爺さん、立上れ!
お前はそっちを担いでくれ、俺はこっちを担ぐ
泣くな、爺さん、これがどうしたと言うんだ?
死んだんだ、死んだだけだ
そして死ぬと言う事は死ぬことだ||
「お粥でいいから、ねえ、食べさして」
と彼奴が言った時に、
お粥はおろか、のりも無かったことだ。
「薬を差上げるからおいでなさい」
と医者が言った時に
俺とお前の空の財布が叫び声を立てたと言うことだ。
一番しまいの息を引取る時に、
彼奴の咽喉 はピストンに油が切れた様にヒューヒュー言ったろう
彼奴は火箸の様な手を天井の方へ差上げたろう
そして「苦しい、苦しい、助けて頂戴な」と言ったろう
それが死だ||畜生!
そして死んじまやがった
あたり前だ、油が切れたんだ!
お前の娘だった、そして俺の女房になる筈だった
頬っぺたの青い、いつもしめった様に水っぽい髪をした奴はおれ達のところから居なくなりやがった。
ヨロヨロするな、爺さん!
「助けて頂戴な」と言われても
彼奴のわきにはお前と俺と二人しか居なかった。
そして彼奴の咽喉にからんで来る最後のタンがいくらゴロゴロ言っても
二人には手出しが出来なかった。
「俺はあんなゴクつぶしのストライキなぞに入るんじゃ無かった、いい年をして」
爺さん、お前は血迷って、そう言ったな、
よかろう! お前が俺達と一緒にストライキに入っていなかったら
そうさ、お前は絹の着物を着れたのか?
それから、彼奴が喜こんでくれたのか?
爺さん、ヨロヨロするな!
||彼奴は何もかも知っていた、
「苦しい、助けて」と言ったのは彼奴だったが、
しかし彼奴一人が本当は言ったのじゃ無いんだ。
その後に俺が
「おかね、まだ見えるか?」と言うと
彼奴は何と言った、え、爺さん、おぼえているかい?
「暗いから、あかりをつけて······」
その電燈が一ヵ月前から料金未納でヒューズが切ってあるんだ、だのに
「暗いから、あかりをつけて······」
「私が工場でね、検温器を検査器へかけるのをホンのちょいとグズグズしていると
私の手がそれを握っているもんだから
水銀がドンドン昇るのよ、
そいでも三十八度四分位しきゃ昇らないけど
わきの下にかけたら三十九度までは、きっと昇るでしょ」
彼奴は笑いながらそう言った、
びっくりして手を額に当てたら、火だ。
俺達の女達は四十五度になっても、自分の拵えた検温器をかけられない。
彼奴の工場であんなに沢山拵えた検温器は一体誰が使うんだ?
ねえ爺さん、お前も俺もとうとう知らずにすんだ
彼奴の病気が肺病だかチブスだか肋膜だか脚気だかを。
知っているのは彼奴がくたばった事だけだ。
一番しまいに「暗いから、あかりをつけて」と言って||。
もう直ぐだ、爺さん、シャンとしな
そんなに腰を曲げて前のめりになるな。
お前一人じゃ無いんだ、一人娘をとられたのは。
俺一人じゃ無いんだ、惚れた女をとられたのは。
彼奴は言った「しっかりやっておくれ、勝っておくれ、
その頃は私はもう死んじまっているか知れないけど
私はあんたの方のストライキの勝つのを見ているわ、
今に私の方の工場にだって||」
彼奴は見ていたんだ!
俺達が勝って、
そしてほかの工場の連中が勝って
そして又ほかの工場の連中が勝って
そしてしまいに俺達全体が勝って
そして俺達が心から笑えるその時を、
彼奴は見ていたんだ、知っていたんだ!
そして彼奴は俺に惚れていたんだ!
彼奴は俺の女房だ!
爺さん、爺さん、爺さん、爺さん!
そいつが死んじまった
死んじまって、こんなに、こんなに、猫の子みたいに軽くなっちまった!
なに、なんだって、俺の眼からも涙が出てるんだって?
馬鹿こけ、汗だ!
爺さん、さあ着いたよ、穴は俺が掘ってある、
ソッと入れるんだよ、
彼奴の骨は細っこいや、
なに坊主をだって? 坊主はいらねえ!
彼奴は坊主は嫌いだった、引導は俺達二人だ、
「おい、おかね、俺達は戦うぜ、
おい、おかね、俺達は勝って見せるぜ」
爺さん、そう言いな!
お前の一番しまいの言葉を憶えて置くんだ
「暗いから、あかりを||」
「暗いから、あかりを||」
もう熱も出んだろ、
地の下でユックリ腐れ、おかね!
その地の上で俺達はガンバルんだ
おい爺さん、そんなに泥にしがみ付くな
おかねだけじゃ無いんだ
おかねみたいに死んで行った連中で
地の下は一杯だ!
組合の前で、お前はいつか側杖を食って
犬の奴から撲り倒された事があったね
あん時、お前がころんで掴んだ泥のかたまりの中に
沢山のおかねが死んでいた、死んで腐っていたんだ
爺さん、どこの泥の中にだって
俺達の娘と女房とおふくろと妹がいるんだ、
奴等は俺達のする事を下から見ているんだ!
爺さん、立ち上れ
俺と一緒に工場の広場に行って
皆に言ってやれ、
指で下を差して言ってやれ
「みんな、俺のたった一人の娘は死んだ、
奴等がおかねをいじめ殺した、
俺は娘を可愛がっていた、
娘は検温器工場の女工だった、
彼女は熱が四十度ばかりあった、
俺には金が一文も無かった、
粥を食いたいと言っても食わせられなんだ、
彼奴はキッと勝ってくれと言やがった、
彼奴はこの下の泥ん中にいる!
みんな、彼奴の仇を取ってくれ!」
爺さん、そう言ってやれ!
爺さん、いいや、仲間、いいや、同志!
「暗いから、あかりを||」彼奴は言った!
立上れ、同志! 走って行こう、俺達の戦場へ!
戦うのにお前の手がいる時には
右手だけを差出さずに
左手までも差出せ、爺さん、
その左手で、彼奴が、死んだ彼奴が戦うんだ!
その左手で裏切者をなぐり倒せ!
口の中で「暗いから、あかりを」と言ってなぐり倒せ!
爺さん、お前は一人のじじいじゃ無い! 二人の闘士だ!
俺の腕にしっかり腕を組み合してくれ!
さあ、走ろうぜ!
(一九二八年五月作 『戦旗』同年七月号に発表 一九二九年一月平凡社刊『新興文学全集』第十巻を底本)