地震のありました、すぐ
後のことであります。
町には、
米や、
豆や、
麦などがなくなりました。それで、
人々は、
争って、すこしでも
残っているのを
買おうとしました。
ある
乾物屋では、こんなときにこそ、
小舎をそうじして、
平常落ちている
豆や、
小豆などを
拾い
集めて、
売ってしまわなければならぬと
思ったのです。
主人や
女房は、
小舎の
中をはいて、きれいに、
落ちている
豆や、
小豆を
一ところに
集めました。それは、かなりたくさんな
量があったのです。
大きな
器の
中に
入れて、
店に
出しておきました。
美代子は、
外から、
家へ
帰ると、
「お
母さん、いま、
町の一
軒の
乾物屋にたくさん
白い
豆がありましたから、
早く、なくならないうちに
買っておきましょう。」といいました。
お
母さんも、お
父さんも、びっくりしたような
顔つきをして、
「ほんとうに
豆があったの。それは、なくならないうちに
買っておいたほうがいい。はやく、おまえいって、二
升ばかり
買っておいでなさい。」と、お
母さんはいわれました。
美代子は、ふろしきを
持って、いそいそと
家から
出ていったのです。その
後で、お
父さんと、お
母さんとは、
話をなさいました。
「よく
豆がありましたこと。」
「なにを
見てきたのか、いまごろそんなものがあろうはずがないさ。」
「だって、あの
子が、
見てきたのですもの、どこかからきたのでしょう。」
「どこかからきたのなら、その
家一
軒ばかりではないだろう。まあ、ほんとうに
買ってくるか、もうすこしたてばわかる。」
こんなふうに、お
母さんと、お
父さんとは
話していられました。
そのうちに、
美代子は、
重そうに、ふろしき
包みを
下げてもどってきました。
「あったかい。」と、お
母さんはいわれました。
「なるほど、
買ってきた。えらいものだ。」と、お
父さんは、まず、その
手柄をほめられました。
しかし、
美代子がふろしきを
解いて、お
父さんや、お
母さんの
目の
前に、それを
見せたとき、お
母さんは、
指さきで、
豆を
分けながら、
「まあ、たいへんにいろいろなくずがまじっているのだね。」と、
目を
円くなさいました。
そして、
見れば、
見るほど、
土がはいっていたり、わらがはいっていたりするので、お
母さんは、あきれた
顔つきをして、
「いくら、なんでも、この
豆は、
食べられそうもないね。」といわれました。
お
父さんも、
黙って、
見ていられましたが、せっかく
買ってきた、
美代子がかわいそうになって、そばから、
「なにも
食べるものがなくなれば、そんなぜいたくなことがいっていられるものでない。けっこうだ。あちらに、しまっておけばいい。」と、お
父さんはいわれたのです。
美代子は、うっかりして、とんだ
役にたたないものを
買ってきたと
後悔しました。そして、こんなものを
黙って
売った、
乾物屋の
不しんせつを
思わずにいられませんでした。
「ほんとうに、あの
人たちは、この
際だからといって、だまって、こんなものを
売ったのね。きっとほかの
人々も
買って、
家へ
帰ってからよく
見て、
驚いていることでしょう
······。」と、
美代子は
思いました。
しかし、
食べるものがなければ、こんなものだって、どんなにありがたいかしれないと、お
父さんのいわれたことも、ほんとうだと
思いました。
それで、
美代子は、
大事にして、その
豆を
箱の
中にいれてしまっておきました。しかしこの
必要は、まったくなかったのです。
食物に
困るときは、
美代子の
家一
軒ばかりのことでなく、
町全体の
人々の
困ることですから、いつまでも
食物がこなくて、すまされるわけはありませんでした。
みんなの
力で、たちまちのうちに、いろいろの
食物が、
町の
商店へ
到着しました。それで、
美代子の一
家も、このくずだらけの
豆を
食べなければならぬことがなくてすみました。
美代子の
弟の
年ちゃんは、そのとき三つでしたが、あくる
年には四つのかわいいさかりとなりました。
ある
日、
姉さんにつれられて、
町はずれにあった、お
宮の
境内へ
遊びにゆきました。そこは、
広々として、
大きな
木がしげっていました。
子供らは、たくさんきて
遊んでいます。またそこには、はとが、たくさんいたのであります。はとは、
