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泥葬

竹内浩三




われ、山にむかいて、目をぞあぐる。わがたすけは、いづくよりきたるならん。

(讃美歌第四百七十六)

 鼻もちならねえ、どぶ水なんだ。屍臭を放つ腐り船がはん沈みなんだ。青みどろなんかが、からみついてるんだ。

 舷側にたった一つ、モオゼのピストルが置いてあるんだ。しかも、太陽はきらきらしているんだ。

 月はないけれど、星が一杯かがやいていた。気色のわるいほど、星には愛嬌があった。

 ぼくは、ワイシャツのはじをズボンからはだけさせて、寝静まった街を歩いていた。

 ふしぎな日であった。池袋でも、新宿でも、高円寺でも、そして神田でも、友だちに会った。彼らは、みんなぼくにあいそよくしていた。

 中野のコオヒイ店で、ぼくに会った時には、ぼくはまったくびっくりしてしまった。

 女のことばかり考えている日があった。

 机の上に、蛾がごまんと止まっている夢を見た日であった。

 その日の夕刻には、衛生器具店の陳列棚を眺めて暮らした。

 そのころ、ぼくは、恋人の家によく泊ったものだ。となりの部屋で、恋人の兄貴と一緒に寝たものだ。

 すると、ある夜、恋人が手淫をはじめたらしい物音がしてきたんだ。あのときほど、やるせなく思ったことはなかった。

 十畳の部屋は、戦場のように崩れていった。

 裸の書物や、机から落ちたインキ壺や、裏むきになった灰皿や、ゲートルと角力すもうを取っている屑フィルムや、フタのないヤカンが、その位置で根を張りだした。手のほどこしようは、もうとっくになくなった。どうにでもなりくされ。






底本:「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店

   2001(平成13)年11月30日初版第1刷発行

   2002(平成14)年8月30日初版第5刷発行

入力:坂本真一

校正:雪森

2014年10月13日作成

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