「親分、長い間お世話になりましたが||」
八五郎はいきなり妙なことを言ひ出すのです。まだ火の入らない長火鉢の前、お茶をのんで煙草をふかして、煙草を呑んでお茶を
「大層改まるぢやないか、||まさか長い
平次は大きく
「そんなしめつぽい話ぢやありませんよ。例へば、煙草がなくなるとツイ、向柳原から此處まで飛んで來て、尻から煙の出るほど吸ふといつたあつしでせう」
「どうもさうらしいな。飯の食ひ溜めといふことは聽いたが、煙草の呑み溜めは、八五郎一人に
「そこでね、親分。それもこれも不斷小遣ひのないせゐでせう」
「恐ろしく悟りやがつたな」
「金儲けなんて藝當はあつしの柄ぢやなし、こいつは一番心を入れ換へて、溜めるに越したことはないと覺悟をきめましたよ。道話の先生もさう言つたでせう||儲けるより溜める方が早い||と」
「大層なことになるものだな。氣は確かか、八」
「へツ、ずんと正氣で、この通り」
などと、自分の胸をドンと打つて見せる八五郎です。
「ところで、金を溜めて、何うしようといふのだ。江戸つ子にはない
「先づ第一に、煙草を呑み度くなる度毎に、一々此處まで飛んで來るのが止せますね」
「成程、下駄が減らなくて宜いだらう」
「小遣ひがなくなつて、親分のところへ借りに來ると、きまつたやうにお靜姐さんが風呂敷包を持つて、お勝手口から驅け出すでせう。あれは殺生過ぎて見ちや居られませんよ、親分の前だが」
「馬鹿野郎」
「へエ」
「お靜がお勝手口から飛び出したつて、まさか、身賣をするわけぢやあるめえ、
「ま、待つて下さいよ。金の入用なわけがもう一つあるんで」
「何んだえ、それは」
「叔母さんが早く氣に入つた女房を持て/\と、うるさく言ひますが、握りつ
「成程、祝言の入費が欲しいのか、そいつは本當だらう、早くさう言へば宜いのに。煙草も質屋も餘計なことぢやないか」
「で、
「もうやつて居るのか、いくら溜つたんだ||安心しなよ、貸せとは言はねえ」
「
「何んだ、一貫とも
「尤も溜める一方から、叔母を
「呆れてモノが言へねえよ、お前といふ人間は。六百二十四文溜めて、二分二朱も借り出せば、差引勘定一體どういふことになるんだ」
「あつしも
「算盤なんか俺の屋敷にあるものか、
平次はまことに劍もほろゝでした。が、八五郎が斯んな馬鹿な話をする眞意は外にあつたのです。
「ところで、親分、金を溜めた話の續きですがね」
「何んだ、まだ金を溜めることにこだはつて居るのか、よく/\お前といふ人間は||」
江戸つ子の生れ
「世の中には、恐ろしく溜めた野郎もあるものですね。淺草福井町の加納屋五郎次、親分も御存じでせう」
八五郎の話は
「知つてるとも。ケチで高慢で、女道樂がひどくて、五十になるまで、よく罰も當らずに生きて居ると思ふやうな
福井町で代々の兩替屋、地味に堅實に暮して、江戸長者番附へ
「あの加納屋五郎次といふのは、代々の通り名で、東照宮樣御入國以前の家柄ださうですが、代々の遺言で、當主は死ぬまでに、
「フム」
「いくらあると思ひます、その瓶五杯に入つて居る金は」
「そいつは瓶次第さ。瓶と一口に言つても、
「瓶は一斗くらゐ入る瓶としてですよ、小判でざつと||三千兩は入りますね。いや、小判は薄いから、五千兩も入るかな」
「六百二十四文とは、少し
「それを何處に隱してあるか、當主一人しか知らないから面白いでせう」
「知つたつて面白くないよ」
「何しろ大した身上ですね、五代の間に瓶で五六杯の金、||それを聽いただけでも、
「勝手にしやがれ、借りてやらないから」
平次は面白くもなささうに舌打しました。
「ところで、話はこれからなんで」
「もう止さうぢやないか。粉煙草は俺が達引くし、お小遣ひに不自由すれば、少し口やかましいけれど、あんなに氣の良い叔母さんがついて居るし、金や