子供らに
慣れていました。
人間が、
自分たちに、けっしてなにも
害を
加えるものでないと
知っていたからです。
姉さんは、おばあさんから
豆を
買ってはとにやりました。はとは、お
宮の
屋根から、また
鳥居の
上から
降りてきて、
喜んで
豆を
食べました。
年ちゃんは、
小さな
掌をたたいて
喜びました。そして、
自分も、
豆を二つ三つ、
握っては、はとに
投げてやりますと、はとは、
年ちゃんの
足もとまできて、それを
拾って
食べていました。
姉さんと
年ちゃんとは、しばらく
遊んで、あまりおそくなると、お
母さんが
心配なさるからといって
家へ
帰りました。
その
日から、
年ちゃんは、はとぽっぽが、なによりもいちばん
大好きになったのであります。
お
母さんは、これまで
箱の
中にはいっている、
豆を
見ますと、
「ほんとうに、もったいない。」といっていられました。
美代子も、その
豆を
見ますと、たとえあの
際だからといって、よくも、こんな
豆を
売ったものだと、
乾物屋の
人たちをうらめしく
思わずにはいられませんでした。
「ねえ、
姉ちゃん、はとぽっぽへゆくのだよ。」と、
年ちゃんは、それからは、
毎日、お
昼ごろになるといいだしました。
「さあ、おねんねおし。そして、
起きたら、つれていってあげましょうね。」と、
姉さんも、お
母さんも、どうかして、だまそうと
思いました。
年ちゃんは、おとなしく
眠ることもありました。また、どうしても、すぐにいってみるといいはったこともありました。また、たとえ
眠ってしまっても、
起きると
忘れずに、
「
姉ちゃん、お
宮へゆくんだよ。」といったのであります。
「ああ、お
母さん。うちに、あの
豆がありましたね。あれを
持っていって、はとぽっぽにやるといいわ。」と、
美代子は
思いついて、いいました。
「ああ、それがいい。」と、お
母さんも、
答えられました。
それから、
毎日のように、
食べられなかった
白豆を
袋の
中にいれては、
年ちゃんは、
姉さんにつれられて、はとぽっぽを
見にいって、その
豆をまいてやりました。
お
宮のはとは、すっかり
年ちゃんになれてしまいました。そして、もう、
年ちゃんのやってくる
時分だと
思うと、お
宮の
屋根の
上からまた
鳥居の
頂から、じっと、いつも
年ちゃんのくる
方をながめていました。そして、
年ちゃんの
姿を
見ると、みんな、
年ちゃんの
身のまわりに
集まってきました。
しまいには、
年ちゃんばかりでありません。
美代子まではとがかわいらしくなってたまらなかったのです。
それから、
二人は、
毎日、お
天気さえよければ、お
宮へまいりました。
「うちに、
豆があるから、いいようなものの、そう
毎日、はとぽっぽへいって、
豆を
買ってやったんでは、たいへんですよ。」
と、お
母さんは、
笑っていわれました。
「ねえ、
年ちゃん、うちの
豆がなくなるまではとぽっぽへゆきましょうね。だけど
豆がなくなったらゆくのをよしましょうね。」
と、
美代子はいいました。
その
後、
二人は、どんなに、
豆がだんだん
少なくなるのを
惜しんだでしょう。また、
豆がなくなってしまったら、はとは、どんなにさびしく
思うでしょう。
年ちゃんと
姉さんが、やってくるだろうと
思って、
待っているのに、とうとう
二人の
姿を
見ることができなかったら、はとは、
悲しむだろうと
思われました。
「まあ、あんなに、たくさんあった
豆が、もう
半分ぐらいになってよ。」と、ある
日、
美代子は、
年ちゃんに
向かっていいました。
そして、いまでは、お
母さんも、
美代子も
乾物屋の
人たちが、
不しんせつであったということを
忘れてしまいました。
あのとき、
買ってきた
豆がいい
豆であったら、こんなに、
楽しく、
年ちゃんを
楽しませなかったろう? また、はとを
喜ばすことができなかったろうと
思いますと、かえって、
食べられなかったのが、しあわせになったのでありました。
姉と
弟は、
今日も、いつものごとく、お
宮の
境内に
近づきますと、はとが
喜んで、ポッポ、ポッポと
鳴いていました。これを
見て、
美代子が、あの
ごみの
混じった
豆が、どれほど
長いこと、はとや
子供を
喜ばしたろうと
感心したのであります。
||一九二四・六作||