江戸川乱歩氏と初めて逢ったのは、今から三十年ほど前の、報知新聞社の応接間であった。私はその頃報知新聞の学芸部長であり、江戸川氏は新進の作家で、その探偵小説は読書界の驚異の的であった。私は写真報知という旬刊誌の編集を監督し、実際の編集は中代冨士男君や亡くなった佐近益栄君がやっていたが、写真報知に短篇連載を書くことになった江戸川氏と、打合せをする必要があり、中代君あたりが、誘って来てくれたようである。話は自然探偵小説のことになったが、何んかのきっかけで、話題は黒岩涙香の作品に及んだことを記憶している。その頃から私は涙香の話術の面白さを誰彼となく話していたものらしい。
その頃の乱歩氏は三十才そこそこの若さではあったが、温和な顔立ちと、落着いた話振りは今とあまり変りはなく、大島かなんかの和服姿であったと思う。若いにしては、少し禿げかけていたが、中年過ぎの激しさは無く、青年の覇気を押し包んで、何んとなく鬱勃たるものを感じさせたようである。それに対する私は最早燦然たる頭で、まだ小説は書かず、新聞記者の天職に満足して居たことは申すまでもない。
それから、幾度か逢っている。報知の社長室で、軍部と作家の会合で、||場所と時は変っても、私は乱歩氏の天才と博識と友情にひかされて、絶えず好意を持ち続けたのである。大戦中の乱歩氏は自宅に籠って、静かに写経などをしていたようである。私は頻繁に手紙を往復して気を紛らせていたが、フトしたことからお互に涙香作の蔵書目録を交換し、有無相通じようではないかということになり、乱歩氏の蔵書を十冊位は貰った筈であるが、私から差上げたのは僅か三、四冊に過ぎなかったと思う。こんなことが、乱歩氏に対する私の親しみを急速に深めたことは申すまでもない。
『探偵作家クラブ会報』昭和二十九年十月