「それがね、親分。近頃その加納屋の、六代もかゝつて溜めた金||何萬兩とも知れぬ瓶をつけ狙つてゐる曲者があるといふから大變ぢやありませんか。あんまり澤山金を持つて居ると、魔がさすんですね」
「こちとらは魔がさす氣遣ひはねえ代りに、移り替へ時になると、秋風が身にしみるよ。ハツクシヨン」
平次は甚だしく冷淡な口調ですが、その癖八五郎の話に引入れられて、ひどく熱心に聽いて居る樣子です。心得たもので八五郎は、平次のお茶らかすのも構はず、
銀行も金庫も、株券も手形もなかつた時代に、金がどうして
竹筒、
金銀がいろ/\の形で
寶搜しの小説や物語が、いろ/\の形で人の興味をひいたのはその爲で、
「ところで、その加納屋ですがね、||近頃變な野郎が狙つて居る樣子で、二度も三度も縁側や土藏の、土臺下を掘られたと聞いちや、捨てて置けないぢやありませんか」
八五郎は尚ほも、『溜めた金』の話を續けるのです。
「誰がそんな事を言つたんだ」
「加納屋の番頭の忠吉ですよ、||ケチで高慢で女道樂がひどい主人に
「一杯飮ませたんだらう、お前に。わかつて居るよ、飮ませるのは判つた男で、飮ませねえのはわからず屋さ」
「親分、あつしは怒りますよ。何時何處であつしはそんなわからねえことを言ひました。酒を呑ませたつて、呑ませなくたつて、
八五郎は懷ろの奧に忍ばせてゐる十手を
「わかつた、八。こいつは俺の言ひ過ぎだ、勘辨してくれ。ツイ冗談が
平次は泳ぐやうな手付きで、八五郎を
「なアに、腹を立てたわけぢやありませんがね。親分が、あんまりわからねえ事を言ふから||」
「よし、お前をからかつた詫に、福井町の加納屋へ、俺も行つて見るとしよう。その土臺下に掘つた穴が、
「酒で
「まア、宜いよ、行かうぜ」
平次は氣輕に立上がると、手早く支度をして、八五郎を
福井町の加納屋は、
入口に立つて、平次は暫らく中の樣子を見て居りました。方十二三間もある角屋敷で、
「御免よ」
八五郎は先に店へ入ると、
「あ、八五郎親分、錢形の親分も御一緒で||もうあのことが聞えましたか」
番頭の忠吉は、
「あ、早耳が自慢だよ。そこは
などと、八五郎は要領よく應じます。實は何んな事があつたのか、平次にも八五郎にも少しもわかつてはゐないのですが、番頭のあわてた樣子が唯事でないので、一應知つて居ることにして、事件を
「實は、お屆けしたものか何うか、迷つて居りました。親分方がお出で下されば、主人も否應は申すわけはございません」
「さうとも、さうとも」
八五郎は
「暫らくお待ちを願ひます」
番頭の忠吉はアタフタと奧へ引つ込みましたが、やがて主人の五郎次をつれて來ました。忠吉は
「いや、錢形の親分さん、これは内證で濟まされることでないから、いづれお屆けしようと思つて居りましたが、
五郎次は首筋などを掻くのです。金持や顏役によくある
「兎も角、香之助とやらに會ひ度いが」
「へエ/\どうぞ、此方へ」
忠吉は店の裏の、三疊敷の小部屋に案内しました。其處は若い番頭の香之助が、店番かた/″\寢泊りしてゐる部屋だと、主人の五郎次が説明して居ります。
「この通り、大した怪我でもないのですが」
主人の五郎次は、部屋の外から、寢てゐる香之助を指さすのです。
見ると、二十七八の若い番頭香之助が、頭から肩を、
「どうしたんだ、番頭さん」
二三度店へやつて來て、顏馴染になつて居る八五郎は、その枕許に
「今朝起きて、下男の
番頭の忠吉は説明してくれました。
「この間から、土臺下に穴を掘られて、困り拔いて居りました。八五郎親分にも見て頂きましたが、これぢや不用心でやりきれません。昨夜も中庭で變な音がしたんださうで、香之助どんが起きて行つて、新しく出來た土藏の下の穴を覗くと、いきなり後ろから撲たれたんださうで」
