」と言った。
赤児はハアハアと言い、くるしがった。湿布をした。十分経った。
「これは危ない!」
写野さんは、へいぜいとは違った声でそう樋口さんに言った。赤児の目が釣り出した。そして息がきこえなかった。室じゅうに音というものがなかった。
「お父さん、今ですよ。」と妻が言った。
写野さんが人工呼吸をやった。汗とあぶらが赤児の肌身と写野さんの手のひらににちゃついた。私は生れてはじめて人工呼吸を見たので、それでなくとも、ああすれば助かる助かると思った。
「樋口君、かわってくれたまえ。」
そう写野さんが言ったときには、妻は泣き出した。写野さんは赤児の瞼をめくり、電燈をよせて見た。あんなに電燈の光をよせたらまぶしいだろうと私はふと思った。それと同時にこの子のくろぐろした瞳は見おさめであった。
部屋の隅で、夏が泣き出した。声を挙げしばらく妻も泣きやまなかった。
「お父さん、最ういちど抱いてやってください。」
ぼんやりしている私に、目を閉じた子を妻はわたそうとした。
「あ、抱いてやるとも。」
そう言った私は、抱き取ると、頭がぐなぐなになって、重かった。もっと静かに抱けばよいと思っているうち、全く死んだなと思った。それまで私は何という
「どうかあちらへ。」
私は書斎へ二人の医者をあんないした。樋口さんは泣いた目をしていた。あれほど永い間診ていてくれたのだからと、そういうことも嬉しかった。
「どうも惜しいことをしました。」
写野さんは、鞄を手にとりながら言った。
「たびたびお世話になりました。」
妻もそこへ出て挨拶をした。玄関へ医者を送ると、静かに俥に乗るけはいがした。何も尋ねるな、そう考えた。
「わたしもう御用事がございませんから。」
看護婦もかえった。医者がきて四十分して赤児が死んだのだ。
赤児の顔の上に清い布が掛けられた。それを見い見い、やはり死んだかと、信じかねた。
「今死のうとする赤児に灌腸するのはよくないじゃないか。あのとき呼吸が上の方へグッと詰ったような気がした。」私はあきらめ兼ねてそう妻に言った。
「いえ、ああして助かることがあるのです。わるいことはなかったのです。」
妻は、医者のしたことの、最も正しいことであることを言った。私は黙り込んだ。が、死児をみると、どうも諦めかねた。怨むまいと思うが怨むぞと、そう誰に向ってか絶えずつぶやいている、あさましい私自身をどうすることもできなかった。
初めての経験で何からしてよいか分らなかったが、隣の早瀬さんや根岸のおばさんなぞが来てくれ、車やさんと植市とが使あるきとお葬いの手配りをしてくれた。
棺に入れるとき、私達はもう一度抱いてやったが、やや硬張ったそのからだを持ち、閉じられた眼をみていると、まだすやすやと睡っているように思われた。が、ふしぎなことには、その死顔がやや暗色をおびているせいか、二つばかり急な時間のあいだに歳をとっているように、マセて見えた。死児というものは、こんなに歳とって見せるものかとも思われた。
「靴下も入れてやりましょう、それから帽子も、おもちゃも。」
まだ一度も穿いたことのない毛糸の靴下をはかせ、入れられるだけのお弄品を入れた。笛も太鼓も入れた。
どれを見ても女達は泣いた。私はすこし変な気がしてくると
「あそこならおれも埋められてもよい。」そう言い、妻にイヤがられた。||晴れた翌朝私だけ家にのこり、友人も沢山行って葬いが済んだ晩、国から妻の姉が来た。
灰葬には、私、妻、早瀬のおくさん、妻の姉、夏なぞが行った。三河島の河ぶちの暗い溝水に沿い、俥が走った。猫入らずの製造所の板塀にそれの広告文字のかかれているのが、目を惹いた。
骨はかなりな量があった。銀杏の実のような膝がしらや、パイプのような細い足の骨などが、竹箸のさきに触れた。眼を泣き
「歯が出ない出ないと言っていたのに、ほら、こんなに揃っている。」
そう言い、それを拾いはじめた。
「はぐきの中に埋っていた歯は焼いても
「歯がないないって言っていたのに。」女はそればかり言い、はぐきを破って出るちからがなかったのだと、口惜しそうに繰りかえした。小さい素焼の壺に入れ、みんなは又俥に乗った。
