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頌歌

ポオル・クロオデル Paul Claudel

上田敏訳




わがたましひしゆあがめ奉るなり。


あゝ今は越方こしかたとなりしつらき長きみちよわれたゞひとりなりしその日よ。

都大路みやこおほぢ流離さすらひよ、御堂みだうくだ長町ながまちよ。

あたかも若き競技者が方人かたうど調練者ならしてぐんせかれてか楕圓砂場だゑんさぢやうをさして行く時、

一人ひとりは耳に囁きつ、またの一人ひとりかひなに自由を許しつゝきれもてすぢねを卷きしばる如きめをみて、

わが神々の忙しき足の中をわれは進みぬ。

聖約翰祭せいヨハネさい夏至げしの頃森陰もりかげおとなひよりも、

あるは、ダマスコの里水さとみづさやぐ山川やまかはおとに、

荒野あれのの吐息まじり、夕されば風そよ高木かうぼくゆるぎも加はるそのこゑよりも繁きは、

欲望さはなる若き心の言葉なり。

嗚呼あゝ神よ、若き人は女の生みたる子は、御供ごくう牡牛をうしよりも御心みこゝろかなふべし、

かくてわれ、相撲すまふの身を屈する如く、御前おんまへにあり、

自らをあへて弱しと思ふにあらず、他の更に我より強きがためぞ。

君はわれを呼び召して、

つとにわが名を知り給ふ如く、同じよはひの者のなかより特にわれをえらび給ふ。

嗚呼、神よ、若き人の心はいかに愛に滿ち、いかに汚辱と虚榮とを忌むかを知り給ふならむ。

こゝおいてか、君、にはかにわが前に現はれ給ふ。

しゆは昔御力みちからを示して孟西モオゼを驚かし給ひぬ、されど、わが心には、罪なきいつ實有じつうとこそ見えたれ。

さすがはわれも女の生みたる子なるか、そは此時このとき、理性も師説しせつも、すべての妄誕ばうたんも、

わが心の雄誥をたけびむかひて、この幼兒をさなごのさし伸べたる手にむかひて、全く無力なればなり。

あゝ、涙、あゝ情深なさけぶかき心、あゝ、涙はふり落つるこの顏容かんばせかな。

もろ/\の信者たち、きたれ、この今生れたる幼兒をさなごたつとうやまはむ、

われを君があだおぼし給ふなかれ、われは君のいづこにいますかをわきまへず、また見ず、また知らず、たゞこの涙にるゝおもてを君の方に向けたり。

われらを愛する者、人誰か愛せざらむ、わが心、救世主すくひぬしを見て、躍り喜ぶ。もろ/\の信者たちきたれ、われらが爲に生れ出で給ふこの幼兒をさなごたつとうやまはむ。

||さてもわれは今童兒どうじにあらず、いのちなかに在りて、事理分別を辨へ、

とゞめて、力量と堪忍とを楯に直立して、各方面を眺めたり。

かくて君、われに置き給ひし心とおととをもとに、

われはくさぐさの言葉を作り、説をたくみ、わが胸の内に、異る聲々こゑ/″\を集めたるが、

今や長論議ちやうろんぎもはたとみて、

われたゞひとりとなりぬ。君の御前みまへでては、更に新らしきわが身のおもひして、

復音ふくおん一聲いつせい、たとへば、弓をもて、二つのいとを彈き鳴らしたる※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)オロンの如く歌ひ出づ。