番頭の忠吉は尚ほも附け加へました。
怪我をした香之助は、面目もない姿でそれを聽いて居りましたが、
「もう少し、その時の樣子を
と平次が訊ねると、
「それつきりでございます。||變な音がしたので起き出しました。
「?」
話し續ける香之助は、ホツと息を繼ぎます。傍から、それに、湯呑をすゝめて、口を濡らさせたのは、十九くらゐに見える美しい娘。それは加納屋の遠縁に當る
「すかして見ると、土藏の土臺下に又も大穴があいて居ります。其處を調べるつもりで、首を突つ込むやうにしてゐると、いきなり後ろから、頭を
香之助は語りをはつて、枕に額を押へるのでした。繃帶だらけの顏は、少しむくんで淺ましく變つて居りますが、二十七八のこれは好い男で、話の調子もハキハキして居ります。
「昨夜は月がなかつた筈だが||」
平次は問ひ返しました。
「曉方近かつたので、外はぼんやり見えました」
「薄明るくなるまで、泥棒は穴を掘つて居るでせうか」
それは八五郎でしたが、
「お前は默つて居ろ」
平次はそれをたしなめて、さて、外廻りを一巡りすることになりました。
百五六十坪のところは、
「この邊でしたよ、番頭さんが眼を廻してゐたのは」
下男の猪之松が庭を案内してくれました。二十七八のまだ若くて元氣な男ですが、眞つ黒で少し
指さされたあたりを見ると、土の上に少し血が
「この鍬は? 少し血が附いてゐるやうだが||」
「物置から持ち出したものです。物置は締りがありませんから、誰でも持ち出せます」
「主人の部屋は?」
「母家と土藏の間になつて居ります。表の方に向つて居るので、此處から中は見えませんが」
「奉公人達は、何處に寢るんだ」
「お二人の番頭さんは店と佛間を挾んで右と左に。下女のお富さんとお組さんは、お勝手の側の四疊半に。それだけでございます」
「小さい二階があるやうだが」
主人の部屋の上のあたりに載つかつた小さい二階を、平次は見上げました。
「あれは若旦那のお部屋でしたが、親御の旦那樣と仲違ひなすつて、今では本所のあたりに住んでゐるといふことです」
「仲違ひといふと?」
「若旦那が少し
下男の猪之松は
「その若旦那は、此處へ來ることがあるのか」
「滅多にありません。いらつしやれば、親旦那と喧嘩になるにきまつて居りますから」
「ところでもう一つ訊き度いが」
「へエ、へエ」
「今朝お前が雨戸をあけた時、何處か一箇所、明いて居たところはなかつたか」
平次の問ひは不思議でした。
「いえ皆んなよく閉つて居りました、ちやんと
「お前は生れは何處なんだ」
「三河島でございますが、||もう五年も奉公して居ります。こんな身體ぢや何處へ行つても使つて下さいませんので、||給金の贅澤も言つちや居られません」
これを
併しこの多辯は、平次に取つては、何よりの好都合でした。
「この家は、板塀が廻してあるから外からは滅多に入れないことだらうな」
「へエ、この通り嚴重な締りで、
「曲者は何處から逃げたんだ」
口を
「サア、其處まで私にわかりませんが||」
「主人と若旦那は餘つ程仲が惡いだらうな」
平次はもう一度話の
「勘當するくらゐですから、仲の惡いのは町内でも評判ですよ。何しろ親御は溜める一方で、若旦那は費ふ一方ですから、それにさう言つちや惡いが、親旦那はあまり人情や義理にこだはる
「若旦那の
「隣町の
「さぞ綺麗なことだらうな||
八五郎がまた横から口を出します。
「大してお綺麗といふ程ではないが、可愛らしい優しい人ですよ。親孝行で働き者で、その上愛嬌があつて」
「親は?」
「可哀想に
「怪我をした番頭の香之助は若旦那と格別親しいといつたやうなことはないのか」
