「親分、子さらひが
「聞いたよ、憎いぢやないか」
錢形平次は苦い顏をしました。
「赤ん坊なら何處へ連れて行かれても、それつきり判らなくなるかも知れないが、
ガラツ八の八五郎も、時々は斯う言つた上等の智慧を出すこともあつたのです。
「だから俺は考へて居るのさ、相手の見當だけでも付かなきア、うつかり手は出せねえ、||だがな八、金や品物を盜られたのなら、働いて取返す
錢形平次も妙に感傷的でした
「女の子だけを浚ふなら解つて居るが、時々男の子を
八五郎はまだ首を
丁度その時、
「御免下さい、錢形の親分さんは
門口から年配の女の聲、平次の女房お靜は取次に出た樣子です。
「八、また
「どうしてそんな事が判るんで、親分」
「女が二人連で、こんなに早く御用聞の家へ來るのはよく/\の用事さ」
「へツ、當るも八
八五郎はガチヤガチヤをやる眞似をしました。
「金座の勘定役石井平四郎樣の御召使が二人でお出でになりました」
お靜が取次ぐのを待つて居たやうに、
「到頭俺の
「ハイ」
引返したお靜、間もなく二人の女を案内して來ました。
「始めてお目にかゝります。私は金座の役人石井平四郎の
挨拶をしたのは、四十二三の如何にも實直さうな女、その後ろに小さく控へたのは、十七八の大商人の召使らしい美しい娘です。
「平次は私で、||どんな御用でせう」
「大變な事が起りました」
「坊ちやんが
「えツ、ど、どうしてそれを」
「お前さんの顏に書いてある」
「えツ」
お霜の驚きは
「まア、そんな事はどうでもいゝ、||坊ちやんの見えなくなつた、前後の事を
平次の調子には、いろ/\の意味が
「かうなんですよ、親分さん、||昨夜
「手間は取らなかつたらうな、お春さん」
平次は乳母の
「いえ、ほんの煙草なら三服吸ふ間でした」
お春は、多い毛を重さうに、かう顏をふり仰ぎました。
申分なく美しい縹緻ですが、何となく弱々しいうちに、肉體とは
「そんな一寸の間に、何處へもいらつしやる筈は御座いません。それから大騷動をして、町中を搜しましたが、何處にも見當らず、奉公人や、御近所の衆や、お出入りの人達が八方に手をわけて、一と晩寢ずに搜しても
「||」
「若しや、神隱しにでも逢つたんぢやないかといふ方もありますが、神隱しなら三年五年經つて出て來ることもありますが、||あの、この節江戸中の騷ぎになつて居る、子さらひの[#「子さらひの」は底本では「子さらひの」]手に掛つたら、何うしませう」
お霜は大きく眼を開いて、ゴクリと
「大事なことを訊かなかつたが、坊ちやんは幾つで、名は何と言ひなさるんだ」
「七つで御座いますよ。勇太郎樣と仰しやつて、それは/\お可愛らしいお子さんで御座いますよ」
お霜は自分の子の事でも言ふやうに
「お霜さんは江戸に家があるんだらうね」
「へエ、
「お春さんは?」
「
「兎に角、やつて見るとしよう。子さらひも、長崎や
「へエ||」
平次とガラツ八は、お霜、お春の二人に案内されて、本町の石井平四郎の家まで行きました。
「錢形の親分、||飛んだ骨を折らせるが、
石井平四郎はさういつた男でした。金座の
「御存じの通り、日本の津々浦々で大騷ぎをして居る子さらひの仕業でしたら、容易にお請け合ひは出來ませんが、平次の繩張りへ來た以上は、何とか眼鼻だけは附ける積りです」
伜の命を助けるのまで、金づくで濟ませようといつた、成金根性が
「宜しく頼みますよ、錢形の」
平四郎はさすがに打ち
新造のお君は二十七八の美い女で、男女二人の母親とも見えぬ若さです。
