理由はいろ/\ありますが、その第一番に擧げられるのは、染五郎は跡取には相違ないにしても、六兵衞の本當の子ではなく、
丸屋六兵衞のしたことは、その頃の社會通念から言へば、一々
二人は併し、
染五郎は早速窓の
「あ、お絹」
染五郎は思はず乘り出しました。
「若旦那、お樂しみですね」
さう言ふ渡し守の
その中にたつた二人、染五郎とお絹の割かれた仲に同情してくれる者がありました。一人は
「若旦那」
「あ、お半か」
染五郎は不意に
「可哀想に、お絹さんが合圖をして居ますね」
「||」
お半は何も彼も知つて居たのです。
「呼んでおあげなさいよ、若旦那。||これつ切り別れ話になると、お絹さんは生きちや居ませんよ」
お半はホロリとするのです。小意氣ではあるが、自分の
「どうすれば宜いのだ、お半」
「
「合圖」
「赤い
「えツ」
「私が知らないと思つてゐらつしやるの、若旦那。||長い間見せつけられたんですもの、どんな事でも見通しよ。ホ、ホ」
お半は少し
「?」
「若旦那の方から行かれないんだから、今度はお絹さんが通ふ番ぢやありませんか。合圖をして御覽なさいよ。||
くる/\と解いたお半の扱帶、同じ
川を隔てて、それを見たお絹は、どんな轉倒した心持になつたことでせう。此時福井屋の二階のほのめく物の影は、
その翌る朝、丸屋六兵衞の死體は、店と土藏の間、ろくな陽の當らない、ジメジメした路地の中に發見されました。
「わーツ、た、大變ツ」
張りあげたのは小僧の留吉です。
「何んだ/\」
飛出した多勢の中には、番頭の宗助も、掛り人のお半も、下女のお角も、手代の竹松も居りました。
傷は
其處に集まつた人數は、互に顏を見合はせるばかり、暫くはどうして宜いのか見當も付きません。
「旦那樣」
番頭の宗助は、兎も角主人の死體を抱き起しましたが、そんな事をしたところで、呼び生けられるわけでもなく、唯恐ろしい沈默を破つて、自分の息づまる心持を
「何んだ/\」
木戸の外から聲を掛けたのは、庭下駄をつゝかけて、
「あ、石卷さん、主人が||」
宗助は助け舟が欲しさうに乘出しました。
「これは大變。||だが、そんなに荒しちや後が困る、無暗に
さすがに浪人者の左陣は落着いて居ります。
「藏の二階ですよ」
お半は
「そいつは一番先に出さなきや。||
一人は外科へ、一人は町役人へ、一人は土藏の扉を開けて若旦那の染五郎を出す爲、左陣は
間もなく飛んで來た外科は、一と眼に
「おや、八五郎親分」
道樂者の石卷左陣は、こんな調子で迎へました。
「大變なことになりましたね、石卷さん」
「後ろからやられてゐるんだから殺しには違ひない。八五郎親分の良い手柄になるぜ」
左陣はそんな事を言ひ乍ら、色々の事を説明してくれるのでした。
丸屋の六兵衞と伜染五郎の關係、嫁のお絹を里へ歸して染五郎は今朝まで現に土藏の二階に押込められてゐた事、丸屋の主人は
「盜られた物は無かつたのかな、番頭さん」
「へエ、何んにも盜られた樣子はございません。主人は金のことはまことに
ガラツ八の問ひに對して、宗助はもみ手をし
「この木戸は開いてゐたのかな」
ガラツ八は路地から
「開いて居ましたよ」
死骸を見付けた小僧の留吉です。
「多勢で踏み荒しちや何んにもならないから、此處へは人を寄せ付けないやうにしたんだが||」
さう言ひながら左陣は
「此處はあまり人が通らないのか」
「滅多に通りません。暗くて陰氣で、何時でもジメジメして居りますから」
番頭の宗助は
