「親分、お早やうございます。今日も暑くなりさうですね」
「大層丁寧な口をきくぢやないか。さう改まつて物を申されると、借金取りが來たやうで氣味がよくねえ。矢つ張り八五郎は格子を蹴飛ばして大變をけし込むか、庭木戸の上へ長んがい
平次も充分相手が欲しさうでした。お盆が過ぎると、御用の方もすつかり
「今日はお使者ですよ。大玄關から入らなくちや
「成程御上使樣のお入りと來たか、そいつは氣が付かなかつた、||待ちなよ、
錢形平次と八五郎は、何時でもかう言つた調子で話を進めるのでした。それはひどくビジネス・ライクではありませんが、
「それ程でもねえが、頼んだ相手が惡いから、親分は素直に聽いちや下さるまいと思つてね、ツイ格子を開けるんだつて、小笠原流になるぢやありませんか」
八五郎は首筋をポリポリと掻いてをります、餘程切り出し兼ねたのでせう。
「大層氣が弱いんだね、遠慮はいらないから、眞つ直ぐにブチまけなよ。どうせ御大身が召し抱へて下さる
「
「八五郎ぢやねえが、俺も生れつき
かつての
「ケチで高慢で、口やかましくて、西兩國の
「何があつたんだ」
「紛失物ですよ。身にも家にも代へられない寶だが、世間へ知れると殿樣のお名前にも
「馬鹿野郎ツ」
平次はツイ怒鳴りたくなりました。夕立雲のやうな憤怒が、ムカムカと込み上げたのです。
「小判で百兩ですよ、親分」
「小判だつて青錢だつて、百兩に變りはねえが、俺はそんな仕事は嫌ひだよ」
「でも」
八五郎は押し返しました。百兩といふ金があれば、半歳溜めた家賃を拂つて、女房のお靜に氣のきいた
「搜し物をしてやつて金を儲ける氣なら、兩國の橋の
「でも百兩ですよ、親分。相手は有り餘る金だ。御家の重寶
八五郎は
「角の酒屋の女隱居が、三毛猫が行方
平次も少し穩やかになりました。八五郎がさう言つてくれる心持がよくわかるからです。
「成程ね、二分の仕事を蹴飛ばして、百兩の仕事は引受けられねえといふんで、||腹は立つが、あつしは嬉しいね、親分」
「何を高慢な事を言やがるんだ」
「それぢや、唯の仕事ならやつてくれますかえ親分。こいつは
「止せやい、變な
平次はからかひながらも、この
「親分も御存じでせう。兩國
「話には聽いたよ。大層
「玉川權之助は大したものぢやありませんがね、一座の花形で、娘太夫の
「フム」
「年の頃は十八九でせうか、恐ろしく小柄で身體が輕くて、お人形のやうに可愛らしいから、十三四の小娘のやうですが、話をさせると子供ぢやありません」
「それがどうした」
「あんな身輕な藝は見たことも聽いたこともありませんよ。親方の玉川權之助が、頭の上に兩手を突き上げると、そのてのひらの上で、
漢の成帝の
「それがお前を
「あつしを口説いたのなら、默つてニヤニヤしてゐますよ。ところがその
お勝手で晝の支度をしてゐるらしいお靜に、かう障子越しに聲を掛ける八五郎です。
「耳を塞いでゐますから、豆腐屋さんが來たら、呼んで下さいよ」
お靜も近頃は、これくらゐの應酬は心得てをります。
「その
「何が怖いんだ」
「それを聽かうとすると、道化の權八が、舞臺に穴があくからと、大變な見幕で搜しに來ましたよ」
「||」
「ちよいと行つて見ませんか。柄は小さいが、身體が
「馬鹿、そんな女の言ふことをきいて、ノコノコ行かれるものか、殺される殺されると言つた人間に、あんまり殺された
「でもこいつは褒美も何んにもありませんよ。ちよいと覗いて見たつて、親分の顏にも名前にも
「その愛嬌が褒美ぢやないか。お前には丁度手頃な仕事だ、精々見張つてゐるがいゝ。今に怖い兄さんが、
「そんな嫌なんぢやありませんよ」
八五郎はもう一度誘つて見ましたが、平次はこれも聽いてくれさうもありません。百兩も二分も、美女の愛嬌も平次に腰をきらせる魅力ではなかつたのです。
それから二三日經つたある朝。