道路の曲り角に、床屋の白服をきた若者が、黒いものを棒のさきで衝ッつきながら、
「イヤな事をする。」
しばらく白い乾いた道路に震えている影が目を去らずにいて、不愉快だった。
私だちは毎日ぼんやりして、女は女で何をするにも元気のない顔をしていた。子守唄が一年ばかりつづいたあとで、その日から絶えてしまったので、これも家をひっそりさせるに充分だった。同じことを繰り返し、あきらめかねていた。
或朝、私は門の前へ出ると、そこに早瀬さんの三人の子供があそんでいた。「ちょいと入らっしゃい、抱いてあげるから。」そう四つの女の子にいうと、はずかしそうに垣根にからだを擦りよせ
「なかなか重いな。つぎはあなただ。」
その上の子も、妹のようにしなを作ったが、そうされるのが嬉しいのか、これも走ってきて抱かれた。
「こんどは兄さんの方だ。」
一番兄は七つだった。重かった。と、きゅうにそんな事をしているまに、私はむやみに悲しくなって来て、潜り門から家へ飛び込んだ。何という寂しい気もちだか。||そしてしばらくその気もちが離れなかった。
妻は妻で、よその子さえみれば「ああしてみんな達者なのに自宅の子だけどうしてあんなに弱かったのでしょう。」と、口説いた。
「おれはよその子をみても、あれは余所の子でおれの子じゃないと思うと、何んでもなくなるのだ。」
そう私は言ったが、やはりそればかりでない気もした。そして童話なぞ書くことを頼まれると、よその子の喜ぶものなぞ書いていられるかとも、あさましく腹立たしかった。二人とも、ひまさえあれば溜息をついた。
「何も面白くない。」
女は女でそう言い、朝早く大龍寺へ参りに出かけた。「何が面白いことがあるものか。」私は不気嫌に毎日ぼんやり暮した。||或る知人に七人の子供があったのに、長女をこの春亡くした。すると或る人が、「君は七人もあるんだから一人くらい亡くしても関わないだろう。」と言った。するとその知人は「七人もあるからなおその一人を欠かしたくないのだ。」と言ったそうだ。私はそれの心もちが分った。
坂の上にいる或る彫刻をやる知り合いが、ぼんやりうつけ者のように夕方あるいている私にこう言った。
「またコサえるさ。」
私はあたまがぐらぐらし、やっと口がきけたくらいだった。
「あのとおりの顔がまたと生れてくるとでも君は思っているのか。」
そういうとこの男の子どもも、何かのついでに死んでくれればよいとまで、その瞬間にかっとした。そうなればこんな不用意な口をきくまいと思われたからである。「またおあとがあるだろうから······」そういう風に言われると私はさびしく黙った。しかしあの通りの顔は世界じゅうに一人もないぞという気がした。
妻が寺参りにでかけると、
「おれはいったい何しにここへやって来たのだったか。」
私はひとりで呟やくと、曳出しの鍵に手をかけようとした。鍵は別の曳出しから取り出し、ひと廻りさせ、がっちりと開けたのである。そして私は手早くいろいろな品物や書類の
そして私はどかりとあぐらを組み、それを開いて眺めた。静かで快い気もちがした。よく泣いたとき
私は間もなく写真をしまい込み、鍵をかけ室を出た。そういう、つまらない事をしたあとで、きゅうに蜂に刺されたように悲しくなって了った。そこらの畳をがりがり引掻き、どこか遠いところを呼んだら、何かが戻って来そうな気がした。ああ耐らないという気がした。あのときどうにかならなかったものか、とも思い、もっとさきに医者がきてくれればよかったのに、そうしてそれを気づかずに居たのは何という馬鹿だったろうと、私は文字通り畳をがりがりやった。怨むまいと思うが怨むぞと。頭があつくなり、かっとして気でも狂いそうになった。
「この容子だとおれ自身あぶないぞ。」
そういう気もした。
お寺から妻がかえって来ると、坐ってこう言った。
「白いお骨の壺が三つならんでいたので、尋ねると去年の秋から順繰りに三人の子供が死んだ家があるんだそうです。二人目からそのおくさんがすこしずつ気がへんになり、三人目が死んだときは、全く気がフレてしまって、とうとうこの間田端の脳病院に入ったんですって。何という話でしょう。」
