光一は、かぶとむしを
捕ろうと
思って、
長いさおを
持って、
神社の
境内にある、かしわの
木の
下へいってみました。けれど、もうだれか
捕ってしまったのか、それとも、どこへか
飛んでいっていないのか、ただ
大きなすずめばちだけが二、三びき
前後を
警戒しながら、
幹から
流れ
出る
汁へ
止まろうとしていました。しかたなく、
鳥居のところまでもどってきて、ぼんやりとして
立っていると、せみの
声がうるさいほど、
雨の
降るように
頭の
上からきこえてくるのでした。そのとき、
勇ちゃんが、あちらから
駆けてきました。
「なにをしているのだい?」
「なんにもしていない。」
光一は、さびしく
思っていたところで、お
友だちをばうれしそうに
迎えたのです。
勇吉は、
並んで
鳥居によりかかるとすぐに、
問題を
出して、
「
長い
足で
歩いて、
平たい
足で
泳いで、
体を
曲げて
後ずさりするもの、なあんだ
······。」と、
光一に
向かってききました。
「
考えもの?」
「うううん、
光ちゃんの
知っているものだよ。」と、
勇吉は
笑いました。
「なんだろうな。」
光一は、しきりに
考えていました。
かぶとむしではないし
······。
「ああ、わかった。ばっただろう?」と、
大きな
声で
答えました。
勇吉は、ちょっと
目を
光らして、
頭をかしげたが、
「ちがうよ、ばったは、
泳ぎはしないよ。」と、
朗らかに、
笑ったのです。
「
僕、わからないから
教えて。」
とうとう、
光一は、
降参しました。
「えびさ。きょう
僕、
学校で
理料の
時間にならったんだよ。
光ちゃんもえびはよく
知っているだろう。けれど、そう
聞くと
不思議と
思わない?
僕、えびをおもしろいと
思ったんだ。かぶとむしなんかより、えびのほうがずっとおもしろいと
思ったんだよ。あした、
川へびんどを
持っていって、
小さなえびを
捕ってきて、びんの
中へ
入れてながめるのだ。」と、
勇吉は、おもしろいことを
発見したように、いいました。
学校では、一
年上の
勇吉のいうことが、なんとなく
光一にまことらしく
聞こえて、
珍しいものに
感じられました。
自分も
来年になれば、やはり
理科で
同じところを
習うのだろう、そうしたら、かぶとむしよりもえびがおもしろくなり、えびよりはもっとおもしろいものがあることに
気づくかもしれないと
思いました。すると、
急にこの
大きな
自然が、
貴い、
美しい、
輝く
御殿のごとく
目の
中に
映ったのです。
「
光ちゃん、
僕、えびをとってきたら、どんなびんの
中へ
入れると
思う?
僕すてきなことを
発明したんだよ。
君わからないだろう。」と、
勇吉は、いいました。まったく、そんなことが、
光一にわかろうはずがありませんでした。
むしろ、いろいろなことを
知っている
勇吉をうらやましそうに、
光一は、だまって
見つめていたのです。
「
君、
水族館で、お
魚がガラスの
箱の
中を、
泳ぐのを
見たろう?
水草を
分けて、ひらりひらりと
尾を
揺るがしたり、また、すうい、すういと
小さなあわを
口から
出して。
僕、あんなのを
造るんだよ。」
「
勇ちゃん、どうして、
造るの?」
「
入れ
物かい?