「サア、大變。親分、今度はお膝元だ。嫌も應もねえ」
飛び込んで來て、手を取らぬばかりに八五郎はわめき立てるのです。
「どうしたんだ。どこの
「そんな氣樂な話ぢやありまやんよ。富澤町の
「何んだと」
「同じ町内の喜代次親方があつしの家へ飛んで來ましたが、親分にも早いとこ見て置いて貰ひてえと思つてね」
「よし、一緒に行かう」
手早く支度をして飛び出すと、
「親分、御苦勞樣で」
路地に待つてゐたのは、よく肥つた、小作りの中年者でした。
「お前さんは?」
「富澤町の喜代次でございます。出入りのお店の大事で、飛んで參りましたが、へエ」
植木屋||と後でわかりましたが、色白で
「泥棒がどうして入つて、何を盜つて、誰を殺したんだ」
「どこから入つたか、少しもわからないさうで。奪られたのは、命にも金にも
喜代次はなか/\話上手ですが、
富澤町の和泉屋といふのは、路地を入つたしもた屋ですが、金貸しで繁昌してゐる家だけに構へも立派、板塀に高々と忍び返しを打つて、容易に近づけさうもない家造りです。
主八の宗助は五十六七の
「泥棒がどこから入つたか、どこから出たか、少しもわかりません。庭先で大變な騷ぎが始まつたので、私が手燭をつけて、雨戸をあけて外へ出ると||」
「話中だが、その時雨戸は
平次は言葉を挾みました。宗助の説明は一人呑込みで、相手の心持などを考へてもゐない樣子です。
「確かに締つてをりました。私は戸締りのやかましい方で、夜休む時一應家中の戸締りを見廻ります、||私が出たのは、奧の六疊の前の縁側ですが、雨戸は上下の
「で?」
「庭の中に倒れてゐる者があります。手燭の灯りで見ると、それは目黒の實家へ用事で歸つて、昨夜は其處へ泊つて來る筈だつた、番頭の勘七ぢやございませんか。胸のあたりを一と突きやられて、血だらけになつて息が絶えてをりました」
「時刻は?」
「
稼業柄、餘つ程近所附き合ひが惡さうです。
「庭先で番頭が殺されてゐたことは間違ひないとして、泥棒が入つたとはどうしてわかつたのだ」
「御尤もでございます。私は大變なことを言ひ落しましたが、朝になつて氣がつくと、私の部屋の
「大事な品といふと?」
「それは申上げられませんが、私の
「それは大きい品か?」
「いえ、至つて小さいもので」
「書面のやうな」
「そんなものとも違ひます」
「品物がわからなきや、曲者もわかるまいよ。曲者がわかつたところで、取り返す當てもあるまい」
「そんなものでせうか、親分」
宗助の顏には、恐ろしい困惑の色が浮びますが、それでも奪られた品のことは打ちあけさうもありません。
それでも念のために番頭勘七の死體を見せてもらひました。
裏の三疊に、型ばかりの床を敷いて、犬つころの死骸のやうに投り出されてゐる番頭の勘七は、四十五六の不景氣な男で、主人の説明によると、この店へ來てからまだ半年にしかならず、知合ひを
傷は出合ひがしらに胸を突かれたものの、刄物は幅の狹い匕首らしく、
家の者に一應逢つて見ましたが、構への割には至つて無人で、召使ひと稱する||實は主人の
その中で筋の立つたのは妾のお富だけ、
「勘七どんは
そんな世間並のことを言つてゐるくせに御用聞の平次にまで、無用の
「庭の木戸は外からでも開くのか」
「家の者||それも主人と私と勘七どんくらいしか知りませんが、輪鍵がゆるんでゐて、外からトンと叩くと
「いや、いゝ」
嚴重なやうに見せかけて、案外妙なところに手拔かりのある家を、平次は時々見てをりますが、これはまた少し念入りの手ぬかりです。
「昨夜主人が起き出したのを知つてゐるだらうな」
「知つてますとも。同じ部屋に寢てゐたんですもの」
恥を知らない女は、こんなことをヌケヌケと||いくらか自慢らしく言ふのです。
「下女のお濱は?」
「あれは離れてゐますが、四十女ですから、あれだけ騷ぐと、徳松と違つてすぐ眼を覺まします」
