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赤い電車

櫻間中庸




 東京の街から出てゐる二本のレールは原つぱをつききつて青い空の下を、ずつとあちらまでつゞいてゐます。そのレールの上を青電車がシンシンと音をたてて走りました。

 じゆん一くんのお家は、その原つぱのまん中にある小さな町にありました。

 じゆん一君は電車がすきでした。

 町の踏切りにはをぢいさんが電車の通るたびにしやだんきを擧げたり、降したりしました。をぢいさんが手に持つてゐる青い旗は、すつかり色がなくなつてゐて、風にひたひたゆすられました。

 じゆん一君は、まい日、夕方になると、ひとりで、そこの踏切りまでゆきました。踏切の近くの木柵に凭りかかつて、電車の通るのを待ちました。お父さんが、東京のお役所へお仕事に行つて居られるのです。

 踏切り番のをぢいさんとじゆん一君は仲良しになりました。

 をぢいさんは、にこにこしながら、もうすぐ赤い電車が通るのだよと教へてくれました。間もなく東京の方から、シンシンと音をたてながら電車が走つてきました。それはをぢいさんの言つたとほり塗りたての眞赤な電車でした。電車には運轉手が、ひとり、乘つてゐるきりで、停車場にはとまらないで、夕燒け空の下を、きらきら光りながら、原つぱの中を走つて行きました。そしておもちやのやうに小さくなつて、たうとう見えなくなつてしまひました。

「あの電車はどこへ行くの」

 とじゆん一君はをぢいさんにたづねました。

「あれはね。ずつとあちらにある町に買はれて行くのだよ。あちらの町が廣くなつて、電車がつくやうになつたのでね」

 とをぢいさんは教へてくれました。

「明日ね、又、いまころ、こゝを通るのだよ。別の赤い電車がね。見にいらつしやい。」

 とをぢいさんはにつこりして言ひました。


 その次の日、夕方、じゆん一君は、又、踏切りに行きました。

 をぢいさんの言つたとほり、眞赤な電車は運轉手一人をのせたきりで、シンシンと音をたてゝ走つてきました。そして停車場にはとまらないで、あちらの町の方へだん/\小さくなつて走つてゆきました。

「あれはね。昨日の赤い電車と同じ工場で出來たのだよ」

 とをぢいさんは言ひました。

「ぢや兄弟だね」

 とじゆん一君が大きな聲でいつたのでをぢいさんは、はつはつはつと笑ひ出しました。

 そして、

「明日、も一つ通るから、又おいでな」

 と言ひました。

 じゆん一君は、その次の日も見にゆきました。昨日と同じやうに眞赤な電車は、走つてゆきました。

 じゆん一君は、お家へかへるとお父さんに、赤い電車を買つて下さいとねだりました。

 その晩お父さんは、じゆん一君に、デパートで赤い電車を買つてきてくれました。

 じゆん一君は、その夜、夢を見ました。

 踏切り番のをぢいさんと、二人で、あの眞赤な電車に乘つて、原つぱの中を走つてゐました。お空も夕燒けで眞赤でした。電車は、だんだんはやく走つてゆきました。


 その次の日、じゆん一君は、お父さんに買つていたゞいた眞赤な電車を抱いて、をぢいさんのゐる踏切りに馳けてゆきました。をぢいさんに赤い電車をみてもらはうと思つたのです。

 踏切にはをぢいさんはゐませんでした。若い男の人が、をぢいさんのしてゐたのと同じやうに、色のなくなつた信號機を風にひたひたさせてゐました。

 赤い電車はもう通りませんでした。






底本:「日光浴室 櫻間中庸遺稿集」ボン書店

   1936(昭和11)年7月28日発行

入力:Y.S.

校正:富田倫生

2011年9月27日作成

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