私は黙ってきいていたが、そんなに死なれては気が違うのも当り前のように思われ、ならないのが不自然なように思われた。すくなくともそういう女はずうずうしいとも考えられた。
「
妻は、しばらくしてから、又ぼんやり部屋へはいって来、何もいわずにうろうろしていた。そして、
「子守唄もうたえないし······。」
ぽつんとそんなことをいう。
「何をつまらないことをいうんだ。······写真はちゃんと封をしておいたよ。見るとおたがいにいけないから。」
「え、見ませんとも、見たらそれこそ大へんです。」
実際、女はまだ一度も見ないらしかった。私がそれを好んで見、女はなるべく見ないようにしているお互いの気もちが、どういう風にそれをべつべつに考え違っているのかと、おりおり私は考えた。がどこまで
ちいちゃい
「お前はそうして歩きつづめているが、いったいどこへ出かけて行くんだね。どんなところにあてがあるんだ。」
私は童子に
「あてがないけれど、やはり此処ではじっとしていたより歩いた方がいいの。何がなし一日こうして歩いては少しずつ行くんだけれど、さっぱり分らない。」
「お前とおれのいるところは、よほど遠いような気がするね。おとうさんにはよくお前の顔がわかるが、そのようにお前にもよくおれの顔がわかるかね。ほんとにお前は
童子は、まだ新らしい菅笠をちょいと傾け、そして小さい荷物を石塊の上にそっと置いた。
「ええ、わたしにもよく分りますが、しかしおとうさんの向いに誰がいるのか、よくここからは見えないのです。」
「あれはお前のおかあさんさ。よくないね、もう忘れてしまっては?」
「いえ、ここからはよく見えない、声だけはするけれど。」
童子は、しばらくすると又あるき出して、荷物をかついで寂しい足音を立てて行くのである。
「もう少し話したらどうだね。お前のようにそんなにせかせかして行かなくともよいではないか。」
「あなただちはそうしてご飯をたべて居らっしゃればいいのです、ですけれど此処ではそういう暢気なことをしていられないのです。」
「なぜだ。」
「なぜでもあなた方とわたくしとはもう別なものですから。」
童子は、すたすた歩き出し、あとをも振りかえろうとしなかった。私は目をすえ、見送っているうち、庭のあたりでこのごろ飼った
「啼きましたね。」
「ア、啼いた。」
私はふと思いかえしたように、女が箸を下におこうとするときに言った。
「あの子が死ぬ前の日に、(さんざんこの子は病気してからわるくなるんじゃないか。)と言ったね。なぜああいうことを言ったのだ。あれは言いあてたようなものだ。」
「でもあのときは
「悪かった。へんにあの言葉があたまに残っていていけない。」
二人はまた黙ってしまった。食事はすんだが話をするでもなし、しないでもなしと云うような時間がみごもるように重くるしくなって来ていた。······私はそれがほとんど随所で全くフイにいつでも歩いている童子の、定まらない足もとを見ることができた。机のわきでも電車に乗っているときも、そうして外からかえってきたときに出てくる女の肩の上にも、晩はわたしのすぐそばにも睡っているように思われた。
それが何事にもそのようであるように、私はこころでいつもきれぎれな話をせずにいられなかった。も一つは日を経るにしたがって童子は四歳にも五歳にもなり、脣もとが締まって耳にも紅みがよけいにさして来たのである。そういう歳をとってゆく童子の顔は、やはり不良い蒼い色はしていたが、したしそうによく
「あれからお父さんはいつもこういう工合にすわり、さていつも元気のないかおで何から何まで厭になってしまったのさ、しかし段々考えるとお前はさきに死んでしまって或いはひょっとするとよかったかも知れない······。」
そりゃおとうさんのように長く生きているうちには、さまざまな面白いこともあるが、それさえあの笛の音いろのように||(おまえは笛がよく鳴るかわりにすぐ消えやんでしまうことはよく知っているだろうね)||すぐあともなくなり、次から次へとつまらないことばかりが、そういうことを書いてある大きな書物があるとすれば、それと同じいことばかりを繰り返しているようなものだ。だからお前があのように花につつまれて死んでしまったことが、お前のきらいなことに会わずにしまったような仕合せをも感じられるかも知れない。
