K
氏を
介しての、R
大使館からの
招待日だつたので、その
日彼は
袴などつけて、
時刻がまだ
早かつたところから、I
子の
下宿へ
寄つて一と
話してから
出かけた。
R
大使館の
所在を、
彼は
明白には
知らなかつた。
勿論招待の
意味についても、
明確なことはわからなかつた。しかし
大凡その
見当はわかつてゐた。
気のきいた
運転士が
車をつけたところが、
果してそれであつた、
彼は
門前で
車をおりて、
右側の
坂道を
爪先上りに
登つて
行つた。
左へ
折れたところに
応接室か
喫煙室かといふやうな
部屋の
窓の
戸が
少しあいてゐて
人影が
差してゐたが、そこを
過ぎると
玄関があつた。
名刺を
通じてゐるところへ、
大入道のA
氏が
奥から
出て
来て、
彼を
迎へてくれた。A
氏は一
度R
国へ
行く
友人の
送別会席上で
見知りになつたR
国人であつたので、
私はいさゝか
心強く
感じて、
導かるゝまゝに
奥へ
通つた。
卓子掛や
椅子の
緋色づくめな
部屋には
数人のR
国の
男女がゐて、
私の
仲間は
案外にも
極めて
小数であつた。その
多くは
夫人帯同であつたことも、
私には
意外であつた。
私は
数人の
男女のR
国人に
紹介されて、それらの
人達の
力強い
手と一
々握手をした。しかし
誰が
誰だか
覚えてもゐられなかつた。
「キヤンニユスピイキイングリシユ?」
「アイ、キヤントスピイク。」
「キヤンユゲルマン。」
「ノー。」
こんなやうな
簡短な
応答が、
私と
彼等のあいだに
失望的な
笑ひと
共に
取り
交された。しかし
話せないのは
私ばかりではなかつた。
大抵は
話せないのであつた。
私は
当代の
花形作家で
且詩人であるところのS
氏の
側へ
寄つて
行つた。
「
今夜はどんな
人が
来るんですか。」
「あとMさんが
来るだけでせう」
「さう!」
すると
又そこへ
質素な
黒い
服装をつけた、
断髪のぎよろりとした
目をした
若いR
国婦人がやつて
来て、やゝ
熟達した
日本語で
話しかけた。
最も
大抵の
婦人は
黒い
服装した
断髪であつた。
M
氏夫婦がやつて
来て、
型どほり
各人に
紹介されたが
彼も
御多分に
洩れず
唖であつた。しかし
中には一
度や二
度は
洋行したことのあるN
氏やM、S
氏のやうな
劇団の
人々もあつたし、アメリカに
長くゐたM、K
氏などもゐた。その
上紹介者のK
氏は
巧にR
国語を
操るのであつた。
殊に
書いたものに
敬服してゐたM、K
氏は
名前を
知つてゐるだけで、
私には、
初対面であつたが、
少しも
気取らない、ヒユモリストであるので、
席が
白けるなぞといふやうなことは
先づなかつたと
言つてもよかつた。
勿論私などはどこへ
行つても
唖の
方であつた。
日本人の
会合でも
話題の
極めて
貧弱な
方といはなければならなかつた。しかし
照れるやうなこともなかつた。
「
洋行しても
我々は
駄目だね。」
やがて
食堂へ
入つて
行つた。
目のぱつちりした
美しい一
人の
女が
私を
食卓の
向側へ「どうぞ」と
言つて
案内してくれたが、
誰もまだ
入つてこないので
躊躇してゐるうちに、
此方側の
左手の
椅子を
取ることになつて、
先刻美しい
人が
脇へ
来て
席を
取つたが、
言葉が
通じないことがわかつたところで、
今一
人の
日本語のよく
話せるお
転婆さんらしい
女と
入替つた。
彼女は
比較的自由な
日本語で
色々の
[#「色々の」は底本では「色色の」]ことを
話しかけた。
「
私今ゐるところ
日本の
家でございます。
私日本の
家が
好きでございます。
日本の
西洋家屋はお
粗末で
却て
感じが