「錢形の親分さん、お願ひです。勇太郎は
一生懸命に、平次の袖にも
「何分あの子さらひに逢つて、無事に歸つたのは一人もありません。出來るだけの事はやつて見ますが||」
平次の自信のなさ。お君はおろ/\して居りますが、錢形が見放すほどの事件を何處へも持つて行きやうはありません。
兎も角、奉公人に一應引合はせられ、お霜とお春の案内で家の裏表を見廻りましたが、餘程
「お前さんはその時何處に居なすつたんだ」
平次は責任者のお霜に問ひかけました。
「坊ちやんのお寢みの仕度をして居りました。お春さんの聲を聞いて、御新造樣と一緒にびつくりして飛出したやうなわけで||」
「その時、外の縁臺には誰も居なかつたんだね」
「誰か見て居たら間違ひはなかつたんでせうが、折惡しく誰も居なかつたさうです」
これでは手の付けやうがありません。外の奉公人や、近所の人にも當つて見ましたが、お春が花火を取りに家へ入つたのは知つて居ますが、勇太郎の
勇太郎のよく知つて居る者が、遠くから誘ひをかけて呼寄せたか、でなければ、煙のやうな姿のない曲者が、聲も立てさせず、反抗もさせずにそつとさらつて行つたと見る外はありません。
「まるで
ガラツ八の八五郎も酢つぱい顏をして見せました。
「八、此處ではこの上の手掛りはない。笹野の旦那にお願ひして、繩張り外だが、他の方を當つて見よう」
平次は其處から直ぐ數寄屋橋の南町奉行所へ廻り、子さらひの記録を一應見せて貰ひました。それに
平次は笹野新三郎に會つて、その了解を得た上、其足で直ぐ芝浦から品川へ廻りました。最初に子供をさらはれたのは、車町の酒屋で、お村といふ九つの娘、子柄の良いので評判だつたのが、去年の秋のある日、濱へ行つて遊んで居て行方不明になりました。その時は、大分爭つたものと見えて、其邊中散々荒した上、痛々しく血までこぼれて居たと近所の者が多勢言つて居ります。
次は田町の
三番目は芝口の
平次もガラツ八もこの曲者のやり口の
もう一つ變つて居るのは、あとの六人は町内の評判になるほどの綺麗な娘か、賢くて身體の逞ましい男の子に限られて居りますが、金座の石井の伜勇太郎だけは、
錢形平次一代のうちに、此時ほど大手柄を立てた事はありませんが、平次自身に言はせると、この時ほどの
兎に角、石井平四郎の伜と、他の六人の子供の行方不明の關係には、何かしら、重大な不一致點がありましたが、今更そんな事を
「泣きわめく子供を連れて、町の中を逃げるわけには行くまい。矢張り、船かな」
平次の最初の手掛りはこれでした。
それにしても、さらはれた子が、一人殘らず、かき消すやうに見えなくなるのは容易なことではありません。江戸の子を長崎へ連れて行つても、大阪の子を江戸へ連れて來ても、言葉遺ひだけでも直ぐ身許が
「
「馬鹿な」
ガラツ八の疑ひを一笑に附しましたが、物を理詰めに考へることの出來ない人達は、生膽傳説と結び付けて考へるのも無理のないことでした。
「近頃の
平次は妙な事を訊きます。
「解つて居るぢやありませんか、堺町の中村座に、吉原の繁昌||」
「そんなものぢやない」
「豆藏の人寄せに言ふ||うんすんカルタに
「それだよ、八」
「へエ||」
「うんすんカルタぢやいけない、オランダカルタがあつたら、一と組欲しいな。
平次はお靜を呼んで財布を出させると、中から小粒を一つ掴み、二三兩もあらうと思ふほどのへ、小判を二枚添へて、ガラツ八に渡しました。
「これだけありや、人參でも
