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付録
ベートーヴェンへの感謝* ロマン・ロラン
ヴィーンにおけるベートーヴェン記念祭の講演
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われわれの生活の偉大な伴侶であってくれたその人に、私は、この一時代の感謝の言葉を||
われわれの幼い時からこの方、彼がいかにわれわれのために友であり、助言者であり、慰謝者であってくれたかは、私はそれを
ここで私がいいたいと思うことは、われわれを、あらゆる国々のわれわれを、この世で彼の生涯の後につづく世紀に生きたわれわれを、彼がいかに帰服させたかというそのことである。それはまさに彼が、ゲーテの次の言葉を彼自身の言葉として適用した日に予見していたとおりのことなのである。
「私が私の同時代者らから受けなければならなかった不当の損失の代償を、この次の時代、またその次の時代が二度か三度支払ってくれることだろう**······。
*原注||この文章はベートーヴェン百年祭のために、一九二七年二月二十八日にヴィーンでロマン・ロランが朗読したものである。
**原注||『西東詩篇』(West-
stlicher Divan)のゲーテの序文。||ベートーヴェンは自分の持っていた本のこの部分にアンダーラインをしていた。またそれを彼の『手帳』に書き抜きした。
**原注||『西東詩篇』(West-

思うにあらゆる征服の中で、精神による征服ほど貴いものはない。そうして精神の領域の中で、音楽による征服ほど深くかつ遠く及ぶものはない。
一つの有名な対話の中で、ベートーヴェンは次のようなことをいった||
Musik ist die Vermittlung des geistigen Lebens zum sinnlichen.
(音楽は精神生活を感覚生活へ媒介する者である。)
われわれが偉大な音楽家の思想の中へ透入するのは感覚によってである。その思想の意味しているところの物をわれわれが会得する以前に、まずそれは我々の肉に滲み込む。そういう思想が女や子供の魂のような柔順な魂をいつのまにか薫陶するのは、実にそのような至高の魔術によってなのである。
無数の若いヨーロッパ人の魂を、いかにベートーヴェンの音楽が鍛えたかということを、私は諸君に示してみたいと思う。そうして、諸君の前で私自身の思い出に遡りつつ、彼がわれわれの本質の奥底に浸徹し、そこに彼の精神と彼の意志との力強いしるしを刻みつけたところの、その神秘な道筋を見いだすことを試みてみようと思う。
ベートーヴェンの音楽についての私の最も古い二つの思い出、私の最初の彼との邂逅というものは、こうである||
八月の或る静かな日の午後に、スイスの或る
二度目はパリの劇場である。息苦しい、光線の通りの悪い、たいそう上の方の座席で、幽暗な熱っぽい情熱の渦の流れている込み合った群衆の中でのことである。演奏されたのは Symphonie en la『第七交響曲』それはまだ私の知らないものだった······沈黙······最初の音が鳴り出すと、もう私は一つの森の中にいた。始まりの大きい
この二つの交響曲の中で、共に二つの場合を支配する一つの印象は、自然 la Nature||野または森、太陽もしくは夜||と、そしてその自然に同化してその諸力に味方し、その顫動と、そのリトムと、その法則と、その本質との材料を用いて、崇高な戯れを織りなすところの精霊 L'Esprit とである。完全に現実を把握しきっていることと、夢 le R

