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からすの唄うたい

小川未明




 ある田舎いなか街道かいどうへ、どこからか毎日まいにちのように一人ひとりのおじいさんがやってきて、屋台やたいをおろして、チャルメラをきならして田舎いなか子供こどもたちをあつめ、あめをっていました。

 おじいさんは、ちいさなまちほうからまずに根気こんきよくやってきたのです。そらいろがコバルトいろひかって、太陽たいようがにこやかに、ひがしのいきいきとした若葉わかばもりにさえ微笑ほほえめば、おじいさんは、かならずやってきました。

 チャルメラのをきくと、子供こどもは、たちまちしたからでもわきしたように、まえあつまってきました。おじいさんは、あおや、あかや、黄色きいろ小旗こばたててある屋台やたいのかたわらにって、おもしろいふしうたをうたいました。

 子供こどもらばかりでなく、この街道かいどうとおって、あちらのほうたびをする商人しょうにんなどまでが、松並木まつなみきこしろして、たばこをすったり、おじいさんからあめをって、それをべながら、うたをきいていました。

 あたりは、おだやかで、のどかでありました。くわの刃先はさきが、ちかり、ちかりとはたけなかからえて、ひばりはあちらのそらでさえずっています。それは、もうねむくなるのでありました。

 あるのこと、おじいさんは、いつものように、屋台やたい街道かいどうまつしたにおろして、チャルメラをきますと、いつも自分じぶんが、そのふえいたあとでうたううたを、すぐそばでうたったものがあります。

 おじいさんは、びっくりしました。だれがおれのまねをするのだろう? あたりをまわしたけれど、だれも、そこにはいませんでした。おじいさんは、不思議ふしぎおもって、また、チャルメラをあちらにいてらしました。

 すると、また、いつもおじいさんがうたうようなふしうたをうたったものがあります。おじいさんは、ひとのまねをするやつは、なにものだろうと、こんどは、本気ほんきになって、あたりをまわしました。

 れたえだに、一のからすがまって、あたまをかしげていました。おじいさんは、いま、うたをうたったのはこのからすだなとおもいました。

「からすは、ひとまねをするというが、こいつにちがいない。」と、おじいさんは、しばらく、からすをにらんでいました。

 からすは、今日きょうはじめて、ここにいたのではなかったのです。もう、ながいこと、この野原のはらなかにすんでいました。からすは、毎日まいにち平和へいわおくっていましたが、あまり平和へいわ無事ぶじなのにきてしまいました。ちょうど、そこへまちほうから、おじいさんがきたのであります。

 からすは、おじいさんが、チャルメラをき、うたをうたうのを、あちらのまって、毎日まいにちのようにいていました。

 また、子供こどもや、旅人たびびとなどが、そのうた感心かんしんしてきいているさまをながめていました。からすは、自分じぶんもひとつそのうたおぼえてやろうとおもいました。それから、くちなかで、いくたびいくたびとくりかえしているうちに、とうとうおぼえてしまいました。

 からすは、こんどおじいさんがやってきたら、ひとつうたってみようとおもっていました。チャルメラのをきくと、からすは、しぜんにうたがうたわれたのであります。

ひとのまねをするなんて、いまいましいやつだ。」と、おじいさんは、おこりましたが、また、からすが、こんなにうまく人間にんげんくちまねをするのにびっくりしました。

 このからすは、りこうなからすだ。こんなからすは、そう世間せけんにたくさんあるものでないとおもうと、おじいさんは、おこになれませんでした。

「どれ、もう一つ、チャルメラをいて、からすにうたをうたわせてみよう······。」と、おじいさんは、おもって、チャルメラをらしました。すると、からすは、おじいさんがいつもうたをうたうとおなふしで、

「あめのなかから、キンタさんと、オツタさんとたよ······。」とうたいました。

 おじいさんは、ここへくるたびに、子供こどもらのいないときは、からすを相手あいてとしました。あめをげてやったり、チャルメラをいてかせたりしますうちに、からすは、だんだんおじいさんにれてしまいました。

 しまいには、えだからりてきて、屋台やたいうえまるようになり、それから、おじいさんのかたうえに、うえまるようになったのであります。

 からすは、こうして、おじいさんに、れましたけれど、らない、ほかのひとには、れませんでした。子供こどもらがあつまってきたり、いろいろのひとたちがいるときには、あちらのえだうえんでゆきました。

 おじいさんは、どうかして、からすにうたわせて、それをみんなにかせたら、きっとそのことが評判ひょうばんになって、あめがよくれるにちがいないとおもいましたから、

「どうだ。これから、おれといっしょにまちへいってみようじゃないか。」と、おじいさんは、からすにかっていいました。

 からすは、いつもているこのあたりの野原のはらや、はやしや、おかや、もりや、そうした変化へんかのない景色けしききていました。おじいさんが自分じぶんをかわいがってくれて、またうまいものをべさしてくれるなら、自分じぶんは、しばらくのあいだは、どこへいってもいいとおもいました。