これがお富から聽き出せる全部でした。
丁度驅けつけてくれた、土地の下つ引、柳原の國松ともう一人に、目黒の勘七の實家まで行つてもらひ、庭に降りて
「相濟みません、||矢張り盜られた品のことを申上げて、親分さんに力になつて頂く外はないと思ひまして、へエ」
「俺に言ひたくねえ品なら、俺も聞きたくねえよ。その代り妙な疑ひを
「と、飛んでもない、親分、||實は、今から三年前、私がまだ上方にをりました頃、さる人から、高い金を出して讓り受けた品でございます。九州の大々名の御部屋樣が、わけがあつて、そつと金に代へたいと申すんださうで」
「何んだえ、それは?」
「
「?」
「
「||」
平次も驚いてしまひました。黄金や
「驚きましたね、親分」
「あれが本當なら大變なことだ、||もう一度家の内外を調べて見よう」
「こちとらの眼玉をくり拔いたつて、そんな値には買つてくれませんよ。親分、ありや
「誰がお前の眼玉を買ふ奴があるものか、||來い、八。俺はその泥棒の入つた場所が知りたい」
平次は調べ直しました。が和泉屋の戸締りは鐵の藏のやうに嚴重で、土臺下を掘つて入つた形跡がなく、
「八、こいつは
平次の聲は
「こゝにその梯子がありますよ」
「こゝへ掛けて登つて見てくれ。引窓があるだらう、||俺は家の中から見る」
「よし來た」
八五郎は屋根に登りましたが、間もなくお勝手の引窓が外からでも簡單に開くことを發見しました。
「親分」
バアと上から顏を出す八五郎。
「そこから
「引窓の戸はこれだけしか開きませんよ、精々六寸くらゐですね。それに
「釘?」
「その釘に
「丁寧にとつて來てくれ」
「いづれにしてもこの引窓からは大の男は入れませんよ」
「よし/\、戸はそれきり動いた樣子はないよ、あとは敷居が
平次は八五郎に合圖をして、屋根から降りて來させると、引窓に出てゐる釘から外して來た淺葱の木綿屑を受取つて、丁寧に懷ろ紙の中に納めました。
そこへケゲンな顏を出したのは下女のお濱です。
「今朝この引窓は明いてゐた筈だな」
「開いてゐました。私は締め忘れた覺えはないが、不思議なことがあるものだと思ひましただよ」
「窓の戸は、これより開かないのか」
「それが一パイで、
これでは矢張り曲者が引窓から入つたといふ假定は根本から崩れてしまひさうでした。
こんなことで外へ出ると、眼の前に、道を
「あれは石崎丹後樣の屋敷だつたな」
平次は顎で指さしました。
「さうですよ。三四日前、大事な寶物を奪られたといふ」
「こゝまで來たついでだ、行つて見ようか、八」
平次は妙なことを言ひ出しました。
「二本差と
八五郎は鼻を脹らませます。
「急に田螺和が喰ひたくなつたとでも思へ||兎も角、頼まれた主はお前だ。その用人とやらに會つて、訊くだけは訊いて置かう」
「さうですか」
八五郎は何が何やら、わからぬまゝに、裏門から入つてお勝手口へ掛りました。
さすがに一千五百石の旗本だけに、庭も廣く、建物も和泉屋などと違つて、また一段と豪勢を極めます。
下女に取次がせると、
「これは/\八五郎親分か。錢形の親分も一緒で、それは有難い」
用人の水谷六郎兵衞、恐ろしく
「あつしは平次でございますが、何にか大切なものを
「いや、それだよ。紛失した品物のことは、私も實はよくは知らない。萬事殿樣が呑込んでいらつしやるが、||五十兩百兩の品ならそのまゝ諦めもするが、こればかりは身にも家にも代へ難い、何んとしてでも取戻すやうにと仰つしやるのだよ」
「品物がわからないと、手のつけやうもありませんが」
「では、ちよいと待つてくれ。殿樣に伺つて來るから」
用人水谷六郎兵衞は一たん奧へ引つ込みましたが。やがてあたふたと戻つて來て、
「殿樣が直々お會ひになると仰つしやる、||こちらへ」
奧の方へ案内するのです。