教えてあげようか、
僕の
家へおいでよ。」
勇吉が、
先になって、
光一は、
後からついて、
人通りの
少ない、
白く
乾いた
真昼の
往来を
駆けていきました。
「
僕も、
兄さんからきいたので、まだ
実験してみないのだから、うまくできるか、どうかわからないのだ。ここに、
待っておいで。」
勇吉は、
家へ
入って、アルコールと、ひもと、マッチを
持ってきました。
「お
母さんが、
昼寝をなさっていて、
見つからなくてよかった。」
彼は、
見つかればしかられるということをほのめかしたのでした。それから、
物置の
戸を
開けて、
中から、
空の一
升びんを
取り
出しました。また、バケツに
水をいっぱい
入れて、そばに
備えておきました。
「どうするの?」と、
光一は、ききました。
「このガラスのびんをうまく
切るのさ。そうすれば、いい
入れ
物ができるだろう
······。」と、
勇吉は、
大きなびんをながめて、その
中へ
水草を
入れ、
赤べんたんや、えびを
泳がせるおもしろみを、いまから
目を
細くして、
空想せずにいられませんでした。
「うまく、二つに
切れる?」と、
光一が、
疑っている
間に、
勇吉は、ひもをアルコールに
浸して、びんの
胴へ
巻きました。そして、マッチをすって、それへ
火をつけると、
見えるか
見えぬ
幽かな
青白い
炎が、ひもの
上から
燃えはじめました。いいかげんの
時分に、
急にバケツの
水へびんをつけると、ピン! と
音がして、ひもを
巻いたところから、びんは、
真っ
二つにきれいに
分かれたのです。
「おお。」といって、
光一は、もちろん、それをやった
勇吉までが、
思わず
感歎して、
声を
放ったのであります。
光一は
自分を
忘れて、
持っているさおを
地面へ
倒したのでありました。
「きょう、
勇ちゃんはびんどを
持って
川へえびを
取りにいくといったが、
僕もいっしょにゆこうかな。けれど、だいぶ
空が
暗くなって、
雨が
降りそうだ。」
光一は、
学校の
帰りに
考えながら、
原っぱを
歩いてきました。
空を
見ていた
目を
地面へ
移すと、なんだろう?
黒光りのする、とげとげしたものが、ゆく
先の
草の
上に
落ちているのでした。
「
虫かしらん?」
光一は、すぐに、それが
生きもののように
感じました。なんだか
気味の
悪いものです。しかし
動きません。
用心深く、
目をこらして
近づくと、
長い
足があって、二つの
目が
光っています。かぶとむしではない、むかででもない、えびのようであるが
······まだ
見たことのない
虫としか
思われませんでした。
「なんだろうな?」と、
彼は、もっと
近づいてよく
見ると、
長いひげがあって、それはまちがいなく、えびでありました。
「えびだ、
大きなえびだ!」
不思議でたまりません。こんな
草の
上に
落ちているのに、いま
水の
中から、はね
出したばかりのように、
黒色の
甲らがぬれているなどであります。
彼は、ちょっと、それを
拾い
上げるのにためらいました。が、えびであることがわかると、しぜんに
勇気が
出て、
手に
取り
上げたのです。
なるほど、
勇ちゃんのいったように、
長い
足と
平たい
足とがあって、どこも
傷がついていませんでした。
水の
中へ
入れたら、
生き
返るかもしれぬと、
光一は
思ったので、なるべく
強く
握らないようにして、
急いだのでありました。
「どうして、こんなところに、えびがあったんだろうな。」
考えれば、
考えるほど、
不思議でなりませんでした。それから、このえびをどうしたらいいかということにも
迷ったのでした。
家へ
帰って、すぐ
水に
入れてみよう、そして、
生きたら
飼っておこう、もし
生き
返らなかったら、そうだ、
標本にしようか?
だが、もっと
気にかかるのは、
悪い
病気のはやる
時分に、こんなものを
拾って
帰ると、きっとお
父さんもお
母さんも、やかましくいって、しかることでした。だから、
家の
人たちの
目につかないところに
置かなければならない。
光一は、
頭に、いろんなことを
考えながら、
原っぱの
真ん
中に、
立ち
止まって、えびを
鼻先へぶらさげて
匂いをかいでみました。まだ、
海を
泳いでいた
時分の、
磯の
香が
残っていました。
「きっと、
生き
返るかもしれない。」
彼は、かばんから、
半紙を
出して、えびを
包みました。そして、
