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癲狂院外景

富永太郎




夕暮の癲狂院は寂寞ひつそりとして

苔ばんだ石塀を囲らしてゐます。

中には誰も生きてはゐないのかもしれません。


看護人の白服が一つ

暗い玄関に吸ひ込まれました。


むかふの丘の櫟林の上に

赤い月が義理でのぼりました

(ごくありきたりの仕掛です)。


青い肩掛のお嬢さんが一人

坂をあがつて来ます。

ほの白いあごを襟にうづめて

脣の片端が思ひ出し笑ひにぢれてゐます。


||お嬢さん、行きずりのかたではありますが、

石女うまずめらしいあなたのまなじり

崇めさせてはいたゞけませんか。

誇らしい石の台座からよほど以前にずり落ちた

わたしの魂が跪いてさう申します。


||さて、坂を下りてどこへ行かうか······

やつぱり酒場か。

これも、何不足ないわたしの魂の申したことです。






底本:「富永太郎詩集」現代詩文庫、思潮社

   1975(昭和50)年7月10日初版第1刷

   1984(昭和59)年10月1日第6刷

底本の親本:「定本富永太郎詩集」中央公論社

   1971(昭和46)年1月

入力:村松洋一

校正:川山隆

2014年3月7日作成

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