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どこでもいい。それこそ裏町のごみごみした露路越しでも、アパートの窓の干物のそばでも、村でも、野でも、或は、ビルデングの歩廊の壺に挿してあるのでも。
春さき、梅の花を、チラホラ見かける頃ほど、平和と、日本の土の香を、感じるときはない。
私は、梅が好きで、いつか「梅」の随筆を、まとめてみたいと思っている。梅に関する折々の感興や話題を古今に集めたら、たちどころに一冊にはなる。
私のいま住んでいる吉野村も、梅の頃には、全村、梅の花である。いつかリーダーズ・ダイジェストに、終戦の時、村の人が、梅を伐った話を書いたら、すぐ朝日の投書欄へ、村の出身者の抗議文が載った。梅村の住民には、そんな非愛郷心の持ち
そこで、ちらほら、書いてみる[#「書いてみる」は底本では「書いみる」]。
梅を
栖鳳の梅は、雀についで有名である。
毎年、梅の頃になると、翁は、もうろく頭巾をかぶって、湯河原から小田原の梅園まで、必ず梅を写生しに行ったという。それが、死ぬ前の年の冬までつづいたので、さる人が『もうそのお年まで、あんなに梅をお描きになっているのですから、今さら、この寒いのに、御無理をして、写生にお出かけにならなくても良さそうなものじゃありませんか』と、云ってみた。すると、七十八翁は、
『何を仰っしゃいます。私が梅にむかって、こうしていると、梅が私に話しかけてくるのです。ただ、梅の枝ぶりや花を写しているわけではありません』
答えると、また梅にむかって、他念なかったということである。
この話の中には、名匠的な精神のうちに、よくいわれる写生の
萬葉のうちにある梅の歌では、私は、
さかづきに梅の花うけて思ふどち
飲みてののちは散らむともよし
が何か心象に沁みてくるような香があってわすれられない。王朝自由主義の中の明るい女性たちが、男どちと打ち交じって、杯を唇にあてている姿が目に見えるようだ。かの女たちの恋愛観もまたこのうちに飲みてののちは散らむともよし
蓮月尼の||鶯は都にいでて留守のまを梅ひとりこそ咲き匂ひけれ||も春
梅暦は、僕は、伏せ字のない帝国文庫本の初版を、少年の頃、たしか二十五銭ぐらいで古本屋から買って読んだ。
永井荷風氏の随筆のうちにも、その一章をあげて、為永春水を語っているのをいつか読んだことがある。文字の人を魅する所は、誰へもこうも同じものかと驚いたことであるが、年少にして深く魅せられたそのような感銘が、知らないうちに、自分などの恋愛観を
この頃の、恋愛作品にある肉体哲学もいいだろうけれど、私は、古典のうちのエロチズムを、恋する若い人たちが、もっと、もう一ぺん読んでみて欲しいとおもう。肉体本位だけでは、どうしても恋愛の腐爛と破局が早くて、完全なる恋愛を楽しむものとは私にはおもわれない。何しろこの頃の恋愛は、セッカチであり過ぎる。
一度、遠足でなく、父に連れられて、
それと、その帰りに、父が、蕎麦屋かどこかで飲んで、大酔した。ほかの梅見客と同じように、梅の一枝をかついで、さんさんと道をよろめき、時々、帽子を落したり、坐ってしまったりして、少年の僕を困らせた。まだ、根岸から電車もなかった時代なので、家に帰るまで、僕は、幾たびも、途方にくれた。しかし、父の印象として、なつかしく、今も思い出してうれしくおもうのは、なぜか、その日の父である。
梅の古材は、印材にいい。盆、莨セット、その他の小器具に作ると、自ら光沢が出て、雅味を加える。村の人は、薪にする。いつも、勿体ないとおもう。
桜を伐るのは、樹のために悪いというが、梅は伐るほどいいといわれ、それに南枝、東枝、やたらに伸びるので、よく伐られる。
奥多摩地方では、梅の実を多く収穫するために、梅の枝を、
紅梅を