我國に
於て
大正六
年九
月十二
日に
金の
輸出禁止を
實行して
以來十三
年の
間金の
輸出禁止が
日本の
經濟界に
與へた
惡影響は
可なり
大なるものであつて、
此の
間金解禁の
計畫をしたのは一
再に
止まらなかつたが、
種々の
事情の
爲めに
其の
實現が
出來なかつた。
然るに
昨年十一
月二十一
日に、
今年一
月十一
日に
於て
金解禁を
決行することに
決定發表し
得たことは
我國經濟の
爲に
非常な
仕合せである。
日本に
取つては
大正六
年以來の
問題、
又之を
世界から
見ると、
世界何れの
國と
雖も
金解禁は
已に
決行されて
居つて
只日本だけが
取殘されて
居るからして、
何時日本は
金の
解禁をするか、
日本の
金解禁は
如何なる
用意を
以てするかは
可なり
注目されて
居る
爲に、
金解禁は
國の
内外に
於て
大問題であつたのである。
從て
金解禁に
對する
諸般の
準備、
解禁の
出來た
事情、
解禁の
經濟界に
與ふる
影響、
解禁後の
國民の
覺悟に
就て
廣く
國民の
理解を
得置くことは
將來の
金本位制維持の
爲め
最も
必要の
事項と
考ふる
處である。
日本の
財政は
世界戰爭による
我國經濟界の
膨脹に
連れて
非常な
膨脹をしたのであるが、
其の
膨脹した
經濟界は
戰後間もなく
變動を
來して
大に
縮少したにも
拘らず、
財政は
尚ほ
整理が
出來ずに
居つた。
又日木の
經濟界も
同樣であつて、
世界戰爭の
爲に
輸出超過、
正貨の
流入、
通貨膨脹物價騰貴で
日本の
經濟界は
急激に
大膨脹を
來したが、
戰爭が
濟むと
其の
翌年から
再び
輸入超過に
變じ
經濟界の
状勢は一
變したるに
拘らず
戰後十
數年を
經た
今日に
於ても
更に
改善の
曙光を
認むることを
得ざる
状態にある。これは
勿論大正六
年九
月十二
日以來實行せられたる
金の
輸出禁止が
解除せられず
從て
通貨の
適當なる
調節も
物價調節も
行はれざるに
原因する
譯ではあるが、
又併ながら
此の
變化したる
經濟上の
事情に
對し
國民の
自覺が
出來て
居ないからである。
自己の
現在立つて
居る
經濟界は
夙に
變化して
居るに
拘らず
此れに
對して
充分の
理解のないのが
寧ろより
重大なる
原因である。それ
故に
日本の
經濟は
立直す
必要があるのであるが、
經濟の
立直しが
出來て
累年續く
輸入超過が
減じ
國際貸借が
改善せられて
初て
金の
解禁が
出來、
又一
方から
云へば
金の
解禁をなすことが
日本の
經濟の
立直しを
爲し
將來の
財界の
安定を
招來する
所以である。それ
故に
政府としては
財界立直の
爲めに
財政の
整理緊縮、
國債の
整理をなし
他面國民をして
現在の
我國經濟界の
實情に
就て
充分の
自覺をなさしめ
而して
金の
解禁を
決行せんとしたのである。それ
故に
濱口内閣の
出來たときは
既に
昭和四
年度の四
分の一を
經過して
居つたに
拘らず、
實行豫算の
上に一
般會計及び
特別會計を
合せて一
億四千七百
萬圓程節約をなして、
公債發行予定額を五千九百
萬圓餘程減少して一
億三千八百
萬圓としたのである。
尚ほ
昭和五
年度豫算の
編成に
當たつては八千五百
萬圓の
國債が一
般會計に
豫定されて
居つたのを一
切止めることにして、一
般會計には
國債は一
文も
計上しない
豫算を
作つたのである。さうして
結局節約額が一
億二千五百
萬圓餘りであつて
特別會計の一
億三千四百
萬圓の
節約額を
合算すると二
億六千
萬圓餘となる。
又昭和五
年度豫算を
前年度豫算に
對照すると一
般會計の十七
億七千
萬圓は十六
億貳百
萬圓となつて一
億七千
萬圓の
減額である。
從來の
財政計畫では
大正三
年以來毎年の
豫算の
上に
借入金又は
國債が
計上してあり、さうして
今後の
豫算計畫にも
毎年七八千
萬圓の
國債を
計上して
始めて
其の
編成が
出來るのであるが
大正三
年以來十五
年目に
初て
茲に
國債を
計上しない
豫算が
出來たのである。一
般會計に
全く
借金のない
豫算を
作り
得たのである。
尚又財政の
膨脹は
中央政府に
限らず、
地方の
公共團體の
財政はより
以上に
膨脹して
居つて、
府縣市町村の
大正三
年度の
豫算は三
億二千七百
萬圓であつたものが
昭和四
年度の
豫算では十八
億九千
萬圓に
膨れて
居る。それ
故に
地方の
公共團體の
財政も
中央同樣に
整理緊縮の
方針を
取つて
昭和四
年度の
實行豫算の
上に
於ては二
億三千九百
萬圓の
整理緊縮を
行ふたのである。
昭和五
年度の
豫算に
於ても
府縣では
已に七千
萬圓の
節減を
行つたのであるが、
市町村の
分を
假に
昭和四