「そんな事はございません。あの香之助といふ人は三代も前からの番頭で、親の香兵衞、お祖父さんの香七から、忠義を勵んだと言はれて居ります」
「それで、
「加納屋には、そんな仕來たりがないさうで、出店も別家も孫店も、ありません。皆んな一生奉公で」
それは恐ろしい犧牲ですが、その犧牲をさへ意識しないほど、代々の香七、香兵衞、香之助は忠義一途に
「その香之助へ、お組といふ娘が大層よく世話をして居たやうだが||」
「へツ、へツ、お互に若い人ですから」
下男猪之松は、何やら
その事件があつてから五日目の朝でした。八五郎の『大變ツ』が、
「どうした、八」
平次は日頃の冗談も飛び出さないほど、八五郎の樣子が
「到頭やられましたよ」
「誰が?」
「加納屋の香之助ですよ。あの怪我も治りきらないのに、土藏の前で、背中から一と突きにやられてゐます」
「そいつは俺の手ぬかりだ」
平次は少しあわてました。八五郎と一緒に福井町に飛んで行つた時は、もう晝近い頃。
「濟みません、親分。
迎へてくれたのは老番頭の忠吉でした。
それを尻目に、人立ちのする中庭に入つて行くと、香之助の死骸は、縁側から部屋の中へ運び入れて、主人五郎次が指圖役に廻り、下男の猪之松と、下女のお富が何や彼と世話をして居り、もう一人の下女||遠縁の娘といふお組だけは、この家でたつた一人の泣き役で、貧し氣な香之助の床の前を飾りながら、せぐり上げ、せぐり上げ泣いて居るのです。
「親分、又この騷ぎだ、||私はもう、つく/″\いやになりましたよ」
主人の五郎次は、縁側に立つて、しかめつ
「飛んだことでしたね、一寸拜まして下さい」
平次は穩かに受けて、死骸を見せて貰ひました。香之助は頭の繃帶もまだ取れて居りませんが、それでも何にかわけがあつて夜中に外へ出たものでせう。見ると兩手にひどく泥が附いて、傷は左の背中||腰のあたりから、上向きに突き上げたもの、恐らく心の臟まで刄先が屆いて居ることでせう。
「刄物は?」
「ありませんでしたよ」
「長目の
「||」
主人は
「土藏の前を見せて貰ひませうか」
「では||」
主人が案内して、平次は土藏の前の、香之助の殺された現場に行くと、八五郎と忠吉と、下男の猪之松がその後ろから跟いて來ました。
「此處だつたな、猪之松」
主人の五郎次は、土藏の後ろ||土臺下の一角を指さしました。
「へエ、その邊だつたと思ひますが||」
土臺下は少し掘り散らされて、血の附いた
「戸締りは?」
「今朝縁側の戸が一枚開いて居りました」
猪之松が答へました。
「この前の時は、皆んな締つて居たと言つたやうだな」
「どうも、あの時の事が、まだ不思議でなりません。香之助さんが外へ出たところだけでも、開いて居なきやならない筈ですが」
「誰か小用に起きて、締めたんぢやありませんか、||宵に締め忘れたものと早合點して」
主人の五郎次でした。
「店とか切戸とか、裏口とか、外から曲者の入つた場所はなかつたのか」
「裏口が開いて居りました」
「行つて見よう」
平次は八五郎と猪之松だけをつれて、裏木戸に廻つて見ました。此處も恐しく嚴重で、物凄い忍び返しを越えて、中へ忍び込むことなどは思ひも寄りません。
「こいつは、内から締つて居ちや、外からは容易に入れませんね」
八五郎は締りの嚴重さに舌を卷いて居ります。
「
平次は簡單にその謎を解きました。
「この家に裏切者が居るわけで||」
「さうとは限らないが」
平次は何やら深々と考へ込んでしまひました。事件は
「親分、妙なことがありますが」
八五郎は物置の傍で、うさんな鼻をふくらませて居るのです。この時、猪之松はもう用事が濟んで母屋の方へ引揚げて行きます。
「何んだい」
