「親分ちよいと||」
ガラツ八の八五郎は、膝つ小僧で歩くやうに、平次のとぐろを卷いてゐる六疊へ入つて來ました。
「なんだ八、また、お客樣をつれて來たんだらう。今度は何んだえ、若い人のやうだが||」
「どうしてそんなことが判るんで? 親分」
「お前の顏にさう書いてあるぢやないか」
「へエ||」
ガラツ八は平手で長んがい顏をブルブルンと撫で廻すのです。
「平手で面を掻き廻したつて、人相が變るものか。馬鹿だなア」
「へエー、そんなもんですかねエ」
「庭へ長い影法師が射して、折角明神樣の森から來た、
「成程ね、さう聽くと一向
ガラツ八は表の方へ身體をねぢ曲げて、門に立つてゐる人を呼込むのでした。
「それぢや親分さんは逢つて下さるでせうか」
「逢ふも逢はねエもあるものか、俺が承知だ。眞つ直ぐに入つて來るがいゝ。ねえ親分、これが
ガラツ八は平次の引込み思案にものを言はせないやうに、外に待たした客を呼込むと、萬事心得て平次の前へ押しやるのです。
近頃江戸中に響いた平次の名を慕つて、
紛失物を嗅ぎ廻したり、女出入りの仲裁までさせられるのは、平次にしても、有難くはありません。が、どうかするとその
「八、何んだか知らねエが、ひどく心得てゐるぢやないか。それほど
平次は少し苦りきります。
「それが、あつしぢやどうしても解らないんで、||一と月も前から首を
八五郎の話は相變らず空つとぼけたやうな、そのくせ精一杯の眞劍味がありました。
「親分さん、お願ひでございます。私はもう心配で/\、一日もヂツとしてはゐられません。お願ひでございます」
八五郎のつれて來た、本銀町淺田屋の番頭幸吉といふ二十三四の若い男は、疊の上に兩手を突くのでした。
小柄で、色が淺黒くて、あまり良い男振りではありませんが、突き詰めた樣子や、一生懸命な眼の色に、何にか妥協の出來ない正直さを見ると、
「お前さんは、餘つ程思ひ詰めてゐるやうだが、一體どんなことがあつたんだ。ことと次第ぢや、隨分相談相手位になつてあげよう」
平次もツイ膝を
「外ぢやございません。去年の春あたりから、不思議な手紙が主人のところへ參るのでございます」
「不思議な手紙といふと?」
「何んにも書いてない、白紙の手紙でございます」
「?」
「最初の手紙が來たときは、主人も大笑ひに笑つて、||こいつは日本一のあわて者だらう||と申して私共店のものにも見せましたが、二本目は默つて私に渡し、三本目は誰にも見せないやうに御自分の部屋へ持つて入り、四本目は||」
「一體その白紙の手紙といふのは、何本來たんだ」
「丁度一年前から、毎月一本づつ、十一本も參りました」
「||」
平次は默つてしまひました。
「十二本目は多分今日||遲くも晩までには來ることでせう。||白紙の手紙なんか何が怖いと仰しやるかも知れませんが、文句を書いた手紙なら、こんなに心配はいたしません。
幸吉はゴクリと
「その手紙の來る日は決つてゐるんだね」
平次はさすがに大事なところに氣が付きました。
「月の十七日、二年前、先代徳兵衞樣の[#「先代徳兵衞樣の」はママ]亡くなつた日で御座います」
「誰が持つて來るんだ」
「最初は使ひ屋でございました。
「なかの使ひ屋は、筋の良い手紙は滅多に持つて歩かないから、それくらゐのことはどこへ行つても言ふよ。||その使ひ屋をつかまへて訊くと、頼んだ人が判るわけだが||」
と平次。
「ところが、此方でさう氣の付いた時は、もう使ひ屋は來ません。何時、誰の
「フム」
「白紙の手紙が一本づつ多くなると、店中は次第に暗くなります。
「主人がどうかしたのか」