年度の
豫算と
略同額の
整理節約と
見れば、
昭和五
年度では
中央及地方財政を
合せて五
億圓以上の
節約となるのである。
我國の
國債の
状態を
見ると、
今日既に五十九
億圓に
達して
居り
從來の
大勢を
以て
計れば
年々巨額の
國債が
殖えるのであつて百
億圓に
達するも
餘り
遠からざることである。
斯の
如くして
國債が
巨額に
殖えることは、
軈ては
日本の
産業資金を
壓迫して、
將來我國産業の
發達を
妨げる。
又此國債が一
般會計に
年々巨額な
國債を
計上することから
殖えるのであるとすると、
國の
財政の
不健全な
結果が
國債の
不整理となつて
現れる。
斯う
云ふことが
明に
認められるのであつて、それを
整理することは、
國の
利益からして
當然の
義と
考へるのである。それで一
般會計には
國債を
計上しない、
特別會計では
國債を
豫定の
半額に
減ずる、
斯う
云ふ
方針を
立てたのであつた。さうすると
本年の三
月の
年度末には
日本の
國債は六十
億圓になる、さうして
特別會計の
國債の
豫定の
半額は
昭和五
年度には五千五百五十
萬圓であるが、
從來の
減債基金の
上に
獨逸から
來る
賠償金六百三十
萬圓を
新に
減債基金に
充當することにしたから
來年度には
減債基金の
總額は九千
萬圓餘に
上るのであるから三千五百
萬圓だけが六十
億圓の
國債から
減ずることになる。さうして
此後も
大凡そこんな
状勢で
進むからして
從て
少くも
是迄彌が
上に
殖えて
來た
國債の
總額を
殖さずに
濟まし
得る
次第である。
中央及地方を
通じて
政府の
財政の
整理緊縮、
國債の
整理は
前述の
如く
決行したのであるが、
併ながら
日本の
經濟の
立直をなし、
國際貸借の
改善を
圖り、
彌が
上に
低落する
爲替相場を
元に
戻して、さうして
金の
解禁を
決行せんとするには
政府自らの
行動のみにては
不充分であつて、
戰後の
日本の
經濟の
變化した
状態、
即ち
戰時中に
膨張した
日本の
經濟が
戰後に
於て
收縮した
状態に
就ての
國民自體の
自覺を
喚起することが
非常に
必要である。
即ち
之を
實行せんとすれば
現在の
國民の
消費を
相當の
程度に
節約せしむるより
外にないのである。
斯くして
始て
冗費を
節し
無駄を
省かしむることが
出來るのである。
此點に
付ては
國民一
般に
愬へて、さうして
國民と
共に
此の
多年解決の
出來なかつた
大問題を
解決する
方策を
立てたのである。さうして一
方には
全國に
此方針を
實行せしむる
爲に、
有らゆる
手段を
取つたのであるが、
幸にこのことは
國民に
歡迎されて
能く
徹底したのである。
之は
政府の
指導又は
消費節約の
奬勵の
行き
渡つたと
云ふよりも、
寧ろ
國民自體が
此の
事柄の
必要を
感じて
居つたからだと
思ふのである。
中央及地方の
財政の
整理緊縮、
國債の
整理、
國民の
消費節約とが
相俟つて
其效果が
最も
能く
國際貸借の
上に
現れたのである。
濱口内閣の
出來た
前の六
月三十
日の
日本内地の
輸入超過は二
億八千
萬圓餘であつたが、七
月二
日に
濱口内閣が
組織されてから
以來段々時の
經つに
從つて
輸入超過の
大勢は
改善されて、
毎月十
日毎に
發表する
貿易の
状態は
發表毎に
改善されて、十一
月二十
日の
輸入超過額は七千
萬圓に
減額した。
此大勢を
以て
推算すると、
朝鮮、
臺灣等の
輸入超過を
合算しても、
年末迄には一
億六七千
萬圓と
云ふ
大凡の
豫想が
付いたのであつた。さうすると
貿易外の
受取勘定が一
億五六千
萬圓乃至一
億六七千
萬圓あるのであるから、
昨年の
外國貿易の
結果、
外國に
向つて
日本は
金の
支拂を
必要としないと
云ふ
程度まで
改善されると
云ふ
見込が
立つたのである、この
貿易の
状態は
爲替相場の
將來に
付て
適確なる
見込を
立つることを
得て、これによつて
短期期限付の
金解禁を
決行し
得たのであるが、
結局昨年の
貿易は
豫想以上の
好成績にして
輸入超過額は
内地分だけで六千七百
萬圓餘、
朝鮮及臺灣等の
分を
加へても一
億七千
萬圓餘であつて、
大正八
年に
略同額の
輸入超過であつた
以外は
斯の
如く
少額で
濟んだことは
近年類のないことである。一
方貿易外の
受取超過額が
毎年一
億六七千
萬圓あるから
大體に
於て
昨年の
海外支拂勘定は
受取勘定で
償ひ
得ることとなつたのである。
政府の
當局者としては
此國民の
努力に
對して
深き
感謝の
意を
表するのであるが、
國民としても
自分の
努力の
結果が、六
箇月足らずの
短時日に
於て
斯の
如く
目の
前に
好結果を