家はさして廣くはなく、旗本屋敷の特色的な建築で、天井が低く、窓は小さく、
金を持つてゐる町人の住家より、貧乏な武士の屋敷の方が遙かに戸締りの嚴重だつたのは、萬一筋違ひの怨みや、押込みなどに入り込まれて、
それはさて措き、離屋のやうになつた奧の一と間には、脇息にもたれて、主人石崎丹後は平次を待ちました。
「平次か、いや、飛んだ無理を申して濟まぬな。遠慮はよい、近う參れ」
高慢なやうな、丁寧なやうな、ぞんざいなやうな、
思つたより若くて、精々四十五六、
「恐れ入ります。紛失の品と、それを狙ふ者のお心當り、無くなつた
平次は疊に手は置きましたが、
「尤もなことぢや、紛失した品と申すのは
「それは」
「
「それほどの品を」
「油斷であつたな。居間の手文庫に入れて、違ひ棚の上に載せて置いたのを、四日前の晩、盜賊が入つて、手文庫の
「そのお居間は?」
「こゝだよ。この違ひ棚に置いて、予は隣りの部屋に休んでゐたのだ。翌る日の朝まで、何んにも知らなかつたのは、まことに不覺であつたが||」
「御家來衆の中に、疑はしい者はございませんか」
平次はさう訊くのが順序だつたのです。
「いや、それは安心してよい。皆心を許せる者ばかりで、疑はしい者は一人もない。それにこの部屋と隣りの部屋は、
「戸締りは?」
「申分のない嚴重さだ、||翌る朝廊下の戸を奧が開けて、女共を呼んで窓や縁側を開けさしたが、戸締りには少しの變つたところもなかつた筈だ」
「恐れながら、さう承はりますと」
「予か奧が怪しいといふことになるか、ハツ、ハツ、ハツ、それは大丈夫だ。予は予の物を盜む筈もなく、奧は一寸も寢部屋から出なかつた筈だ。それに手文庫の錠前を破つたのは容易ならぬ力だ」
さう聽けば疑ふべき節もありません。
普請の嚴重さはこの上もなく、天井にも床板にも、押入の中にも何んの變化もなく、それには天窓も引窓もないのですから、猫の子一匹入る隙間もなかつた筈です。
平次は殿樣の前を下がると、庭下駄を借りて八五郎と一緒に庭へ降りました。
「驚いたね、親分。こゝでも夜光の珠だ」
「シツ、聲が高いよ、八」
八五郎はペロリと舌を出します。
廊下續きの離屋になつてゐる二た間の外から一とめぐり、もう一度夜光の珠の紛失した部屋の前へ來ると、
「おや、變なのがありますぜ、親分」
八五郎は、和泉屋のお勝手の外で見付けたのと同じやうな、
「梯子を借りて來るがいゝ」
飛んで行つた八五郎は、間もなく九つ梯子を一梃、輕々と引つ擔いで持つて來ました。
「どこへ置きませう」
「その穴へそつと置くがいゝ、||おや、おや、梯子の
「登つて見ませうか」
八五郎は平次の返事も待たずに、スルスルと登ります。
「その欄間の障子が外れるだらう」
「外れますよ、||この通り」
「そこから潜つて入れるだらう」
「先刻の和泉屋の引窓と同じことですよ。欄間は精々六寸位しかありませんよ。手や足なら通るが、頭はどう工夫しても通るわけはありません」
「鼻と耳を
「冗談ぢやない||のつぺら坊ができますよ」
「人の潜つたやうな樣子はないか、隣の欄間と
「おや/\隣りの欄間は
「それが面白いところだ。もういゝ、のつぺら坊になられちや困るから、もう降りて來い」
「へエ」
平次と八五郎はそれから又庭を一
「こゝだよ八」
平次は裏手の方の塀の一箇所を指さしました。その通りの士が砂に踏み固められて、塀の上も他のところと違つた、
「さう言へば變ですね」
「ちよいと肩をかしてくれ」
「何をするんで?」
「呑込みの惡い奴だな。門へ廻るのが面倒だから、こゝから外の樣子が見たいのだよ」
「へエ、かうですか」
塀へ
「外には矢張り石と材木が積んであるから、足場には不自由しねえ、||それに塀の上の樣子や、土の踏み固めた具合では、曲者がこゝを通つたのは、一度や二度ぢやないやうだ。隨分長い間狙つてゐたんだらう」
「もういゝんですか、親分」
