今こそは、凡てのものの目覚める時だ
黎明の空は既に白みはじめた。
物質文明の麻酔剤に酔うて
無自覚に動いて居る間に
人間はみな其の本来の器能を奪われた。
労働者はその頭脳を、
智者はその手を、足を、視力を、腕力を、
そして、資本主はその良心を、人情を、本心を。
憐れなる片輪者、おお人類よ!智者はその手を、足を、視力を、腕力を、
そして、資本主はその良心を、人情を、本心を。
目覚めてそのいとおしき自らの姿を見よ
匂いかぐわしき朝日の光をうけて。
労働者よ、
我等の差し出す手を握れ
智識階級とよばれる我等の手を。
我等は
そして君等は、
その手と足と視力と腕力とを我等に与えよ。
そは我等の為めでない
また君等の為めでもない
我等と君等と、その何 れもの為めだ
いや、我等が敵である彼の資本主すらのためだ。
また君等の為めでもない
我等と君等と、その
いや、我等が敵である彼の資本主すらのためだ。
その意味を問おうとするか。
意味は明瞭でないか。
何故なれば、かの
一世を支配した資本主義こそは
君等の頭脳を砕いたでないか、
我等の手と足とを

そして資本主からは
良心と人情と本心とを奪ったでないか。
かくて凡てのものは
片輪者!
物質の奴隷!
おお、君等の力をかせ
また、我等の頭をつかえ。
そして一つの我に合体して
人間の本然をとりかえし
新しい人を創造し
新しい世界を描き出そうじゃないか。
○
これは私の幻覚なのであろうか。
来る日も来る日も私の耳にきこえるものは
人間のうめき声!
裏長屋の井戸端からも
巴里に於ける講和会議の会場からも
安月給取の会話からも
露西亜、独逸の革命の巷からも
暗い、冷たい、薄気味のわるい地底の坑道からも
静かなる農村の自然からも
器機のきしる工場からも
ああ、その苦しいうめき声が耳にひびく。
初めは
今はもう鼓膜も破れよとばかり
捲きころがり、捲きころがり
凡ゆるものをかっさらわずにはやまぬ巨浪のように
どうどうどうと益々高く益々ひろく。
おお今こそ私は知る。
苦しみは力であると。
欠陥は創造であると。
新しい世界は近づいた。
||たといそれがまた壊ちて果てようとも。
○
たとえば彼の聖者のように
貧乏をその花嫁とするか
さもなくば自ら起ちて
貧乏の縄の縛めを断て。
貧乏をかこちかこち女のように
あきらめも得せぬ哲学を呟くを止めよ。
かかる者に真理は
かかる者に生命はやどらず。
生命と真理とは
ただ徹底せるものの下に従う。
(一九一九年二月四日作 『労働文学』同年三月創刊号に発表)