「おまえが、おれといっしょにあるいて、うたをうたってくれるなら、きっと、おれのあめはたくさんれるだろう······。そうすれば、ばんには、うまいものをたくさんおまえにべさせてやることができる······。」と、おじいさんは、からすにかっていいました。

 さんしょうののようにひかる、まるをくるくるさして、からすはあたまかたむけておじいさんのいうことをきいていましたが、それを承知しょうちしたとこたえるように、うなずきました。

「おまえさえ承知しょうちしてくれれば······。」と、おじいさんはよろこんで、からすのあしをひもでむすび、からすを屋台やたいうえまらせて、こんどは、街道かいどうから、ちいさなまちへとあるいてゆきました。

「からすのおじいさんがきた。」

 まちでは、子供こどもらも、大人おとなも、おじいさんがくチャルメラのくと、こういって、わざわざいえそとてみました。それほど、おじいさんは、またまちでもられてしまいました。

「さあさあ、あめをった、った、おいしいあめをった。あめをってくださると、からすがうたをうたってきかせます。」と、おじいさんはいいました。

 子供こどもらは、おじいさんのまわりにってきました。おじいさんは、まちかどのところにくると屋台やたいろしました。

「おじいさん、あめをおくれ。」

「わたしにも、おくれ。」

 子供こどもらは、口々くちぐちにいって、ちいさいをさししました。

 子供こどもらが、あめをってくれると、おじいさんは、チャルメラをって、あおそらあおぎながら、たからかにらしました。からすは、そのといっしょにっていましたといわぬばかりに、

「あめのなかから、キンタさんと、オツタさんとたよ。」といううたを、あたま上下じょうげりながらうたいだしたのであります。

 みんなは、おもしろがって、わらいました。

 これをたり、いたりしていた、一人ひとりおとこが、おじいさんにかって、

「からすに、これほどげい仕込しこむのは容易よういなことじゃない。もっとにぎやかなみやこっていったら、どんなにかねもうけができるかしれない。」といいました。

 おじいさんは、このおとこのいったことをほんとうとしんじました。どうかして、みやこへいってみたいものだ、そんなにたくさんのかねをもうけなくとも、にぎやかなところをてきたいものだとおもいました。

 おじいさんは、からすをつれて、とうとうみやこをさして旅立たびだちました。幾日いくにちかののちには、おじいさんの姿すがたは、にぎやかな、はなやかな、みやこなかいだされたのであります。

 おじいさんの粗末そまつ屋台やたいは、おおきなにぎやかなまちなかでは、すこしもだちませんでした。だれも、あおや、あかや、小旗こばたをとめるものもなかったのです。

 おじいさんは、あちらのまち、こちらのまちと、チャルメラをきながらあるきましたが、田舎いなかにいるときのように、子供こどもらがなつかしそうにってはきませんでした。みやこ子供こどもたちは、もっとほかにめずらしいものがたくさんにあるからです。

 しかし、からすがうたをうたうことは、みんなにめずらしがられました。おじいさんは、おかげで、あめも相当そうとうれて宿賃やどちんにもこまらずにすみましたが、都会とかいは、田舎いなかとちがって空気くうきのよくないことや、のんきにらされないので、いろいろそんなことが原因げんいんとなって、おじいさんは、病気びょうきになってしまいました。おじいさんは、かねっていませんから、医者いしゃにかかるのにも、またくすりってむのにも、すぐこまってしまいました。

「どうしたら、いいだろう。」と、おじいさんは、あおかおをして、みすぼらしい宿屋やどやかんがんでいました。

 宿屋やどや主人しゅじんが、おじいさんにかって、

「おじいさん、うたをうたうからすというようなものは、めったにあるものでありません。きっとこれをったら、いいかねになります。あなたは、そのかね療治りょうじをなさったらいかがですか。さいわい、わたしは、からすをきな金持かねもちをっていますからはなしをしてあげてもよろしい。」といいました。

 おじいさんは、どうしたらいいだろうかとおもいました。

 あの田舎いなかをいっしょにてきて、今日こんにちまで自分じぶんといっしょにらし、自分じぶんのためになってくれたからすをるというようなことはしのびないことであったからです。けれど、こうしてたび病気びょうきになってしまっては、どうすることもできませんでした。そのとりきな金持かねもちがからすを大事だいじにしてかわいがってくれたら、からすも自分じぶんとこうしているよりはしあわせであろうかとかんがえました。おじいさんは、そとはたらきにることができなかったから、からすにうまいものをってべさせることもできなかったのです。

 おじいさんは、こまったすえに、とうとうからすにかなしいわかれをげて、それを宿屋やどや主人しゅじんから、金持かねもちにってもらうことにいたしました。

「さあ、これがおわかれだ······。しかし、またどんな不思議ふしぎえんで、このであわないともかぎらない。達者たっしゃでいてくれよ。」と、おじいさんはからすにかっていいました。