「馬鹿だなア、何時まで塀にへばり着いてゐるんだ、屋守の伯父さんと間違へられるよ。いや、冗談は冗談、御苦勞々々々、お蔭でよくわかつたよ」
「もう見て置くことはありませんか」
「ないよ、||あ、このお屋敷へ出入りしてゐる植木屋は誰だらう」
「御用人に訊いて來ませう」
飛んで行つた八五郎、やがて
「和泉屋に入つてゐる、あの肥つちよの喜代次ですよ」
「さうか、よし/\」
「あの植木屋が怪しいんぢやありませんか。植木屋なら梯子の使ひ方も心得てゐるし、和泉屋の裏木戸が、外から手輕に開けられることも知つてゐるわけで||」
八五郎はなか/\良い勘を働かせます。
「お前の智慧にしちや大したものだな。だがな、八。もう少し考へて見なきや」
平次は何やら考へながら外へ出て行きました。
「どこへ行くんです、親分。道が違やしません」
廣小路へ出ると、橋の方へ向つて行く平次の後ろから、八五郎は聲を掛けました。
「
「そいつは親分にしちや上出來ですね||第一道化の權八が喜びますよ。
そんなことを言ひながら、半永久的に建てた玉川權之助の
小屋は小さくて粗末なものですが、近頃江戸中の人氣を集めて、中は一パイの入りです。番組は丁度娘達の玉乘りの眞つ最中、下座の賑やかな
それが濟むと、怪奇な道化役が出て來ました。何方かと言へばヒヨロ長いクネクネとした男、顏はまさに繪に描いた
いや平次ばかりでなく、小屋一パイの見物はどつと笑ひ崩れました。道化の權八はその
「とざい、東西||」
と拍子木を叩くのです。
「先づは太夫を、舞臺正面まで
チヨンチヨンと舞臺を斜めに引つ込むのです。それを合圖に右から出て來たのは、一座の太夫玉川權之助、三十前後のこれは小作りではあるが、鐵で
左から出たのは一座の花形玉川
正面に立つてにつこりすると、
玉川權之助は、身支度を整へて、いろ/\の身輕な藝當を見せ、續いて燕女は、
賑やかな
賑やかな囃子につれて、燕女の手には
小屋一パイの歡聲が、波のやうに湧き起ると、燕女はそれに應へて掌の上ににつこりします。
「どうです、親分。大したものぢやありませんか」
ガラツ八の八五郎は、八つ手の葉つぱのやうな
「よし/\、お前の言ふ通りだ。が、あの身輕さで、あの小さい身體なら、引窓だつて、自由に潜れるぢやないか」
「何んです、親分」
八五郎は駭然としました。平次の言葉はまさに青天の
兩國の見世物小屋は、東西ともに暮六つまで。玉川權之助の一座も客を送り出して木戸を閉めて、舞臺化粧を洗ひ落してゐるとろへ、平次と八五郎が入つてゆきました。
薄暗くなりかけた樂屋裏。
「これは錢形の親分さん」
權之助は商賣柄平次の顏を知つてゐたらしく、あわてて
「そのまゝでいゝよ、||ちよいと訊きたいことがあつて來ただけなんだ」
「へエ、へエ、何んなりと」
「外ぢやないが、お前達の生れはどこなんだ。皆んな故郷が違つてゐることだらうと思ふが」
「へエ、諸國の集まり者でございますよ。私は武州川越で、權八は三河の國の才造くづれ、
さう言ふ權之助の素顏は、引緊つて
「泉州堺といふと、ツイそこにお屋敷を持つていらつしやる石崎丹後樣は。長い間
「石崎の殿樣は、私の父親が
側から應じたのは燕女でした。何んの邪念も掛引もない聲です。そして薄暗がりに平次を見上げた素顏は舞臺顏よりも清潔で可愛らしくて、そのまゝ引寄せて頬摺りしてやりたい衝動に驅られる顏です。
粗末な浴衣に、赤い帶、
「するとお前は||」
「父親は堺の町名主を勤めてをりました。今田屋茂左衞門と申しまして、||兩親に亡くなられて、江戸の叔母を頼つて參りましたが、それも行方
燕女はこれだけのことを、スラスラと言つたわけではありません。平次の
「それぢや、富澤町の和泉屋も知つてゐるだらう」
「あの人は船頭でした。石崎樣の
