胸一杯に吸いこんだ空気
甘い甘い麦のかおり 何故となくきれぎれに思い出てはあとかたもなく消えて行く
幼ない時の楽しい思い出
一月目に見る村の麦畑の何んと伸々と変っていることだろう
風呂敷包を下げ 胸をふくらせ
休日の久方ぶりに 村の本道を帰って来た私
おしつけてもおしつけても湧き上って来る此のうれしさ
休み日ごとに
家に故里 に かえりたい心は
せき上げて来る潮のように 体中をかけめぐり
考えも感情も何もかも ぎりぎりと巻きからめてしまうけれど||
ああ お母さん
おいしく ふつふつと味噌汁をたいて私を待ちかねているだろう
一生貨車馬のように 野良と台所で働き通し
何の楽しみもなく年老いて行った
私のおかあ
おととい引いた七円の給料は財布ごとお父に渡そう
||近頃はこんなに取り賃が少ないけれど
以前の半分にも時には三分の一にしかならないけれど
お父さん 私は怠けているのではない
前よりも もっともっと精出して 夜 寄宿にかえると
耳の中が ガンガン鳴っているまで働き通しているのだけれど
||罰の出る日など私はこんなに気をつけて取っているのに||
私は何べんも何べんもうすい寄宿のふとんをかぶって
泣いた事さえあるのです 今度の晩繭は又 工女泣かせの涙の出るほど取りぬくい糸だし
||私は亦 脚気のようで足がむくんで来ています
||お父はそんなに飯がうまくなければ カツオ節でも買えと云って手紙を呉れたが
私はサナギくさい味噌汁でこらえています
||それに今 会社は仕事が少く 皆んな よろこんで遊んでいるけれど よく考えると きっと近い内に誰か沢山会社を止めさされるだろう
だが
お父やお母に こんな話はしないでいよう
金を受取る時の
お父のあの うれし相な だが じっと見ると 涙をにじませている うるんだ瞳
私には何にも云わないけれど
内に講が又出来ている事は知っている
私は話そう
「三寮の利ちゃんの琵琶歌」をお父や おじいさんに聞かせてやりたいことや
おどけばかり云う同室の春ちゃんの話や
又お母には 此の春は去年のネルを縫いかえして 一緒に花見に行く約束を||
久方ぶりの故里の 此の風は 私の髪をさらさらとなで知らず知らずに 足は楽しく速まって行くけれど||
||私の
ほんとうの心は 何故となく暗い気持になって行く
麦畑に働く村の人達||
お父よ、お母よ
小さい弟よ!
地主の土蔵の白壁はあんなにキラキラ夕日に光っているのだ
働いている私達の苦しい苦しい此の生活
||「働く者は幸福だ
かせぐに追いつく貧乏なし」
おお! 工場長の云うこんな言葉よ消えてなくなれ
二十三歳の此の若さに
九年間の働きは||私に 脚気と水喰のしたカサカサの手先と前よりひどい内 の貧乏を残して行った
内では心配をかけまいと 面白く会社の話をしているけれど
私ばかりじあない
私ばかりじあない
皆んな皆んな私の会社の友達の皆んなだ!
会社の勝手なセリプレン
私は一ヵ月も只働きして泣いている 沢山の小さい工女たちを知っている
会社の勝手なホケンのことで
ぶつぶつ不平を云いながらも 何も云い得ず働いている、キカイ場や
サナギ小屋の姉妹 たちを知っている
修養会まで私達のものじあない
会社の勝手なゴマカシ芝居だ
九年間の働きは||私に今こそ
この事を知らせてくれた
男の噂さや活動の話に夢中になっている
私の友達よ
だが皆んなは そうでもしなければ実際此の身がやり切れないのだ
だからこそ
そうだ だからこそ
私は皆んなと 私達の本当の気持を皆なと共に話し合おう
室で工場で夕方の散歩で
||此の苦しい生活の中から
働いている私達のほんとうの生活の中から
今こそ!
私は皆の友達と手をつなぎ
強く強く生きて 闘って行こう
(『田園の花』一九三二年五月刊第三号に発表 一九七九年二月槇村浩の会刊『土佐プロレタリア詩集』を底本)