現したと
云ふことを
考へると、
國民自體も
非常に
喜んで
宜いことであらうと
考へる。
又一
方から
考へると
國民の一
致協力が
經濟上に
如何なる
結果を
齎すものであるかと
云ふ一つの
經驗と
確信が
得られたのである。
又日本は
日清日露の
兩役の
時の
如く
戰爭に
於ては
擧國一
致の
好成績を
擧げて
居るが、
經濟問題の
爲に
斯の
如く
擧國一
致の
好成績を
擧げたことは
未だ
曾てないのである。
此點は
國民と
共に
大に
喜びに
堪へない
次第である。
濱口内閣の
出來たときは、
對米爲替相場は四十三
弗四
分の三まで
下落して
居つた。
解禁後の
爲替相場は四十九
弗四
分の一か
或は四十九
弗八
分の三であらうから、これに
此らぶれば一
割一
分餘下つて
居り、これを
日米兩貨幣の
平價四十九
弗八四六に
比ぶれば一
割二
分餘下つて
居つたのである。
爲替相場が一
割一
分下つて
居ると
云ふことは
對外的に
日本の
貨幣價値がそれ
丈け
下つて
居ると
云ふことであつて、百
圓の
通貨が八十九
圓にしか
通用しないと
云ふことである。
外國から
直接日本に
輸入するものは一
割一
分皆高く
買はなければならぬのである。
同時に
外國から
直接輸入される
物の
競爭品或は
類似の
品物も
皆大同小異騰貴するのである。
假に
茲に
外國から
輸入する
羅紗一ヤールの
値段が五
圓とすると、
爲替相場が一
割一
分下つて
居ればそれを五
圓五十五
錢でなければ
買へぬのである。
棉花も
同樣である。
輸入の
鐵も
同樣である。さうして
日本人の
着て
居る
衣服は
絹物を
除いた
外のものは
悉く
外國から
輸入されるものである。さう
考へて
見ると、
爲替相場の
下つて
居ることが
國民の
何れの
階級にも
大なる
影響を
與へることは
明かな
事實である。
從て
日本國内から
見て
金の
解禁の
如きことは、
國民的の
大問題であると
云ふことは
何人も
否認することの
出來ない
事である。一
割一
分も
下つて
居つた
爲替相場が
貿易の
改善せらるゝに
從つて
段々騰貴して十一
月二十一
日の
短期期限附の
金解禁の
發表前には四十八
弗二
分の一となつた。これを
解禁後の
推定相場四十九
弗八
分の三と
比較すると
其の
差は
僅かに一
弗足らずとなつて一
割一
分下つて
居つた
爲替相場は九
分丈け
回復した
譯であつて、
羅紗一ヤールが五
圓五十五
錢であつたものが五
圓十
錢で
買へるやうになつたのである。
解禁の
確定した
今日に
於ては
日本の
貨幣價値は
元に
復して百
圓の
貨幣は百
圓に
通用するやうになつて
前に
例に
擧げた一ヤール五
圓五十五
錢の
輸入の
羅紗は五
圓で
買へるやうになつたのである。
我國の
物價は
戰時好況時代に
非常に
騰貴し
戰後經濟界の
收縮に
連れて
相當に
低下したが、
財界整理の
不徹底、
財政の
放漫と
國民の
財界の
現状に
對する
自覺の
充分ならざりし
爲めに十
分の
低落をなさず、
日本銀行の
卸賣の
物價指數で
見ると
戰前を百として
昨年六
月には百七十六・三一であつて
戰前より七
割六
分餘も
尚騰貴して
居つたのであるが、
其の
後政府財政の
緊縮、
國民の
消費節約が
徹底したのと、
爲替相場が
騰貴したのに
伴れて七
月以來漸次低落して
來て、
前に
述べた
日本銀行の
卸賣物價指數で
見ると、十
月には百七十一・九四となり四
箇月間に四・三七
即ち二
分五
厘下落し、
其の
後も
低落して十二
月末には百六十二・九九となり六
月に
比べて十三・三二
即ち七
分五
厘餘の
下落となつたのである。
爲替相場が六
箇月の
間に
約一
割一
分回復した
割合から
見れば
物價低落の
割合は
少いのであるが、
輸入品は
爲替相場の
騰落の
影響を
受けそれ
丈け
價格が
騰落する
譯であるけれど、それ
以外の
品物は
爲替回復の
影響を
直接には
受けないのであるから、
此程度の
物價の
低落が
最も
適當の
處であらうと
思はれる。
濱口内閣の
出來た七
月初には
政府所有の
在外正貨は六千
萬圓に
減つて
居つた。
年々輸入超過が
續き
殊に
昨年の
上半期には
可なり
巨額の
輸入超過があり
在外正貨が
益々必要なのにそれが
段々減少するからそれで
爲替相場が
低下するのであるから
在外正貨の
充實を
圖ることは一
日も
忽せにすることの
出來ない
急務だと
考へざるを
得なかつた。そこで
外貨國債の
利拂資金として、
又我國全體の
對外的の
支拂資金として、
在外正貨の
補充を
努めたのである。
尚ほ
過去の
經驗に
依れば、
金解禁の
準備をする
場合には、
世界何れからも
日本の
圓貨に
對して
思惑投機が
行はれるのである。