そうだ、今こそこの事が私にははっきりわかる。||だが、あの時、あれを聴きながら、私はどこにいたのか? 子供の私の魂はどこにいたのか? 意志も持てず、息もつけず、あの幻想の神聖な旋風に運び去られていたのか?······
私がそこへ沈み込んでいた忘我の状態の中で、自分の心の中に形成されつつある事柄を、私はまだ少しも弁別することができなかった。後になって初めてそれが判って来た。今日、私にはそれがよく判る。それを明らかに読み採ることができる所まで来着いたと信じる。そうして、私がここで自分の子供の時の印象を呼び戻すのは、諸君自身の印象をそれぞれ諸君が読み採ることを、おそらくそれによって助力することができるかと思うからである。思うにわれわれは皆同一の人間であって、ただ意識の強さと明らかさとの度合を異にするだけのことだから。
まず、ベートーヴェンの音楽の中で私の心を打つところのものは、こうである。||
総じて音楽はその選ばれた人々の作品にあっては、一つの
「······私はそれ(イデー)を追跡してつかまえる。すると、そいつが私から逃れて、沸騰している塊の中に消え去るのを見る。再び熱意を振い興して、それをもう一度とらえる。私はもう、どうしてもそれを失くすることができないのです。恍惚の痙攣の中で、それを私はあらゆる変調に多様化しなければならない······」このような熱狂的追跡と、捕獲され、制御せられ、馴らされたイデーのこのような多様化(multiplication)と||(それらは聴く者にリトムの鉄槌打と幻覚に憑かれた反覆と、そしてオーケストラの色づけおよび
*原注||ヴァルター・エンゲルスマン氏の透徹せる論文 Die Sonatenform Beethovens. Das Gesetz (Die Musik, XVII Jahrg. Heft 6.) および Die Sonatenform Beethovens, dargestellt in der 5. Sinfonie (Dresden Anzeiger: Wissenschaftliche Beilage, I u. 8. Februar 1927) を参照。
**原注||ベッティーナは彼女自身この raptus に憑かれていた。彼女はベートーヴェンの天才の下意識的なものを読み採る素質を生まれつき持っていた。
近日、私はベッティーナの心理的な問題を調べてみるつもりである||新しく発表された記録のお陰で、今ようやくそれは解明されることのできるものとなった。
**原注||ベッティーナは彼女自身この raptus に憑かれていた。彼女はベートーヴェンの天才の下意識的なものを読み採る素質を生まれつき持っていた。
近日、私はベッティーナの心理的な問題を調べてみるつもりである||新しく発表された記録のお陰で、今ようやくそれは解明されることのできるものとなった。
これは第一の段階であり、盲目的獲得の獲物である。第二は、われわれを獲得する巨匠を発見すること、われわれの
さて、ここでわれわれは第三の段階に||Der kampf(たたかい)に到達する。
彼の感情を分析してみることに慣れていない聴者といえども、幻想を与え、昂揚を与えるこの音楽の中に、根強い一つの霊魂的(psychique)なモチーフのあることにかならず気がついているであろう。すなわちそれは二つの要素の間の闘い、広大な

*原注||もしくはいっそう正確にいうと(もっと後でそれが判るとおりに)それは存在の両分(d
doublement)であって、このことは、ベートーヴェンにあってはいわば慢性の状態である。
**原注||たとえベートーヴェン自身はその友だちヴェーゲラーやシンドラーらのために喜んでその気にさせられていたとはいえ。(ベートーヴェンについて私が書く新しい本の中の或る章で、私はこの思想の戯れの理由を研究するであろう。)
この宿営地||これはベートーヴェンの聴聞者の大多数がそこで立ち留まる場所であるが||に来るまでに、彼がどんな格闘をして来たかをわれわれが知らないという事を、諸君は認められるであろう。少なくともわれわれは、ベートーヴェンの存在の中にあるこの闘いの意味が何であるかを知らない。眼をとじてわれわれはそれに参与する。が、すでにわれわれの本能は、われわれのだれもがこの戦いに加わったことがあることを感づいている。そして、もっとあとでわれわれがベートーヴェンの戦いの意味を知ってみれば、それは一つの新しい発見ではなく、われわれが定義できずに感じていた事柄に、ベートーヴェンの名を与えていたに過ぎないのである。ベートーヴェンのこの戦いとは、魂と運命との間のそれである。私はこれを少しも推定していうのではない。私の空想がこのことを、ベートーヴェンに
**原注||たとえベートーヴェン自身はその友だちヴェーゲラーやシンドラーらのために喜んでその気にさせられていたとはいえ。(ベートーヴェンについて私が書く新しい本の中の或る章で、私はこの思想の戯れの理由を研究するであろう。)
*原注||ベルリン図書館にある Fischhoff の写本には、ベートーヴェンの原稿から写された日記が含まれている。
私はそれに関して二十の実例を挙げることができるだろう。その内の三つだけを選んでみる。それらは同じ階段を||巨人の階段を||のぼる三つの行進曲のようである。一、「今、運命が我をつかむ······」自分は光栄なく塵の中に亡びざらんことを願う!······
二、汝の力を示せ、運命よ!······我らは自らの主人ではない。決定されてある事は、そうなるほかはない。さあ、そうなるがよい! (Was beschlossen ist, muss sein, und sei es denn!)
三、私にできることは何か?||運命以上のものであることだ*!
同一の戦いの三つの叫び、三つの