悪うございます。」
そんな
風の
話を、どうかするとたどたどしい
舌で
弁べつた。
私には
別に
話題がなかつたけれど、
何か
彼にか
罰を
合せることが
出来た。
「MHさんは
何の
方でございますか。」
彼女はきいた。
MH
氏は
反対の
側の
右の
端にゐたので、
私はその
方を
指さし
示した。
「
私あの
方のもの
読みました。」
「
面白いですか。」
「
面白いのもございました。」
しかし
別にそれ
以上の
文学談も
出なかつた。
「
私お
正月部屋へかけておきたいですが、
何か
書いて
下さい。」
「
何をです。」
「
何でもよろしうございます。
書いて
送つて
下さい。きつとですよ。ようございますか。」
「
書きませう。」
MK
氏が
私達の
前に、
先の
美しい
人と
並んでゐて、
元気よく
連に
茶目振を
発揮してゐた。
私は
彼の
書くものに
敬意をもつてゐたが
逢つてみると
又書くものとは
違つた、
別の
意味の
親しさが
感じられた。
向ふ
側ではSH
氏の
夫人らしい、ちら/\
動く
星のやうな
目の
極めて
凉しい
人が、
無邪気な
表情をしてゐるのが
目についた。
私の
脇にゐるお
転婆さんが
彼女を
讃めてゐた。この
夫人も
美しいが、LI
子がゐたら、これも一
際目に
立つであらうことを
想像したりしたが、しかし
今夜LI
子のゐないことは
反つて
自由であつた。
私は
話に
気を
取られてゐたので、お
料理を
大抵食べはぐしてしまつた。おいしさうなスープも、
香んばしい
饅頭風のお
菓子も、それに
時々機械的に
口にするウオツカの
酔も
出て
来た。
これといふ
事もなかつた。みんなはやがて
椅子を
離れた。そして
以前の
部屋へ
帰つて
来た。
食事後の
気分は
前よりも一
層打寛いだものであつたが、
彼等の
或者は
尚も
未練がましく
私達の
傍へ
寄つて
来て、
揉手をしながら「キヤンニユスピイク、イングリシユ?」を
繰返した。
水菓子が
婦人達によつて
持ちまはられたり、
飲料が
注がれたりした。
話せると
思つたSH
氏なども、ちようど
私の
傍にいて「
読むには
読むが
話はできない」と
断りを
言つていた。
そのSH
氏がしばらくすると、
立つて
彼方の
卓の
前に
立つて、
和服姿の
東洋人らしい
憂鬱な
恥らひの
表情で、
自作の
詩を
謳ひだした。
皆が
之れに
耳傾けた。そして
謳ひをはつて
席についたときに、
拍手とゝもに「モア、モア!」と
云ふ
声が
若いR
国の
紳士によつてかけられた。
SH
氏はこのアンコールに
応じて、
再び
立つて
行つた。そして
前よりも
安易な
調子で
謳つた。
拍手が四
方から
起つた。
少し
間をおいてから、R
国婦人が一
人起つて、やゝ
長い
叙事的歌詞のやうなものを、
多少の
科を
交へて
演じ
出した。それが
了ると、
例の
大入道の
紳士が、
吃りのやうな
覚束ない
日本語で
翻訳してくれた。
座興が
加はつて
来た。
「MMさんに
仮声を
願はうぢやないか。」
誰かゞ
劇界の
長老たるMM
氏を
目ざして
促した。
「さうだ。
何か一つ
何うです。
我々は
[#「我々は」は底本では「我我は」]皆な
芸なしだからな。」
肥つたMM
氏は
容易に
起たなかつたが、
勿論彼にも
若々しい
愛嬌と
洒落気は
失せてゐなかつた。
彼は
椅子を
離れた。
「ハムレツトをやりませう。
白なしのハムレツトを。」
彼はさう
言つて
真中に
立ちながら、
「
服装はモダーンでいきませう。」
巧妙なハムレツトの一
節の
黙劇がはじまつた。それは
素人とはおもはれないしつかりした
型にはまつたものらしかつた。