 からすは、宿屋やどや主人しゅじんから金持かねもちへられました。金持かねもちというのはある工場こうじょうぬしでした。うちにはおうむやいんこなどが、きれいなかごのなかにいれてわれていました。

「このからすが、うたをうたうというのだな。」と、主人しゅじんは、宿屋やどや主人しゅじんにたずねました。

「さようでございます。おじいさんにつれられて街々まちまちあるいて、うたをうたったからすはこれでございます。」と、宿屋やどや主人しゅじんこたえました。

 工場こうじょう主人しゅじんは、からすをやはりきれいなかごにいれて、のおうむや、いんこなどとならべて、縁側えんがわにかけました。からすがうたをうたうのをくのをたのしみにしていました。

 とりはねうつくしく、ちょうどうつくしい織物おりものか、またいろどられたるようにはなやかであったけれど、からすはくろで、そのからだにはめずらしい、うつくしい、色彩しきさいもついていませんでした。このうちの、おじょうさんやぼっちゃんは、

「なんだい、こんなくろいからすなんかつまらないなあ。」といって、かごのまえって、悪口わるくちをいいましたけれど、主人しゅじんは、そんなことに頓着とんちゃくせず、ただからすがうたをうたうのをくのをたのしみにしていました。

 はたちましたけれど、いっこうからすはうたをうたいませんでした。からすは、毎日まいにちとまりまってじっとしていました。そして、おどろいているように、くろいさんしょうののようなまるをくるくるとしていました。

場所ばしょわったので、それでかないのだろう。なにしろ、この機械きかいおとがしたり、いろいろな物音ものおとがしては、れるまでかないのも無理むりがない。」と、主人しゅじんおもいました。

 おうむや、いんこは、からすのらないような、人間にんげん言葉ことばを、たくみにまねてみんなをよろこばせたり、また、わらわせたりしていましたが、からすは、まだひとりでさびしそうにしていました。

 このうちへきたおきゃくさまたちは、からすのまえへやってきました。

「これがうたをうたうからすというのですか。ひとつうたをきかしてもらいたいものです。」といいました。

 しかし、だれもまだ、からすのうたをうたうのをいたものがありません。

「おとうさん、このからすをころしてしまいましょうか?」と、ぼっちゃんは、乱暴らんぼうなことをいいました。

「おとうさん、つまらないじゃありませんか。こんなかないからすなんかがしてしまったほうがいいのに。」と、おじょうさんはいいました。

 工場こうじょう主人しゅじんは、まあ、しばらくいてみようといって、そのままにしておきました。とりたちは、あさから、ばんまでおしゃべりをしていました。そして、無口むくちげいなしのからすをあざわらっていたのです。

 あるのこと、まちのあちらからチャルメラのがきこえてきました。からすはくびをかしげて、じっとそのをきいていましたが、とつぜん、

「あめのなかから、キンタさんと、オツタさんとたよ。」と、うたをうたいました。

 これをきいたものは、みんなをたたいてわらいました。主人しゅじんは、さも感心かんしんしたように、じっとかごのなかのからすをていました。チャルメラのが、あちらですると、また、からすは、

「あめのなかから、キンタさんと、オツタさんとたよ。」と、うたをうたいました。

 主人しゅじんは、あのチャルメラをいているのは、もとこのからすをっていたあめりのおじいさんであったかもしれないといって、ひとをやって、もしおじいさんのあめりだったら、つれてくるようにといいました。

 まもなく、そこへ、あかや、むらさきや、あお小旗こばた屋台やたいて、病気びょうきのなおったおじいさんがつれられてきました。そして、おじいさんは、一目ひとめからすをると、うれしさのあまり、なみだながしてよろこびました。からすはかごのなかでしきりにあたまうごかして、おじいさんをてなつかしがりました。おじいさんがチャルメラをかないのに、からすはうたをうたったりして、きかせたのであります。

 このさまて、工場こうじょう主人しゅじん感心かんしんしました。

わたしも、子供こども時分じぶんは、しずかな田舎いなかそだったのだ。あの時代じだいのことをおもうと、なにからなにまでなつかしい。としよりは、こんな空気くうきわるまちなからさないで、田舎いなかかえったほうがいい。」といって、主人しゅじんは、旅費りょひとからすをおじいさんにあたえたのであります。

 おじいさんもからすもよろこびました。その幾日いくにちかたってから、ふたたび田舎いなか街道かいどうへおじいさんはあらわれ、からすははなたれてえだまってうたをうたっていました。

||一九二五・四作||






底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社

   1977(昭和52)年2月10日第1刷

   1977(昭和52)年C第2刷

底本の親本:「小川未明童話全集 第4巻」講談社

   1950(昭和25)年12月

初出:「時事新報」

   1925(大正14)年5月7日〜19日

※表題は底本では、「からすのうたうたい」となっています。

※初出時の表題は「鴉の唄うたひ」です。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:へくしん

2020年12月27日作成

青空文庫作成ファイル:

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