*原注||この三つの断片は一八一五年および一八一六年のものである。最後の弦四重奏曲(作品第百三十五)の中で提示されている問い Muss es sein? Es muss sein!「それのみが必然なのか? 必然なのだ!」のはなはだきっぱりした答えを人は第二のものの中に認めるであろう。この(クワルテットの中の)問いの明確な意味は、或る批評家たちのために、慰み半分に、曖昧にされたり弱められたりしたが、あたかもシスティンの一人の予言者〔訳者注||ミケランジェロの描いた予言者エレミヤのことをいうのであろう〕のように、自分自身と劇的な会話をやる彼の精神の無限の論争を、問いであり答えであるところの、あの言葉の中に認めないようならば、実際ベートーヴェンに親しんではいないに相違ないのである。
思うに、彼の戦っているこの戦いは、またわれわれすべての者がやっている戦いなのである。それはあらゆる時代、あらゆる国のものである。人間の精神、その願望の勇躍、その希望の飛翔、愛へ、可能へ、そうして認識への強烈なそのこれが第一のたまものである。そうして第二の、最大のそれは、悩めるこの人がわれわれに
この勝利は孤独な一人の人間のもののみにとどまらない。それはまたわれわれのものである。ベートーヴェンが勝利を獲得したのはわれわれのためにである。彼はそのことを望んだ。||他人のために働こうとする専念は、絶えず彼の心に還って来た。願わくは彼の不幸が彼以外の人間に役立つがよい! 諸君はハイリゲンシュタットの遺書の美しい言葉を憶えていられるであろう。
「不幸な人は、自分と同じ一人の不幸なものが、尊敬に値する芸術家と人間との列に伍すことを得しめられんがために、自然のあらゆる障害にもかかわらず、全力を尽したことを知って慰められるがいい!」(一八〇二年)
その期間のあらゆる交響曲が一つの勝利を表わしているところの、宏大な戦いの十年間の後に、幸福を渇望していたこの人がこの世には自分のための幸福はないと覚ったときの自己放棄の言葉は何であったか?
Du darfst nicht Mensch sein, f
r dich nicht, nur f
r andere.....(一八一二年)(お前はもう自分のための人間であることは許されていない。ただ他人のためにのみ······)
自分の芸術を他人のために役立てようという考えは彼の手紙の中で絶えず繰り返されている。ネーゲリへの手紙の中で、あらゆる利害関係的な考えから、あらゆる「ちっぽけな虚栄心」(Kleinliche Eitelkeit)から自己を防ぎながら、彼は自分の生活にただ二つの目的を決定している。それは「聖なる芸術への」(an die g


Von Kindheit an war mein gr
sstes Gl
ck und Vergn
gen, f
r andere wirken zu k
nnen.(一八二四年)(他人のために働きうることは、子供の頃から私の最大な幸福であり楽しみであった。)
「哀れな悩める人類に(armen leidenden Menschheit)役立ちたいと思う私の熱意は、子供の時以来、少しも薄らいだことはない。」(一八一一年)
他の場合に彼はまた、「未来の人類に」(der k




「哀れな悩める人類に(armen leidenden Menschheit)役立ちたいと思う私の熱意は、子供の時以来、少しも薄らいだことはない。」(一八一一年)

この考えについて、われわれは思い違いをしないようにしよう! 功利的なもくろみに屈従する芸術、デモクラシーへの御用のために(ad usum)製造せられ、もしくは修正されるところの芸術||今日「
「生命と名のつく一切は至高者に献ぜられ、芸術に捧げられよ!」(一八一五年)(Alles was Leben heisst, sei dem Erhabenen geopfert, und ein Heiligtum der Kunst!)
芸術は生ける神である。「おお、万事に優れる神!」(O Gott
ber alles!)(一八一六年)
「全能者の、永遠者の、無限者の栄光のために!」(一八一五年)(Zur Ehre des Allm
chtigen, des Ewigen Unendlichen!)
そしてこれらの個人的な手記は、ベッティーナ(一八一〇年)および Joh. Andr. 芸術は生ける神である。「おお、万事に優れる神!」(O Gott