「草花や植木なら兎も角、わざ/\名も知れない雜草を植ゑて仕立てる者があるでせうか」
「||」
平次は八五郎の指さすあたりを覗きました。手頃ではあるが、頑丈といふ外には取柄のない物置の、東側の土臺のあたりを、ひどく掘り散らしたらしく、新しい土が散亂してをりますが、それを丁寧に掻きならして、上に名もなき雜草が植ゑつけられ、激しい日光に半分
「誰にも言ふな、||ところでお前は御苦勞だが、本所に世帶を持つてゐるといふ、この家の惣領の
「へエ」
「家は番頭の忠吉が知つて居るだらう。本人夫婦に逢つて、いろ/\訊いた上、
「そんな事ならわけはありませんよ。それぢや親分」
八五郎は母屋へ飛んで行くと、忠吉から何やら訊いて、直ぐ飛び出してしまひました。
八五郎の報告は、その日のうちに、明神下の平次の家で受取りましたが、これがまた、思ひも寄らぬものでした。
「加納屋の惣領の練太郎は、女房のお
「エツ」
それは平次に取つても豫想外でした。いつものこと乍ら、三輪の萬七は此處へもまたちよつかいを出して、平次の向うを張るつもりでせう。
「三輪の親分が、この間から福井町へ來るといふことは聞いて居ましたが、散々調べた末、勘當された惣領の練太郎が、番頭の香之助に手引きさして加納屋代々が埋めてあるといふ、金の
「俺も一度はさう思つたよ、||ところで三輪の親分が、練太郎夫婦を縛つて行つたのは何時のことだ」
「それが昨日の夕方だから變ぢやありませんか。||香之助が殺されたのは、どう考へても、昨夜の
「すると、加納屋の金を
「それが變ぢやありませんか。ね、親分」
「俺には少しわかりかけた事があるが、||いや、まだお前に話すほど
平次は口を
「あんまり
「業腹と空き腹は、お前につきものだが、何にか面白いことがあつたのか」
「加納屋の若旦那の練太郎が、勘當になつたのは、好きな女を女房にしたり、金づかひが少し荒かつたせゐもあるが、何より親旦那をつかまへて、||代々多勢の人を泣かせて金を溜め、瓶へ入れて隱して置くといふのは馬鹿氣たことだから、取り出して世の爲にも人のためにも、加納屋のためにもなることに費つてしまへ||と言つたのが惡かつたんですつてね」
「尤もなことだな」
「だから、近所では若旦那の方の肩を持つて居ますよ。おまけにあの加納屋五郎次と來たら、
「||」
「それに、加納屋の主人と來ては、三年前に内儀が亡くなつてからは、若い時の女道樂が内の方へ向いて、金のかゝらない、手數のいらない女癖が
「イヤなことだな」
平次はそれつきり何んにも言ひませんでした。事件は最後の大詰まで、噛み合ふ齒車のやうに、強力な必然性で、モリモリと押し進んでゐたのです。
「それから、今日急に思ひ立つて、香之助の
「佛壇の引つ越し? 主人が言ひ出したのか」
「今まで店の隣りの六疊にあつた大佛壇を、奧の自分の部屋に引つ越させましたよ。大した信心氣ぢやありませんか」
「||」
「それから近所の噂は? こいつはあまりあてにならないが、評判の惡いのは主人と番頭の忠吉で、御近所の受けの良いのは、若旦那の練太郎と、番頭の香之助と、下男の猪之松と、それから下女のお富ですよ」
「もう一人の下女のお組は中に入つてゐないやうだが」
「あれはまだ小娘で、可愛らしいといふだけのことぢやありませんか。憎まれもしなければ
これは
それから七日經つた朝、加納屋を見張らせて居た八五郎は、三度目の『大變』を持ち込んで來たのです。
「又一人やられましたよ、親分。あの福井町の加納屋で」
「誰がどうしたんだ」
「主人の五郎次が、
「何んだと?」
「
「場所は?」
「奧座敷の縁側で」
「よし、行かう」
平次は
「時刻は?」
「今朝、番頭の忠吉は店に居たさうです。お富とお組はお勝手に、下男の猪之松は使ひに出てゐたやうで」