「お、あれはどうした?」
ガラツ八は土藏の二階窓をふり仰ぎました。其處からは赤い鹿の子絞りの
「へツ、氣が付きましたかえ、親分。あいつは合圖なんで」
小僧の留吉が應じます。
「合圖?」
「若旦那が、新茅場町の福井屋に歸つて居る、御新造への合圖を送つたんで。へツ」
「お默りツ」
お半は
「痛いぢやないか、お半さん」
「お前は本當におしやべりだよ。子供はそんな事を言ふもんぢやない」
「チエツ」
「いや、言つて
ガラツ八の八五郎はあわてて口を入れました。
「親分さん、小僧の言ふことなどを
お半は必死の調子でその場を
「親分、大手柄ですよ」
その晩ガラツ八の八五郎は、鳴物入りで平次の家へ飛込みました。
「何んだ騷々しい、一番槍一番首と言つたやうな手柄かい」
錢形の平次は夕飯の膳を押しやつて胸一杯の凉風を
「冷かしちやいけません。||小網町の丸屋殺しの下手人を、たつた半日で擧げたのは大したことでせう」
「成程そいつは手柄だが、||誰が一體下手人だつたんだ。
「伜染五郎との仲を割かれた、嫁のお絹といふのが下手人ですよ。この春祝言したばかり、二十歳といふにしては初々しくて、
「成程そいつは
「まるで白木屋お駒か、八百屋お七を縛るやうでしたよ。骨細で、
「そんな
「だつて、
「それほど動かない證據があつたのか」
「證據はあり過ぎる位で、||第一、染五郎と割かれて、うんと
「フーム」
「川の向うから合圖をして、昨夜染五郎に逢ひに來て居る。||土藏に閉ぢ籠められた染五郎は、ノコノコ出かけるわけには行かないから女の方が通つたことは、小僧の留吉も、
「||」
「木戸を開けて入つて、
「それから」
「刄物は短刀で、川をさらはせると、わけもなく出て來ましたよ。こいつはお絹の嫁入道具の一つだ」
「その短刀は何處にあつたんだ」
「木戸のすぐ外、土藏の下のところに投り込んでありましたよ。
「お絹は渡し舟で來たのか」
「いえ、人に顏を見られるのが嫌だから、江戸橋を廻つて來たんだ相で、これは本人が言ふんだから間違ひはありません。
「成程、證據はそろつて居るな」
平次は何にか
「でせう、親分」
「少し揃ひ過ぎてゐるよ」
「?」
「木戸の中の足跡は
「へエ||」
「亂れては居なかつたのか」
「へエ」
「人を殺した若い女が、お
「?」
「親爺橋、江戸橋、海賊橋と廻つて歸るなら、血の附いた短刀だつてわざ/\木戸の外へ捨てるに及ぶまいよ。傷口と短刀の合はないのも變だ」
「||」
「嫁の道具はまだ返してゐない筈だ。その荷物の中から、わざ/\自分の短刀を持出して、
「?」
斯う平次に疊み込んで來られると、折角ガラツ八の
「證據が揃ひ過ぎるよ、八」
「||」
「他に怪しい奴は無いのか」
「ありませんよ。番頭の宗助は子飼ひの忠義者だし、手代の竹松は宗助と枕を並べて寢て居るし、あとは通ひの職人ばかり」
「それから」
「
「そいつは幾つだ」
「二十二三でせうね、嫁の口を
「それつ切りか」
「あとは小僧の留吉と、店子の浪人石卷左陣と||」
「その敵役見たいな浪人は何んだい」
「丸屋の袋物の内職をさせて貰つて、ちよい/\當らない
「||」
「路地の足跡や、川の中の短刀は皆んなその浪人が見付けてくれました。見掛けによらない才智者で、うんと
「岡つ引も兵法の心得が要るやうになつたのかな」
平次はそんな事を言ひ乍ら、何やら深々と考へ込んでしまひました。
「親分、大變ツ」
翌る朝、ガラツ八の大變が鳴り込んで來ました。
