「親分、東兩國に大層な小屋が建ちましたね。あツしは人に
八五郎は相變らず江戸中のニユースを掻き集めて、親分の錢形平次のところへ持つて來るのでした。
「御殿造りの小屋でも建つたのかえ」
「そんな間拔けなものぢやありませんよ。小屋は昔からチヤチなものですが、中味が大變なんで、たまらねえほど綺麗な娘太夫が二人」
「馬鹿だなア、まだ松も取れないうちから、兩國の見世物小屋へ日參して居るのか」
「日參といふ程ぢやありませんよ、五日の間にたつた三度」
八五郎はでつかい指などを折つて勘定して居るのです。
「
「飛んでもない、最初は正直に十六文の木戸を拂ひましたよ。それで『一と目千兩』と言はれる、お夢の顏を拜んで、達者なお鈴の藝を見るんだから、九百九十九兩三分三朱くらゐは儲かるやうなもので||」
「お前といふ人間は、よく/\長生きするやうに出來て居るよ」
「二度目にはあつしといふ者が、錢形親分の片腕の八五郎とわかつて||」
「お前は俺の片腕かい、大したことだな。お前が居なきや、俺は
「まア、さう言ふことにして置いて下さいよ。兎も角二日目から木戸錢を取らないばかりでなく、妙にチヤホヤして、明日からはどうぞ毎日來て下さいと、一目千兩のお夢などは、泣かぬばかりに頼むぢやありませんか」
「嫌なことだな。何んだつて又、そんなに持てたんだ||急に
「好い男のせゐもありますが、實は近頃チヨイチヨイ無氣味なことがあるんですつて」
「無氣味なこと?」
「取立てて話すほどのことでもないが、ことによつたら私は命を
「何んだえ、その一と目千兩といふのは。
「驚いたなア、錢形の親分があれを知らないんですか。近頃江戸中の評判ですが」
「さては、何時の間にやら、俺は江戸つ兒の人別を拔かれたかな」
「大した良い女ですよ。たつた一と目見ても、千兩の値打があるといふんだから驚くでせう」
「その女と半日一緒に居ると、
「身上くらゐは潰し度くなりますよ。
八五郎は
「そんな化物は何處に居るんだ」
「小左衞門の小屋ですよ。小左衞門お仲夫婦の曲藝師で外に道化の金太といふ人氣者が居るんですが、去年までは一番の働き手はお鈴といふ娘で、それは唄も歌ひ、踊りも踊り、その上綱渡り足藝が達者で、
「それがお前を買ひきらうといふのか」
「昔々江戸にあつたとか言ひますね。たつた一目見るのに千兩積ませるといふ三國一の
「そんな女に近付きはないよ」
「奧州の馬鹿息子が、お盆の
「||」
「馬鹿息子はすつかり意地になつて、殘りの千兩を投り出すと、女はその情愛にほだされ、今度は
「二世の契りは古風で宜いな、||その小屋衞門の小屋の女も、チラリと顏を見せたつきりで、千兩の木戸を取るのか」
「それは物の
「そんな安い話を、俺は生れて初めて聽いたよ。千兩の値打のあるものを十六文で見るんだから、成程八五郎は夢中になるわけだ||その上二度目からは唯と來ちや」
平次は面白さうに笑ふのでした。
「尤もそのお夢といふのは、女が良いだけで、藝はありませんよ。スルスルと舞臺正面の
「馬鹿だなア」
「小野の小町だつて照手姫だつて、あれほどの美い女ではあるまい||と、これは口上の金太のせりふですがね」
八五郎の説明は存分にトボケて居りますが、
尤もその頃の江戸には、今の裸レヴイユなどは足もとにも追ひ付かぬ
それから三日、松が取れて
「親分、大變なことになりましたぜ」
「何が大變なんだ、一と目千兩に口説かれたとでも言ふのか」
「そんな事なら、親分のところへ飛んで來るものですか||その一と目千兩のお夢が、危なく殺されるところだつたんで」
「殺されかけたといふのか」
「寢て居る顏の上へ、二階から大火鉢を投られたんです。その火鉢には煮えくり返つてゐる
「氣味が惡いな」
「||でせう、親分。一と目千兩と言はれた江戸一番の||いや日本一の綺麗な顏へ、
「で、そのお夢がどうした」
平次もさすがに
「神業ですね、お夢は風邪の氣味で蒲團を深く冠つて寢てゐたので、少しばかりの
八五郎の意氣込みは大變です。この無類のフエミニストは、『一と目千兩』の美女のためには、どんなことでもする氣でゐるのかも知れません。
