「いやもう、驚いたの驚かねえの」
八五郎がやつて來たのは、
「何を騷ぐんだ、ドブ板の蔭から、でつかい
平次は晝寢の枕にしてゐた、三世相大雜書を押し退けると、無精煙草の煙管を取上げます。
「そんな間拔けな大變ぢやありませんよ、いきなり頭の上から、綺麗な新造が降つて來たらどうします、親分は?」
「へエ、不思議な天氣だね、三世相にも今年は新造や年増が降るとは書いてなかつたが」
「兩國の
「怪我は無かつたのか」
「腰のあたりを打つて目を廻しましたがね、幸ひ命に別條は無いさうですが、その時は全く驚きました」
「まるで
「冗談ぢやない、綱が切れてゐたんですよ、三間以上も高い綱の上から落ちて、死ななかつたのは不思議な位のもので||」
「綱が切れてゐた? 綱渡りの綱は滅多に切れるものぢやねえが」
平次は此事件から、早くも何やら腑に落ちないものを見出したのです。
「
「誰がそんなことをしたんだ」
「そいつがわかれば、其場で縛つて來ましたがね、皆んな神妙な顏をしてゐるから、疑ひの持つて行きやうがありません。ことに座頭の天童太郎の女房お崎などは、大金の掛つた大事の太夫に、そんな
「そんな時は、一番荒つぽい事を言ふ奴が一番怪しいものだ、天童太郎の女房は何處に居たんだ」
「あつしもそれは氣がつきましたが、
「厄介なことがあり相だな、人一人の命に拘はることだから、放つても置けまい、行つて見ようか、八」
「そいつは有難え、親分が行つて下さればあの
平次が氣輕に腰をあげてくれたので、八五郎は犬つころのやうに先に立つて驅け出しました。
東西兩國その頃の賑はひは、今日の樣子からは想像も出來ません。見世物と輕業と、水茶屋と、そして大道商人と、隙間もなく押し並んだ中に、江戸の
天童太郎の輕業は、その中では半永久的な小屋掛けで、
裏へ廻つて戸を叩くと、
「へエ、どなた」
まだ外は薄明るいのに、少し迷惑さうに中から開けてくれたのは、一座の彌太八、口上も言へば前藝もやる、貧乏臭いが重寶な三十男です。
「錢形の親分だよ、つばめが落ちたのを調べに來て下すつたんだ」
八が恩に着せます。
「つい裏に親方の家があります、此處はあつしと久兵衞だけで」
その久兵衞といふのは
彌太八に案内されて行くと、小屋と背中合せになつた、二軒長屋の一つが、座頭の天童太郎夫婦と囃子方で下女も兼ねて居るお幾の住んでゐる家、壁隣りの家は、娘太夫のつばめとその母親のお高と、つばめの弟の與吉の三人が住んでゐる家、母親のお高は樂屋の雜用をやつて居る三十七八の女ですが、昔は天童太郎の師匠で、此一座を背負つて立つた、元の座頭
平次は先づ二軒長屋の右の方、お高つばめ
家はたつた二た間、その奧に娘のつばめが休んで居りました。打身の
年は十八、まだ
「どうだ、氣分は?」
平次はそつと娘に遠くから聲をかけました。夕明りが障子に殘つて、二本燈心の行燈が薄暗く見える中に、娘は
「錢形の親分さんだよ、お前||」
母親のお高は娘の寢返りを手傳ひながら耳に口を寄せてさゝやくのでした。三十七八と言つても世帶の疲れで老けては見えますが、この娘の母親らしく、昔はさぞと思はせるきりやう||貧苦も奪ひきれない底光りのする美しさが殘つて、妙に心を打つものがあります。
「お蔭樣で」
娘つばめの口は僅かに動いたやうです。
「幸ひ身體が鍛へてあるので、大した怪我は無かつた||とお醫者樣も申します」
母親のお高が代つて説明してくれました。
「それは宜かつたね、||ところで、綱が切られて居た相ぢやないか、誰が、そんなひどいことを」
「いえ、彈みでございます、長い間使つた麻繩で、
母親のお高は眞劍に、娘の怪我を過失にしてしまひ度い樣子です。
「誰か、お前を怨んで居る者は無かつたのかな」
「飛んでもない。娘を怨む者なんか、まだこんな子供ですもの」
母親は、娘の繃帶だらけの首を抱き上げて、
かういつた母親の口から、何んにも引出せさうも無いことは、平次にもよくわかります。
「八、隣の天童太郎のところへ行つて見ようか」