昭和元年から二
年の
頃に
金解禁を
計畫した
場合に
於ても、
巨額の
思惑資金が
海外から
來て
居つたのであつて、
從て
金解禁を
決行せんとしても、
其思惑資金だけの
金を
用意しなければ
金の
解禁は
出來ないと
云ふ
苦き
經驗をしたのであるから、
從て
今般の
金解禁の
如く
成るべく
速にその
決行を
必要とする
場合に
投機思惑が
圓貨に
對して
行はれ、
其の
資金が
相當の
高に
上るときには、
適當の
方法を
講じて
其資金を
手許に
握るより
外ない。
尚又一
方から
考へると、
投機思惑が
圓貨に
向つて
行はるれば、それだけ
爲替相場が
急激に
上ると
云ふことは
當然の
義であり、
急激に
上る
場合には、
投機思惑が
止まれば
又爲替相場は
急激に
下るのであり、
此爲替相場の
急激なる
騰落は、
經濟界に
少なからざる
打撃を
與へたことを
體驗して
居るからして、それであるから
投機思惑の
金を
買取る、
又輸出時期であるから
輸出手形を
買取る、
斯うすれば一
方から
言へば
爲替の
急激なる
騰貴を
防ぐことが
出來る、
爲替の
急激なる
騰貴を
防ぎ
得れば、
爲替の
急激なる
低落も
無くすることが
出來ると
云ふことになるのであるから、
在外正貨の
補充を
圖ると
云ふことは、
左樣な
意味に
於て
經濟界に
非常な
利益を
與へる、と
斯う
考へたのである。そこで
此のことを
極力努めたのであるが、
其結果二
億圓以上の
在外資金を
買取ることが
出來たのである。さうして
以前から
所有の
政府、
日本銀行の
分を
加へると三
億圓の
在外正貨を
蓄積することが
出來たのである。二
億圓の
正貨を
買ひ
得たことは、
輸入超過の
日本に
取つては
出來過ぎであると
云ふ
批評があるが、それは
正しく
左樣であらうと
思ふ。
日本が
輸出超過の
國に
變化しない
以上は
此買取つた
金が
永久に
吾々の
手許に
殘らうとは
考へられぬ。
併ながら
金解禁の
準備としては
在外正貨を
潤澤に
持ち
得たことはその
準備の
大半の
目的を
達したと
云つて
差支ないのである。
從て
此獲得した
金が
本年の
輸入時期に
至つて
拂出して
減少しても、
下半期の
輸出超過の
時期に
又再び
之を
取返すことが
出來れば、
非常な
仕合せである。
同時に
爲替相場の
調節、
國際貸借の
改善に
此上もない
次第と
考へる。
尚ほ
前に
述べた
如く、
金解禁は
日本内地から
見てもさうであるが、
海外から
見れば一
層の
大問題である。それ
故に
金解禁を
決行する
前には、
世界の
中心市場たる
英米の
兩市場には
充分の
了解を
得る
必要がある。
又有力なる
銀行團の
援助を
求めることは、
充分の
了解を
事實に
現す
意味に
於て
最も
必要と
考へてクレデイツトの
設定の
交渉を
開始したのであるが、
幸に
非常なる
同情と
好意を
以て一
億圓のクレデイツトの
設定をすることが
出來たことは、
日本の
財界に
取つて
此上もなき
次第である。
右二
口を
合計するときは四
億圓の
在外資金を
保有する
次第であつて、
金解禁の
準備としては
充分であると
考へるのである。
前に
述べた
樣に七
月二
日に
爲替相場が一
割一
分下つて
居つたが、
貿易が
段々改善せられるに
從つて
爲替相場は
段々騰貴して、さうして十一
月二十
日には
爲替相場は四十八
弗半まで
上つたのである。
即ち一
割一
分下つて
居つた
爲替が
大凡九
分回復した
程度になつたのである。
而して
其の
時の
貿易の
改善の
状態、
及び
對外關係を
見ると、
爲替相場は
段々騰貴して、
凡そ
本年の一
月十
日過には
解禁後の
推定相場である四十九
弗四
分の一
乃至四十九
弗八
分の三
迄は
騰貴することは
確に
算定が
出來たのである。そこで一
月十一
日と
云ふ
時を
定めて
金の
解禁を
決行することを
發表したのである。十一
月二十一
日にあの
發表をせずに、
時の
進むに
從つて
爲替相場が
金解禁後の
推定相場まで
騰貴したときに、
何時でも
金の
解禁を
決行することも一
方法と
考へるが、
併ながら
金解禁の
如きは
内外の
經濟上から
見て
大問題である、
然るに
年末に
段々近づくのであるから、
年末に
差迫つて
斯樣な
大問題を
決行することは、
避けられるならば
避けるが
宜しいと
云ふ
考からして、
短期期限附の
金解禁を
發表したのである。
又金解禁に
對しては
世人一
般が
可なり
神經過敏になつて
居るから、
此際日を
定めて
之を
發表して
置くと
云ふことは
寧ろ
財界を
安定せしむる
上に
相當の
效果のあることゝ
考へたからである。
外國の
金利は
數年來比較的高いのに、