「それともお前はやはりお父さんのようにいろいろなことを為たりされたりすることがよかったかも知れない。イヤなことでも知らないでいるより知っていた方がよいかもしれない。そこまでゆくとどう言っていいか分らないくらいだよ、お父さんはできるだけのことをしたが、おまえのからだが弱かった。しかしあのときもっと早くおまえをどうにかすれば·········。」
そうすれば、お前はそういう姿で、そんなにまで悲しそうな顔をしなくともよかったかも知れない、どこにいるかさっぱり判らないようなお前にしなくともよかったかも知れない、私がわるかったかもしれない、しかしどうにもならないことだ。おとうさんも一度は生みつけたものを怨んだときがある。そのようにお前もそれを考えているかもしれない。私はしばらくすると私自身の腹の中に
「おれはまた下らないことを喋り出した。おれはへんに悒々し出してしまってしまいにへんになるかも知れない。」
私は小鳥の顔を見上げた。ツイツイと止り木を移っている間に、うすうすその顔が目についた。
「オイ、あそこに、ああいうふうにも一人だれかが覗きこんでいる奴がある。ツイツイとうごいている奴のそばに、も一人、たしかに覗いているものがある。」
女はうしろ向きに、次の竹窓を隔てて畳の上に、何かに読みふけっているらしく見えた。
「鳥籠にですか、鳥籠はきょうはどこへ出ているのでしょう。」
「座敷の軒だ。」
「誰もいない、ほんとに見えはしませんの。」
「ほら、その、鳥かげだ、すうっと映ってくる。」
女は、佇ったまま、眼を凝らしていたが、すぐに
「何処へ行ったって面白くもおかしくもない世の中だ。つづめていえばイヤなことばかりだ。」
私はそういうと、ぐったりと
「おれはちょいと医者のところへ行って見ようと思うんだ。まだ尋ねたいこともあり、だいいち、あれがどんな原因で死んだかということをも聞いてみたいような気がするから。」
私は考え考えいるうち、ふとずっと先きから、
「だって今さらそんなことを言ったって、どうにもならないことだし······だしぬけにそんなことを言って行くものじゃありませんわ。」
「どうにもならないことだが······だが、あのときそれを聞くことを忘れた。大事なことだ。」
どういうことが原因で、そして私どもも
「うっちゃって置けば、それなりで忘れてしまう。忘れてしまえばなお取り返しがつかない。」
そうも考えたが、わざわざ私が医者のところまで行き、肩の凝るような気もちでそれを尋ねることを考え出すと、やはり
「やはり行かないでいる方がよいかな。そういうことは尋ねるものでないかも知れない。向うにしたって尋ねて行ったらどんなにばかばかしく考えるかも知れない。しかしまだ何となく私だちと医者とにつながっているものがある······。」
それは向うにないかも知れない、しかし正直に私にわだかまっているものが、凝らずゆるまずに残っているのはどうすることもできない。
「却って微笑われるくらいですよ、あの子はああいう弱い子だったのですから、いまさら何と言ったって||」
「何と言ったって為様がない、ないがしつこくおれは何もかも瞭然と頭にイリかねるのだ。」
そう言いかけ、私はばかばかしく死を疑うぐどんな人間の頭になっているのに、ふと気がついた。「おれはおれ自身で諦らめきれないで、逃げ道ばかり捜しているのだ。医者にしろ誰にしろ何を知っているものか。おれさえ何かに触れればそれにくッつこうとしているのに、おれはなんだか少し
「初めっからこうなっているのかも知れない。そうしてだんだん日が経つと私もしまいにはけろりとしてしまうのだ。人問らしく忘れてしまうかも知れない。」
そう思うと心が軽くなったが、消炭のようにうすい不愉快さが、かげのように映って来た。が不思議にそのかげはあざのある肌のように消えようとしなかった。