平次は締めてしまひました。
「大事にするが宜い、
そんな事を言つて、外へ踏出した平次は、薄暗くなつた外で指をくはへてぼんやり立つて居る八つか九つの男の子に逢ひました。
「この子は?」
「つばめの弟の與吉ですよ、九つだ相で、身體は相當ですが、智惠は少し遲い方で」
八五郎がズケズケ斯んな事を言ふのを、少年與吉は大して氣にする樣子もなく、指をくはへたまゝ、默つて二人を見詰めて居ります。顏立は姉や母親に似て、惡くない子柄ですが、釘が一本足りないらしく、何處となく締りの無いのも氣の毒です。
天童太郎は
「錢形の親分さん、飛んだ御手數をかけます、誰かのろくでもない惡戯でせうが、なアに大したことぢやございません」
そんなことを言ひ乍ら、手を取るやうに平次と八五郎を迎へ入れます。壁隣の二軒長屋と言つても、此方は建増して部屋の數も多く、調度も立派で、何んとなく豊かに見えるのも、勢力からも金からも見離された、先代の座頭、久米の仙八と、今を人氣の上り坂に居る、今の座頭天童太郎との、
「まア、親分さん方、何が無くとも、一つ召し上つて下さい、急のことで支度もありませんが」
女房のお崎は、あわてゝ新しい膳を出したり、盃を並べて、銅壺にさはつて見たり、一人で氣を揉んで居る樣子です。
亭主の天童太郎は四十前後の立派な男で、背は低い方ですが、顏立ちも精悍で、筋骨の
「構はないでくれ、少し話を訊くだけのことだから」
「でも、まア、一つ召上つてから||本當に何んといふ惡い奴でせう、あんなひどい惡戯なんかして、つばめは人氣が大變ですから、いづれそれを妬む者の仕業でせうが」
さう言ふお崎は四十二三、亭主の天童太郎を差し措いてまくし立てるのです。
よく脂の來つた、中年の女らしい作り愛嬌、奔流のやうな多辯、悉く相手を
「ま、待つてくれ、妬むと言つたところで、一座には外に女藝人も無い樣子だ||外から小屋の中へ潜り込んで、樂屋の天井裏の、綱を切る隙でもあるといふのか」
平次は兎も角この女の饒舌にブレーキをかけました。
「飛んでもない、木戸から樂屋へは、人目が多くて來られません。裏口はお高さんがつばめの弟の與吉と一緒に頑張つて居る筈で」
天童太郎はあわてゝ口を
「すると、一座の者の仕業といふことになるが」
「それが、どうしても思ひ當らないのです。お幾は女房と一緒に囃子方をやつて居りましたし、久兵衞は木戸口を動かない筈ですし、彌太八は、舞臺の隅で何んか口上を言つて居りました」
「親方は?」
「あつしは木戸の上の、丁度綱を切られた方とはあべこべの揚幕からそれを見て居りました。つばめが綱を渡り切つて舞臺に降りると、今度は私が綱の上へ出て、物眞似の道化をやることになつて居りました」
「||」
「で、切つかけを待つて居たのです。囃子が變ると私の出番で」
平次は此の説明を聽きながら、何やら考へ込んで居ります。
「つばめはあのきりやうだから、さぞ若い男から騷がれることだらうな」
「それが不思議で、||十八と言へば、もう一人前の娘盛りなのに、あの
女房のお崎が代つて、また饒舌り始めました。全く留めども無い舌の動きです。
「一座の中では?」
「人氣ものでございますよ、でも男氣と言つては、口上の彌太八と、木戸番の久兵衞だけで」
「その二人のうち、特につばめに氣のある男が居るだらう」
「若い久兵衞は
お崎の話を聽いて居ると、小屋の外にも内にも、綱の切り手は無くなります。
小屋の方は、樂屋の隅の薄暗い四疊半に、小道具と雜居して、口上の彌太八と、木戸番の久兵衞がとぐろを卷いて、寢るでも起きるでも無くゴロゴロして居りました。
「お前達は、毎晩此處に寢て居るのか」
平次が入つて行くと、あわてゝ飛起きて、
「へエ、親分、今晩は、||あつしだつて金さへありや、斯んなところにくすぶつて居たくはありませんが、前借だらけで、近頃は親方も良い顏をしてくれませんから」
と打ちあけた事を言ふのは、道樂者らしい木戸番の久兵衞でした。
「お前はよく遊ぶさうだが、彌太八はどうだ」