「行つて見ようか、八。そいつは面白さうだ」
「しめたツ」
こんな事件のために、無精者の錢形平次を動かすことは八五郎にしても樂な作業ではありません。
二人は東兩國まで、あまり無駄も言はずに急ぎました。薄陽の漏れる正月のある日、
まだ朝のうちで、小屋は開いて居ず、裏へ廻つて、
「又邪魔をするよ」
八五郎は親分の平次を案内してズイと通ります。
「おや、親分方。飛んだ御苦勞樣で」
座頭の小左衞門は、四十前後の練達な町人のやうな感じの男でした。こんなのが案外の精力家で、飛んだ仕事をするのかもわかりません。
小左衞門の後ろに、人形と人形遣ひのやうに
「お夢は元氣かえ」
ガラツ八は自分の肉身ででもあるかのやうに、氣易く言ひます。
「お蔭樣で大した怪我もなくて濟みましたが、一座の賣物ですから、こんな事が二度あつちや叶ひません」
小左衞門は揉み手をして居ります。
「ちよいと見せて貰はうか」
「へエ、へエ、どうぞ」
小左衞門と女房のお仲は、二人を薄暗くて寒さうな、舞臺裏の
この邊の見世物輕業の小屋は、粗末なものではあるにしても、半永久的の建物で、裏に廻ると怪しげ乍ら住居になつて居り、餘程の良い藝人でなければ、別に家を持たずに樂屋裏のアパートに、ゴチヤゴチヤと合宿してだらしのない生活をして居るのでした。
小左衞門の一座もそれで、
「どうだえ、お夢。お前が
八五郎はその枕許に坐り込んで、一と目千兩のお夢に話しかけます。
「あ、錢形の親分さん」
お夢はあわてて飛び起きようとしました。さすがに良い身だしなみで、少しばかり
「動いちやいけない。その儘で宜いよ」
「ハイ」
一と目千兩と言はれ、その美しい顏を賣物にして居ただけに、お夢の綺麗さは全く拔群でした。豐麗で、
人の子が斯うまで惠まれた美しさを身につけられるものかと、錢形平次も一度は呆氣に取られた程です。
これ程の縹緻を持てば、その頃の道徳と通念では、歌舞の
氣の毒なことにお夢は生れ乍らに足が惡く、踊ることも驅けることも出來ない女だつたのです。
「怪我はどうだ」
平次は側へ寄りました。
「有難うございます、お蔭樣で||」
お夢は燒けた
「その災難のあつた時のことを
平次もツイ斯う乘出しました。お夢にその美しさの外に、妙に人の心を
「少し風邪の氣味で、いつもより早く休みました。
正月と言つても松が過ぎると、薄寒い日などは客の追ひ出しが早く、藝人達はそれから湯へ入つたり、夕飯にしたりするのですが、お夢はゾクゾクするので、その落着かない空氣の中で、自分の床を敷いて寢てしまつたといふのです。
「不意に||本當に不意でした。うと/\とした私の上へドタリと重いものが落ちて來て、それと一緒に恐ろしく熱いもの||後でそれは灰と湯とわかりましたが、瀧のやうに頭へ振りかゝりました。私は幸ひ布團を冠つて寢て居ましたので、大した
とお夢はひどくやられた髮の毛と、額から首筋へかけての火傷などを見せるのです。女が良いだけに、それは實に痛々しい姿です。
「一番先に驅けつけたのは誰だ」
「お鈴さんでした。二階から飛んで來てくれたんです」
「お鈴さんといふと?」
「綱渡りの名人ですよ。呼んで來ませう」
八五郎が舞臺の方へ行くと、
「でも、お鈴さんを疑つたりしちやいけません。良い
お夢は眼を細くしてさう言ふのでした。
「これがお鈴で」
八五郎が連れて來たのは、十七になつたばかりの娘太夫のお鈴でした。美しくも何んともありませんが、白粉氣のない顏は健康さうでよく
このお鈴といふ娘は兩國では決して新しい顏ではありませんが、身體も心持も女になりきつてからは、藝にも人柄にも、顏にまでも魅力が出來て、その達者な踊と、歌と、素晴らしい綱渡りの曲藝で姉分のお夢の人氣を壓するほどの人氣者になりつゝある||といふことを、これも後で平次が知つたことです。
「お前は、
「二階に居ました」
振り仰ぐと二階と言つても、揚幕一枚をブラ下げたむき出しの
「二階で何をして居たんだ」
「いろ/\片付けものをして居ました。二階から舞臺は直ぐですから」