「兎も角、現場を見なきや」
平次が乘込んだ時は、加納屋は無氣味な不安と
話すのは皆んなコソコソと囁くやうで、歩くのはすべて爪立ちをするやうです。
奧へ入つて見ると、主人の死骸を始末して居るのは、急を聞いて驅けつけて來たらしい、勘當された伜の練太郎と、その若い女房のお
下男の猪之松は庭でウロウロして居り、番頭の忠吉は佛樣の飾り物の世話に手一杯で不氣味な出來事に恐れをなしたか、親類の衆も近所の人達もまだ來ては居りません。
平次の顏を見ると番頭の忠吉は、留めを破つた水の樣に、恐ろしい達辯で説明しました。
「ほんの一寸の間でした。今日は兩國に仲間の參會があるとかで、朝の食事が濟むと、縁側の明るいところで、いつものやうに御自分で
「||」
「お組さんが、お勝手で殘つた釜の湯を沸し直し、
「切戸が裏には開いて居たことだらうな」
平次は問ひを挾みました。
「裏には開いて居りましたが、其處から土藏の
「お勝手には」
「お組さんが居ました。お富の方は一寸用事があつて、店の方へ來て居ましたが」
「||」
平次はそれを聽きながら、死骸を調べる氣になりました。五十前後の達者な男を、
「御覽の通りです。私は親父とは隨分仲が惡う御座いましたが、それでも殺した相手は放つちや置けません。一體誰が斯んな
伜の練太郎は、生前の不孝を思ひ出したか、思はず聲が濡れます。
「||」
平次はうなづいて、死骸の傷のあたりを丁寧に見てゐます。
傷は右の首筋||
平次は一とわたり見終ると、お勝手の方へ入つて行きました。其處には下女のお富とお組が何やらヒソヒソと話して居ります。
平次はそれにはお構ひなく、お勝手の流しと下水のあたりを覗き、それから引返して、
「お富さんと言つたネ」
年を取つた方の下女に聲を掛けました。
「へエ」
「ちよいとお前は店の方へ行つててくれ」
「へエ」
お富は何が何やら解らずに立去りました。その後ろ姿を見送つて平次は、眼配せして八五郎を廊下に立たせ、恐れをのゝく、若い下女のお組と、
「お組、自分では氣がつくまいが、お前の
「||」
お組は平次の顏をチラと見ましたが、そのまゝ首を垂れて、
「流しの隅から下水に桃色に水が溜つて居ることにも氣がつくまい。||いくら
「||」
「お前は主人に頼まれて、顏剃の湯を持つて行つた。すると主人は剃刀まで用意して居たが、フトお前にからかつて見たくなつたことだらう||主人は多分お前を押し倒したことだらう、||その時、お前の右手はフト主人の用意した剃刀に觸つた。無我夢中で取上げて、それを力任せに振りまはしたことだらう。||氣が付いて見ると、主人は仰向けに倒れて、喉から血が噴いて居る。お前はさぞ仰天したことだらうが、主人が間もなく息が絶え、お前の右手には、ひどく血が
「||」
平次の論告は、その眼で見て居たやうに、正確に鮮明です。
「お前は
ツイ癖になつて居る十手を拔いて、お勝手の板敷の上を、立て膝のまゝ、トントンと叩いたのです。
「その通りです、親分。少しも違つては居りません。どうぞ私を縛つて下さい」
「||」
「でも、旦那は、香之助さんを殺しました。そして十日も經たないうちに、私にあんな事を言ふんです。||夫の仇を討つていけなかつたでせうか。私は、香之助さんと||」
「よし/\、多分そんな事だらうと思つたよ。だが、主殺しを許すわけには行かない。お前は
「へエ」
八五郎は廊下からヌツと顏を出しました。
「お前はお組を見張つて居るんだ。宜いか、逃がしちやならねえよ。
「へエ」
八五郎は不承々々ながらこの娘の監視を引受ける外はなかつたのです。
伜の練太郎は平次を待つて居りました。
「親分、父を殺した下手人は解つたでせうか」
