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一疋の昆虫

今野大力




一疋の足の細長い昆虫が明るい南の窓から入ってきた

昆虫の目指すは北 薄暗い北

病室のよごれひびわれたコンクリートの部厚い壁、

この病室には北側にドアーがありいつも南よりはずっと暗い


昆虫は北方へ出口を見出そうとする

天井と北側の壁の白堊を叩いて

ああ幾度往復しても見出されぬ出口

もう三尺下ってドアーの開いている時だけが

昆虫が北へぬける唯一の機会だが、

昆虫には機会がわからず

三尺下ればということもわからぬ

一日、二日、三日まだ北へ出口を求める昆虫は羽ばたき羽ばたき

日を暮す

南の方へ帰ることを忘れたか

それともいかに寒く薄暗い北であろうと

あるのぞみをかけた方向は捨てられぬのか、


私は病室に想う一疋の昆虫の

たゆまぬ努力、或は無智、

(一九三五年五月七日作『詩精神』同年六月号「今野大力特輯」に発表『今野大力・今村恒夫詩集』改訂版を底本)






底本:「日本プロレタリア文学集・39 プロレタリア詩集(二)」新日本出版社

   1987(昭和62)年6月30日初版

底本の親本:「今野大力・今村恒夫詩集」新日本出版社

   1985(昭和60)年4月改訂版

初出:「詩精神」

   1935(昭和10)年6月号

入力:坂本真一

校正:雪森

2014年5月14日作成

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