「この眞上に居たのか」
「いえ、向うの方で」
「
「舞臺の方へ出るのと、此處へ降りるのと二箇所にあります」
「二階に外に誰か居た筈だが」
「いえ、私一人で」
「すると、お前が火鉢を落したことになるが」
「そんな、そんな。そんな事」
お鈴はサツと顏の色を變へました。
今までそんな事さへ氣が付かずに居たといふのは、馬鹿でなければ恐るべき横着さです。
「お鈴ちやんが、そんな事をする筈はありません」
「此處には誰と誰が泊つて居るんだ」
「お夢とお鈴の外には、囃し方のお傳と、六助、木戸番の與三郎、
「そのお傳、六助、與三郎、金太の四人は何處に居たんだ」
「お傳はお勝手のお仕舞、六助は小買物で外に居たさうで。金太は舞臺の
「お前達夫婦は?」
「少し離れて居りますが、家へ歸つて晩飯にして居りました」
平次と八五郎は小左衞門の案内で、問題の二階へ行つて見ました。驚く
その一角、丁度お夢の寢て居たあたりの上には、疊二枚ほどの空所があり、其處には火鉢も置き茶道具も
尤も火鉢を轉がし落したあたりは、ろくな境もなく、幕一枚垂れただけですから、此處から簡單な
「此處には何時も人は居ないのか」
「夜は滅多に參りませんが、昨夜はまだはねたばかりで、火鉢もそのまゝになつて居たことでせう」
小左衞門は要領よく答へます。
「その火を毎晩片付けるのは誰の役目だ」
「與三郎か金太でございます」
「お鈴はその時何處に居たといふのだ」
「この隣りは衣裳部屋になつて居ります。其處で舞臺衣裳を片付けて居たさうで、あの娘はまことに物事に几帳面な
「舞臺の方へ行つて見ようか」
書き割から道具類から、あらゆるガラクタを縫つて舞臺へ出ると、頭の上にはお鈴が得意の藝をする太い綱が客席の上へかけて、三間ほど上を走つて居り、舞臺も客席も空つぽで、晝近いのに人の影もありません。
「お夢とお鈴は仲が惡くないのか」
平次はフトした調子で小左衞門に訊きました。
「若い女の心持は、私共男にはわかりませんが、見たところは、申分のない仲良しで、二人はいつでも
「お夢には男があるだらうな」
それは八五郎の遠慮のない問ひでした、
「もとのことはわかりませんが、六助の世話で此處へ來てからは、まことに身持の良い方で、浮いた話も聽きません」
「言ひ寄る男がないわけでもあるまい」
「それはもう、あの縹緻ですから、毎日大變な騷ぎで、裏口へ來てウロウロして居るのが、いつでも二三人はあります」
「一座の中には」
それは平次の問ひでした。
「金太も與三郎も六助も、夢中になつた事は、あるやうですが、お夢は振り向いても見ません。尤も金太は勝負事が好きで、滅多に家には居りません。與三郎は外にも女があるさうですし、六助は四十八といふ年ですから、||でもお夢の事といふと、六助が一番夢中なやうで」
舞臺にはその噂の金太が、道具を調べて居りました。
「御苦勞樣で」
二十五六の、これが道化役かと思ふほど氣のきいた良い若い者です。
「お前は
「此處に居りましたよ。道具を片付けて、舞臺の掃除をするのが私の役目で」
「與三郎は?」
「木戸を閉めて居たやうで、此處からはお互によく見えます」
「もう暗くなつて居る筈だが」
「
平次はそれを宜い加減にして、土間を眞つ直ぐに木戸へ行つて見ました。
「これは親分方」
木戸番の與三郎は、鹽辛聲ですが世辭の良い男でした。二十七八の
「昨夜、あの騷ぎの時、お前は何處に居たんだ」
「木戸を閉めて居りましたよ、||お夢さんの悲鳴に驚いて、舞臺に居た金さんと一緒に飛び込みましたが」
「木戸を閉めに來る前は?」
「皆んなと一緒に晩飯をやつて居ました、||腹を
「それまで木戸は開いて居たわけだな」
「へエ、いつものことで、||お夢さんの騷ぎがあつてから思ひ出して又木戸を閉めに此處へ來ましたが」
平次と八五郎はそれつきりにして、もう一度
「驚きましたよ、いきなり悲鳴をあげるんですもの。濡手も
「金太と與三郎は」
「其處へ、私より少し遲れて、二人一緒に梯子段を降りて來ました」
「六助は?」