急ぎました。
家へ
着くと、
洗面器に
塩水を
造って、
入れてみたのです。けれど、やはり、えびは
動きませんでした。
彼は、ともかく、この、えびを
勇ちゃんに
見せようと
思って、また
紙に
包んで、
生け
垣の
間へ
隠しました。
「
茶だなの
上に、おやつがありますよ。」と、お
母さんが、おっしゃいました。
光一は、おやつも
食べないで、
外へ
飛び
出したのであります。
「
勇ちゃんが
見たら、びっくりするだろうな。」と、
歩きながら、ときどき、えびを
紙から
出してながめていました。
指先でつまんで、これが、
水の
中にいる
時分の
姿を
想像して、
空中を
泳がしてみました。
お
宮の
前までくると、ワン、ワンとけたたましい
犬のほえ
声がしました。
境内をのぞくと、
昨日、かぶとむしをさがした、かしわの
木の
下で、ペスが、しきりに
地面を
掘るように、つめで、かいて、
騒いでいるのでした。
「ペスや、なにしているんだい?」
光一は、さっそく、
犬のそばへいってみました。へびでも
見つけたのかと
思ったのが、そうでなく
小さな
穴に
向かってほえているのでした。
「なあんだ。」といっていると、
黒いものが
穴の
中から
頭を
出したようです。
「おや、なにか
見えたぞ。」
光一は、
棒切れをきがして、
穴をつついてみました。
奥の
方に、
小さなしかの
角の
形をしたものが、ちょっと
見えています。
「やあ、かぶとの
子だ。こんなところに、かぶとむしの
穴があるとは
思わなかったなあ。ペス、おまえはおりこうだね。」と、
光一は、
喜んでペスの
頭をなでてやりました。そして、えびをあちらの
木の
根のところへ
置いてきて、いっしょうけんめいに、その
穴の
中からかぶとむしを
掘り
出すのに、
夢中になっていました。
やっと一ぴき
捕まえると、まだいるだろうと、
光一は、
顔を
赤くして、
顔に
汗を
流しながら、
穴を
掘り
返していました。また、あちらで、「ワン、ワン。」と、ペスが、ほえました。
顔を
上げると、
驚いたのです。ペスは、えびをくわえて、二、三
度頭を
振ったが、そのまま、あちらへ
駆け
出していきました。
「ペス! それは、
大事なんだよ。」といって、
光一は、
後を
追いかけたけれど、だめでした。もう、
姿は
見えなくなってしまいました。
学校の
運動場で、
遊んでいるとき、
勇吉がそばへきましたから、
「
勇ちゃん、
川へ
魚を
捕りにいったの。」と、
光一は、ききました。
「
雷が
鳴り
出したろう、
雨が
降るといけないからいかなかった。それで、
晩に
縁日へいって、
金めだかを
買ってきたのさ。」
「あのびんに
入れた?」
「
入れたよ、こんど
川へいって、
藻を
取ってくるのだ。」
光一は、えびを
拾った
話をしました。
「えっ、あの
原っぱでかい。」と、
勇吉は、さも
信じられないというような、
顔つきをしたのです。
「うそでない、
草の
上に
落ちていたんだよ。」
光一は、それ
以上、ほんとうだと
信じさせるようにいえないことを、
至極残念に
思いました。
「
魚屋さんかしらん。しかし、あんな
原っぱを
通るはずがないだろう。また、ねこがさらってきたなら、
食べてしまうし。そのえびは、どっか、
傷がついていたかい。」と、
勇吉が、ききました。
「一
本も
足がとれていなかった。まだ
生きているように、
黒光りがしていた。」
「そして、
足が、
動いていた?」
「じっとしていた。
僕、
家へ
帰って、すぐに
塩水に
入れてみたけれど、
死んでいたよ。」と、
光一は、いいました。
「そいつは、おかしいね。それで、そのえびどうしたの。」と、
勇吉は、そんなこと、あり
得ないことだといわぬばかりに、
問いました。
「
僕、
勇ちゃんに、
見せようと
思って、
持っていったのだよ。
途中で、かぶとむしを
見つけたので、つかまえていると、ペスがくわえて、
逃げてしまったんだ。」と、
光一は、
考えても
残念そうに、
答えました。
「なあんだ
||。」と、
勇吉は、
両手を
頭の
上にのせて、しばらく
考えていたが、
「ああ、
光ちゃん、わかった。
君は、
夢を
見たんだ! きっと、
光ちゃんは、
夢を
見て、それをほんとうにあったことと
思っているんだ。
第一、
海にいるえびが、
原っぱへくるわけがないさ。それでなければ、お
化けだ!」
勇吉は、
太陽がきらきらする、
