||氷川社内の一小破片
||それが抑もの初採集
||日本先住民は大疑問
||余は勞働に耐え得る健康を有す
|| 誰でも
知つて
居なければならぬ
事を、
然う
誰でも
知らずに
居る
大問題がある。
自分も
知らぬ
者の
一人で
有つた、それは
日本に
於ける
石器時代住民に
就てゞある。
明治三十五
年の
夏であつた。
我が
品川の
住居から
遠くもあらぬ
桐ヶ
谷の
村、
其所に
在る
氷川神社の
境内に、
瀧と
名に
呼ぶも
如何であるが、一
日の
暑を
避けるに
適して
居る
靜地に、
清水の
人造瀧が
懸つて
居るので、
家族と
共に
能く
遊びに
行つて
居たが、
其時に、
今は
故人の
谷活東子が、
畑の
中から
土器の
破片を
一箇拾ひ
出して、
余に
示した。
まさか
余は、
摺鉢の
破片かとも
問はなかつた。が、それは
埴輪の
破片だらうと
言うて
問うて
見た。
活東子は
鼻を
蠢めかして『いや、
之は、
埴輪よりずツと
古い
時代の
遺物です。
石器時代の
土器の
破片です』と
説明した。『すると、あの
石の
斧や
石の
鏃や、あれ
等と
同時代の
製作ですか』と
聞いて
見ると。『
然うです、三千
年前のコロボツクル
人種の
遺物です。
此土器の
他に、
未だ
種々の
品が
有るのですが、
土偶なんか
別して
珍品です』と
答へた。
『それでは、
野見宿禰が
獻言して
造り
出した
埴輪土偶とは
別に、
既に三千
年前の
太古に
於て、
土偶が
作られて
有つたのですね』
『
然うです、それ
等は
皆コロボツクルの
手に
成つたのです』
余は、コロボツクルの
名は、
曾て
耳に
入れて
居た。
同時に
人類學者として
坪井博士の
居られる
事も
知つて
居た。けれども、
日本に
於ける
石器時代に
就ては、
全く
注意を
拂はずに
居たのであつた。
のみならず、いくら
注意を
拂つても、
却々我々の
手に
||其遺物の一
破片でも
||觸れる
事は
難かしからうと
考へて
居たのが、
斯う、
容易に
發見せられて
見ると、
大いに
趣味を
感ぜずんばあらずである。
『
這んな
處にでも
君、
遺物が
有るですか』
『
有りますとも、
第一、
品川の
近くでは
有名な
權現臺といふ
處が
有ります。
其所なんぞは
大變です、
這んな
破片は
山の
樣に
積んで
有ります』
『
君が
斯う
如何もコロボツクル
通とは
知らなかつたです。
何時の
間に
研究したのですか』
『それは
友人に
水谷幻花といふのが
有ります。
此人に
連れられて、
東京近郊は
能く
表面採集に
歩きました』
話を
聞いて
見ると、
如何にも
面白さうなので、つい/\
魔道に
引入れられて
了つた。
抑も
此氷川の
境内で
拾つた一
破片(
今でも
保存してあるが)これが
地中の
秘密を
探り
始めた
最初の
鍵で、
余が
石器時代の
研究を
思ひ
立つた
動機とはなつたのだ。
其後、
帝室博物館に
行つて
[#「行つて」はママ]陳列品を一
見し、それから
水谷氏と
交際を
結ぶ
樣になり、
氏の
採集品を一
見し、
個人の
力を
以て
帝室博物館以上の
採集を
成し
得る
事を
知り。
坪井博士や
八木氏等の
著書、
東京人類學會雜誌及び
考古界等を
讀み、
又、
水谷、
谷、
栗島諸氏と
各所の
遺跡を
發掘するに
至つて、
益々趣味を
感じて
來た。いくらか
分つて
見ると、いよ/\
進んで
發掘を
續ける
樣に
成つた。
今まで
注意せずに
何度も/\
歩いて
居た
其路から、三千
年前の
遺物を
幾個となく
發見するので、
何んだか
金剛石がゴロ/\
足下に
轉がつて
居る
樣な
氣持までして、
嬉しくて
溜らなかつた。
但しその
時代には、
精々打製石斧か、
石鏃屑位で、
格別驚くべき
珍品は
手に
入らぬのであつた。
併しながら、
白状する。
此時代には、
研究は
第四か
第五
位で、
第三は
好奇心であつた。
第二は
弄古的慾心?であつた。
第一は
實に
運動の
目的であつた。
鍬を
擔いで
遺跡さぐりに
歩き、
貝塚を
泥だらけに
成つて
掘り、
其掘出したる
土器の
破片を
背負ひ、
然うして
家に
歸つて
井戸端で
洗ふ。
此一
日の
運動は、
骨の
髓まで
疲勞する
樣に
感じるのであるが、
扨て
其洗ひ
上げたる
破片を
食卓の一
隅に
並べて、
然うして、一
杯やる
時の
心持といふものは、
何んとも
云はれぬ
愉快である。それから三千
年前の
往古を
考へながら、
寐に
就くと、
不平、
煩悶、
何等の
小感情は
浮ぶなく、
我も