燕女から引出したのは、これで全部でした。やがて暗くなつて行く樂屋を見捨てて小屋の外へ出ると、そこに待つてゐたのは道化の權八の、これも白粉を落し、鼻の下の
「錢形の親分さん、御苦勞樣で」
「飛んだ邪魔をしたね」
「あの、ちよいとお耳を||」
「何んだえ、八五郎なんか邪魔にすることがあるものか、そこで言ふがよい」
「外ぢやございませんが||」
「どうしたんだ、權八」
「へエ、イエ、これは私の思ひ違ひでございました。飛んだことを申上げて濟みません。お許しを願ひます」
「待て/\」
八五郎が追つかける
「八、あれを見るがよい」
「へエ?」
平次の指さした方、輕業小屋の樂屋口には僅かに殘る雀色の夕あかりの中に、ほの白い顏が
「
八五郎もわかつたやうな顏をしてうなづいて見せました。
その夜目黒から歸つて來た下つ引は、和泉屋の番頭町勘七は、目黒の實家の法事に歸つたに間違ひはなく、泊つて行けといふのを振りきつて、用事があるからと夕方から兩國の店へ歸つて行つたとわかりました。勘七に
「ね、親分。勘七を殺したり、
「まだわからないよ」
八五郎の問ひに、平次は氣乘りのしない顏で答へました。
「燕女でせうか」
「どうもさうらしくないから不思議だ」
「外に怪しいのはないぢやありませんか」
「あり過ぎて困るよ」
「へエ?」
平次の答へはあまりにも豫想外です。
「例へば、和泉屋の主人の宗助だつて、やらうと思へばできないことはない。何にかわけがあつて、石崎丹後樣の夜光の珠を盜んで、自分のと
「
「それがわかれば宗助を縛るよ」
「それつきりですか」
「植木屋の喜代次だつて怪しくないことはない。和泉屋と石崎樣と兩方に出入りしてゐるし、まだ雨戸の開いてゐる宵に忍び込んで、朝下女が雨戸を開けた後で、そつと飛び出し、庭でうろうろしてゐたつて、出入りの植木屋なら、誰も變には思はないだらう」
「それぢや植木屋を」
「あわてるな八、植木屋では夜光の珠に縁がありさうもない、||外に石崎家の用人の水谷とか言ふ人だつて、やらうと思へばできないことはない」
「?」
「何んだつて梯子を持ち出したり、引窓を開けたり、
「燕女が怪しいんでせう、あんな綺麗な顏をしてゐる癖に」
「あの娘は、あんまり明けつ放しで疑ひやうはない、||これから玉川權之助一座の宿へ行つて見ようと思ふが、お前つき合つて見るか」
「行きますとも」
二人は又飛び出しました。もう
平次と八五郎はいきなり玉川權之助の宿を襲つたのです。
「氣の毒だが、ちよいと家の中を見せて貰ふよ」
「へエ、へエ」
權之助と
「權八はどこに泊つてゐるんだ」
「
「ついでにそれも見せて貰はうか」
平次と八五郎は權之助の案内で階下の四疊半へ行くと、廊下でパツタリと
權八の部屋にも何んにも注意を
「權之助と燕女は夫婦ぢやないのか」
「飛んでもない。二人は兄妹のやうにしてゐますが、嫌らしい素振りなんか少しもありませんよ」
「夜分外へ出ることはないのか」
「滅多に出ません」
「
「二人共早く休んだやうで」
「權八は?」
「あれは道樂者ですよ、宵のうちに歸つたことなんかありやしません。昨夜も遲く歸つて來たやうで||仲町を一と廻りして來たとか言つて、お酒の匂ひをさせてゐました」
「權八と燕女の仲はどうだ」
「あんまり仲の良い方ぢやありませんね」
これが宿の女主人に訊いた全部でした。二人は諦めた心持で外へ出ると、誰やら闇の中へ、ひらりと消え込んだ者がありました。八五郎は一應追つて見ましたが、それつきり姿は見えなくなりました。
「燕女は一と晩外へ出なかつたさうですね」
戻つて來た八五郎は、ホツとした顏で言ふのです。
「こんな
「さうでせうか」
八五郎には何が何やらわかりません。
「サア、大變。親分、こんなことと知つたら、
八五郎が相變らず大變の
「何がどうしたんだ。まだ俺は朝飯前だぜ」
平次は悠然として御輿も擧げません。