森の
方を
見上げて、
笑いました。
白い
雲が、
帆のように、
青い
空を
走っていきました。
「えっ、お
化け? なんでお
化けであるもんか
······。」と、
光一は、
力んで、いいはったが、
自分ながら、
昨日のことを
考えると、まったく
夢のような
気がしてならなかったのです。
日曜の
午前でした。
空は、
曇っていました。どうしたことか、このごろは、
晴れたり、
降ったりして、おかしな
天気がつづくのでした。
光一は、
友だちが
遊んでいないかと
思って、
赤土の
原っぱへくると、あちらに
黒く
人が
集まって、なにか
見ています。ちょうどえびが
落ちていたあたりでした。
「なにを
見ているのだろうか。」と、
彼は、
走っていきました。そこには、
自転車を
止めた
職人ふうの
男もいれば、
小僧さんもいました。また
小さな
女の
子もいました。けれど、
自分の
知った
顔は、
一人もなかったのです。
光一は、なんだかさびしい
気がしたが、みんなの
中へ
入ってみると、おじいさんが
草の
上へ
店を
開いていました。一つのバケツには、かにや、かめの
子が
入っていました。のぞくと、むずむずと
重なり
合ったり、ぶつぶつとあわを
吹いています。
他の一つのバケツには、それこそ
奇妙なものが
入っていました。
真っ
黒い
色をして、かぶとむしくらいで、
頭が
大きく、
尾の
短い、
魚に
似て
魚でないものでした。この
奇妙なものは、バケツの
中で、たがいに
押しくらまんじゅうをして、バケツのまわりに
頭をつけています。
「おじいさん、こんな
大きなおたまがあるものかね?」と、
職人ふうの
男がきいていました。
「こいつのすんでいる
池は、そうたくさんはありません。これは
遠方から
送られてきたんですよ。
夜になると
鳴きます。」
「どういって?」
「ボーオ、ボーオといって、
鳴きます。」と、おじいさんが
答えました。
「
鳴くって、ボーオ、ボーオと、こいつがかい?」
今度は、
鳥打帽をかぶった
小僧さんが、きいて、たまげていました。
「まるで、
自動車の
笛みたいだな。」と、
職人ふうの
男は、
笑いました。
「なに、
薬品でも
飲まして、おたまを
大きくしたんだろう。」と、
小僧さんが、おじいさんのいったことを
真に
受けなかったようです。
小さな
女の
子は、
大人たちの
間から、おかっぱ
頭を
出して、バケツを
見ながら、
「これ、なまずの
子でないこと。」といっていました。
「いくら、なまずの
頭が
大きいって、こんな
大きいのはない。やはり、これはおたまだ。おたまにちがいねえが、おじいさん、
食用がえるは
鳴くというが、これは、その
子でないのかね。」と、
職人ふうの
男は、いったのでした。
おじいさんは、きせるに
煙草をつめて、マッチで
火をつけて
吸いながら、それには、
答えないで、
「なにしろ
珍しいもんでさあ。
坊ちゃんたちは、かにや、かめの
子には、
飽きましてね。」と、おじいさんはいったのです。
光一は、
早くお
家へ
帰って、お
母さんにお
金をもらってこようと
思いました。
「このおたまだけは、どうしても
買わなければならないものだ。」と、
心の
中で、
叫びました。おじいさんは、一ぴき五
銭で
売るのだけれど、きょうは
特別に三
銭に
負けておくといいました。
彼は、このあいだお
父さんから、お
小使いをもらったのを
大事にしておけばよかったと
後悔したのです。バッチンをしたり、
花火を
買ったりして、みんな
使ってしまったのでした。どういって、お
母さんに、ねだったらいいだろうかと
考えながら、
飛んで
帰りました。お
母さんの
顔を
見ると、
「ねえ、お
母さん、
鳴くおたまってありますか?」
いきなり
光一は、
質問を
発しました。ふいに、こんな
質問をされたので、お
母さんは、
「さあ、
鳴くおたまじゃくしなんて、まだ、きいたことがありませんね。」と、つい
話につりこまれて、なんでこんなことをいったのか
知らずに、おっしゃいました。
「それが、お
母さんあるんですよ。
日が
暮れると、ボーオ、ボーオって、
鳴くというのです。」
光一は、
自分も
驚いたといわぬばかりに、
目をまるくして、お
母さんの
顔を
見ました。
「なんか、きっとほかのものでしょう、かじかではないんですか。」
「
色が
真っ
黒で、
頭が
大きくて、