「その人參や沈香の方も氣をつけてくれ、近頃は唐、
「心得たよ、親分」
「言ふ迄もないが、拔け荷や和蘭渡りの禁制品を扱ふ問屋を嗅ぎ出すのが第一だよ。金に糸目は付けねえ、それで足りなきア、
「へエ||、少し位なら、あつしも持つて居ますよ」
「大層な心掛けだな」
「男が敷居を
「七人||の間違ひだらう」
「一人位は多くたつて驚きやしません」
「いくら持つて居るんだ」
「小粒が一つ、四文錢が三枚」
「馬鹿だな」
「へツへツへツ」
ガラツ八は面白さうに笑つて出て行きました。
それから三日、石井平四郎夫妻はせつせとお春やお霜を使によこして、其後の樣子を訊ねますが、平次の方からは何の報告もありません。
なまじ金座などをうろついて、世間の耳目を
石井の家では、主人の平四郎よりも繼母のお君の方が氣を揉んで居るとお春は言ひますが、平次に言はせると、それよりも、勇太郎
「坊ちやまが無事で救ひ出されなければ、私は生きては居られません」
と勝氣らしいお春が泣くのを、平次はどれほど持て餘したことでせう。お霜の方はあまり
そのうち人さらひが又活躍を始めました。春から二た月ばかり休んで居ましたが、石井平四郎の伜を皮切りに、段々大川筋を
「親分、到頭手に入れましたぜ」
ガラツ八が飛んで來たのは、それから又二日も經つてからでした。
「
「それがいけねえ、うんすんカルタなら何處にもあるが、和蘭カルタとなると滅多にありません」
うんすんカルタは和蘭カルタ(トランプ)の禁制後それを模造した和製品で、平次には意味がありません。
「||」
「藥種屋か、唐物屋で訊くのが一番だと思つて、
「それは御苦勞だつた」
「あつしは御上の御用を勤める人間とは見えないでせう」
「さうともさうとも、そんな目出度い顏をした御用聞が居ようとは、どんな人だつて氣が付くめえ」
「からかつちやいけません」
「ところで何うした」
「長崎町の大野屋に
「呆れた野郎だ、手付を置いただけで身上が皆なになつたらう」
「和蘭カルタの事を切出すと、心當りがあるから、明日になつたらもう一度來て貰ひたい、今晩中には手に入れて置く、尤も禁制品だから、五兩より安くはむづかしいといふ話で、それは構はないが、明日又大野屋へ行くとなると、五兩の手付けを置いた品を皆な引取らなきやなりません、金高にして、ざつと七八十兩がものはありますぜ」
「心配するな、どうせ半分は拔け荷だ、俺が行つていゝやうにしてやる。ところで今晩は命がけの仕事をするんだが、附き合つてくれるかい、八」
「へツ、附き合つてくれるかい||は水臭いね、親分の前だが、
「豪儀だね、尤も、金に糸目をつけたくも、御同樣百も持つちや居めえ」
「ちげえねえ」
氣が揃つた二人、それから仕度をして、薄暗くなる頃から長崎町川口町一帶を張りました。
「親分、何にも來ませんね、もう
蒸暑い晩でした。八五郎はすつかり
「靜かにしろ、あツ、煙草入などを出しちやならねえ」
「驚いたね、どうも」
「手前は
「あツ、船」
「シツ、その船が怪しい」
二人は物蔭に隱れました。
「捕まへませうか、親分」
「逃しちや大變だ、||それ、大野屋の裏へ入つたらう。今に出てくるに決つて居るから、船の中に隱れて居よう」
「そんな事をしても構ひませんか」
「構はねえとも、どうせ拔け荷を積んだ船だ」
二人は
「隱れる工夫はないか、八」
「こんな小さい船ぢやどうすることも出來ませんや」
「弱つたなア、
「弱つたなア、||この
「お前入つてみるか」
「親分は?」
「
