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胡弓

LA VIOLE DE GAMBA

ルイ・ベルトラン Louis Bertrand

上田敏訳




こはいかに、紛ふ無き親友ジァン・ガスパル・ドビュロオ、綱渡の一座中世に隱れ無き道化ものゝ蒼ざめやつれたる姿にあらずや。

惡戲いたづらと温順とを浮べたる名状し難き顏色にてこなたを見詰めたり。

テオフィル・ゴオティエ||「オニユウリユス」


月夜の晩に

ピエロオどのよ、

ふみがやりたい

その筆かしやれ、

あかりが消えて

見えなくなつた。

後生ごしやうだから早く

この戸をおあけ。  俗謠


 唱歌の長が弓を當てて胡弓のうなりめしてみると、樂器は忽ち哄笑たかわらひ顫音ふるへごゑのおどけた鳴動をして答へた。伊太利亞狂言がよく消化こなれずに腹の中にあるのだらう。


 まづ始には女目付をんなめつけのバルバラがつぶやくやう、あのピエロオの拔作め、氣のかないのも程がある、カサンドル樣の假髮かづらの箱をおとして、白粉おしろいみんないて了つたぞ。


 そこでカサンドルは大事さうに假髮かづらをお拾ひなさる、アルルカンは粗忽者の尻をいやといふほど蹴飛すと、コロムビイヌは笑ひこけて涙をく、ピエロオは厚化粧の苦笑にがわらひで耳までも口をいた。


 然し間もなく月夜になると、あかりを消したアルルカンは友達のピエロオに懇願して、ちよいと戸をあけて、をつけさせてくれろといふ、さては親仁おやぢの金箱ぐるみ、娘をつれて驅落するのか。


 琴屋の畜生、ヨブ・ハンスめ、こんな絲を賣り居つたなと唱歌の長は小言をいひつつ、ほこりだらけの箱の内へほこりだらけの胡弓を仕舞つた。絲は切れたのである。






底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店

   1962(昭和37)年12月16日第1刷発行

   2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行

初出:「アルス 創刊号」

   1915(大正4)年4月

入力:川山隆

校正:岡村和彦

2012年11月2日作成

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