尾がちょっぴりついているんです。それは、かわいいのですよ。」
光一は、いいました。
「まあ、
気味の
悪いこと、おたまじゃくしのお
化けみたいなのね。」と、お
母さんは、かわいいどころか、ぞっとするように、おっしゃいました。
「一ぴき三
銭に
負けておくって、ねえ、
買ってよ。」
光一は、お
母さんが
珍しいといってくださらなかったので、おおいに
当てがはずれたのです。
「どこへ、そんなものを
売りにきたんですか、
家へ
持ってこられると
困りますね。」
「ちっともこわくなんかないんだよ。ただ、
鳴くおたまなんだもの。」
彼は、
無理にも、お
母さんに
承知していただいて、お
金をもらわなければなりませんでした。それで、
家の
内をお
母さんの
後について
歩きました。そして、やっと三びき
買うほどのお
金をいただいたとき、
彼は、どんなにうれしかったかしれない。だが、
運が
悪く
雨が
降り
出してきました。
「
困ったなあ、おじいさんは、どっかへいってしまうだろうな。」と、
光一は、
気をもんでいたのであります。
「この
雨の
中を、いつまで
原っぱにいられるものですか。」と、お
母さんは、おかしそうにおっしゃいましたが、あまり
光一が
落胆するので、
後でかわいそうになって、
「じきに、この
雨は
上がりますよ。」と、やさしく、いたわるように、いわれました。しかし、お
昼のご
飯を
食べてしまっても、まだ
雨はやみそうもありませんでした。もうおじいさんは、とっくに、どこへかいってしまったものとあきらめなければならなかったのです。
晩方になって、やっと
雨が
晴れて、
空が
明るくなりました。ちょうど、その
時分でした。
「おたまがきた!」と
叫んで、どこかの
子が、
家の
前を
走ってゆきました。
光一は、はっとして、
耳を
澄ましました。
「あの、おじいさんがきたのだ!」
彼は、すぐに
家から
飛び
出しました。そして、
子供の
走っていった
方角を
見ましたが、なんらそれらしい
人影もありません。あちらの
煙突のいただきに、
青空が
出て、その
下のぬれて
光る
道を
人々が、いきいきとした
顔つきをして
往くのでした。
「おたまは、どこへきたんだろうな。」と、
光一はしばらく
往来に
立っていました。そこへ、お
湯から
上がって、
顔へ
白粉を
真っ
白につけたかね
子さんが、
長いたもとの
着物をひらひらさして、
横道から、
出てきました。
「
光一さん、
晩にチンドン
屋の
行列があってよ。」と、
知らせました。
「どこに?」
「
青物市場の
前に、もうじきはじまるわ。」
かね
子さんは、それを
見にいくらしいのです。
光一は、
市場の
方を
見ると、チン、チン、ジャン、ジャン、という
音がきこえてくるような
気がしました。おたまのことは、
忘れられないけれど、つい、
自分もかね
子さんといっしょにチンドン
屋の
行列を
見る
気になって、
道のくぼみの
水たまりを
避けながら、
二人は、
町の
方へ
向かって
歩いたのでした。
くる! くる! くる! いろんなようすをしたチンドン
屋が
······旗を
立て、
黒い
山高帽をかぶってくるもの、
兵隊帽子にゴム
長をはいてくるもの、
赤い
頭巾をかぶって、
行燈をしょってくるもの、
燕尾服を
着て、
鉦と
太鼓をたたいてくるもの
······。
先のが、かぶとむし、つぎは、さいかち、そのつぎは、えび、そのつぎが、ボーオ、ボーオと
鳴くおたま、
······光一の
目には、みんな
虫になって
見えたのであります。
もう、
両側の
店には、
燈火がついて、
大空は、
紫水晶のように
暗くなっていました。
光一は、かね
子さんに、
昼間見たおたまの
話をすると、
「そんな、おたまなんかないわ。」と、かね
子さんは、すげなくいいました。
「あの、おじいさんから、おたまを
買っていたらなあ。」と、
光一は、
残念でなりません。
「かね
子さんさえ
信じないのだから、きょうのことを
勇ちゃんに
話したら、
勇ちゃんも、きっと、そんなおたまはないというだろう。そして、
光ちゃんは、またみょうな
夢を
見たといって
笑うだろう
······。」
そう
考えると、
光一は、
頼りなく、さびしかったのでした。そして、この
世の
中には、
自分にだけ
信じられて、
他の
人には、どうしてもわからない、
不思議なことがあるものだということを、
彼は、しみじみと
感じたのでありました。