「此野郎はつばめに夢中で、
「止せ、止さないか、馬鹿々々しい」
彌太八はあわてゝ久兵衞の口を塞ぎさうにしましたが、相手は年こそ若いが、横着で人が惡くて、そんな事では口を塞ぎません。
「皆さんに申上げた方が宜いよ、手前が下手人でない證據のやうなものぢやないか、綱の切れたのは、舞臺の眞上の樂屋裏だが、その時お前は、綱の上のつばめに見とれ乍ら、口上をとちつて居たぢやないか」
「好い加減にしろよ、親分がびつくりするぢやないか」
彌太八は困じ果てゝ、照れ臭く顏などを撫で廻すのです。
「そんなわけで、つばめに怪我をさせたのは、あつしや彌太八ぢやございませんよ、親分やおかみさんだつて、金箱の娘太夫を殺す氣になるわけは無いし、あとはつばめの母親と、弟の與吉でせう」
久兵衞は、なほも達辯に辯じ立てるのです。
「すると、下手人は無いことになるぢやないか、||誰が一體綱を切つたんだ」
平次も釣られるともなく、斯んなことを言ふ外はありません。
「この小屋には、惡い
「惡い因縁とは何んだえ」
平次は訊き返しました。
「宜いつてことよ、袖なんか引張らなくたつて、錢形の親分が見透さずにおくものか」
「ね、親分、この小屋で、綱渡りの綱の切れたのは、これが二度目なんですよ」
「なる程」
「惡い因縁ぢやありませんか」
「||」
「最初の災難は今から三年前、前の座頭の、久米の仙八親分が、||これは綱渡りの名人でしたが||綱の眞上から落ちて、
「矢張り綱を切られたのか」
「いえ、その時は鼠の惡戯とわかりましたよ」
「鼠?」
「綱の根元に、油が浸みて居たのを、鼠が噛つたんですね。その時の小屋は鼠の巣見たいでしたよ」
「そんなことで綱が切れるのかな」
「鼠だけのせゐぢやないかもわかりませんが其處まではこちとらの眼が屆きませんよ、それつきりウヤムヤになつてしまひましたが」
久兵衞の話には、妙な含みがありますが、三年前のことでは、平次も調べやうがありません。
「此小屋では、毎日道具を調べないのか」
「三年前の事があつてから、念入りに調べることになつては居ますよ、今朝もあつしが調べたときは、何んの變りも無かつたのですから、つばめが綱にかゝる前に、誰かゞあんなひどい事をしたんでせうね」
久兵衞は獨りで引受けて
平次は彌太八と久兵衞を案内に、小屋の中を隈なく見せて貰ひました。夜になりきつてひどく不便ではありますが、八五郎と久兵衞の持つた
つばめが綱から落ちた時の、一座の者の位置を、一つ/\確かめて行きましたが、すべての人の部署は明瞭で、樂屋裏の天井に這ひ上つて、綱の元を切る者などは、どう考へてもありやう筈はなかつたのです。
つばめの母親は裏口に頑張つて居り、これは娘の生命に
平次はこれ丈けのことを確かめると、危い梯子を昇つて、樂屋裏の天井、綱を切られた場所に行つて見ました。さすがに、空中いろ/\の藝當もするので、
その根元スレスレに、張りきつたところを切つたらしく、綱の切り殘しが五寸ほど、少し段々が付いて下つて居るところを見ると、あまり良い手際とも言へません。
それにしても、此處から張り渡した古い幕にかくれて、舞臺も客席も綱の行方も見えず、曲者は囃子の音樂に耳をすまして、綱を渡る人間の居る場所を、感で定めて綱を切つたことでせう。
「刄物は何んです、親分」
「張りきつた綱だ、何んでも切れるよ」
「でも、これだけの綱を切るのは余つ程の手際ですね」
「いや、そんなことはあるまいよ、ちよいと、その
平次は八五郎の問に答へ乍ら、手燭を受取つて、しきりに四方を物色して居ましたが、
「
「これが得物さ、
「誰がそんなことをしたんでせう」
「騷ぐな、大方見當は付いた積りだ」
「へエ?」
平次は八五郎を促して梯子を降りると、其處で待つてゐる彌太八に、何やら囁いてサツサツと外へ出るのです。
「もう歸るんですか、親分」
「まだ寢るには早からう、歸つて一杯やらうよ」
兩國から明神下へ着いたのは
「今晩は、御免下さい」
恐る/\訪づれたのは、天童一座の口上言ひ、彌太八の打ち沈んだ姿だつたのです。