「何が大變なんだ、相變らず御町内の子供衆を皆んな蟲持にするぜ、少しはたしなめ」
「落着いてゐちやいけませんよ、親分。三輪の萬七親分が乘出して、小網町を小半日せゝつて居ると思つたら、何に目星をつけたか、お半を縛つて行きましたぜ」
「何? 三輪の親分がお半を縛つた?」
「だからあわてもするぢやありませんか、ね親分。何んとかして下さいよ」
「お絹を縛るより
「親分までそんな事を言つて居ちや、あつしは
「お前の
「有難てえ、さう來なくちや」
錢形平次は到頭八五郎に引つ張り出されました。
「お前の面を丸潰れにするでもあるまいと思ふから出かけるんだが、別に下手人の當てがあるわけぢやないよ」
「でも、親分が乘出して下されば、何んとか眼鼻が付きますよ」
ガラツ八にしては、平次が顏を出しさへすれば、自分の不面目が救はれるやうな氣になつて居るのでした。小網町の丸屋に行つて、現場の樣子も見、染五郎以下の者にも會ひました。が、ガラツ八が報告してくれた外には、何んの新しい發見もありません。
「土藏の
「店にありますから誰でも持出せます。若旦那を
番頭の宗助は實直らしい額を撫でるのです。
「その晩若旦那は誰と/\逢つたんだ」
平次の問ひは染五郎に向けられました。
「お半に二度、お絹に一度逢ひました」
「お絹さんが來た時刻と、歸つた時刻は?」
「
染五郎は
「その後では?」
「お半が來て床を敷いてくれました。それつ切りです」
「お半は主人を怨んでは居なかつたのかな」
「そんな事はありません。
染五郎の言葉には、何んの陰影も無かつたのです。
それからもう一度番頭に會つて、帳面のことを訊くと、
「こんな事は無い筈ですが、よく調べて見ると、旦那のお手許に差上げた金のうちから、二三百兩不足して居ります。金箱も
宗助は
「親分」
宗助の後姿を見送つて、ガラツ八はそつと耳打をします。
「あの番頭が怪しいといふのか。||そんな事は無いよ。自分さへ默つて居れば、誰も氣の付く筈の無い金の不足のことを言ふんだもの。日本一の正直者さ」
外へ出て見ると、店と
「覗いて見ませうか、親分」
ガラツ八が
「お、これは/\錢形の親分」
左陣は内職の袋物を押しやつて、秋の陽ざしの中に顏を出しました。これで武藝學問の心掛があつたら、三百石にも
「石卷の旦那ですか、飛んだお邪魔をします」
「何んの、
「一向眼鼻が付きません。いづれこの八五郎の縛つたお絹か、三輪の親分の縛つたお半が、どつちかが下手人でせう。旦那のお考へはどうです」
「そいつは判らないね。||だが、お絹さんは下手人にしては綺麗過ぎるよ、ハツハツハツ。そんな事を言つたら、
「成程ね」
平次は早くも見破つたことですが、左陣の話を聽くと、平次は今更らしく神妙に感心して見せるのでした。
「だが、お半も氣の良い女だ。恩人を殺す筈も無いやうに思ふが||」
石卷左陣は内職の
番屋へ行つて見ると、お半はすつかり
「お、錢形の、御苦勞だね」
「三輪の親分、八の野郎が飛んだ
平次はひどく下手に出ました。
「しぶとい女でね、判り切つたことをまだ白状しねえのさ。お絹の嫁入道具の中から、短刀を持出せるのは、奉公人ぢやあるまいから、まづお半に決つたやうなものだ。それに、あの晩おそくお絹が歸つてから、土藏の中へ行つて染五郎に逢つたお半は、ひどくソハソハして居た相だよ。よく調べて見ると、その晩着てゐた
三輪の萬七は得意さうでした。
「成程さう聽けば疑ひは無いが、ちよいとその短刀を見せてくれ||