日本の
金利は
昭和三
年以來異常に
安いのであるから
金解禁が
出來て
爲替相場が
安定したならば
日本の
資金が
外國に
流出するであらう、
其結果我國の
金利が
高くなり、
株劵が
下り、
公債も
社債も
下つて、
我國の
經濟界に
非常な
打撃を
與へるであらうと
云ふことが、
世人一
般の
心配になつた
所であるが、
併ながら十
月の
末から
英米共に
金利は
段々低落して十一
月の二十
日になると
日本の
金利が
外國の
金利より
寧ろ
高いと
云ふ
事情になつたから、
其虞は
更になくなつて、
從て
金解禁を一
月十一
日にしても、
左樣な
心配は
毛頭ないと
云ふことを
確信した
次第である。
世人は
金解禁が
出來たならば、
正貨が
急激に
巨額に
積出され、
其結果は
經濟界に
非常な
打撃を
與へると
云つて
心配して
居るが、
前に
述べた
如く
政府は
自己に
買取つた
在外正貨とクレデイツトに
依つて
借り
得る
金と
併せて
相當巨額の
金を
持つて
居るのであるから、
此在外の
資金を
爲替資金として
利用すれば、
日本の
經濟界に
急激な
變化を
與へるやうなことをせずとも
必ず
濟む、と
斯う
云ふことの
確信を
持つて
居る。
海外に
充分の
資金を
持つて
居れば、
内地から
正貨を
積出す
場合に、
之を
爲替に
依つて
決濟し
得ると
云ふことは
何人も
承知の
事であるから、
何も
正貨の
流出を
心配することもないのみならず、
前にも
述べたやうに、
金解禁の
準備中に、
海外から
來た
思惑投機の
如きは、
其巨額ならざることも
凡そ
明かになつて
居ることであるから、
經濟界に
急激な
波瀾を
與へることはないことを
確信して
居る。
勿論金解禁後に
政府の
財政計劃も
再び
放漫に
流れ
國民の
緊張も
弛緩し
消費節約の
手も
緩み
輸入超過が
増加するに
至れば
其の
爲めに
金の
流出を
餘儀なくせられ
通貨收縮を
來すことあるべきも、七
月以來の
外國貿易の
状勢と
金解禁に
對する
諸般の
準備の
程度より
見て、
斯の
如き
事態の
發生し
財界に
急激な
波動を
生ずることなきことを
信ずるものである。
大正十
年頃より
日本の
對米爲替相場は二
弗乃至三
弗下落して
居る。
地震直後から
大正十三四
年頃までの
樣に十
弗以上も
下つたこともあるけれども、
平均して
先づ四
分乃至六
分下つて
居ると
云ふ
状況である。それが
昨年の六
月三十
日に四十三
弗四
分の三、
即ち一
割一
分も
下つたのは
何故であるか。
累年の
輸入超過著しく、
對外貿易も
改善されない、
其上昨年上半期の
輸入超過は二
億八千
萬圓餘になつて
居る。
然るに
政府の
海外に
保有して
居る
對外資金が
段々減少して
來て、六千
萬圓許りになつた
爲に
段々爲替相場は
下つて
來たのである。
之に
對する
對策は
如何と
云ふと、
海外で
金を
借りて
在外資金の
補充を
圖るか、
外國から
買ふ
物を
減す、
即ち
輸入超過を
減すか二つに一つしかないのである。
然らば
第一
案の
外國で
日本は
金を
借りることが
出來るかと
云ふと、
遺憾ながら
外國では
金を
借りることが
出來ない。
何故かと
言へば
日本は
前に
述べたやうに、
財政状態で
言へば
大正三
年から
今日まで一
般會計に
毎年公債が
計上されてある、
即ち
歳入の
範圍に
於て
歳出の
切盛が
出來て
居ない、
借入金は
依然として
益々殖える一
方である。
地方公共團體の
財政も
亦斯の
如きものである、
而して
國民はどうであるかと
云ふと、
自己の
立つて
居る
經濟状態に
對する
自覺がないのである、さう
考へて
見ると
之れを
個人に
譬へて
云へば、
自分の
收入以上の
暮しをして、
已むを
得ぬから
借金を
續けて
居ると
云ふ
事態であるからして、
左樣な
状態の
國には
金は
貸さぬと
云ふのが
英米の
立前である。
英米を
初め
歐羅巴諸國の
戰後の
状態を
見ると、
戰爭中は
巨額の
借入金をして
居る。
然るに
戰後には
皆之を
整理した、
國民は
通貨收縮の
爲めに
收入の
減つたに
從つて
生活も
變り、
物價も
下つて
然る
後に
金の
解禁も
出來たのであるからして、
自己の
戰後の
整理をやつた
經驗からして、
整理の
出來て
居ない
國には
金を
貸さぬのは
已むを
得ないことである。
然らば
日本は
借入金をして
在外正貨の
充實を
計ることは
出來ない。それならば
財政の
整理緊縮をし、
國民の
消費節約をして
海外から
買ふ
物を
減し、
海外に
支拂ふ
資金の
必要を
減して
以てこの
難局を
救ふより
外に
途はないのである、
濱口内閣の
出來る
以前に