多分英国あたりのハムレツト
役者のそれを
取つたものだらうと
私は
想像した。
「あゝ、
腹がへつた!」MM
氏は
演じをはると
傍への
卓子の
上から、ビスケツトか
何かをつまんで
口へ
投りこんだ。
拍手がおこつた。
私は
再びS、H
氏と
肩を
並べてゐた
時、これといふ
話題もなかつたので、ふとI
子のことを
話した。それは
最近S、H
氏の
詩や
小説の
好きなI
子が、一
度遊びにつれて
行つてくれと
言つてゐたので、
私もこの
機会にS、H
氏を
訪問して
敬意を
表しておくのも
無意義ではなからうと
思つてゐたのであつた。
S、H
氏だけは「
彼是言ふべきものぢやない。
羨望すべきものぢやないか」と
言つたといふことを、二三
度或青年から、
私は
聞かされてゐた。それは
事実か
否かは
知らなかつたが、
誰からも
好感をもたれない
私とI
子との
事に
関して、さう
言つたとすれば、それはS、H
氏の
言ひさうなことだとは
思はれた。
勿論I
子の
意味は
文芸上のことであつた。S、H
氏が
女性に
対して、I
子のやうな
婦人が
望んでゐるやうに
優しい
親切な
異性でないことはI
子も
知つてゐた。そしてそれを
口にしてゐた。
「それは
普通無智な
女に
対してのことさ。I
子ならS、H
君でもきつとおとなしくするよ。」
私は
自家謙遜の
意味で
言つたが、いくらかの
皮肉もないとは
言へなかつた。それは
無邪気なI
子が、
殊にもさう
云ふことを
嬉しがる
人の
好さをもつてゐるからであつた。
私は
危険区域の
線をこえない
範囲でよくさう
云ふ
風な
悪戯な
試しをするのであつたが、しかし
又事実さうかも
知れないと
思はれないこともなかつた。
I
子もそれには
答へなかつた。
或ときも
無聊に
苦しんでゐた
折、
誰かを
訪問しようかと
言ひ
合つてゐるときS、H
氏の
名が
出た。
「さうね、
行つてもいゝね。」
「
行きませう。」
しかし
私は
決定的でなかつた。
行くなら一
人やつた
方がいゝと
私は
密かに
思つてゐた。I
子を
番してついて
行くやうなことは
私には
出来なかつた。
何かおこつたら
起つたときのことだし、S、H
氏がまたそんな
隙をもつてゐるとも
思へなかつた。I
子にしたところで、この
際新しい
事件を
持ちあげることは、慵いことだと
思はれた。
私は一
度は
新築のS、H
氏の
家を
見たい
旁、いつかは
行つてもいゝと
思つたが、
忙しいときだし
少し
心の
準備をとゝのへたをりのことにしようと
思つた。
「一
人でおいで。その
方が
話も
自由でいゝよ。」
「一
人なら
行きたくないのよ。
先生のものとして、
連れてつてほしいのよ。」I
子は
答へた。
それでS、H
氏とこゝで
逢つたのを
幸ひに
私は
手軽にその
事を
話したのであつた。するとS、H
氏は「
危険だな
||」といふやうな
口吻を
卒然洩らしたものであつた。
「そんな
事はない。」
私は
笑ひながら
否定した。すると
又S、H
氏が
訂正でもするやうに、「いや、
私の
方が
······。」と
答へた。
私は
勿論どつちが
危険だかといふ
明白な
意識なくして、たゞ
漠然と
半謙遜の
気持で
言つたのであつたが、S、H
氏がまたさう
云ふ
風の
謙遜な
意味で
答へたのに
出会つて、それを
又押返して
何か
附加へるのも
変だつたので
其れには
黙つてゐたが、
「
若い
人がづいぶん
行くでせう」ときいた。
「しかしさう
云ふ
人はさう
云ふ
人だちで
話してゐますから。」
それからS、H
氏は
家の
所在などを
教へて、
「どうぞ
入らして
下さい」と
言つたが、それは
私に
対する
