芝三島町の學寮の角で、土地の遊び人
傷といふのは、
この邊の繩張りは、柴井町の友次郎といふ御用聞、二足の
「親分、ひどい事になつたものですね」
「お、八五郎か。錢形の仕込みで大層鼻が良いな」
「からかつちやいけません。まだこの死體を見付けてから、
「ぢや品川の歸りつて寸法かい」
友次郎は何處までからかひ
「飛んでもない、川崎の大師樣へ日歸りのつもりで、宇田川町を通ると此騷ぎでせう」
「成程ね。そこで、俺の間拔けなところを見て笑つてやらうと言ふ廻り合せになつたんだね。まア、宜いやな。この通りの始末だ。種も仕掛けもねえ、よく見てやつてくんな」
友次郎の妙に
「殺されたのは、
「さうだよ。可哀さうに、後ろ傷で往生しちや綱の野郎も浮ばれめえ。何とか敵を討つてやらなくちや」
「刄物は」
と八五郎、何とか厭味なことを言はれ乍らも、職業意識は獨りで働きかけます。
「それが不思議なんだ。どうしても見えねえ。これだけ
「へエ||、一體誰がこんな
とガラツ八。
「それが解りや苦勞はしねえ。つまらねえ事を言ふと、素人衆から笑はれるぜ」
「だが、
「綱吉の野郎にしちや、柄にもねえ
「怨となると||」
「知つての通り、綱吉はやくざ者には相違ないが、まことに男振りも評判も好い男だ。人に怨まれるやうな人間ぢやねえ」
「すると」
「女だよ、八兄イ」
「へエ||」
「此間から、神明の水茶屋の、お常の
「お常つて言ふと、近頃評判の?」
「さうだよ。あの阿魔は全く綺麗過ぎるから、何か間違がなきア宜いがと思つて居たが、到頭こんな事になりやがつた||」
「ぢや、親分には、もう下手人の當りは付いたでせう」
と八五郎。
「まアね。後學の爲に話して置かう。ネ、八兄イ、よく見て置くが宜い。これはお
「||」
友次郎はさう言ひ乍ら、死體の
「ね、解つたらう。いくら夜だつて、やくざ者一人を殺すのに、江戸の町の眞ん中へ、槍を持出す人間もあるめえから、これは鑿に決つて居るんだ」
「||」
友次郎は少し獅子ツ鼻をうごめかし氣味に、下水の端つこに
「不思議なことに、綱吉の野郎と、水茶屋のお常を張り合つて居る男に、露月町の大工の
「えツ」
「ちよいと意地の強い男でね。カツとすると隨分人位は殺し兼ねねえ野郎だ。
「柴井町の親分、それはお前さん、
「な、な、何だと。默つて聞いて居りや、イヤに辰五郎の肩を持つぢやねえか」
「そんなわけぢやありませんがね、柴井町||」
「えツ、默つて引込んで居やあがれ。手前なんかの知つたこつちやねえ。口惜しかつたら、神田へ飛んで歸つて、親分の平次にさう言へ。柴井町の友次郎は、この八五郎が暫らく
それまで知つて居られては、返す言葉もありませんし、友次郎の劍幕の
「親分、お願ひだ。何とかしてやつて下さい」
錢形平次の顏を見ると、ガラツ八は
露月町の大工の棟梁、辰五郎といふのは、八五郎が錢形のところへ轉げ込む前、暫らく世話になつた男で、年は若いが
「柴井町の友次郎を向うへ廻すのは厭だな」
平次は口にまで出して斯う言ひ切りましたが、八五郎の必死の頼みを見ると、劍もほろゝに斷る勇氣もありません。
「親分、さう言はずに、どうか助けてやつて下さい。あつしは恩を知らない人間になりたくないが、相手が柴井町のでは、口惜しいが齒が立たねえ。親分、お願ひだ」
うつかりすると、縁側の
「兎も角、手を付けて見よう」
「有難てえ。さア、善は急げ、直ぐ飛ばして下さい。
「待ちなよ八、現場へ行つて、柴井町に厭な事を言はれるまでもあるめえ。それに、柴井町のやうな
「へエ||」
「綱吉は何を
「駒下駄ですよ」
「昨夜は少し降りさうだつたな||、その駒下駄は何處にあつたか、知つてるかい」
「えゝと、斯うでしたよ。左の方は脱いで、右の方ははいたまゝで||」
「脱いだ左の方は、何の邊にあつたか、知つてるだらうな」
「直ぐ死體の例の下水の
「もう一つ、綱吉は刄物を持つてたか、ゐなかつたか」