「それどころぢやありませんよ、三輪の萬七親分が、燕女を縛つて行つたさうですよ」
「何んだと」
「三輪の萬七親分、こちとらの後から/\と嗅ぎ廻つて、たうとうあのお長屋に
「騷ぐな、八。俺には別の考へがある」
「どんな考へです。親分、早く何んとかして下さい」
「待て/\、急ぐことはない」
平次は靜かに支度をすると、玉川權之助の宿を訪ねました。
「錢形の親分さん、
「ぢや、俺の訊くことに、正直に返事をしてくれ」
「へエ、それはもう何んでも」
「燕女を怨んでゐる者の心當りはないか」
「怨んでゐる者なんかある筈もありませんよ。命がけで惚れてゐる者ならあります」
「それは誰だ」
「道化の權八で」
「あ、さうか。俺もあの眼は唯事ぢやないと思つたよ、||ところで、その權八は毎晩、夜遊びに出るのか」
「滅多に家にゐたことはありません。
「何? 骨無し?」
「あれは繩脱けの名人ですよ。昔はそれを賣物にしてをりましたが、野郎の繩脱けぢや賣物になりませんから、止してしまひました。あの男の節々は、手も足も首も
「さうか、それはいゝことを聽いた、||
「へエ」
八五郎は飛び降りるやうに
「これがありましたよ。大急ぎで裏の洗濯婆さんのところへやつて、洗つて繕つてくれと、昨日の朝お神へ渡したのを、お神は忘れてゐたんですつて」
平次はそれを受取つて、鼻の先へ下げて見ると、内側が

懷ろ紙の中に入れて置いた、和泉屋の引窓の釘に引つ掛つてゐた、木綿屑を出して、その破れに當てて見ると、色も寸法もピタリと合つて、最早
「八」
「あの野郎ですね」
平次と八五郎が飛び出さうとした時でした。
「親分、お手數を掛けました。和泉屋の番頭を殺し、夜光の珠を二つ盜んだのは、この私に相違ございません。お繩を||」
障子外、縁側にピタリと坐つてゐるのは、外ならぬ道化の權八の、觀念しきつた顏だつたのです。
一件落着の後、平次は八五郎にせがまれるまゝに、夜光の珠の一埒をかう話してくれました。
「夜光の珠は三つあつたのだよ。一つは石崎家、一つは和泉屋、それからもう一つは玉川
「へエ、成程ね」
「最初あれは
「||」
「燕女はあんな娘だから、その夜光の珠を大した大事の品とも思はず、あとの二つは和泉屋と石崎丹後のところにあることまで話してしまつたらしい。權之助も權八もそれを聽いてよく知つてゐる。が、權八は喰へない男だから、夜光の珠の値打が大變なものだといふことを開き
「||」
「ところで、その頃から權八は、身體も心も年頃の娘になりきつた燕女に心を引かれた。年々美しくなる燕女は、一緒に住んでゐる權八には、たまらない
「||」
「ところが、燕女は親方の權之助の方に心を寄せてゐる。毎日舞臺の上で、
「へエ?」
平次の
「權八は
「成程ね」
「その疑ひが燕女の方に向くのを見て、權八は占めたと思つたに違ひない、||
「惡い野郎ですね」
「ところが、縛られて行く時燕女は、權八の手にそつと渡した物が二つある。何んだと思ふ、八」
「解りませんね」
「一つは燕女の持つてゐたもう一つの夜光の珠で、一つは權八が勘七を刺した
「へエ?」
「賢こい燕女は權八のすることを一々見拔いてゐた。そして俺とお前が昨夜權八の荷物を調べた時、先廻りしてその中から匕首を取出し、そつと隱してやつたのだ。燕女は權八が自分に命がけで
「へエ」
「それと知つて權八は、燕女の優しさに泣いた。
「良い話だね、親分」
「良い話だよ、||燕女に惚れ直したらう、八」
「ところで夜光の珠はどうなりました」
「慾張るなよ、||石崎丹後もあの珠のせゐでお役
「へエ」
「その代り、玉川權之助は
「||」
「面白くない顏をするなよ、八。俺はこんな目出度いことはないと思つてるんだが、||さう言へば祝言にはお前も呼ばれてゐるぜ、||可愛らしい花嫁だらうな」
平次は本當に嬉しさうでした。あの掌の上で