平次とガラ八が何うやら斯うやら身を隱した時、曲者二人は歸つて來ました。
「惡くねえ商賣だな吉、
「いゝとも、その代り一兩は口止めによこせ」
「まア仕方がねえ。ところで、この邊で江戸も切上げだらうな」
「こんな仕事の深入りはよくねえよ」
曲者二人、靜かに小舟を
それから半刻あまり。
小舟は越中島を廻つて、洲崎六萬坪の沖あたりまで來ました。
「親船は見えるかえ」
「灯がないから見當はつかねえが、此邊から遠くはねえと思ふよ」
「月が出たら判るだらう、ゆつくり漕げ」
「お、其處に居るぜ、聲を掛けて見ようか」
「どつこい、うつかり聲を出して、見張りの船にとがめられるとうるさいぜ」
曲者の話を聞いて、平次は
此處まで見定めて置けば、もう大丈夫です。
「||」
御用とも何とも言はず、ツイ鼻の先で
「ウーム」
一ぺんに目を廻した樣子。
「あツ、手前は何だ」
「靜かにしろ」
飛付いた平次。
「あツ、た、大變ツ」
何分
「親分、打たうか、縛らうか、それとも水へ投り込まうか」
ガラツ八は漸く
騷ぎは一瞬でをはりました。
二人の曲者を縛つて、一應八丁堀へ引返し、改めて笹野新三郎が出役、十數艘の小舟で怪しの船を圍み、命がけの働きで、乘組の船頭八人を生捕つたのは、もう眞夜中過ぎ、鐵砲を撃たれて、大分怪我人も拵へましたが、兎も角、大成功で御船手屋敷まで引いて來たのは
調べて見ると、これが、今の南支那、臺灣から日本の沿海を荒し廻つた、拔け荷(密輸入)扱ひの一味で、
内地で人身賣買をしない爲に、容易に
十人の曲者は、散々責め問はれましたが、本町や吹屋町は、船からの足場が惡いから、人さらひに行つた覺えはないと言ひ張るのです。
命はどうせないものと覺悟した惡者共の言ふことですから、この言葉に嘘があらうとも思はれません。
拔け荷さばきと人さらひの、江戸開府以來といふ惡者の團體は擧げましたが、たつた一人の勇太郎を救ふことが出來なかつたのは、錢形平次何としても我慢がなりません。
「八、弱つたなア、石井の伜は一體どうした事だらう」
「親分、
大手柄に
「親分、大變なことになりましたぜ」
「何だ八、||近頃大變なこと續きで、滅多な事ぢや驚かないが||」
平次は苦笑ひしました。何となく氣の
錢形平次の手柄は、いやが上にも評判になつて、うつかり外へ出ても、人に顏を見られるやうな此頃ですが、平次に取つては、それがまた、たまらない
頼まれもしない十何人の少年少女は救ひましたが、あんなに頼まれた、たつた一人の少年を救ふことが出來ないのは、何といふ意地の惡い廻り合せでせう。
「冗談ぢやねえ、親分、お春が死にましたぜ」
「お春?」
「金座役人の石井のお小間使さ、||坊ちやんがさらはれたのは私のせゐだし、他の子が助けられた中に、坊ちやん一人だけ見付からないやうでは、申譯がなくて生きちや居られないといふ
「それは氣の毒だ、勝氣な娘のやうだつたから無理もないが、さう言はれると、何だか俺が殺したやうな氣がしてならねえ」
「親分、冗談ぢやありませんよ」
「兎に角、石井へ行つて見ようか」
二人は其儘本町の石井平四郎の家へ行きました。十日目位の訪問です。
死んだお春は人氣者だつたので、家中が何となく
「あ、早まつてくれた」
平次はその前に坐つて暫らく
「親分さん、ちよいと」
新造のお君が平次を呼びます。
「飛んだ事で、御新造||」
「お春は可哀想ですが、この儘にして置くと、乳母のお霜も生きて居ないかもわかりません。お霜に萬一の事があると、勇太郎の
