「自分に關しては、たゞ一つだけ確信してゐることがある。······疾かれ遲かれ、ある吉日に自分は死ぬるのだ。」
「私は、それ以上の確信を有つてゐる。私はある惡日に生れたのだ。」
年少の頃、『浴泉記』といふロシア小説の飜譯を讀んだ時に、私はかういふ會話のやり取りに心を打たれたことがあつた。(後年英譯で讀み直すと、「美しい朝」と「いやな晩」といふ文句が、吉日惡日を言葉として對照されてあつた。)
それ以來、わが生れた日が惡日で、わが死ぬる日が吉日だといふやうな感じがをり/\胸に起こつてゐた。
この頃は、さういふひねくれた人生觀の發露で「吉日」「惡日」を定めることはないのだが、世を隔離してゐるやうな昨今の私の生活においても、日の吉凶が、入り亂れて影をうつすやうに思はれることが多い。沈滯した水のやうな靜かな生活では、なほ更さういふことが感ぜられ易いのかも知れない。
たまに表の格子戸が開いて、訪問客の來たらしい氣配がすると、私は、靜かな水に小石でも投げられたやうな波動を胸に感じるのであつた。靜坐の行が亂される氣がするのを例としてゐた。訪問客があつたのを、吉日のうちに分類したことは滅多になかつた。文學青年にねち/\話し込まれる時の惱ましさはいふまでもなく、長い尻の雜誌記者に、何がなしに應對さゝれるのも心の疲れを來す原因となるのであつた。私のところへでもをり/\電報が舞ひ込むのだが、故郷には老いて病める兩親がまだ住んでゐるのだから、原稿の催促でも電報を打たれるのは、私には有難くないのであつた。宛名が私の作者名になつてゐるのを見て、まづ安心してひらくのであつた。
私の戲曲も、二三度上演されて、上演料までも貰へたことがあつたが、さういふ時には、興行者からの使者が私の家の玄關へも現れた。その時のお使者の顏には、「今日はいゝことを知らせに來てやつたぞ。」といふやうな表情が浮んでゐると、取次に出た妻が多少の反感を寄せていつてゐた。······しかし、それは吉報に違ひないので、日記に吉日のしるしをつけて置いていゝ譯であつたが、そんなことは滅多になかつた。それに、見物を狂熱させる力のないものを、興行者の方でも狂言に窮した餘りに採用したらしいのに、その上演を名譽とするやうに喜ぶのは、自ら顧みて不見識に思はれた。
私は、用事以外には、知人と書翰を取りかはすことは、極めて稀なのであつたが、妻のところへは、彼女の親戚や私の身内から、をり/\音信があつた。離れ島へ本國から船が着いたやうに、彼女は喜んで迎へるのであつたが、しかし、この頃の手紙には、あちらからもこちらからも、出産の知らせが多くつて、子供のない私達には、自分の身邊の淋しさを顧みさゝれる刺戟になるに留まつた。さういふ手紙を見ると、その人達が子が生れたとか、その子が笑つたとか、その子が立つて歩いたとかいふことが、天下の大事で、萬民が興味を寄するに足ることであるやうに書かれてあるのを例としてゐた。親心はそれによつてもよく察せられるのだが、しかし、他人の子が(まだ一面識もない赤ん坊が)何十里か何百里か離れた土地で立つたりころんだりしてゐるのが、我々の興味になるのであらうか。地を
「また出産を祝つてやらなきやなりませんね。」妻は世間の義理を果さなければ氣が濟まなかつた。
身内のある女が、「お産を祝つてやつてもいゝけれど、こがいなものを寄越してといふに極つてるから······。」と、氣の進まない口をきいてゐるのを、私は傍聽して、成程と同感した。常例を超越した華美な反物でも贈つてやれば兎に角、大抵の品物なら、「こんなもの」といはれさうなものは、私にも明らかに想像された。······それに、子のないものが、他人の出産に感激して祝ひ物をやるなんてことがあり得ることであらうか。
だから、出産や結婚の知らせを、私は吉報としては受け取れなかつた。そんな郵便が舞ひ込んだ日が、私には惡日でないにしても、決して吉日ではなかつた。
風が靜かで温かで、腹加減がよくつて、いやな來客に妨げられないで、快く午睡でもした日が、まあ吉日といへばいはれた。······この土地に靜かに住んでゐると、四季の變遷が、實によく心に映つて行く。大抵毎年同じやうに季候が推移するので、今年は太陽の黒點の關係で、冬が例外に寒いだらうと、天文學者が豫想してゐたが、その豫想は例の如くはづれて、今までのところ、寒さの度合が例年と違つてゐなかつた。三寒四温といふ在來の言ひ傳へはよく要を得てゐる。私は毎日のやうに濱へ散歩に出てゐるが、寒い風の吹きすさんでゐる時があるかと思ふと、風は凪いでゐるのに、土用波のやうに、波打際に高い波の打ち寄せて汐煙の舞ひ上つてゐることもある。遠山は霞んでほか/\と春のやうに温かいこともある。
見飽きるほど見馴れてゐるこの海原も、風のない光の冴えた温かい日には、夢のやうにのんびりとして美しく見られるのである。さういふ日には、私は裸足になつて、波に濡れた柔かい砂の上を歩くのだが、その時の觸覺は氣持がいゝ。かういふいゝ氣持を感じながら、思ふ存分温かい汐風に浸つて、腦裏の塵埃を拭つて、胃の働きをもよくして、家へ歸つて午餐の膳に向つて、新鮮な魚介や蔬菜を味ふ時は、十人並に、生きとし生けるものゝ刹那の幸福が感ぜられるのであつた。今の私は、これぐらゐなところで吉日を選ばなければならなかつた。
私の家へは、近所の商家から、使用人の一人を手傳ひに寄越してくれるのであつたが、松どんと呼ばれるその男は、感化院にゐた孤兒であつた。年齡は二十に達してゐるのに、知能は、惡ごすいこの土地の十くらゐな子供にも劣るくらゐで、しかも癲癇持で[#「癲癇持で」は底本では「癩癇持で」]あつた。月に一度くらゐは
かういふ男には有り勝ちのどんよりした目をしてゐたが、顏をよく見ると、艱難にさいなまれた險惡な相はどこにもなかつた。膝頭の破れた
感化院で教はつたのか、假名くらゐは書けるらしいので、私は、お歳暮に書店から貰つた日記帳をやると、しよつちゆうそれを懷ろに入れて、時々鉛筆で何か書いてゐるやうであつた。
「松どん、そこへ何を書いてゐるの?」と、妻の方から訊ねると、
「忘れないやうに書いて置きます。」と、彼は答へた。
「何を忘れないやうに書くんだらう?」
「それがね······。」と、彼は目をパチ/\させたが、それつきりしつかりした返事をしなかつた。
彼に取つて忘れてはならないことは何であらうかと、私は不思議に感じたが、その日記帳を取り上げて見る氣はしなかつた。
「お前はなか/\うまいね。」と、私が褒めると、
「今日は波が高いや。」と、彼は無表情な顏して、獨り言をいつて、一層巧みに一方の水桶へ汐水をくみ込んだ。あまり手際をよくしようとしたゝめに、彼は衣服をずぶ濡れに濡らしたが、そんなことには平氣で陸へ上つて行つた。あたりには、餌をあさつてゐる一匹の野良犬の外誰もゐなかつた。
私は、彼の生活についていろ/\に考へながら、
この頃はかういふ吉日が續いてゐる。