「ヤア入れ、一杯やつて居るところだ、お前も附き合ひ乍ら、ゆつくり話さうぢやないか」
彌太八は恐る/\入つて來て平次と八五郎の呑んでゐる後に、
「お前は何んか知つてゐる筈だ、||いや、お前は何んか、俺に言ふことがある筈だ。十手捕繩はしまひ込んで、唯の平次になつて、一杯呑み乍ら、お前の話を聽かうぢやないか」
平次は彌太八に盃を差して、二つ三つ立て續けにつぎ乍ら、斯う話しかけます。木戸番の久兵衞の饒舌に比べて、彌太八の極端な無口と、その考へ込んで居る眼の色が、平次の腑に落ちなかつたのでせう。
「親分、私は、つく/″\恐ろしいと思ひました」
「何が恐ろしいんだ」
「今日樂屋裏の天井に潜り込んで、あの綱を切つたのは、三年前に同じ綱から落ちて死んだ、久米の仙八親方の幽靈に違ひありません」
「何を言ふんだ、馬鹿々々しい、久米の仙八の幽靈が、自分の娘のつばめを殺さうとしたといふのか」
「それに違ひないから、私は不思議でたまりません。あの時、舞臺の隅に居た私が、フト上を見ると、
「||」
「忘れもしない九月二十八日の今日は、仙八親方の三年目の命日で、私は思はずゾツとしましたよ。尤も考へて見ると、仙八親方が迷つて出るのも、無理のないことで||」
「何が無理がないと言ふのだ、お前はもう少しいろんな事を知つてるだらう。皆んな言つてしまはないと、今後は仙八の幽靈がお前に祟るかも知れないぜ」
「冗談言つちやいけません、私は何んにも怨まれる覺えはありません、怨まれゝば、今の座頭の天童太郎親方の方で」
彌太八は平次の説き落しのうまさに
その話によれば、今から丁度三年前、同じ九月二十八日の夕刻、道化姿で綱渡りをして居る先代の座頭久米の仙八が、綱が切れて土間の眞ん中に落ちて死んだのは、どうも鼠のせゐらしく無いといふのです。
いやそれどころでは無く、その頃一座の花形で、仙八と人氣を爭つて居た、天童太郎に相違ないといふ、根強い
鼠に噛られたと見せた綱の切口は、切出しで細工したもので、一氣に鋭い刄物で切らなかつたところに
天童太郎が親方の仙八を殺した原因は、一座を自分のものにし度い野心と、もう一つはその頃若くもあり、非常に美しくもあつた、つばめの母親お高に言ひ寄つてひどく彈かれた怨みで、その頃はお高は、三十四、五の大年増乍ら、まだ十四、五の可愛い盛りの娘つばめを相手に空中の曲藝を演じ、女輕業師として、大した人氣であつたといふことは、彌太八の説明で平次や八五郎も思ひ出しました。
夫仙八の死後、お高は花やかな舞臺から退いて、あの通りの
天童太郎はその後一座を自分のものにしましたが、仙八の未亡人のお高ばかりは、どうしても儘にならず、その後一年經つて今の女房||おしやべりで三味線の達者なお崎を迎へ、今日に至つたといふのが、彌太八の説明のあらましでした。
「それを、どうしてお前はお高に話したのだ」
平次はいきなり彌太八に問ひかけました。
「へツ」
「隱すな、亭主の仙八を殺したのは、天童太郎に間違ひない、證據はこれ/\とお前は本當に話したに違ひあるまい」
「相濟みません、||ツイ一昨日の晩でした、私とつばめと仲よく話して居るところを、母親のお高さんに見つけられ、散々油を
「フーム、それは大變なことだ、今日は、仙八の三年目の
「お高さんもそれをくり返して言つて居ました」
「ところで、お前が此處へ來る迄に、變つたことは無かつたか」
「何んにもありません、久兵衞の野郎は、急に小遣が出來たと言つて、
「つばめの容體は」
「もう大丈夫だといふことで」
「親方の天童太郎のところでは、おかみのお崎さんは、
「お幾とか言つた、下女代りの女は?」
「見えなかつたやうです、||さう/\、それから珍らしい事に
「それは容易ならぬことだ、行つて見よう、八」
「何處へ行くんです」
まご/\する八五郎を引立てるやうに、平次と彌太八は、もう一度兩國へ引つ返しました。九月二十八日、夜は
小屋は空つぽ、彌太八の部屋に入つて、手燭を用意すると、平次は樂屋を一とわたり見て廻りましたが、其處には何んの變りもありません。