お君は日頃から愼み深い、冷たい女でしたが、さすがに夫や世間の
「そんな事をなすつちやいけません、坊ちやんが生きてさへ居るものなら、どんな事をしても搜して上げますよ」
平次も斯う言ふのが精一杯でした。
「生きて居ることは確かで御座います」
「と言ふと?」
「
お君が取出したのは、鼻紙一枚へ、灰を
「坊ちやんは無事だ、此上とも殺させ度くなかつたら、十兩よこせ。金は裏口の右土臺下の穴へ入れて置くがよい、その上で折を見て子供は返す。誰にも言ふな、言ふと子供の命はないぞ」
とこんな意味の事が書いてあるのです。「金はどうしました」
「昨夜土臺下へ入れて置きましたが、今朝見ると、無くなつて居ます」
「誰かに見張らせたんでせうね」
「いえ、そんな事をすると、坊やの命が
「成程、心配は御尤もだが、惜しい事をしたものだ、||いや、たつた十兩欲しいと言つたのが面白いな、何うかすると、もう一度百兩とか二百兩とか
「さうでせうか」
「その時は御新造」
平次は何やらお君の耳に囁いて歸りました。
翌る日、錢形平次がガラツ八の前に
「八、ちよいと字を書いて見る氣はないか」
「からかつちやいけません。親分、字を書かされるやうな惡事をした覺えはありませんよ」
八五郎はすつかりお
「まア、さう言ふな、手紙一本書くだけだ。ちよいとやつてくれ」
「親分が書きアいゝでせう」
「俺の字ぢや
鼻紙を一枚、念入りに
「親分、勘辨して下さい。字を書く位なら、どんな使でもしますよ」
「馬鹿、使ひ走りのきかないところだ、それも上手が書いちや役に立たねえ、思ひ切り下手な字でねえと||」
「下手な字が入用なんで、あつしに書けと言ふんですかい」
「早く言へばその通りだ、腹を立てるな八、江戸ツ子は手習の事や金の事で腹を立てちや見つともないよ」
「呆れたもんだ、書きますよ、何と書きや、いゝんで」
「斯うだ||十兩はたしかに受取つた、もう百兩要るから、前の場所へ入れて置け、見張りを付けると、子供の命はねえぞ||とそれだけでいゝ」
「驚いたね、親分、こんな手紙をどうするんで」
「
錢形平次は手輕に言ひがすが、ガラツ八の方が驚きました。
「そんな事をしていゝんですか、親分」
「いゝてえことよ、誰も八五郎を
「||」
ガラツ八は默つて立上がりました。
「まだ早いよ、陽の當つてるうちはいけねえ、暗くなつたらやつてくれ」
「へエ」
平次の言ひ付けは善惡共に默つて聽くガラツ八ですが、此
が、何うやらかうやら、それも無事に濟みました。
翌る日の朝。
「錢形の親分さんは此方で||」
石井平四郎の女房お君は、召使も連れず、たつた一人で神田の平次を訪ねて來たのです。
「おや、御新造、こんなに早く、何か變つたことがありましたか」
平次はお靜とガラツ八を眼で遠慮させて、お君を奧へ通しました。
「來ましたよ、親分」
「へエ」
「矢張り親分の仰しやつた通り、百兩出せと言つて手紙が來ましたよ、少し
「さうでせう、隨分念入りに拙い字でせう」
平次は場所柄にも似ず、
「それから主人と相談して、裏口の土臺石の下へ百兩入れました、||一日も早く子供を返して下さるやうに、此上
「構やしません、で、見張りは?」
「矢張り付けませんでした」
「手引か仲間が家の中に居るから、見張りを付けても何にもなりませんよ、金を遠方へ持出させずに、裏口の土臺下へ置かせたのは、曲者の喰へないところで||」
平次はそんな事を言つて居ります。始めは見張りを付けなかつたのを惜しがりましたが、家の中の者が仲間で、一と晩中でも