「全能者の、永遠者の、無限者の栄光のために!」(一八一五年)(Zur Ehre des Allm

「私の芸術の中では、神は他の何者よりも私に近くいる。······音楽は一切の哲学よりもさらに高い啓示 である。一度私の音楽を理解した者は、他の人々がひきずっている不幸から脱却するに違いない!······」(Wenn sie sich verst
ndlich macht, der muss frei werden von all dem Elend, womit sich die andern schleppen!)
とはいえ人々の好みに合うところまで譲歩するというようなことはまったく問題にはならない。生ける神について、芸術について譲歩をすることは、できることではない! 芸術を人々の所へ持ってでかけて、人々の背丈に合うように低くするというわけには行かない。ただ彼らの方がそこまで高まるためにのみ芸術は人々に与えられるべきである。
音楽が今までに、ベートーヴェンの音楽の高さにおいてこそ、偉大な民衆的音楽の条件を具体化したとすれば(『エグモント』や『第五交響曲』またはわれわれの「民衆祭」の土台石となるべきである『第九』の
||「自分は群衆(Menge)のために書きはしない。」と、彼は『フィデリオ』を作った後に叫んだ。(一八〇六年*)
*原注||Roeckel.
そして一八二〇年、死の近づいたときに言った。
||Man sagt: vox populi vox Dei||ich habe nie daran geglaubt.(「民衆の声は神の声だ」というが、私はけっしてそんなことを信じたことはない。)
否! 「民衆の声」は「神の声」ではない。「神の声」が「民衆の声」でなければならない。神の声こそ、ベートーヴェンが自らをその通訳者だと信じ、それを人々の彼に近づいていた同時代者らのうちの最も聡明な人々は、


この悲愴な神聖な特徴こそはベートーヴェンの音楽に一つの徳を与えるものである。そしてこの徳は、聴者がこの音楽を他のあらゆる音楽と比較してみる時に、始めておくればせに定義を与えようと思いつくところのものである。すなわち、それは、もしそう言っていいなら、「直接性」である、「心から心へ!」の*。
*原注||人の知るごとく、これは彼の『荘厳な弥撒曲』の Kyrie(ミサの初めの祈祷)の上に書いた言葉である。「心より来る! 願わくはふたたび心に帰れ!」(Vom Herzen! M
ge es wieder zu Herzen gehen!)
啓示を与えるものの心と、それを受け取る者の心との間に何の隔障もない。一つの贅言もない。感動の純粋な表現以上の、また以外の、一つの
もはや叫喚も、身振りも、雄弁もない!||ベートーヴェンは最初の一撃でそこに到達したのではなかった。革命と帝政との時代||英雄的な情熱と行為とが羽飾をつけて騎馬行列をしていたあの雄大な時代に生きた人間としての自己の性質に付着していたローマンチックな血気に対して彼はみずから戦わねばならなかった。ベートーヴェンの前半生の作品には、その最も高いものの中にさえ、崇高な『エロイカ』の中にさえ、なお帽子の
かくしてある
高い教訓である、ひとり芸術家にとってばかりでなく、あらゆる人間にとっての! なぜならこのような絶対的な単純さと真実さとは、芸術の至高な成就であると同時にまたきわめて雄々しい道徳的徳性であるから。ベートーヴェンの「音楽の福音書」の中でこのことの自覚に徹した人々は、もはや芸術と生活との中にある虚妄に耐え得なくなる。ベートーヴェンは正直 droiture と誠実 sinc


私は、私の同時代のあらゆる師たちからよりも、いっそう多くベートーヴェンから教えられて来た。自分自身の最善なものを、私はベートーヴェンに負うている。そうして、あらゆる国々の無数の謙虚な人々が慰めと生きる力と、そして||(私は魂の清さと真理とを、とはいわない。なぜなら、だれかそれをすでに獲得していると自負し得るものがあろうか?)||しかしこのような頂上およびその汚れのない霊気への熱心な
私は、これらの隠れた無数の弟子たちの恭敬を、「師」であり伴侶である人の足元に捧げるために来た。私たちは||地上の全民族から成る私たちは彼において結合する。彼は「ヨーロッパの親和」と人類愛との、輝かしい象徴である······
(一九二七年三月二十六日)
「ベートーヴェンへの感謝」はドイツでは、それだけで独立した単行本として音楽学者ネツール教授の論文「ロマン・ロランと音楽」を添え一九五一年に初めて出版された。
訳者