「さア、見當がつかなくなつたぞ」
舞臺にも別條は無く、其處から客席へおりて、丁度眞ん中頃へ來た時、
「あツ、これだ」
眼の早い八五郎は思はず大きい聲を出しました。土間に板を置いて、薄べりを敷いただけの客席、その丁度中ほどに、座頭の天童太郎は、
「眞上から肩口へかけて喉笛を刺して居る不思議な手際だ」
平次も舌を卷いて居ります。死骸は冷くなりかけて、少くとも半刻以上は經つたらしく、最早命の呼び戻しやうもありません、
「こんな達者な男を、誰が殺したんでせう」
八五郎は膽ばかりつぶして居ります。客席の眞ん中、あたりは廣々として、身を隱す場所も無いのですから、余程腕の出來る、天童太郎より遙かに背の高い者が、馴々しく寄つて不意に上からやつたと見る外はありません。
「あれは何んだ」
平次は頭の上を仰ぎました。
「ブランコですよ、つばめの藝當の一つで、あれに飛付いて
ブランコは、低いのから高いの、幾段にも下つて居りますが、天童太郎の死骸の眞上、地上からざつと九尺ほどのところに、一番低いのがブラ下つて居ります。その上に飛付いて、いろ/\の藝當をやるつばめは、すぐ下で口を開いて見て居るお客樣達には、一つの魅力だつたに違ひありません。
それを見ると平次は、
「八、もう歸らうよ、町役人に知らせて、明日の朝でも檢視をするんだね」
興味を失つたやうに死骸を見捨てゝ、さつさと外へ出るのです。
「親分、
「知るものか、鎌いたちか何んかだらう」
「へエ?」
八五郎もその後について行く外はありません。
裏の二軒長屋のうち、天童太郎の家を覗くと、おかみのお崎は疊の上に引つくり返つて大いびきを掻いて居り、下女のお幾はそれを介抱しようともせず、自分の部屋へ入つて寢てしまつた樣子です。
隣のお高の家では、まだ何やら話聲が聽えます。障子の隙間から覗くと、つばめが眼を覺した樣子で、その
その窓をそつと離れた平次は其處までついて來た彌太八に、かう言ふのです。
「それぢや俺は歸るよ、あとは土地の役人が宜しいやうにしてくれるだらう||お前はお高とつばめの面倒を見てやるが宜い」
× × ×
それから幾月か經ちました。
一座の顏觸れに、つばめ太夫の母親のお高が、三年目の歸り新參で、少しも
その噂をきいて、
「一體あの綱を切つたり、天童太郎を殺したりしたのは誰なんです、親分、鎌いたちなんかぢや胡麻化されませんよ、あつしは」
と、一生懸命に詰め寄る八五郎に對して、平次はかう説明してやりました。
「つばめの綱を切つた人間は、どうしてもわからなかつた筈だよ||たつた一人、氣のつかない人間があつたのだ」
平次は全部の人間の配置を細かに説明してから、その時すべての人の
「誰です、それは?」
「
「娘の乘つて居る綱を?」
「天童太郎が、あのすぐ後で道化姿で綱渡りをする筈だつたのさ、それを與吉は、母親に言ひ含められた囃子を聞き違へ、まだ姉のつばめが乘つて居るうちに、綱を切つてしまつたのだ」
「へエ?」
「お高が彌太八にいろ/\の事を聽かされたのは前の晩だ、お高は死んだ亭主の仙八の敵を、伜の與吉に討たせる積りで細工をしたのだよ。仙八の
「?」
「綱は張り切つて居たから
「へエ、すると、天童太郎を殺したのは?」
「お高は自分の手違ひとは言ひながら、娘が怪我したのまで口惜しくて仕樣がなかつた。その晩、仙八の三年忌の夜のあけぬうちに片付ける積りで、久兵衞に
「どうして、刺したのでせう、不思議な傷でしたね」
「先に小屋へ入つて待つて居たお高は、昔の舞臺姿の
「そこで傷が、上から下へ||喉笛から肩口へ刺したわけですね」
「その通りさ、天童太郎の泥棒がん燈は足元しか見えないから、此美しい鎌いたちが天井からブラ下つて、自分の首を狙つて居ることは氣がつかなかつたことだらう」
「成程ね」
「わかつたか、八」
「恐ろしい女ですね」
「でも、自分の長屋へ歸つて怪我をした娘を、夜つぴて
平次はこんな氣の弱いことを言ふのです。