「それから暫らく經つて、煙草か何んか買つてぼんやり歸つて來たやうです」
この女は恐ろしく達者さうですが、人は好い方らしく、
「お前は昨夜の騷ぎを知らなかつたのだな」
「へエ、煙草をきらしたことに氣が付いて、角の煙草屋へ行つて、看板娘のお清さんをからかつて、ブラリブラリと歸つて來ると、あの騷ぎだつたさうで、へエ」
「お夢に夢中な男があると思ふが、お前は氣が付かないのか」
「あのきりやうですが、お夢さんと來たら、全く
「この小屋に泊つて居るもので、誰が一番お夢と仲が良いんだ」
「お鈴さんでせうか、||それから私。私はもう年寄ですから、娘見たいな心持で附き會つて居りますが、お夢さんに死ぬほど惚れて居るのは金太さんかもわかりませんね」
六助はツケツケと斯んな事を言ふのです。
平次はそれ以上追及する興味を失つたらしく、八五郎を一人殘して、そのまゝ引揚げてしまひました。お夢の怪我が大したことでないとわかると、振られた男の
「いよ/\大變ですよ、親分」
ガラツ八の八五郎が、いつものあわてた聲で飛び込んで來たのです。
「又大變の
平次は相變らず落着き拂つて居ります。
「兩國ですよ、親分。小左衞門の小屋だ」
「火事か、喧嘩か、それとも一と目千兩が夜逃げでもしたのか」
「お夢ぢやありまゝせん。今度はお鈴ですよ。あの可愛らしい藝達者の娘が半死半生だ」
「又火鉢か」
「今度は綱渡りの綱を切つた奴があるんです。お鈴はお振袖を着たまゝお客の頭の上へ眞つ逆樣に落ちて、眼を廻す騷ぎだ。幸ひ息は吹返したが、足を折つたさうで
「綱は確かに人が切つたのか」
「
「囃し方の六助の持物ですよ。一應土地の下つ引に六助を見張らせてありますが、當人の六助は、何んにも知らないと大威張りで」
「よし/\、俺が行つて見よう」
平次は事件の奧行が思ひの外に深いことを知ると、八五郎を
小屋は客を返して、不氣味に暗くなつて居りますが、騷ぎに
「おや、錢形の親分さん。又飛んだことが起りまして」
座頭の小左衞門もさすがにあわてて居りました。ふり仰ぐと、
近寄つて見ると、綱は麻糸と

小左衞門に案内させて行くと、綱の端は舞臺の上を通つて樂屋の二階の
お鈴はその時、一輪の花のやうに、横樣にお客席に落ちました。綱を搖ぶつた
「可哀想なことをしました。あの通り藝が達者な上、人柄もよくいかにも可愛らしい娘で、大變な人氣でございました」
座頭の小左衞門は獨り言のやうに言ふのです。
「お夢とお鈴は何方が人氣があるんだ」
「||一と目千兩のお夢が怪我をして、まだ寢て居りますがあの火鉢の落ちた騷ぎの時は、私はもうこの小屋も駄目だと思ひました。人氣者のお夢が舞臺へ出られなくては、客は半分も來ないことだらうと、
小左衞門の
綱の先は舞臺の上を通つて、樂屋の
匕首といふにしては少し大きく、喧嘩刀の小さいのから
平次は兎も角一座の者を一人づつ調べる氣になりました。最初に匕首の持主なる囃子方の六助、樂屋の隅へ呼出されて、五尺そこ/\の小男の癖に、精一杯の
「こいつはお前の道具ださうだな」
平次はその大ダン
「へエ、あつしの物で、小屋中で知らない者はありません」
「お鈴が落ちたとき、お前は何處に居たんだ」
「舞臺の奧に居りました。
「その時舞臺には誰と誰が居たんだ」
「皆んな居りました。金太も親方もお内儀さんも、幕切れで賑やかな舞臺でしたから」
「與四郎は?[#「與四郎は?」はママ]」
「あれは木戸を動きません」
「こんな小屋には、道具調べといふのがあるさうだな」
「金太の役目になつて居ります。朝のうちに調べた上、綱渡りなどは危ない藝當ですから、太夫が綱に掛る前に一應調べて置きます」
六助の調べはざつと
「確かに道具はあつしが調べました。朝一度調べた上、お鈴ちやんが綱にかゝる前、念入りに兩方の結び目を調べたに違ひありません。匕首が結び目に突つ込んであるのを見のがす筈はございません」
金太の自信は強大です。
「綱を調べた後で||」
「舞臺で親方に