「腹卷に
「それに手を掛けた樣子はなかつたのか」
「匕首を拔く暇も無かつたんでせうね」
「餘つ程不意にやられたと見えるな||」
平次は、少し
「親分」
とガラツ八。
「待て/\、いよ/\現場へ行くのは無駄らしいよ、||ところで、お前はお常を知つてるかい」
「知らないこともありません」
「ぢやこれから、お常の茶屋へ出かけよう。案内を頼むよ」
「姐さんへ默つて行つて宜いんですか」
「馬鹿」
これも兩國の水茶屋に居たお靜は、此時もう平次の女房になつて居たのでした。
露月町の
友次郎を引立てゝ來たのを、一と責め當つて見ましたが、證據は一と通り揃つて居る
「綱吉を殺したのは
さう言ふ新三郎を見上げた、繩付きの顏には、唯あまり不意の出來事に對する、驚きの外には何の表情もありません。
「旦那、あつしは何にも存じません」
「昨夜は何處に居た。宵からの事を
「嘘も
「
「
「三島町の學寮の角を通つたか」
「へエ||、通りました」
「道順が違ひはしないか」
「實は神明前のお常の茶屋を、ほんのちよいと覗いて、あれから學寮の角を宇田川町へ出て露月町の家へ歸りました」
「何うしてお常の茶屋へ入らなかつたんだ。大層遠慮深いぢやないか」
「へエ||、中では綱吉が醉拂つて、お常にからかつてるやうでしたから、顏を出しちや惡いと思ひまして」
「さうぢやあるまい。お常と綱吉が
「と、飛んでもない」
辰五郎の驚きは、次第に深刻に恐怖と變つて、やがて三十過ぎの立派な顏が、恐ろしい苦惱に
「その時、お前は何か刄物を持つて居たか」
新三郎の問は次第に現實の問題に觸れて行きます。
「いえ、何にも持つちや居りません」
「
「あつしや眞面目な職人で、そんなものに用事は御座いません」
「
「仲間の參會へ商賣道具を持ち込むわけはありません。持物と言つては、紙入と手拭と、煙草入と、それつ切りで御座いました」
新三郎もハタと行詰りました。お常の茶屋を覗いたことも、綱吉がお常に巫山戯るのを見たことも、學寮の角を通つたことも、何の
「||」
新三郎は、友次郎を顧みて、そつと目くばせしました。名與力と呼ばれた笹野新三郎にしては、これ位のことで
「旦那樣、その野郎は容易のことぢや口を割りません。思ひ切り引つ叩いて見ませう。ちよいとあつしにお貸しなすつて」
友次郎は立上がりました。
「待て/\友次郎、何うも
新三郎は
「旦那、これを御覽下さいまし、平次の使で御座います」
と、ガラツ八の八五郎が飛込んで來ました。
「何だ、八五郎か、どれ/\」
八五郎の手から渡したのは一通の結び文、開く手に從つて、親三郎の顏には疑惑が深くなつて行きます。
「平次の野郎が、又つまらない横槍を入れて、辰五郎の繩を解いて歸せつて言ふので御座いませう」
と友次郎。
「いや、すつかり、あべこべだ。平次は、辰五郎を許しては困る、縛つたまゝで、もう少し
「へエ||」
あまり豫想外な話に、鬪爭心に燃える友次郎の顏も少しばかり寸が延びます。
一方錢形の平次は、其足で直ぐ神明の水茶屋へ行つて見ました。案内はガラツ八、何となくそぐはない空氣の中にも、商賣柄の
「綱吉兄哥が殺されたつてね、お前さんのところも飛んだ掛り合ひで迷惑だつたネ」
と平次、赤い
「有難う御座います。飛んだお手數をかけて相濟みませんが、綱吉親分が手前共の店を出たのは子刻少し前で、飛んだ好い機嫌で御座いましたが、まさか、あんな事にならうとは||」
今朝から同じ事を何遍も繰り返したらしい親仁は、神田で鳴らした御用聞の顏を見ると、
「
「へエ」
「久し振で神明樣へお詣りをして、近頃評判のお常坊の顏でも見ようと思つてネ」
「へエ/\左樣で御座いましたか、飛んでもないことをお聞かせいたしました。いえもう、私にしても、斯んな話は繰り返し度いわけぢや御座いません」
「さうだらうとも」
そんな話をして居るところへ、赤前垂に、型の如く