「拭くものか、汐水の
「それにしちや血の跡も無いぜ」
「拭いたんだらう」
「いや、鞘に入れて捨てる短刀を、わざ/\拭く筈は無い。||拭いても
「||」
「お半。||お前は言ひ
平次は短刀を元の場所に置くと、靜かにお半の方を振返るのでした。
「||」
「お前は主人殺しの罪を引受けて、
平次は
「親分さん、私が惡う御座いました」
お半は堅い表情が崩れると、いきなりヒステリツクに泣き出したのです。
「よい/\本當の
「親分」
「八、お前は氣の毒だが、石卷左陣さんを呼んで來てくれ。短刀を
「へエー」
平次の言葉の意味を
第一番に上がりかまち、下駄箱、落しと手早く覗いて、女下駄の古いのを一足見付けると、その底に附いた新しい土を爪で
「無い」
暫らくすると、平次はがつかりして外へ飛出しました。
「これは何んだ」
石卷左陣はサツと顏色を變へました。
「氣の毒だが、少し見せて貰ひましたよ」
平次はニヤニヤして居ります。
「これでも二本差しだぞ、留守中に入つて濟むと思ふか」
左陣は

「こんなものを見付けましたよ、石卷さん」
「その下駄が何うした」
「丸屋の木戸の中にあつた足跡にピタリと合ひますよ」
「女子供の下駄は
石卷左陣は日頃の穩和さを失つて、怒氣を
「血染の脇差と、||もう一と品。||金の包みを
「そんな物はあるまい」
左陣はニヤリとしました。が、その眼は
「判つた、八。その下水の中を見ろ、石を起すんだ。俺はこの野郎と
「何を無禮」
「御用だぞツ」
平次はパツと石卷左陣に飛びかゝつたのです。
この捕物は、平次にしては思ひの外樂でした。
「親分、この通りだ」
「八、お前の顏も立つたぞ」
「有難てえ」
× × ×
お絹もお半も許され、お絹は間もなく丸屋に戻つて、染五郎と
石卷左陣は丸尾六兵衞殺しの罪状が明かになつて、死罪になつたことは言ふまでもありません。その罪状といふのは、丸屋六兵衞に後添を世話すると持込み、その仕度金を三百兩受取つて、急に金が欲しくなり、世間體を
「不思議ぢやありませんか。ね、親分。あの川の中から見付けた、お絹の短刀はどうしたことでせう」
一件落着してから、ガラツ八が最後の疑ひを平次に持出すのも無理のないことでした。
「あれは俺にも判らなかつたよ。
「へーエ?」
「お半は根が惡い女ぢやあるまい。自分が見つともないのを百も承知で、染五郎とお絹の間を取持ち、二人を一緒にしてやつた位だもの。でも、矢張り女だ。子供の時から一緒に育つた染五郎をお絹に取られて、
「へエ||つまらねえ女ですね」
ガラツ八にはその微妙な心持がわかりません。
「あの晩路地の中で主人の六兵衞が殺されてゐるのを見ると、これがお絹のせゐだつたら、自分のところへ染五郎が轉げ込まないものでもあるまいと思つたのさ。お絹の短刀を持出して、一度は死骸の側に捨てるつもりだつたが、それもあんまり氣がとがめるので、路地の中から木戸を越して川へ投り込んでしまつた」
「それは本當ですかえ」
「お半に聽いたわけではないが、多分その通りだらうと思ふ。||だから、下手人の疑ひは晴れたが、お半はその日のうちに房州の遠い親類のところへ行つてしまつた。二度と丸屋へ歸つて、夫婦の睦じいところを見る氣はあるまい」
「へーエ。
「あんなことさへしなきや、一生善人で通る女さ。フトした心の迷ひだ。あんまりほじくり出すのも可哀想だから、俺は知らん顏をして逃がしてしまつたよ。
相變らず平次は、さう言つた男だつたのです。が、ガラ八に取つては、この