「二た月ばかり前から病人同樣で、この四五日はお氣の毒なくらゐ
若い番頭の幸吉は、言ひ了つてそつと
「その手紙は中は白紙でも、
平次はツイそんな細かいことまで訊く氣になつてをりました。
「一向に覺えは御座いません。なか/\の達筆で、一本々々判で押したやうに、同じ文字で御座いますが」
「男文字だらうな」
「へエ」
「紙や封筒は?」
「世間並の
「一つ見本があるといゝが」
「一本だけ私がしまつて置いたのを、念のために持つて參りました。これでございます」
幸吉の差出したのを見ると、成程何んの變哲もない白い半切と白い封筒で、本銀町淺田屋徳次郎殿と書いた文字も一向特色のないお帳面文字です。
「ところで、淺田屋には、この二三年の間に、變つたことがなかつたのかな。||變な噂を聽いたやうにも思ふが||」
平次の
「明けて一昨年の春、妙なことが御座いましたが」
淺田屋の
諸大名の御金御用達を勤めて、江戸で五本の指に折られる大分限の淺田屋にも、思ひも寄らぬ災難が見舞ひました。それは、日頃御出入りの大名、||飛騨高山の城主、三万八千石金森出雲守樣の御寶物、御祖先が太閤樣から拜領して、千利休の掛物まで添へてある、
それは今から丁度二年前、銘を書いた桐の二重箱も、
曾て金三千枚で所望された、とか、城一つと引換へに懇望されたとも言はれる大名物の曙井戸。それが唯なくなつたでは、金森家が承知する筈もなく、主人總兵衞は二年前の二月十七日、町人ながら腹掻き切つて見事な最後を遂げ、茶碗を預つた一番番頭の利八郎は首を
後を繼いだのは今の主人
その悲運の中へ、騷ぎがあつて一年ほど經つた去年の二月十七日||腹を切つた先代の主人總兵衞の一周忌に當る日から、白紙の
「一字一句も書かない白紙の手紙||世の中にこんな恐しいものはございません。主人も近頃は
幸吉は語り了つてホツと息をつくのです。一年に亙つて附け廻した白紙の脅迫状には、若い幸吉まですつかり憑かれてゐる樣子でした。
「それだけのことぢや俺にもどうしていゝかわからない。斬つたとか張つたとか言ふなら、行つて見る
「親分、どうしたものでございませう」
「店の者はそれつきりかえ」
「鶴吉といふ小僧がをります。十三になつたばかりで」
「家の者は?」
「お孃さんの幾代さん、||これは先代の旦那樣のひと粒種で、十八でございます」
何んとか小町と言はれた美しい娘。その名を言ふだけでも、幸吉の頬が熱するのです。
「奉公人は?」
「下女が二人、お山といふのは三十五六の房州者の飯炊きで、五六年奉公してをります。お道といふのは二十四五で、身體が少し惡くて嫁の口を諦めたとかで、三年ほど前から奉公してをります。亡くなつた一番番頭の口入れで」
「病氣でもあるのかい」
「いえ、少し
「それつきりか」
「へエー」
「外の者で、淺田屋を怨んでゐる者はないのか」
「先代の時なら兎も角、近頃商賣の方も至つて手狹ですし、御主人は氣が大きくて附合ひの良い方ですから、怨まれるわけも御座いません」
「それだけのことぢや手の付けやうはあるまいよ。まア/\氣を大きくして、もう少し樣子を見るんだな。十二本目の手紙が來たら、それを破つたり捨てたりしないやうに、できるなら主人に見せずにそつとこゝへ持つて來るがいゝ」
「へエ、それでは何分宜しくお願ひ申します」
こんなことで、何んの要領も得ずに幸吉は歸つて了ひました。
「親分、大變なことになりましたよ」
ガラツ八が飛び込んで來たのはその翌日の朝でした。
「なんだ、又大變かい。お前と附き合つてゐると、三日に一つくらゐづつ大變を食はなきやならねエ、全く壽命の毒だぜ」
平次は相變らず