それは父親の五郎次と違つて、
「解りましたよ、若旦那」
「誰です、それは、親分」
「それを話す前に、少し聽いて貰ひたいことがある」
「?」
「加納屋の代々が、黄金の一杯入つた
「私は加納屋の惣領だから、それはよく知つて居ります」
「それは何處に隱してあるのです」
「それがわからないので、父親も長い間苦勞して居りました。三代前の主人が不意に死んで小判の瓶を隱した場所を遺言する間もなかつたさうです」
「||」
「家の廻りから土藏の土臺下を掘つたのはその爲||つまり小判を
「||その仕事を、旦那は番頭の香之助に言ひつけ、家の者が寢靜まつてから、彼方此方と掘らせた、||フトした事から主人は、佛壇の中に||多分剥がすことの出來ない裏板か何にかに||祖先の隱した書置を見付け出し、それ程の寶を、香之助に掘らせかけたことを後悔した」
平次は自分へでも言ひ聽かせるやうに話し續けるのでした。
「||」
「さう言つては濟まねえが、亡くなつた御主人は慾が深過ぎた。金の
「||」
「外から曲者が入つたと見せる細工を、主人は取りのぼせて、うつかり忘れたのだ」
「||」
「だが香之助は正氣に返つた。傷も大したことがなかつたので、考へて見ると口惜しくてたまらない。傷の手當で寢て居るうちに、フト隣りの部屋の佛壇に氣がつき、そつと忍んで行つて、小判の瓶の隱し場所を知つたことだらう。傷は
「||」
「それを知つた主人の五郎次は、そつと追つかけて行つて、
「||」
「それから主人は、物置の東側にあつた死骸を、土藏の土臺下に移し、香之助の掘りかけた穴を埋めて、その上の土をならし、夜目ながら草まで掘つて來て植ゑた||これは少し細工が過ぎて、
平次の説明は、かなり
「何處です、それは親分」
「あの頑丈な物置の床下だ」
「行つて見よう」
瓶で幾杯かの小判は、さすがに練太郎を興奮させたのです。
平次を先頭に、誰も彼も物置に向ひました。ありつたけの鍬と
其處から現はれた、大きい瓶が五つ。
「サア、若旦那、こいつはお前さんの手で開けなきやなるまい」
「錢形の親分、
練太郎は慾のないことを言ふのです。
「見上げたことだな」
「私は前からそれを言つて、父親と仲違ひをしてしまひました。今ではもう、私の考へに
練太郎の手は、腐つた繩を切つて、第一の瓶の蓋を勢ひよく拂ひのけました。
「あツ」
その中から現はれたのは、
練太郎はあせつた心持でした。
「それ、次にこそ」
が第二の瓶も、第三の瓶も、そして第四の瓶も、悉く青錢ばかり。最後にあけた第五の瓶だけは、さすが小判と小粒取り交ぜて、ざつと千兩ほど入つて居るのでした。
「何んといふことだ、||飛んだ恥かしいことで」
練太郎は
「いや、それで宜いのだ。天下通用の寶を、無暗に土の中に埋められては
平次は苦笑ひをするのです。
「でも、これで、飛んだ清々しましたよ」
少しは極りが惡さうでしたが、練太郎は思ひの外
「寶搜しといふ奴は、大方こんなものだ」
平次は
「ところで、親の敵は、親分」
練太郎は改めて訊くのです。
「八五郎が見張つて居ますよ。オーイ、八、何處に居るんだ」
「此處ですよ、親分」
小判の瓶||いや青錢の瓶を取卷く人數の中から八五郎は長んがい顏を出しました。
「お前に見張らせて居た娘は?」
「逃げてしまひましたよ」
八五郎の氣樂さ。
「何んだと?」
「もう江戸から出て箱根の關所へかゝつたかも知れません。||それとも親分は、あんな可愛らしい娘を、主殺しで
「もう宜いよ。仕樣のない野郎だ」
平次ももう一度苦笑する外はありません。
「親分の言ひつけ振りは、不斷にもない、恐ろしく念入りでしたよ||あの謎が解けなきや、あつしは錢形の子分と言へねえ」
「何をつまらねえ。
「へエ」
右手に十手を引つ