言葉だと
見てよかつた。
やがて
奥のダンスホールへ
人々は
流れこんで
行つた
頃にはMR
氏の
[#「MR氏の」はママ]姿がどこへ
行つたか
見えなかつた。S、H
氏も
京都から
来たT
氏の
連中が、どこかで
待つてゐるといふので、
夫人と
何か
打合せをして、
少し
前に
帰つて
行つた。そこには
未だ
懸けない
大きな
油絵などが、
窓ぎわに
立てかけてあつたりして、
大入道のR
国人が、この
作者について、
絵の
意味について
説明してくれたりしたが、
間もなくピアノの
伴奏でマンドリン
演奏がはじまつた。そして
其れがすむと
間もなく一
人の
婦人が、R
氏と
打合せをしたあとでR
氏の
通訳説明につれて
舞台に
上つた。そしてピアノの
伴奏で
独唱をはじめた。
代理大使がつい
私の
横の
方にゐたが、
彼はまだ
残りをしさうに「キヤニユスピークイングリシユ?」を
繰返してゐた。
私はまた
笑ひながら、
前と
同じことを
繰返すより
外なかつた。
若も「エヽリツトル」とでも
言はうものなら
何んなむづかしい
質問が
始まらないとも
限らないからであつた。
調子づいた
独唱が二つばかりつづいた。そして
前に
叙事詩のやうなものを
朗読した
多分代理大使の
夫人だとおもはるゝ
婦人が
其後で又
舞台のうへで
朗読をはじめた。
多分彼等に
取つては
楽しい一
夜であるべき
筈だつたのであらうが
唖のやうに
黙りこくつた
我々の
苦い
表情と
無愛相な
態度とが、
如何に
彼等を
失望させたかは、
想像に
余りあるものであつた。
私たちは
帰りがけに
画帖を
書かせられた。
乗物の
支度もなかつたので、
私達はぞろ/\
打揃うて
外へ
出た。そして
円タクでも
通りかゝつたらばと
思つて、
寂しいN
町の
通りを、Tホテルの
方へと
歩いた。
「あれは
皆な
立派な
紳士なんだらうが、
何だか
安つぽいね。」M、H
氏が
言つた。
この
疑問は
私などにも
兎角起りやすい
疑問である。
歌舞伎俳優が
近代的になるに
従つて、
以前のやうな
荘重典雅の
風貌がなくなつて、そこいらの
若い
衆と
大した
違ひがなくなると
同じことである。
議場へ
出る
政治家でも、
両国の
土俵で
見る
力士でも、
伝統的なものが
亡びて、
段々小粒になつて
来るのにも
不思議はない。
「
今度はもつとしんみり
話のできるやうにしたいと
言つてゐました。」K
氏が
言つた。
多分S、H
氏の
夫人が、ホテルでS、H
氏とT
氏の
連中を
待合せることになつてゐたのでもあらうがM、H
氏夫妻が
其処に
宿泊してゐたために、一
同は
知らず
識らずホテルへ
寄ることになつた。ホテル
前の
電車を
突切る
頃、
私はM、H
夫人と
話しながら
歩いてゐたが、
彼女は
私が
自動車にでも
轢かれはしないかと
気遣つて、どうかすると
袖を
引つ
張つたりして、
手を
取らないばかりに
劬はつてくれるのであつた。
私がI
子との
事件でM、H
氏に
攻撃されたことを、
私が
悲観してゐるやうなことを、
私は
私の
最近の
作品で
書いたりしたので、一
層彼女は
私の
心の
痛みをさすつてくれようとしてゐるらしいのであつた。
「お
危うございますわ。お
大事のお
体ですからね。」
「
大丈夫ですよ。」
「
段々お
友達が
亡くなつて、ほんとに
寂しいんですものね。お
体を
大事にして
下さいね。」
「
大丈夫です。
私はそんなに
······。」
「どうかして、
思ひ
切つてお
別れになれないものですかね。」
ホテル
前へ
差しかゝつたとき、
夫人は
衷心からそれを
切望するやうに
言つた。
「どうもね、ちよつとさうも