「だつて、淺田屋の主人が殺されましたよ」
「何んだと」
「十二本目の白紙の手紙を受取つたのは昨夜店を
「お前がそれを見て來たのか」
「下つ引が教へて來ましたよ」
「自害ぢやあるまいかな、||
「刄物が無いんださうで、死骸が刄物を始末するわけはないでせう」
「至極道理だね。行つて見ようか、八」
かう引つ掛りになると、平次も知らん顏をしてゐるわけには行きませんでした。
八五郎と一緒に、本銀町へ飛んで行くと、土地の御用聞が二三人ウロウロしてゐますが、まだ檢屍前で、幸ひ何んにも動かしてはありません。
「あ、親分さん方、||主人は到頭自害してしまひました。こんなことになりはしないかと心配しましたが」
「自害? ||俺は殺されたと聽いたが」
平次は何にかもう大きな行き違ひのあることに氣が付いたのです。
「刄物が見付かりました。||
「さうか」
強ひて追及もせずに、平次は宏大な構への中に入ります。
「錢形の親分さん、御苦勞樣で御座います」
三十四五の色の白い立派な男、調子もひどく
「お前さんは」
「番頭の文六でございます」
三番番頭の文六、中年者と幸吉が言つたはこの男のことでせう。人柄は立派ですが、成程商賣の方は幸吉任せかも知れません。
「案内してくれ。主人の部屋だ」
「へエ||、どうぞ此方へ||」
店から入つて廊下を奧へ、思つたよりも大きな構へです。中庭を左手に眺めて縁側の行止りが主人の部屋らしく、その手前の部屋から出て來た、目のさめるやうな美しい娘は小腰を屈めて二人をやり過しました。
「あれは||?」
「娘の幾代||評判ものですよ」
ガラツ八は囁きます。
突き當りの唐紙を開けると、中は八疊の部屋で、血潮の中に主人徳次郎は倒れてゐるのでした。床はまだ敷かなかつた樣子、座蒲團の上へ
年の頃は五十四五、先代の主人總兵衞の義弟で、長い間放浪生活をしたとは聽いてをりましたが、
「刄物は?」
「これで御座います」
血の附いた脇差が、
「少し變だな、||その箪笥の間へ入つてゐたのかい」
「へエ||、今朝見たときは何んにもなかつたやうに思ひましたが、あとで幸吉どんが、箪笥と壁の間から見付けました。||自害した主人が、刄物をあんなところへ
文六の疑ひは、また平次の疑ひでもあつたのです。自分で咽喉の大動脈を切つた人が、俯向きに倒れながら、刄を後ろの方一間半も離れてゐる、箪笥と壁の間へ抛り込める筈はありません。
「八、箪笥の裏と壁とに血が付いてゐないか見てくれ」
「へエー」
平次はその間に部屋の樣子を丁寧に見ました。隣は娘の幾代の部屋で、壁一重を
「親分、壁にも箪笥の裏にも血は附いてますがね、傷はありませんよ。刀を抛り込んだんぢやなくてそつと入れたんですね」
ガラツ八は大きな聲を出します。
「よし/\、||それからお前はみんなの書いたものを集めてくれ。小僧のも、下女のも、一つ殘らずだよ」
「へエー」
ガラツ八が店の方へ行くと、平次は血染の脇差を取上げて死骸の傷口と睨み合せながら、
「この脇差は誰のだえ、番頭さん。恐ろしいなまくらのやうだが」
「主人ので御座います。いつもその箪笥の上の
「その上ひどい
「へエ||」
さう言ひながら平次は箪笥の上の抽斗をあけて見ました。と、そこにはこの脇差のものらしい、こればかりはピカピカする
「おや/\、中身だけ持出して咽喉を突いたのか」
たしなみのよくない自害||平次はさう言つた心持で、もう一度死骸を改めました。
「戸締りには何んの變りもなかつたのだね」
「へエ、みんな内から締つてゐたさうで。これは朝、雨戸を開けたお山が、よく知つてをります」
と文六。
「おや、||