左樣なことが
出來たらうか、
恐らくは
不可能であつたらうと
思はれる。
不可能であるならば、あの
時の
爲替相場四十三
弗四
分の三は
到底維持は
出來ないのであつて、
段々下つて
來ることは
明かなことで、あの
時期に
爲替相場が
極端に
下つたならば、
日本の
經濟界は
其の
爲に
破壞されて
居ることは、
殆ど
火を
睹るより
明かなことである。それであるから
吾々は
財政の
整理緊縮をして、
國民をして
消費節約をさせて、さうして
金の
解禁を
決行する、
而も
其時期は
成るべく
速に
之を
決行せざるを
得ぬと
決心したのは
右の
事情によるからであつたのである。
若し七
月二
日以前のやうな
經濟状態がその
儘に
持續したならば、あの
不安定なる
状態は
進むに
從つて
益々不安定になつて、
經濟界は
破壞されるだらうと
云ふことは、
確かな
事實と
考へて
居る。
爲替相場が
金解禁準備の
爲に
漸次上つて
來た。
爲替相場が
騰ることは
日本の
通貨の
對外價値が
上ることであるから
外國から
直接輸入せらるゝものは
悉く
値段が
安くなる、一ヤール五
圓の
羅紗が五
圓五十五
錢であつたものが、
爲替相場が
上るに
連れて五
圓で
其羅紗が
買へるやうになる。
消費者から
見れば
此上もない
福音である。
併ながら
爲替相場が
上る、それに
連れて
直接輸入する
品物の
價格が
段々下ると
云ふ
道程を
考へて
見ると、
此商品を
取扱ふ
商人或は
商賣社會から
云ふと、
物價が
漸次低落するときには、
手持の
品物ならば
成たけ
早く
之を
捌かう、
又手持の
品物を
成たけ
少くしよう、
斯う
云ふことは
當然の
結果と
云はなくてはならぬ。
手持の
商品を
少くすることは、
商取引が
減ることである。それだけ
經濟界には
不景氣を
來すと
云ふことである。それであるから
爲替相場の
上る
道程に
於ては
不景氣は
已むを
得ない
現象であつた。
併ながら
今日は
金解禁によつて
爲替相場が
既に
頂上まで
騰貴をしたのであるから、
爲替相場の
騰る
爲の
經濟界の
不景氣は
既に
過去の
事實になつたと
見てよろしいのである。
今後此意味から
來る
不景氣はないと
考へて
宜からうと
思ふ。
世の
中に
金解禁が
出來たならば、
經濟界に一
時の
景氣が
出て
來はしないかと
言ふ
人があるが、それは
即ち
過去六
箇月間爲替相場の
上る
爲に、
從て
物價の
下る
爲に、
成るたけ
手持の
商品を
減じて
居つたが、
既に
爲替相場が
上つてしまつて、
其方面から
來る
物價低落がなくなつたからして、
最早安心して
手持を
殖すことが
出來る、
即ち
商取引が
殖える、
斯う
云ふことを
意味する
次第である。
私は
日本の
今日の
經濟界は
金解禁が
出來たからと
云つて、
掌を
返す
如く
景氣が
出て
來やうとは
考へぬ。
併ながら
今言ふ
説は
私が
茲に
説明して
居る
半面の
事實を
語るものと
見て
宜からうと
思ふのである。
金解禁が
我國の
輸出貿易にどんな
影響を
與へるかと
云ふと
爲替相場が
下落する
道程に
於ては
日本品の
賣値は
同一であつてもこれを
輸入する
國の
貨幣での
買値は
段々低落するのであるから
買手は
買ひ
易くなる
譯である。
外國市場に
於て
他國品と
競爭の
位置にある
場合に
爲替相場の
下落の
爲めに
日本品が
競爭に
打ち
勝つて
多く
賣れることは
時々經驗した
處である。
又反對に
爲替相場が
騰貴の
道程にある
場合には
日本品の
賣値を
下げずに
同一としておくには
輸入國の
貨幣買値を
段々引上げて
高く
買はすことになるのであるから
商賣がし
惡くなることは
事實である。
例へば
昨年の七
月二
日に
日本の
標準生糸百
斤の
横濱相場は千三百二十
圓であつて、
其の
日の
對米爲替相場は四十四
弗八
分の一であつたから、
米國ではこれが五百八十二
弗四十五
仙であるが、
其の
後對米爲替相場は
金解禁後の
今日に
於ては四十九
弗四
分の一に
騰貴したから、
若し
今日日本に
於て
昨年七
月二
日と
同じ千三百二十
圓の
相場とすれば、これは六百五十
弗十
仙に
相當するので、
米國に
於ては
日本生糸の
買値が
騰貴する
譯であるから
商賣はし
惡くなることになる。それで
日本に
於ける
賣値は
安くなる
道理であるが
併し
事實は
爲替相場の
騰貴する
丈は
輸出品の
賣値が
低落するものではないのである。
昨年七
月金解禁準備に
着手以來の
生糸貿易の
實況を
見ると、
七
月 二
日 四十四
弗八
分の一 千三百二十
圓 十五
日 四十五
弗四
分の一 千二百七十
圓 八
月 十
日 四十六
弗二
分の一 千二百九十
圓 九
月十三