「いらつしやいまし、親分さん」
「お常坊、評判ほどあつて美しいことだね」
「あれ」
袖口を唇に當てゝ、恥らふ風情に顏を
「
「へエ、左樣で御座います。氣を付けるつもりでも、なか/\江戸言葉が使へません」
「そんな事を氣にする奴があるものか。上方言葉で押し通した方が、反つて愛嬌になるだらう。||ところで、家の者はこれつ切りかい」
「いえ、外に、これの兄が御座います。片輪者で
「おい」
花色の
「神田の錢形の親分さんだ」
と親仁。
「入らつしやいまし、毎度有難う存じます」
言葉少く挨拶する樣子は、恰好の怪奇なのには似ず、不思議に穩かで、人柄なところがあります。
大工の辰五郎は、其晩
友次郎はひどく氣を揉んで、綱吉に
「お隣の三公も
「手
「さう言ふ手前だつて、滿更の他人ぢやあるめえ」
「やり切れねえな、門並だ。此樣子だと、お常坊に氣のないのは、柴井町の友次郎親分だけ、つてことになりはしないか」
「さう言へば、近頃は錢形の親分が、お常に夢中なんだつてネ」
「へツ、うまくやつてやがらア」
「
「だが、錢形はちよいと好い男ぢやないか。
「止せやい、畜生ツ」
こんな噂が、彼方にも此方にも傳へられました。
錢形の平次は、全く何うしたと言ふのでせう。あれから毎日お常の茶屋に入り浸つて、
尤も、商賣柄とは言つても、平次は只の酒を飮むやうな男ではありません。綺麗に勘定をした上、付け屆けが行き亙るので、
最初のうちは、綱吉の一件もあり、岡つ引としての平次の身分を忘れ兼ねて、妙に遠慮もありましたが、やがて平次の人柄や、金の使ひ方にひかされるともなく、そんな事を忘れて了つて、心から歡迎するやうな心持になつて居りました。
驚いたのは、最初平次を引張り出したガラツ八と、平次の女房のお靜です。
「親分、近頃はどうなすつたんです」
たうとうガラツ八は堪り兼ねて切り出したのは、それから十日も經つてからの事でした。
「何がどうしたと言ふんだ」
「辰五郎兄いを助けるつもりで働いて下さるのは有難いが、何だか斯う、朝から晩までお常のところへ入り
「馬鹿野郎ツ」
「へエ||」
「お常の茶屋へ行けば何うしたんだ、間拔けな意見などをすると承知しないよ」
「へエ||」
これではまるで齒が立ちません。
「お靜、羽織を出しな。今日は泊つて來るかもわからないよ」
お靜は默つて立ち上がると、
まだ若い平次が、飮むのも遊ぶのも不思議はありませんが、水茶屋の評判娘のところに入り
||平次のことだから、今に何か掴んで來るだらう||と買ひ被つた人達も、次第に眉を
綱吉殺しの調べは一向進んだ樣子もなく、御用聞の友次郎も、與力の笹野新三郎も、全く五里霧中に
||平次はお常と夫婦約束をしたさうだ||
と言ふ噂がボツボツ聞えて來る有樣でした。
或晩||。
平次は相變らずの上機嫌で、
「親分、今からお歸りですか」
「なアに、一と飛びだ、心配するなつてことよ」
門口まで送つて出たお常の首つ玉にギユツと噛り付くと、
「あれツ」
「靜かにしろよ、お常坊」
娘の頬へ、酒臭い
闇の中に光る眼||。
平次はそれを感ずると、フツと離れて、
「お常坊、いゝかえ、綱吉殺しの
言ひ捨てゝ神明前の往來へ飛出しました。
三島町の角を、御成門の方へ、今の赤十字本社のある増上寺の學寮の前まで來ると、後ろからヒタヒタと跟けて來るらしい足音が聞えます。大抵の人には氣が付かなかつたでせうが、耳の良い平次には、手に取る如くそれが解ります。
後ろを振り返つて見ようかと言ふ、恐ろしい誘惑を感じますが、振り返つたら最後、一切の
平次は全身の毛穴を悉く耳にしたやうに、それでも至つて平靜な足取りで、學寮の前へ差しかゝりました。
後ろの足音は、十間、七間、五間、三間と迫つてハタと止つたやうです。
恐ろしい豫感||。
ハツと身を
「えいツ」
振り返つた平次の手からは、早くも一枚の錢が飛びました。得意の投げ錢が、曲者の何處かへ當つた樣子です。