平次は障子を開けると、庭の盆栽棚を眺めてをります。こんな緊張した空氣の中でも、暫くは好きな道を思ひ出して、フト目の保養をする氣になつたのでせう。
「お好きなのは先代の總兵衞旦那樣で御座いました。二年前先代樣が亡くなられてからは誰も世話をいたしませんので、あの通り荒れ放題でございます」
「成程な、
平次は自分のことのやうに眉を
「白紙の手紙が十二本も來たさうだが、どこかに二本でも三本でもないだらうか」
こんなことを訊くのでした。
「御主人の手箱に十本くらゐありますが、ひどく汚れてをりますよ」
「どれ、見せて貰はうか」
「へエ、これで御座います」
文六の持つて來たのを見ると、同じ封筒、同じ文字の手紙が十本。比べて見ると、下手ながら恐しいほどよく似た字で、十本が十本、判こで
「ひどく
中から白紙を引出して見ると、これは又何んといふ汚れやうでせう。或物は皺だらけになり、或物は燒け焦げて半分以上も千切れ、見る蔭もない慘憺たる有樣です。
「恐しく汚くなつたものですね、親分」
ガラツ八は何時の間にやら歸つて來て、後ろから覗いてをりました。
「
「||」
主人がどんなにこの白紙の脅迫状に惱まされたか、ガラツ八も文六も、ツイ暗い心持になります。
それから八五郎の集めて來た家中の者の筆跡を調べましたが、白紙脅迫状の封書に似たのは一つもありません。番頭の文六は唐樣の達筆、手代の幸吉は職業的な器用な字で封筒の
それからざつと家の内外を調べました。白紙の手紙を抛り込んであつたといふ店の格子は、お勝手から廻つて家の者でも抛り込めるでせうし、店の中からそつと置いて外から抛り込んだと見せられないこともありません。
土地の御用聞達は、主人徳次郎は、先代の義弟と言つても何んの
その緊張した空氣の中に、平次の調べは着々と進行しました。今度は娘も雇人も、銘々の部屋へ入れて、一人々々下つ引を監視につけたまゝ先づ、娘の幾代から始めました。
「お前は、大層惡い立場になつて居るが、承知だらうな」
「え」
美しい娘は何んのこだはりもなくうなづきます。
「昨夜何にか物音か人聲が聞えた筈だが||」
「私はよく寢る方で、夜半には滅多に眼を覺しません。でも昨夜はまだ宵のうちに、隣の部屋で、何にか唸るやうな聲がしたやうにも思ひます」
さう言ふのは、幾代には精一杯でした。
「ところで、主人の徳次郎を、お前さんはあんまりよくは思つてゐなかつたらうな」
平次の問ひはかなり突つ込んだものでしたが、幾代はそれを肯定も否定もせず、默つて豊な
「八、小僧の鶴吉を呼んで來てくれ。誰もゐないところで訊きたいことがある」
「へエー」
八五郎が歸つて來るまで、平次はもう一度念入りに庭のあたりから戸締りの樣子を見ました。外から主人の部屋の戸をこじ開けた樣子は絶對にありません。
「何んです、親分」
鶴吉はこまちやくれた顏を擧げて、平次の側に立つてをります。
「お前が今朝主人の死骸を見付けた時、
「びつくりして逃げ出したんで、何んにも見ませんが、||何しろひどい血でせう」
「いや、そのびつくりして逃げ出す前に、何にか見た筈だ。キラリと眼に映つたものがあつた筈だと思ふ」
小僧はさう言はれると、暫く首を傾けてをりましたが、
「さう言へば、右手のあたりに何にか光るものがあつたやうに思ひますよ」
「もう一つ、この家に兩刄のよく切れる刄物があつた筈だが||」
平次の問ひは豫想外です。
「ありましたよ。旦那が大事にしてゐた、刄先五寸位な槍の穗が」
「どこにあつたか知つてゐるかい」
「その用箪笥の中ですよ。一番下の
「これか」
死骸の横にあつた、古いが細工の良い用箪笥を開けて見ましたが、上にも下にもそんなものはありません。
