Il n'y a pas de r




「さらに美しい」ためならば、破り得ぬ(芸術的)規則は一つもない。
原注||最後の「さらに美しい」Sch
ner だけがドイツ語で書かれ、他はフランス語で書かれている。


音楽は人々の精神から炎を打ち出さなければならない。

音楽は、一切の智慧・一切の哲学よりもさらに高い啓示である。······私の音楽の意味をつかみ得た人は、他の人々がひきずっているあらゆる悲惨から脱却するに相違ない。
(一八一〇年、ベッティーナに)

神性へ近づいて、その輝きを人類の上に拡げる仕事以上に美しいことは何もない。

なぜ私は作曲するか?||〔私は名声のために作曲しようとは考えなかった〕私が心の中に持っているものが外へ出なければならないのだ。私が作曲するのはそのためである。
(ゲーリングに)

「霊」が私に語りかけて、それが私に口授しているときに、愚にもつかぬヴァイオリンのことを私が考えるなぞと君は思っているのですか?
訳者注||提琴家シュッパンツィッヒが「ベートーヴェンの作るヴァイオリン曲は 〔tonsch
n いい音色に弾きにくい」と不平をこぼしたのに対するベートーヴェンの答えである。ロマン・ロラン著『復活の歌』(一九三八年)第一巻・一八〇頁参照〕


私のいつもの作曲の仕方によると、たとえ器楽のための作曲のときでも、常に全体を眼前に据えつけて作曲する。
(詩人トライチュケに)

ピアノを用いないで作曲することが大切であります······人が望みまた感じていることがらを表現し得る能力は||こんな表現の要求は高貴な天性の人々の本質的な要求なのですが||少しずつ成長するものです。
(オーストリアのルードルフ大公に)

描写 die Beschreibung eines Bildes は絵画に属することである。この点では詩作さえも、音楽に比べていっそうしあわせだといえるであろう。詩の領域は描写という点では音楽の領域ほどに制約せられていない。その代わり音楽は他のさまざまな領土の中までも入り込んで遠く拡がっている。人は音楽の王国へ容易には到達できない。
(ヴィルヘルム・ゲルハルトに)

自由と進歩とが芸術における目標であることは生活全体におけると同様であります。われわれが昔の巨匠たちほどに確乎としてはいないにしても、しかし少なくとも文明の洗練は私たちの視野をはるかにひろく押し拡げました。
(ルードルフ大公に)

私は作曲が一度でき上がると後からこれを修正するという習慣を持たない。私が決して修正しないのは、部分を変えると全作品の性格が変わるということは真理だと悟ったためである。
(エディンバラの出版者ジョージ・トムスンに)

純粋な教会音楽は、グロリア(神に栄あれ!)の部分、またはこの種の
(オルガニストのフロイデンベルクに)

君のピアノの弟子が正しい指の使い方と正確なリズムとを会得して、譜を間違わずに
(ツェルニーに)
原注||「ベートーヴェンはピアニストとしては正確でなく、指の使い方もときどき誤っており、音質がぞんざいであった。しかし(彼が弾くのを聴いていると)演奏家のことなぞは誰も考えはしなかった。人は、ベートーヴェンの両手がとにかくそのやり方で最善に表現しようと努めたところの思想によって、まったく心を奪われてしまうのだった。」(ド・トレモン男爵、一八〇一年)

昔の巨匠の中で、ドイツ人ヘンデルとセバスチァン・バッハだけが真の天才を持っていました。
(ルードルフ大公に、一八一九年)

「
(ホーフマイスターに、一八〇一年)

どんなときでも私はモーツァルトの最も熱心な讃嘆者の一人であった。私は生涯の最期の瞬間まで依然としてそうであるだろう。
(僧シュタットラーに、一八二六年)

舞台のための、他のすべての音楽作品にまさって、あなたの諸作を私は高く評価致します。あなたの新作品を聴くたびごとに私は恍惚として聴き入ります、そして私自身の作品に対する以上の興味をお作に対して感じます。つまり、私は貴方の価値を高く感銘し、貴方を愛しています。······あなたは私が最も傾倒する同時代の音楽家で常にあられることでしょう。もしも私にきわめて大きい喜びをお与え下さるお気持がおありならば、数行だけでも私にお書き下さい。(もしそうして下さるなら)私はどんなにか満足致すことでしょう。芸術はあらゆる人々を結合させます。いわんや真の芸術家たちを、です。そしてあなたはおそらくは私をもその一人に数えるに値する者としてお考え下さることと思います。
(ケルビーニに、一八二三年)
原注||この手紙の原文は、ドイツ語とフランス語とを交ぜて書いてある。〔そしてフランス語の部分には、文章としての誤りが幾つかある。〕
このベートーヴェンの手紙に対してケルビーニが返事を書かなかったことは上述した通りである。
このベートーヴェンの手紙に対してケルビーニが返事を書かなかったことは上述した通りである。
芸術家としての私についていえば、私に関しての他人の批評に対してほんの少しの注意をすら私が払ったことがあるなぞとは、誰一人聴いたこともないはずだ。
(ショットに、一八二五年)

ぶよが刺した位では疾駆している馬を停められはしない、というヴォルテールの感想に私はまったく同感である。
(一八二六年)

あのばかな連中には、いいたいことをいわせて置くより他に仕様はない。彼らのむだ口が何人をも不滅にしないことだけは確かだ。同様にまた、アポロ神が不滅の運命を与えた人々からその不滅性を彼らのむだ口が取り上げるちからは無いということも確かなことだ。
(一八〇一年)