成程さう言へば金太の姿は舞臺の道化です。續いて與三郎を調べましたが、これは半日木戸に頑張つて居て何んにも知らず、小左衞門の女房のお仲は亭主と一緒に舞臺、お傳は囃方で目の廻るほど忙しく、殘るのは一と目千兩のお夢ですが、これは樂屋裏のもとの部屋で、まだ腰も肩も痛むさうで、床に就いて居る有樣です。
「あの野郎ぢやありませんか」
八五郎は平次に耳打ちしました。
「誰だえ、あの野郎といふのは?」
「道化の金太ですよ。道具調べの時、
「そんな事をしたら、直ぐ知れるぢやないか。金太はそれ程の馬鹿ぢやなささうだ、||第一それではお夢の頭へ火鉢を落したのがわからなくなる」
「あれも金太でせう。あの時舞臺に居たんですから、一番火鉢に近かつたわけで||」
「いや、木戸番の與三郎が見て居た筈だ。そんな隙はない||お夢の悲鳴を聽いて二人は一緒に驅け付けて居る」
「それでは、火鉢を落したのは、お鈴といふことになりますが」
「いや、あの
「すると、惡戯者は誰でせう」
「お前は角の煙草屋へ行つて看板娘のお清とか言ふのと會つてくれ。お夢が怪我をした晩、
「へエ」
八五郎は飛んで行きます。平次はその間、樂屋裏のあたりを調べ、二階の火鉢のあるところで何やらやつて居りましたが、間もなく八五郎は不得要領な顏をして戻つて來ました。
「何うした八」
「別に變つたこともありませんよ。あの晩六助が煙草を買ひに行つたのは、暗くなりかけた時分で、夕方忙しいのに看板娘のお清をつかまへて、いつにもなく際限もなくふざけて居たさうですよ」
「いつにもなく||だね」
「お清は言ふんです。六助さんは一と目千兩のお夢さんに夢中で、本當に命がけで惚れて居るから、私なんかにはろくに口もきかないのに、あの晩はどんな風の吹廻しか、忙しい私をつかまへて、暫らく無駄話をして居りました||と斯うで」
「それから煙草は」
「五匁玉を一つ買つて、大きな煙草入を出して詰めたさうですが、不思議なことに、その煙草入には、煙草は半分以上も入つて居たといふことで」
「それでわかつたよ、八」
「何がわかつたんです?」
「待て/\もう少し
平次は八五郎と一緒に、ソツと樂屋裏の二階に登りました。此處にはいつぞやお夢の頭の上に落された
「八、その火鉢を、
平次はそつと囁くのです。
「そんな事を親分」
八五郎はこんなに
「大丈夫だ、お夢はあの時に懲りて、グツと床を向うの方に移して居る。それに火も鐵瓶もないから、精々灰を被るくらゐのものだ」
「ぢや、やりますよ」
それは唐銅の大火鉢で、なか/\重いものでした。その上に鐵瓶が掛つて居たら、成程お鈴の細腕では、手摺の下を潜らせて
「アツ」
火鉢は手摺と幕を潜つて、恐ろしい勢ひで階下へ突き落されました。濛々とあがる
「それツ」
平次と八五郎が梯子へ廻つて
「お夢、お前はもう傷が癒つたのか」
平次はその頭の上から冷たい聲を浴びせました。
「||」
ハツと二階を振り仰いだお夢の顏は、實に想像も及ばぬ凄まじいものだつたのです。
「お夢、お前は間違つて居たぞ。お前の頭へ火鉢を落したのは、お鈴ではなくて、六助だつた。||六助はお前を
平次は續けました。
「||お前はそれをお鈴の
「||」
「可哀想に何んにも知らないお鈴は、土間に落ちて目を廻した上、ひどく足を
平次の論告は深刻ですが、情理を盡したものでした。薄暗い中に昂然とそれを振り仰いで居たお夢の頭は、次第々々に垂れて、そのまゝ路地の外へトボトボと出て行かうとするのです。
八五郎は早くも二階を降りてその逃げ路を
「八、放つて置け」
平次はこの美しい顏と
× × ×
囃子方の六助も、早くもこの樣子を察して逃げてしまひました。
「變つた捕物でしたね。血を流した者が一人もなく、縛られた者も、盜まれた者もないのは面白いぢやありませんか」
八五郎は歸る途々平次に話しかけるのです。
「六助が
「成程ね」
「でも、死んだ者も血を流した者もないのは、正月らしくて宜からう」
平次はそんな氣で居るのでした。これは後の話ですが、お鈴は足を痛めて綱渡りは出來なくなりましたが、歌と踊に精進して、その可愛らしさと共に、東兩國の名物になりました。
六助はそれつきり行方