「變だなア。||昨日まで確かにあつたんだが」
「お前は開けて見たのか」
「用事があつてこゝへ入つて來ると、旦那はあわててその
「この布に包んであつただらう」
「||」
鶴吉は默つてうなづきました。平次は何時どこから持つて來たか、二尺ばかりの
「死骸の側に落ちてゐたのさ。手品を使つて取出したわけぢやない」
ガラツ八の不思議さうな顏を見ると、平次は一向無技巧に
次に番頭の文六、これは別に訊ねることもありません。淺田屋の
「親分、お孃さんは何んにも御存じぢやありません。お願ひですから、お孃さんを縛るなんて、
激情にかられて幸吉は、見境もなく平次に喰つてかゝるのでした。
「よし/\お前の言ふことはよく解つてゐる。それほどお孃さんを大事に思ふなら、何んだつて箪笥から切れさうもない、脇差なんか出して、血をつけて箪笥の裏へ抛り込むやうなことをしたんだ」
「えツ」
この
「
「相濟みません。私が惡う御座いました。主人の死骸の側に刄物が無いと、殺されたに決められて了ひます。あの部屋に入つて主人を殺すのを、隣の部屋のお孃さんが知らない筈はないと、土地の親分衆が仰しやるのを聽いて、誰もゐないところを見極めて、私が細工をいたしました。どうぞ、御勘辨を願ひます。決して惡氣でしたことでは御座いません」
幸吉は板敷の上に額を埋めて、泣かぬばかりに詫び入るのです。
「そんな餘計な事をするから、反つて事柄が面倒になるぢやないか||ことによれば二年前に死んだもとの主人やお前の父親の仇も討てるかも知れない。||物事を隱さずに素直に言ふがいゝ」
「ハイ」
まさに一言もない幸吉です。
「一年前、
平次は妙なことを訊くのでした。
「儲かつた人なんかありません。損をした人ばかりでございます。先代の總兵衞旦那樣と番頭の利八郎は自害をいたしましたし、私の父親は行方不知になりました。それから淺田屋はこの通り左前になつて、奉公人達も昔のやうなことはございません」
「いや、その中で儲かつた人間は一人や二人はあつた筈だ。よく考へて見るがいゝ。||昨夜死んだ主人の徳次郎などは一番儲かつた人間ぢやないか、左前でも何んでも淺田屋の身上が轉げ込んで來たんだ。||その主人||徳次郎を怨んでゐた者は誰だ」
「誰も||」
「いや、きつとある筈だ。
「えツ」
「死んだ一番番頭の利八郎の身寄の者も、幾代も怨んでゐないとは言へまい」
「いえ、お孃さんは人を怨むやうな方ぢや御座いません。それに利八郎さんは天にも地にも一人者で、身寄も何んにもなかつた筈です」
「もう一つ訊くが、曙井戸の茶碗が出て來たら、今でも金森樣から二万兩の金は返して貰へるのだな」
「それはもう、親分」
幸吉はけゞんな顏を擧げました。
次に下女のお山とお道、||長四疊にかしこまつてゐる二人のところへ、平次とガラツ八は入つて行きました。
「お道、お前の荷物を見せて貰ふよ」
「へエツ」
お道は仰天した樣子です。二十四にしてはひどく
「これか」
八五郎が押入をあけてズルズルと
「あ、それは私のだよ」
お山は飛び付くやうに引つたくります。
「それぢやこれか」
「これは皆んなお前のか」
「お道さんは着物持ちだよ」
お山は横から口を出して、ガラツ八にグイと睨まれました。
「親分、これですか」
「さうだ。その紙と筆と
「ありましたよ、親分」
「それだよ。その封筒を
と平次。
「十二枚の封筒が一分一厘の違ひもなく同じ字だつたのは透き寫したせゐですね」
ガラツ八も開いた口が塞がりません。
「さア、お道、この上言ひ分はあるまい。何んの怨みでお前は白紙の手紙を十二本も主人に出したんだ」