「その代り、小判には、
「||」
「改め役へ差上げて
「それはうまい、||そんな都合のいゝ事があるとは知らないから、私は一枚々々へ目印を付けるやうにとお願ひしました」
それも平次の
「御免下さい、親分さんはおいででせうか」
入口にはもう一人の女客、その聲を聞くと平次は、大急ぎでお君を隣りの一室へ押しやりました。
「親分さん、面目次第も御座いません」
入つて來たのは
「どうした、お霜さん、お前さんは惡人ぢやない、が、何だつて、あんな大それた事をやつたんだ」
「親分さん、御存じで」
「知らなくつて何うするものか、||子供を隱して置いた場所が判らないんで、今まで苦勞して居たんだよ||大根畑には、もうお前の元の亭主の文七は居ないぜ」
平次は本當に何も彼も知つて居る樣子でした。お霜は、唯もう恐れ入つて頭も上りません。
「親分さん、兎に角、あれをお返し申します。別れた亭主の文七ですがこんな惡事を重ねさせたくもありません。二度目の百兩は
お霜は
「そんな事が出來るなら心配はしないよ。俺はたゞ、坊ちやんが危ないから手が出せなかつたんだ、何處に隱してゐる」
「
「さうか、そいつは知らなかつた。練馬の兄は何といふ名前だ」
「文左衞門といふ百姓で、私の元の亭主に似ず
「八、飛んで行つて、文七と石井の坊ちやんを連れて來い。
「へエ||」
ガラツ八は眞つ直ぐに飛んで行つた樣子です。
「ところで乳母さん、何だつてあんな罪の深いことをしたんだ。石井の旦那、御新造の歎きも
平次の調子はしんみりして居りました。
「お春さんは可哀想なことをしました。あの時皆な申上げようと思ひましたが、文七が慾に目がくれて、十兩ほしいなんて言つて來たもんで、到頭言ひそびれて居ると、今度は又大それた、百兩と吹かけて來るぢやありませんか。私はもう居ても立つても居られなくなつて、此處へ飛んで參りました。
「
「
「フーム」
「旦那樣はお役所のお仕事が忙しくて、朝も晩もろくに子供衆の顏も見ないやうな有樣。ことに
お霜は涙を拭いて居ります。
「で、どうしたのだ」
「去年から子さらひが流行つて、諸方の親達がどんなに心配した事でせう。私も品川に子供をさらはれた
「||」
何といふ無茶苦茶な愛情でせう。平次はこの
「三年前、意氣地がなくて別れた亭主の文七が、又一緒になりたがつて居るのを頼んで、ほんの二三日坊ちやまを隱して貰ふつもりだつたので御座います。文七はよく坊ちやまを存じて居りますし、坊ちやまも文七ならなついてゐらつしやいます。二三日狙つて、凉み臺からさらはせた迄は無事でしたが、あんまり詮議が
「||」
隣室の二疊でシクシクと泣く聲、お君は身につまされたのでせう。
「私一人惡者にして、八方を圓く納めて下さいまし。亭主の文七も別れて了へば赤の他人ですが、私ともう一度一緒になりたさに片棒をかつぎ、貧の苦しさに十兩取る氣になつたのでせう、||百兩と二度目の
「||」
斯うなると、百兩の細工を平次の
「どうぞ、私を縛つて、文七は許してやつて下さいまし。私は
身も浮くばかりに泣き沈むお霜を、平次も持て餘して眺めるばかりでした。
「霜や、霜や、お前は、お前は」
二疊から轉げるやうにお君。
「あ、御新造樣、面目次第も御座いません」
× × ×
ガラツ八が勇太郎をつれて歸つたのは、それから一
間もなく、石井平四郎は金座役人を止して、子供三人の良い父になり、自殺したお春の家族には、存分な手當をしてやりました。
お霜は