太古の
民なるなからんやと
疑はれる
程に、
安らけき
夢に
入るのである。
斯くして
翌朝起出でた
時には、
腦の
爽快なる
事、
拭へる
鏡の
如く、
磨ける
玉の
如く、
腦漿が
透明であるかの
樣に
感じるので、
極めて
愉快に
其日の
業務が
執れるのである。
余は
正しく
生れ
替つた
心地である。
發掘を
始め(
其他の
方面に
於て
角力を
取つた)てからは、
身體の
健康は
非常に
良好で、
普通の
土方としても一
人前の
業務が
取れる
樣に
成つて
見ると、
益々多く
大きく
遺跡を
掘り
得る
樣になり、
從つて
遺物も
多く
出す
樣に
成つた。
雪が
降つても
掘り、
雨が
降つても
掘り、どんな
事が
有つても
暇さへあれば
掘り
進む。
其方法も
亦進歩を
生じて、
從來の
遣り
方とは
大いに
異なつた
掘り
方をするに
至つたのである。
此蠻勇の
力、それが
積り
積つて
見ると、
運動の
爲とか、
好奇の
慾とか、そればかりで
承知が
出來なくなつて、
初めて
研究といふ
事に
重きを
置く
樣になり、
進んでは
自分で
學説を
立てるとまで
||先づ
今日では
成つたのである。
以上は
餘りに
正直過ぎた
白状かも
知れぬ。けれども、
正直過ぎた
自白の
間には、
多少の
諷刺も
籠つて
居るつもりだ。
と
云ふものは、
碌々貝塚を
發掘して
見もせずに、
直ちに
地中の
秘密を
知つた
振をして、
僅少なる
遺物を
材料に、
堂々たる
大議論を
並べ、
然うして
自個の
學説を
立てるのに
急な
人が
無いでも
無い。
かゝる
淺薄なる
研究を
以て、
日本先住民の
大疑問に
關し、
解决が
容易に
與へ
得らるべきか、
如何か。
先住民は、アイヌか、
非アイヌか。コロボツクルか、
非コロボツクルか。
現在に
於て、アイヌ
説を
代表される
小金井博士、
非アイヌ
説を
代表される
坪井博士、
此二大學説は
實に
尊重すべきであるが、これ
意外に
出て
論じる
程の
材料を、
抑も
何人が
集めつゝあるか、
思うて
茲に
至ると、
實に
寒心に
耐えぬのである。
大學の
人類學教室、
帝室博物館、
此所には
貴重なる
標本が
少からず
集められ
[#「集められ」はママ]、
又集められつゝあるが、
併しながら、
單に
石器時代の
遺物にのみ、
大學なり
博物館なりが、
全力を
盡されるといふ
事は、
不可能で、
又其目的のみの
大學でもなし
博物館でもない、
故に
今一息といふ
岡目の
評が
其所に
突入するだけの
餘地が
無いでも
無い。
然らば
他に、
專門に、これを
研究的に
集める
人が
有るか。
有るといふだらう。
我、それであると
名乘る
人もあるだらう。
併しながら、いたづらに
完全の
物のみを
選び、
金錢の
力を
以て
買入れ、
或は
他の
手を
借りて
集めて、いたづらに
其數の
多きを
誇る
者の
如きは、
余は
决して
取らぬのである。
之等は
單に
弄古的採集家なるのみ、
珍世界の
主人たるのみ。
自ら
資を
投じ、
自ら
鍬を
取り、
自ら
其破片をツギ
合せて、
然る
上に
研究を
自らもし、
他が
來つて
研究する
材料にも
供するにあらざれば
||駄目だ。
偶然の
結果ではあるが、
余は
此責任を
負うて
立つべく
出來上つたと
信じる。
余が
筆の
先にて
耕し
得たる
收入は
極めて
僅少にして、
自ら
食ひ、
自ら
衣るに
未だ
足らざれども、
足らざる
内にもそれを
貯へて、
以て
子孫に
傳へるといふ、
其子は
未だ
無いのである。
恐らく
此後も
無からうと
思ふ。
今の
處では
養子を
仕やうとも
考へて
居らぬ。されば
若し
生活に
餘りある
時には、それを
悉く
注いで
遺跡の
發掘を
成し
得るのである。
更に
又余は
時間を
有し、
浪人生活の
氣樂さは、
何時でも
構はず
發掘に
從事するとが
[#「從事するとが」はママ]出來るのである。
更に
又、
更に
又、
余は
勞動に
耐え
得る
健康を
有す。
此三
拍子揃つたる
余は、
益々斯學の
爲に
努力して、
誰でも
知らなければならぬ
事の、
誰でも
然う
委しく
知れずに
居る一
大問題を、
誰にでも
知れる
樣になる
爲に、
研究を
進めて
行かねばならぬ。
蠻勇の
力を
以て、
地中の
秘密を
發き、
學術上の
疑問に
解决を
與へねば、
已まぬのである。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#···]は、入力者による注を表す記号です。