お道は默つて俯きます。
「言はなきやいゝ。その代りお前には主殺しの疑ひがかゝるよ」
「飛んでもない親分」
お道は顏を擧げました。サツと恐怖がその眼を横ぎります。
「言ふか」
「言ひますよ、私は親の敵を討ちたかつたんです」
「親の敵?」
「私の親は、二年前に自害した、番頭の利八郎ですもの」
「何?」
平次も驚きました、こればかりは豫想しなかつたのです。
泣きながらのお道の話を聽くと、番頭の利八郎は若い時
「どうして主人に打明けなかつたんだ」
そんな生活は平次の常識にはない方法でした。
「でも、そのうちに折を見て打ちあける
娘も親も、そんな罪のない祕密を樂しんで、主人に打ちあけて驚ろかせる日を待つてゐるうちに、
「死んだ番頭の娘が、主人の徳次郎を親の
平次は漸く問題の核心に觸れました。
「何んとかの茶碗を隱したのは、あの人達だつたんです」
「何?」
「先の總兵衞旦那樣や、私の父さんが死んだ後で、旦那(徳次郎)と番頭の文六さんが、||茶碗を何時取出したものだらう、つて話してゐるのを私は聽きました」
「それは本當か」
「嘘で、こんな苦勞をするものですか。刄物を持つて向つて行つたつて返り討にされるに決つてゐるし、怨みの文句を書いても始まらないし、訴へて出たつて誰も相手にはしてくれないだらうと思つて、私は帳場から旦那へ來た古い手紙を一枚持つて來て、それを
お道の方法は、尤もであり、當然であり、同情すべきことに違ひありませんが、白紙の手紙の思ひ付きの異常さに、平次は何にか褒めてやりたくないやうな氣もするのです。
「親分ツ、た、大變ツ」
遙かの方からガラツ八の聲が高鳴ります。
飛んで行つて見ると、番頭の文六と組んづほぐれつの大格鬪中、ともすれば逃げられさうになつて
「野郎ツ、神妙にせい」
平次は飛び込んで文六を押へました。元は武家の出か何にかでせう、恐しい腕つ節です。
「俺が何をしたといふのだ、縛られる覺えはないぞ」
八五郎に繩尻を取られながら、文六は縁側の上の平次に惡罵の限りを浴びせるのでした。
「
と平次。
「それつきりか」
文六は惡黨らしく肩を
「二度目の主人の徳次郎を殺したとは言はない。あれは前から槍の
「嘘だ」
「いや、槍の穗がもう井戸から上がつて來る筈だ。騷ぎの後でお前が井戸のところにうろ/\してゐたのを、二人も三人もの眼で見てゐる」
平次の論告の確實性は、間もなく井戸からあげて來た槍の穗で裏付けられました。
「勝手にしやがれ、俺はどうせ惡黨だ。が、槍の穗を隱したくらゐぢや命に係はるほどの罪ぢやねエ。幾代と幸吉が好きなやうになつたつて淺田屋は
文六は幾代を幸吉に取られる口惜しさに
「
と平次。
「曙井戸が出て來てたまるものか、あれはもう、二年も前に土に
「きつとか」
「念にや及ぶだ」
「俺が無事な曙井戸を搜し出したらどうする」
「もう一つ、大きなことを白状してやるよ。そこにゐる幸吉の父親、幸三郎の行方||」
「よし、見てゐるがいゝ」
平次は庭へ飛び降りると、いきなり枯れた松の
「こんなに澤山ある盆栽の中で、松だけ枯れるのは變ぢやないか。松は水をやらなくても保つものだ。こんなに枯れたのは、水ばけが惡くなつて、根を痛めてるために違ひない」
鉢から松の枯木を引つこ拔くと、根の下にピタリとはめ込んだのは、美しい曙色の井戸の茶碗。さして汚れもせずに、平次の手の上に靜かに載つたのです。
「あツ」
驚く人々の間から、僅かの隙を見て逃げ出さうとする文六、
「文六、卑怯だぞ、||約束通り、幸吉の父親を殺した
平次はその襟首を押へて引戻すと、グイと膝の下に敷いたのでした。