二人は三四間
平次はそれを追つても無駄なことをよく知つて居ります。これほど巧妙な
學寮の
辰五郎は翌る日許されて歸りました。が、その代り、本當の下手人は、いよ/\解らないことになつて了ひました。
「八、お前の頼んだ事だけはやつたよ。辰五郎が許されさへすれば文句はあるまい」
「親分、何とも有難う御座いました。
「それは六づかしい。この上友次郎兄哥の顏を潰し度くもなし、それに、この下手人は一と通りの人間ぢやねえ。俺に任せてもらつても、突き留めるまでには半年かゝるだらう」
「へエ||」
平次はそれつ切りこの事件から手を引いて了ひました。
いや、詳しく言へば、引いたつもりになつたのは、ほんの一と月ばかりで、又息を吐く間もなく引張り出されて、恐ろしい
綱吉は殺され、平次は手を引いて、競爭相手のなくなつた辰五郎は、懲り性もなく
辰五郎の死は、柴井町の友次郎をすつかり逆上させて了ひました。お常親子を始め
幾十日目かで、錢形の平次がお常の茶屋を訪ねたときは、さすがの友次郎も、漸く持て餘し氣味で、芝愛宕下一圓の若い男が、追はれた
「お常坊、久し振りだな」
「あら、親分さん」
驚くお常の顏を見て、平次の方がどんなに驚いたかわかりません。暫らく逢はずに居るうちに、娘の美しい前齒が二本拔けて、
「どうしたんだ、お常坊、大層な變りやうだな」
「||」
お常は默つて顏を伏せました。
昔のお常の美しさを追ふ、若い男達は、お常の
事件は、併し、これからが本當の
柴井町の友次郎は、全く氣が違つたのではないかと思ふやうでした。多勢の子分を
その間に平次も、友次郎の氣を惡くさせない程度に、二三度お常の茶屋を覗きましたが、一回毎に、お常の
お常の眉は蟲に食はれたやうに半分消えて了つて、右の頬に大きなひつゝりが出來たと思ふと。その次に行つた時は、顏の色が妙に
「親分、お常が何だつて、あんなに見つともなくなるんでせう」
「さア||、これなら、俺が泊つて行つても、お靜やお前は安心するだらう」
「へツ、一言もねえ」
平次とガラツ八が、そんな事を言ひ乍ら引揚げたのは、お常の
それから幾日目かに、お常親子は神明の水茶屋を疊んで、それつ切り行方不明になつて了つたのです。
お常親子が行方不明になつた後も、不思議な狂暴な殺人鬼は暴れ廻りました。半月に一人、一と月に一人、
殺されたの大抵町人や遊び人でしたが、中には武家も交つて居りました。武術
笹野新三郎は到頭しびれを切らして、錢形の平次を呼び出しました。
「平次、芝の人突き騷ぎは、お前も知つての通りだ、此上放つて置くとお上の
いつもの調子で、折入つた頼みです。
「宜しう御座います、旦那、決して好い兒になつて居るつもりは御座いません。これでも半歳この方、八方に手を廻して
と平次。
「うむ、それは知らなかつた。ところで下手人の目星は?」
「漸く付きました」
「それは豪儀だ、誰だ一體」
「もう一日お待ち下さい。騷ぐと鳥が飛んで了ひます」
「さうか。頼むよ、平次」
「へエ||」
錢形の平次は、快く引受けて歸りましたが、惜しいことにたつた一日違ひで
翌る日の朝、平次とガラツ八が、芝、
「赤羽橋に又人突きがあつたとよ」
「それは大變、行つて見ろ」
そんな事を言ひ乍ら彌次馬の右往左往するのを見たのは、二人が丁度金杉橋へかゝつた時でした。赤羽橋まで一足飛に飛んで行くと、ツイ今しがた
「下手人が捕つたつて? それは本當ですかい」
近所の人に聞くと、
「殺されたのは
物好きさうなのが丁寧に教へてくれます。
「えツ、佝僂の男が殺されたつて? 菊治だ」
「親分は御存じで」
「ふゝ、さう言ふわけではないが||、ところで下手人と言ふのはどんな男です」
「男ぢやありません。お化けのやうな顏をした見つともない女で、その上頭から血を浴びて、二た眼とは見られなかつたさうですよ」
「えツ」