行かないんですよ。」
「いけないんですの。」
夫人は
絶望的に
呟いた。
ぞろ/\とホテルへ
入つて
行つた。ちやうどクリスマスの
翌夜でパイントリイが
物々しく
飾られ、
食堂に
舞踊があつたりして、まるでお
祭のやうな
騒ぎであつた。
私たちはサロンルームの
片隅に、
辛うじて
座席を
占めることが
出来た。
社交家のM、H
氏夫人が、
私達のために
何か
飲料でも
斡旋しやうとして、ボオイに
謀つてみたけれど、
今夜の
騒ぎなので、これといふものもなかつた。たゞ
曹達水があるばかりであつた。
私達は
卓子を
囲んで、
莨をふかしながら
漫談に
時を
移した。
軽い
瀟洒な
夜会服を
着たのや、
裾模様の
盛装をしたのや、その
中にはまたタキシイドの
若い
紳士に、
制服をつけた
学生、それに
子供たちも
少くなかつた。
軍服姿もちらほら
見えた。それらの
人達が
目間苦しく
往つたり
来たりしてゐたが、ダンス
場は
人がぎつちり
鮨詰になつてゐた。
音楽につれて、
浮いたり
沈んだりする
男女の
顔が、
私達の
目にも
見えるのであつた。
「どう
云ふ
連中だらう。」R
国に
長くゐたK
氏がきいた。
「
色々な
人間がゐるのさ。」M、H
氏が
微笑してゐた。
「
我々の
仲間でも、かう
云ふところへ
来る
人もあるのさ。KだのTだの。」
私も
附加へた。
「まるで
船着場のホテルのやうだね。いつでも
恁うかしら。」
「いや、いつもは
至つて
寂しい」
東京へくればいつでも
此処へ
宿泊することにしてゐるM、H
氏が
答へた。
星のやうな
目をうろ/\させてS、H
氏の
夫人が、
頼りなさゝうにしてゐるので、M、H
氏夫人と、N
氏夫人が
気をもんで
電話でもかゝつて
来ないか
否かをボオイに
訊いたりしたが、
何の
消息もないらしかつた。
勿論S、H
氏夫人はS、H
氏と
其の
友人を
此処で
待合せることになつてゐた。
「さあ、
僕は
失敬しよう!」
私は
興がなさゝうに
椅子を
離れた。
「まあ、お
宜しい
[#「お宜しい」は底本では「お宣しい」]ぢやございませんか。」
「いや、もう
遅いですから。」
「I
子さんがお
待ちになつていらつしやいますの。お
呼びになつたら
可いぢやございませんか。」
「そんな
訳でもないんです。では
失礼||。」
M、H
氏夫人が
出口まで
送つてくれて、
自動車に
載せてくれたりした。
私は
途中I
子の
宿の
近くで
自動車を
乗棄てた。そしてI
子の
宿へ
寄つた。I
子は
洋服姿で
独りでゐた。
「お
帰んなさい。づいぶん
遅かつたぢやありませんか。」
「ちよつとホテルへ
寄つたものだから。ホテルは
今夜も
大変な
騒ぎさ。」
「さう。
今夜の
会合は
何んな
人達でしたの。」
私はその
事について、
少し
話した。そして
其のついでにS、H
氏の
言つたことをも
話した。
「あゝ
言つておいたから、一
人で
行くといゝ。
何ならS
青年でもつれてね、S、H
氏は
君に
興味をもつてゐるかも
知れないから、
話してくれるだらう。」
私は
少し
誇張して
言つた。
「そんなことないわ。
貴方の
言ひ
方がいけないのよ。どう
言つたのよ?」
「どうつて、
行きたがつてゐると
······」
「それだから
可けないのさ。」
寝床についてからも、また
其の
話が
出た。
「
君ならきつと、
興味をもたれると
思ふね。」
「そんな
事ないわ。
私は
奥さんと
話してこようとおもふ。」I
子は
言つてたが、
私の
胸にうづまつた
彼女の
顔には、
自然に
善良な
微笑が
浮かんでゐるのを、
私は
感じない
訳に
行かなかつた。
(昭和3年1月19日〜25日「時事新報」)