山と山との間に小さい川があります。川には、澄みきつた水が流れてゐます。川の底には白くて丸い石が卵のやうに重なり合つてゐて、水が小石にぶつつかつて、こぽり、こぽりと音をたててゐます。
「ぽつちやり」と何だか黒いかたまりが水の中に入つてきました。
ゆら、ゆら、ゆら、
黒いごわごわしたかたまりは川の底までゆきました。
こぽり、こぽり、こぽり。
流れがはやいので、ごわごわは、くるりくるりとお腹を見せたり背中を見せたりこぽりこぽりと流れてゆきました。
大きな石のところで、ごわごわはやつととまりました。
大きな口をあいて水を飮んでゐます。背中は太い紐でしばつてあります。
黒いごわごわは何でせう。
ああ。正雄君のごむ靴です。さうです。今さつき正雄君が栗の木に昇るとき、靴をはいてゐてはうまく昇れないので栗の木の根もとでぬいだとき、ころころ轉んで、ぽつちやりと水の中に落ちたのです。
正雄君は知りません。
栗の木には、とても澤山、栗が實つてゐます。いがいがの中から、いゝ色の栗の實が、いくつもいくつものぞいてゐます。
正雄君は一生懸命、栗の木に昇つてゐます。
黒いごわごわごむ靴は、大きな口をあいてお腹一ぱい水を飮みました。
めだかの子供が友達と大ぜいで寄つてきました。めだかは小さい口でツイツイとつついてみました。
「お菓子ぢやないね」
「つまらないな」
めだかの子供はみんな、ちよつとつついてみて、ツイツイとあちらへ泳いでゆきました。
どんこのをぢさんが眼を、きよときよとさせて、小石と小石の間から出てきました。
「へんなものがゐるぞ」
さう言つて、大きな口で、ぶう、とごわごわごむ靴にぶつつかりました。
ぽこん、とごむ靴ははねかへりました。
どんこのをぢさんは驚いてどこかへ逃げてゆきました。
しばらく誰もきませんでした。
お日樣が、水のあちらにぼんやりとうるんで見えました。水の上を木の葉がいくつもいくつも流れてゆくのが見えました。
ごむ靴は、
おしりの所に何が
[#「何が」はママ]つきあたつたやうに思ひました。
すると
「おや、何でせう。まあ。いゝお家があるわ」と言ふ聲が聞こえました。
鮒のをばさんでした。鮒のをばさんは、ごわごわごむ靴のお口から入らうとしましたけれど、
からだが大きいので入れませんでした。
「おや、わたしは入れない」
さう言つて、すういと行つてしまひました。その聲を聞いていた
どぢようのをぢいさんが石の下から、ぬつと顏を出しました。
「わしなら大丈夫入れるだらう」と長いからだをぴんぴん動かしてごむ靴の中に入つてきました。
「これはいゝ。今夜はよく眠れるぞ」といつて、おひげを動かしました。
ごわごわごむ靴はとうたう
どぢようのをぢいさんのお家になりました。
夜が來ました。お月樣が出たのでせう。栗が金色に光りました。ころん、ころん、とピアノをたたくやうに音をたてて栗が流れてゐました。どこからか、ころころと何か轉んでくる音がして、ぽんとごむ靴につきあたりました。ごむ靴の中に眠つてゐた
どぢようのをぢいさんは驚いて、とび出しました。
「おそろしい家だ、おそろしい家だ」とぶつぶつ言ひながら、お月樣の光で明るい川の中をどこかへ行つて見えなくなりました。
ごむ靴にぶつつかつたのは栗の實でした。
ごむ靴は正雄君のことを思ひました。正雄君はきつと、どのポケツトもどのポケツトも栗の實でふくらませて、片方のごむ靴をはいて山から降りてお家へ歸つたでせう。