平次に取つては、何も彼も豫想外なことばかりです。
二人は柴井町の友次郎のところへ飛んで行かうとしましたが、何となく釋然とした心持になれないので、思ひ直して八丁堀の役宅に、笹野新三郎を訪ねました。
「旦那、今度は
「おゝ平次か、いゝ鹽梅に人突き騷ぎも片が付きさうだ。下手人は其場で捕まつたよ」
「それはお目出度う御座います。併し、女にしては手際が良過ぎるやうですから、もう少し、私に考へさして下さいませんか」
「何を考へるといふのだ」
と新三郎。
手柄を友次郎に奪はれて、さすがの平次も少し何うかしたのかとでも思ふ樣子で、凝と見詰める眼には、何となく
「全く私の念晴らしですが、菊治を突いた
「あつたよ、今度は、見事にあの
「えツ旦那、少々お待ち下さいまし。雙刄の刀は、背後ぢやなくて、今度は胸に突つ立つて居たんですか」
とせき込む平次。
「さうだよ、前と後ろの違ひはあるが、下手人に變りはあるまい」
「それで解つた||。濟みませんが旦那、私が行つては、友次郎兄哥の手柄にケチを付けるやうで惡う御座いますから、誰か人をやつて、その女を風呂で洗ひ出して見て下さいませんか、
「そんな事なら、人をやる迄もあるまい、俺が行つて指圖をしてやらう」
と新三郎。
「恐れ入りますが、さうして下されば申分はありません。女乞食を洗つた上で、何か變つたことがあつたら、私をお呼び下さいまし。此處で凝つとお待ちして居ります」
赤羽橋の
「あツ、お前はお常」
立ち會つた笹野新三郎はもとより、友次郎も全く二の句が繼げません。
早速平次が呼び出されました。
「こんな事だらうと思ひましたよ。私はお常の親父の善六の言葉にひどい
平次の話は奇怪を極めました。
「成程、そんな事もあるだらう。それにしても、妹に言ひ寄る男を一々殺すのは
と新三郎。
「それは、お常に聽いたら解りませう、||どうだお常坊、もう隱すまでもあるまい、皆な申上げる方が、お前の爲にも、
「||」
お常は默つて考へ込みました。有合せの單衣を着せられて見る影もない有樣ですが、何となく次第に美しさが
「どうだ、お常坊」
「ハイ、皆んな申上げます。あれは私の兄と申して居りますが、本當は
「さうだらう」
と平次。
「それぢや、お前の亭主だつたのか」
と横合から、今まで默つて居た友次郎が口を出します。
「いえ、行末は一緒にしたいと
お常は義理の兄の血を好む恐ろしい性格を思ひ出したやうに、ゾツと肩を
「お前に心を寄せる男を片つ端から殺したので、お前はそれが恐ろしさに、自分で前齒を二本缺いたり眼へ紅を差したり、頬へ
平次は斯う語り續けました。
「お前が見つともなくなるにつれて、首尾よく男は寄り付かなくなつたが、その代り菊治は人殺しの味をしめて、鬼のやうな心持になつたと言ふのだらう。今度は
斯う言ふ平次の調子には、少しの誇らしさもありません。
「||」
お常も、新三郎も友次郎も、この明察の前に
「お前と菊治が子供の時から一緒に育つたせゐが、赤の他人のくせに、不思議に
「いえ、違ひます」
「それを止めようとして、お前は血を浴びた||、そして、氣が遠くなつて了つたのだらう」
「いえ、それは違ひます、親分」
お常は躍起となつて
「旦那、お聞きの通りで御座います。菊治が死んで了へば、この人突き騷ぎも幕で御座いませう。お常坊は許してやつて下さいまし。神明で水茶屋を開くと、又此界隈の若い男が騷ぐから、
何も彼も呑込んだ平次の言葉に、お常も新三郎も、友次郎さへも、もう口を利きませんでした。いやもう一人、これは大きな口をあいて聽いて居るガラツ八があつたことを忘れてはなりません。
× × ×
「親分、お常が何か言はうとしたのを、無理に止めたのは、どういふわけです。
神田への歸り路、ガラツ八は平次に寄り添ふやうに斯んな事を言ひます。
「俺にも呑込めないよ」
と平次。
「菊治は自分で
「馬鹿野郎、餘計な事を言ふな。それより
ガラツ八の疑ひを一