日 四十六
弗八
分の五 千三百五十
圓 十
月十五
日 四十七
弗八
分の五 千二百八十五
圓十二
月卅一
日 四十九
弗 千百七十
圓七
月から八
月に
懸けて
生糸相場は
多少低落した、
併し
爲替相場の
騰貴した
割合には
低落せざるのみならず七
月以來常に
非常な
好賣行であつて
爲替相場は
漸次騰貴するに
拘らず九
月に
入りては千三百五十
圓となつたのである。
然るに十
月初旬より
米國證劵市場は
不安定の
状況となり
遂に十一
月に
入りては
大紛亂を
惹起するに
至つた。
米國經濟界全般には
何等懸念すべき
状態を
認めざるも、
人氣の
中心たる
證劵市場が
大變動を
來したことであるから
勢ひ
生糸相場にも
波及して十
月初旬より
低下の
趨勢となり、十一
月下旬には千二百
圓臺となり十二
月には
遂に千百
圓臺となつた。
爲替相場の
騰貴にも
拘らず
糸價却て
騰貴し
賣行又良好なりしに
米國證劵市場の
不安定の
爲め
糸價下落したるは
我國生糸貿易の
爲め
非常に
遺憾とする
處である。
又金解禁が
我國の
工業に
與へる
影響に
付て
見るに、
我國に
於ては
對米爲替相場は
大正十
年以來平均二
弗乃至三
弗の
下落にして、これは四
分乃至六
分の
輸入關税と
同樣の
保護を
或る
種の
工業に
對して
與へつゝあつたもので、
金解禁によつて
爲替相場が
騰貴し
又一
定する
爲めに
過去數年間得つゝありしこの
保護を
失ふことゝなるが、
斯くの
如く
其の
國の
貨幣價値の
下落から
來る
保護は
永續すべき
性質のものにあらず、
又一
方に
我國の
經濟は
立直しが
出來て
堅實なる
基礎の
上に
立つのであるからこれより
來る
生産費の
低減によりて
失ふ
處を
償ふ
丈けの
用意と
覺悟をなすべきことゝ
考へるのである。
然らば
金解禁が
決行せられた一
月十一
日以後に
經濟界はどうなるであらうか。
爲替相場の
動搖の
爲に
物價が
動搖することは、
商賣社會の
最も
好まざることである。
何故かならば
爲替の
見通しの
如きことは、
多數の
商人多數の
經濟界の
人には
理解の
仕惡い
問題であり
内國市場の
状況ばかりで
之が
判斷は
出來ぬ。
諸外國の
事情を
悉く
頭の
中に
入れて
考へなければならぬのであつて、
最も
見通しの
立ち
惡いものである。それで
常に
商賣人に
累を
來すものである。さうして
爲替相場から
來る
物價の
動きは
可なり
大きなものである。
譬へて
見れば
去年の一
月始めの
爲替相場が四十六
弗であつてそれが六
月三十
日には四十三
弗四
分の三に
下つて
居るから、
僅か六
箇月の
間に四
分五
厘の
低落である。さうして七
月から
此一
月十
日まで
即ち六
箇月の
間に一
割一
分爲替相場が
騰貴したのである。さうして
見ると
昨年の一
月から
此の一
月十一
日迄約一
箇年の
間に
外國から
直接輸入する
物の
値段は、六
箇月の
間に四
分五
厘上つて、さうして
次の六
箇月の
間に一
割一
分下つた
譯である。
可なり
大きな
物價の
變動であつて、
此間に
少なからざる
商賣の
不圓滑を
來したのである。
然るに
金解禁が
出來れば、
爲替相場は
殆ど一
定不動のものになつて
外國の
金利、
内地の
金利の
動きの
爲に、
多少の
動きはあるが、
先づ
物價の
關係から
見れば
殆ど一
定不動のものと
見て
宜い
位の
僅かの
動きとなる。さう
考へて
見ると
我國の
商賣は
以前と
比較して
非常に
仕好くなることは
確である、それであるから
金解禁の
出來た
後に
於ける
經濟界は
以前よりも
安定したと
言つて
差支ない
譯である。
併ながら
金解禁が
出來ると、
是迄とは
違つた
經濟上の
状態が
出て
來る。
大正六
年の九
月十二
日から
金の
輸出禁止がしてあるから、
外國から
物は
買ふが
併ながら
日本から
金は
出すことはならぬ、
從て
日本に
流通して
居る
通貨の
高は
減らぬ。
外國から
買うた
物の
支拂は、
從來日本が
外國に
持つて
居つた
金及海外から
借入れた
金で
支拂つて
來たのである。
大正八
年から
以後十
箇年間に四十二
億圓に
上つた
位巨額の
輸入超過をしたのである。
其金は
内地の
金貨を
以て
支拂つたのではない、
從て
内地の
通貨は
減らぬのであるが、
併ながら
金解禁が一
月十一
日に
出來た
後には、
以前とは
全く
違つた
現象が
出て
來るのは、
今後外國から
餘計物を
買へば、それだけ
日本の
保有して
居る
金貨を
以て
外國に
拂ふことになる。
從てそれだけ
丁度日本に
流通して
居る
通貨が
減るのである。
金が
減ると
云ふことになると
金利が
上り、さうして
國民の
日常所有して