われ、世に在りて何かさむ、一帶の砂上に立ちて、まなこ常に、あのうちかさなれる晶光七天しやうくわうしちてんを眺むるのみ。

君、今ここにわが前にます。われは、カルメルざんに孤雲を望む牧人の心となりて、君が御爲おんためにやをらうつくしき一條いちでうの歌を捧げむ、

時これ十二月かんの土用に際して、萬物ばんぶつ結目むすびめちゞまりすくみ、夜天やてん星斗せいと闌干らんかんたれど、

歡喜の心、逸散いつさんにわが身をきて、

今は昔、カヤパス、アンナ大司祭たり、ヘロデは、

ガリレヤに、弟ピリポ、イツリヤとトラコニチスとに、リサニヤスはアビレナに分封わけもちきみたりし世、荒野あれののヨハネに御言葉みことばくだりし時の如し。

われらの奏問さうもんし奉る言葉と同じ言葉もてわれらにも、らせ給ふわが神よ。

君は今もわが聲を輕しめ給はず、君が幼兒のいづれもの聲、または、君が婢女はしためマリヤの聲、

マリヤはその心のあふれ湧きて、そのつゝしみを受け入れ給ひし嬉しさに叫びしその聲と同じやうによみし給ふ。

嗚呼あゝ、わが神の御母おんはゝ、女のうちにての女よ、

この長旅ながたびのはてに、君がわが胸に達し給ひしか。わが身の内にある代々の人々よりこの我に至るまで、一齊に呼ばはりて、君を祝福されたる者と仰ぎ奉る。

そも君がしつに入るや、エリザベエタは耳を傾け、

石婦うまずめと呼ばれし者も身重みおもになりてはや六月むつきとなりぬ。

わが心、頌歌ほめうたを負ひて重く、御前おんまへにむかふも苦しげなり。

宛も乳香にうかう炭火すみびとに充ちたる金の香爐かうろの重たげに、

鎖の長さに振上げられて、

次にり來るその跡は、

濛々もう/\たる香煙かうえんを日光にみなぎらす如し。

しゆよ、口訥くちごもる萬物のなかに立ちて、わが心、願はくはその言ふ所を知る者の如くあらなむ。

造化ざうくわしゆに對するこの大歡喜、千萬の天軍が嚴守げんしゆするこの祕密はくうにあらず。

嗚呼あゝ、わがげんの力を、その無言むごんの力と同じからしめ給へ。

又、萬有のすぐれてめでたき事もくうにはあらず又かのうつ蘆莖あしぐきそよぎもくうならず、裏海りかいはまアラルのふもとなる古塚ふるづかの上に坐して、

東方聖人は此聲このこゑを聞きながら星を考へ、おほいなる代の近づくを察したらずや。

されどわれはたゞ、ふさはしき言葉を見出で、これを見出でたるのち、唯、わが心の言葉を吐出はきいで、

これを言出いひいでたるのち、いのちをはり、又これを言出でたるあとは、かしらを胸にれて、あたかも老僧が聖祭せいさいを行ひつゝ絶命する如くならむ。

しゆは祝すべきかな、もろ/\の偶像よりわれを救ひ給へり、

君をほかにして、我にうやまたつとぶもの無からしめ、イシスにもオシリスにも、

又は「正義」「進歩」「眞理」或は「神性」「人道」「自然法則」また「藝術」にも「美」にもぬかづかしめず、

元來世に在らざる物又は君いまさぬために生じたる空虚に存在をゆるしたまはず。

見よ、空舟うつろぶねりて、殘る船板ふないたをアポロオンにり刻みし未開人の如く、

かの唯、べんを辯ずる者どもは、形状言けいじやうげん剩餘じようよをもて、實體もなき多くの怪物を造りつつ、

童男どうなん童女どうぢよを食とするモロックよりも虚誕きよたんにして又、殘忍なり醜惡しうをなり、

おとありて聲無し、名あれどたい無し、

荒野あれのまたすべてくうなる物に住まふ不淨の氣ここに漂ふ。

しゆよ、君はすべての書籍しよじやく、思想、偶像、祭官等よりわれを救ひ給ふ、

以色列イスラエルが、「柔弱家にうじやくか」のくびきに屈するを許し給はず、

君が死者の神にあらず、生きたる人の神なるをわれは知れり。

われは幻影と傀儡くわいらいとをけいせず、ディヤナも「義務」も「自由」も牛の姿のアピスも、

又はかの「天才」かの「英雄」或は大人たいじん超人てうじん、すべていまはしき異形いぎやうのものを敬せむや。

死の中にありてわれ自由なるあたはざればなり。

われは眞に有る物の間に有りてこれをわが身にからざる物とするに努む。

われは何物をも凌駕りようがせむとはせず、たゞ眞の人たるを欲す。

しゆもろ/\實在中じつざいちゆうにありて、まつたく、つ眞に、且つ生き給ふ如く眞ならむを欲す。

世上の假説かせつ何ものぞ、われはたゞ窓にでゝ、よるを開き、眼にはかの一せいならびたる數字となりて、

わが必然のいちといふ係數のあとに幾多のれいがつづく如き無數無限の星影を映さむのみ。

げに君はひるあとに偉大なる闇を與へ、夜天やてんの實在を示し給へど、

われ今ここに在る如く、まさしく晝もまた幾千萬の星となりて現はれ、

六千有餘の昴宿ばうしゆくとなりては寫眞紙しやしんしの上に署名すること、

調書てうしよの紙に罪人が指紋を押付くる如し。

天象てんしやうの觀測者は星辰せいしん樞軸すうぢくを求めて、ヘルクレス、ハルキュオオネを見出し又もろ/\の星宿が、

司祭しさいの肩なる鉤鈕かぎぼたんの如く、いろ燦爛さんらんたる寶玉ほうぎよくちりばめたる莊嚴さうごんに似たるを知る。

又ここにかしこに、世界のはてには創造のげふ終る所、星雲あり、

あたかも大海の波濤荒び卷き上がりて、

のちやうやく治まる時、見よ、いまだ靜まらぬ潮騷しほざゐの亂るる如く、

基督クリストの信徒は信仰の天に生きたる同胞どうはう萬聖節ばんせいせつが行はるるを見る。

しゆよ、今君の奉仕者ほうししやと記入されたるわれらは鉛にあらず、石にあらず、朽木きうぼくのはしにあらず、

「我は仕へず」といふ姿して、みづからの心を堅め得るものあらむや。

ここに死がいのちに克つにあらず、いのちが死をするものにして、死は到底いのちにはむかふ力なし。

嗚呼あゝしゆもろ/\の偶像を破棄し給へり。

君はもろ/\の力をその座より退け給ひ、火の中のほのほさへも從へ給ふ。

港灣かうわんに掃除の行はるる時、人夫等の黒き集團は埠頭ふとうおほひて、船舶せんぱくかたへ立騷たちさわぐ如く、

わが眼には星辰せいしん雲集し又無限むげん夜天やてん生動せいどうす。

われは總額中そうがくちゆうの一數字の如く、この身脱するあたはず、

われに課せられたるわざたゞ、永遠のおこなし。

われはわが務を知る、神われに信を置き給ふ如く、われまたしゆを信ず。

君が御言葉みことばをこそわれは頼め、あに證書あかしぶみの用あらむや。

さればこそ、われら、夢の覇絆きづなを破りて、もろ/\の偶像を足蹴あしげにし、十字架クルスをもちて、十字架クルスを抱かむかな。

それ、死のかたちはやがて死をたし、生の姿は

いのちみて、神を仰ぎ見る時は、永生えいせいを生ずればなり。






底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店

   1962(昭和37)年12月16日第1刷発行

   2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行

初出:「三田文学 七ノ二」

   1916(大正5)年2月

※「Cinq Grandes Odes(五大頌歌)」の中の「Magnificat」の前半。

入力:川山隆

校正:成宮佐知子

2012年11月2日作成

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