【小引】
アイヌの俚謡等にて代表的なるものとの御註文である。代表的といふ語をそのものとして最も特色的であるとの意味に取るならば問題は少しばかり難しくなるが、ここでは極めて通俗的に解して、最もよく知られてゐる、或は最もありふれてゐるといふ||例へば白老や近文がアイヌ部落の代表とされてゐるやうな意味に見て、ウポポなるものを択ぶ。ウポポといふのは熊祭の際などに唄はれるものであつて、近文などでは立つて手拍子を取りながら唄はれるものをもさう云つてゐるけれども、幌別では立つて踊に合はせて唄ふものは踊そのものと共にリムセと云ひ、ウポポは普通屋内で広間の一隅に婦人のみが坐って[#「坐って」はママ]円陣を作り、行器の蓋などを叩きながら唄ふものとしてある。尚近文のウポポはつい先頃ラジオによつて全国に放送されたから、未だ御記憶の方々も多からうと思ふ。
ウポポは唄であるから、それは当然音楽的要素(曲)と文学的要素(歌詞)とから成立つてゐる。曲は一つ一つの歌詞に就いて異なって[#「異なって」はママ]居り、中にはこれはと思ふほどすぐれて美しいものもある。唄ひ方にもいろいろあって[#「あって」はママ]、最も普通なのは皆で斉唱するものであるが、各人各調なので恰も春の夜に騒蛙を聞く趣がある。その他二部に分れて輪唱する形式のものや、誰かが音頭を取つて他がそれに和して唄ふヨイトマケ式のものもある。
歌詞は単に無意味な囃子詞を連ねたのに過ぎないものもあるが、大部分は神を讃美したものであり、中には自然や生活を詠じて極めて詩趣ゆたかなものもある。ただ遺憾なことには、古くから伝承されてゐる間に、或は各地に伝播してゐる間に、段々とその本来の形態を失ひ、現在では殆どその真意を捕捉し得ぬまでに転訛してゐるものの多いことである。
これを少しでも
さてウポポの歌詞には二行から三行四行の短いものが多く、五行六行のものは極めて少数である。それより長いものは無い。
雄鹿の群声を挙げて啼けば
雄犬は声を挙げて吠えるよ
北風が急に炉端へ吹いて来て
灰が雲のやうに空へ舞ひ上る
葦原が光る美しく光る
後の丘へ神様が天降つた
後の丘で美しい風の音が聞える
大きな鯨がより上つた
まあうれしい
神様が神駕に乗つてお出になつた
わしは大層大きな鯨だから
庭の上から
冷い空気や風に
吹き上げられる
(この諧謔はもはや婦人のものではない。ウポポが本来男子の世界に生まれたものであることを暗示してゐる)雄犬は声を挙げて吠えるよ
北風が急に炉端へ吹いて来て
灰が雲のやうに空へ舞ひ上る
葦原が光る美しく光る
後の丘へ神様が天降つた
後の丘で美しい風の音が聞える
大きな鯨がより上つた
まあうれしい
神様が神駕に乗つてお出になつた
わしは大層大きな鯨だから
庭の上から
冷い空気や風に
吹き上げられる
ワォーイ ワォイ
乾魚の荷六つの荷が
此処にあつたのに
誰だ盗んだのは
ワォーイ ワォイ
(お祭の夜どさくさまぎれについ其処にあつたものを失敬する不心得者は昔もあつたであらう。それを即興的に詠み込んだもの。ワォーイワォイといふ囃子詞は身振の伴ふことを示してゐる)乾魚の荷六つの荷が
此処にあつたのに
誰だ盗んだのは
ワォーイ ワォイ
海の上で
雄の小鳥が
今にも沈みさうになつてゐる
浜の砂の上で
鷓の小鳥が
泣叫んで助けを求めてゐる
アヨロ村の広庭で
いつも神々が遊んでゐて
ピカピカ光る
カラブト村の広庭で
いつも神々が遊んでゐて
ピカピカ光る
雄の小鳥が
今にも沈みさうになつてゐる
浜の砂の上で
鷓の小鳥が
泣叫んで助けを求めてゐる
アヨロ村の広庭で
いつも神々が遊んでゐて
ピカピカ光る
カラブト村の広庭で
いつも神々が遊んでゐて
ピカピカ光る
〈『北海道社会事業』第65号 昭和12年10月〉