居る
通貨が
減るのであるから
購賣力が
減る。
從て
不景氣が
來るのである。
今日本には
約十一
億圓の
金貨が
日本銀行にあつて、
日本銀行は
之に
對して
平均十三
億五千
萬圓位の
兌換劵を
發行して
居る。
假に
本年輸入超過があつて、さうして
差引一
億圓の
金貨を
外國に
拂はなければならぬとすると、
日本銀行の十一
億圓の
金貨が十
億圓に
減り、
兌換劵の
平均流通高は十二
億五千
萬圓に
減る
譯である。さうしたならば
銀行に
在る
金が
減る、
減れば
金利が
上る。
或る
人が十三
圓五十
錢の
金を
持つて
居つたとすると、
其金が一
圓の
割合で
減る。さうしたならばそれだけ
其人の
買ふ
力は
減少する
譯である。
其れ
故に
直に
茲に
不景氣が
來るのである。
是は
餘計物を
買へば
内地から
金が
出て
行く、
外國に
餘計物を
賣れば
外國から
金が
這入つて
來て
日本の
通貨が
殖える、さうして
景氣が
恢復する、
斯う
云ふことは
即ち
金本位の
當然の
結果である。
併ながら
日本は
大正六
年から
今日まで十二三
年間、
不自然な
經濟界に
慣れて
居るのであるから、
今日巨額な
金貨が
内地から
積出され、さうして
通貨が
急激に
減少するやうになれば、
經濟界に
波瀾を
與へることになるのであるが、
之を
如何にして
防ぎ
得るかと
云ふと、
政府の
財政の
整理緊縮も
之を
持續し、
國民の
消費節約の
程度も
之を
持續して
行くより
外に
途はないのである。
何故かならば
昨年七
月二
日から
同樣の
事をして、それで
今日初て
日本は
海外に
金を
拂はないで
濟む
貿易關係になつたのであるから
本年にも
昨年と
同じやうな
状態を
持續すれば、
日本から
海外に
金が
出て
行くことはない。さう
考へて
見ると、一
方には
金の
解禁が
出來て
商賣は
仕好くなつた、
經濟界は
安定する、一
方には
海外に
金を
拂はずして、
即ち
極端なる
通貨收縮を
來さずに
日本の
經濟界が
行くならば、
兩樣の
事實が
相俟つて
日本の
經濟界は
基礎が
確立する。一
年經ち二
年經つ
中には
日本の
經濟界の
基礎は
安固のものになると
云ふことを
確信して
疑はぬのである。
尚ほ
最後に
我國の
世界戰爭後の
經濟界の
状況を
見るに
政府の
財政計畫は
巨額の
借入金をして
出來て
居る、
國民の
状態は
戰時中の
收入の
多かつたことに
慣れて、
收入の
減つた
時に
於ても
尚ほ
經濟界の
立直しが
出來ずに
居る。さう
云ふやうに
考へて
見ると、
我國の
經濟界の
基礎は
堅固のものに
非らずして
早晩變動すべき
状態のものであつたので、
恰も
或る
人が
自分の
收入では
生計費に
不足を
告ぐるを
以て
毎月借入金をして、それで
生活を
營んで
居たやうなものである。
成る
程外部から
其の
人の
生活状態を
見ると
至極景氣の
好いやうに
見えるけれども
其状態がどれだけ
續くかと
云ふことを
考へて
見ると、
到底長く
續き
得るものではない。
其状態が
永く
續けば
破産をするより
外ないのである。そこで
其の
人が
非を
悟つて
改革を
圖れば
此度は
暮しを
立て
直して
自分の
支出を
何割か
減じて、さうして
其剩餘を
以て
從來の
借金の
整理をして
行くより
外には
途はないのである。
然るに
濱口内閣の
財政の
整理緊縮に
依つて、
初て
茲に
借入金のない
財政計畫が
出來た。
國民も
消費節約を
徹底的にして、それが
明に
外國貿易の
上に
現れ
之に
依つて
金解禁も
出來たことを
考へて
見ると、
今日直に
日本の
經濟界が
堅固になつたとは
言はれないけれども、
此財政の
整理緊縮、
國民の
消費節約の
程度が
此儘で
持續すれば、
初て
日本の
經濟界の
基礎は
安固なものになる、
斯う
云ふ
事を
言つて
宜いのである。
從て
茲に
堅實なる
基礎が
出來た
以上は
此の
基礎の
上に
立つて
今後大に
日本の
産業の
振興、
貿易の
發達を
圖つて
行くことが、
吾々政府の
責務であり、
又國民一
般の
決心であらねばならぬと
考へるのである。
斯の
如くして
始めて
日本の
經濟は
更正する。
之が
金解禁後の
經濟界に
對する
唯一の
活路である。
過去六
箇月間に
國民が一
致協力して
國民經濟の
立直に
努力して、
從來見ることの
出來なかつた
成績を
擧げたことから
推論すれば、
必ずや
日本國の
經濟の
基礎を
打立てゝ、
國民の
繁榮、
國民の
幸福を
圖ることが
出來るものと
確く
信じて
疑はぬのである。
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