郷里につくと、その日の中にか翌日の朝かには、きつと、家の墓地に鎌と笹掃木を手にして出かける。
それに義務を感じるといふのでもない。ただその墓地が村を南から北へ大膽に見下せる高さにあることがたまたま故郷に歸つた私に喜びを投げてくれるからだ。それがいつの間にか習慣といつたものになつてしまつたのであらう。
その度に墓地はむしやくしやと
よもぎが生えてゐたり、山からころげ込んで來た岩のかけらがだらしなくころげてゐたり、墓の土臺石を埋めて腐れかゝつた落葉がぬばぬばと堆かくなつてゐたりする。
山肌はまる一日殆んど陽光を直接にうけないので墓石は七月でも死人の肌の感觸をうける。斯うした有樣が一入墓地の雰圍氣の感情を深くしてゐるこの山肌に、都會からの私は強い愛着、といふよりも親しみを覺える。
一通り掃除をすますと、何がなく、少年のやうに、何やら自分でもはつきりわからないことを口
ごもり乍ら墓石の前にかゞみ込むのも習慣となつてゐる。
久しぶりの、父と茶碗を並べての夕飯であつた、母の心づくしは瀬戸内海の生のいゝ燒魚であつた。
父は盃を口に近づけ乍ら、うちの墓もその中に何とかしよう、あのまゝではと後をにごしてグツと喉に流し込むと千圓に近い金で大阪の伯父が隣り部落に立派な墓地を造つたことを語り、天氣のいゝ日に行つて見て來いとつけ加へた。