「親分、面白い話がありますぜ」
ガラツ八の八五郎、錢形平次親分の家へ
「相變らず騷々しいな、横町の萬年娘が、駈落したつて話なら知つて居るよ」
錢形の平次は、戀女房のお靜に顏を當らせ乍ら、滿身に秋の陽を浴びて、うつら/\とやつて居るところだつたのです。
「へツ、そんなつまらない話ぢやねえ。||ところでお靜さん、||いや
「まア、何んといふ口の惡い八五郎さんだらう」
お靜は眞つ赧になつて
「八、からかつちやいけねえ。さうでなくてせえ、危つかしくて、冷々して居るんだ」
「まア」
とお靜。
「先刻も、止せばいゝのに自分で襟を
「自分の
「その血染の剃刀で俺の
平次はそんな氣樂なことを言つてカラカラと笑つて居ります。
「まア」
お靜は又
「だがね、親分、仲のいゝ夫婦だからいゝやうなものゝ、他人同士ぢや血と血が刄物の上で
「そんな事を
平次は職業意識に返りました。
「あツ、忘れてゐた」
ガラツ八は自分の
「忘れるやうぢや、どうせ大した話ぢやあるまい」
と平次。
「ところが大變なんで、
「自分に引くらべる奴があるかい、||だが、筋は面白さうだね、もう少し
平次も少し乘出しました。
「たつたそれつきりの話さ、種も仕掛もねえところがこの話の取得で」
「種も仕掛もねえことがあるものか、貰ひ溜めたにしても百兩は大金だ。五年や十年で溜まるわけがねえ、||今お
「なあ||る、恐れ入つたね、さすがに錢形の親分だ。若い乞食が百兩溜めるわけはねえとは
「感心して居ちやいけねえ、その百兩は小粒か、小判か、それとも證文か」
「それが小判なんで、封も切らずに二十五兩包が四つ、外に貰ひ溜めらしい錢が二三百ありましたぜ」
「何? 小判で百兩? それが種も仕掛もない話かえ。大泥棒が
「成程さう言へばその通りだ、||親分も知つて居なさるでせう、觀音樣の裏に居る
「ウム」
「
「それが死んだのかい」
「道端に坐つて、朝から晩までお
「そいつは
「行きますとも、親分と一緒なら」
ガラツ八は飛上がりました。最上等の
神田から淺草へ、近い道ではありませんが、
「これは錢形の親分、||高が物貰ひの行倒れで、御手に掛けるやうな
「どうせさうだらうが、
「へエ||、大層溜めやがつたもので、番太で駄菓子を賣るよりは、餘つ程歩がいゝと見えますよ、へツへツへツ、||金は町内の旦那が預つてありますが、何なら||」
「いやそれには及ばない、小判は物貰ひの懷から出ても小判に間違ひあるまい」
平次はさう言ひ乍ら、往來の人の
中には古綿をつくねたやうな、見る影もない乞食の死骸||と思ふと大違ひ、
それに、病氣のせゐもあつたでせうが、乞食にしては色も白く、業病々々といつても、ところどころ無氣味な
唯平次が驚いたのは、死骸は素人の眼にも異常で、
「醫者に立ち合つて貰つたかい、
「いえ、それどころぢやありません、旦那方は秋祭りの支度で眼が廻る騷ぎで||」
番太の
「八、檢屍のやり直しといふわけにも行くまいが、町役人にさう言つて、念の爲町内の本道を連れて來てくれ。道端の物貰ひに毒を飮ませて、懷中の百兩を盜らずに行くなんかは、少しをかしいよ」
「よし來たツ、町役人が文句を言つたら八丁堀まで飛んで行つて、笹野の旦那に江戸一番といふ醫者を連れて來て貰はうか」
「馬鹿だなア、八丁堀まで行つちや日が暮れるぢやないか、丁寧に頼むんだぞ」
「心得てるよ、親分」
ガラツ八は横つ飛びにスツ飛んで行きましたが、何う話をつけたものか、間もなく町役人と坊主頭の醫者を一人、手を引張るやうにして連れて來たものです。
醫者は屍體の眼を見、唇を見、
「フーム」
と眺めて居ります。
「毒は何でせう」
「其處までは判らないが、毒を飮まされて死んだ事に間違ひはない、この通り」
醫者の差出した
「死んだ後で口の中へ毒を入れたのぢやありませんね」
「そんな事はない。爪の色、
「有難う、飛んだ手數をかけました」
平次は丁寧に醫者を送り返しました。
「親分、大變なことになつたね」
ガラツ八は妙な行掛りに、すつかり面喰つて居ります。
「八、この男の
「そんな事なら譯はありません」
ガラツ八は足を宙に飛んで行きます。
「親分、
ガラツ八が歸つて來たのは、それから一刻ばかり經つた時分、四方はすつかり暗くなつて乞食の死骸も取片附けて了つてからでした。
「解らないのか」
番太の小屋でガラツ八の歸りを待つて居た平次、
「
「フム」
「その代り
「そんな事は何うでもいゝ、が、變死人と解つても、身許が解らなきア、何にもならない」
「ところが、親分、面白い話を聞込みましたぜ」
ガラツ八は、例のキナ臭いやうな鼻をしました。これは何か嗅ぎ出した時の表情です。
「何だ、八、
平次も少し不機嫌です。
「あの編笠乞食のところへ、毎日一度づつ樣子を見に來る娘があるんだつてネ」
「何? 誰がそんな事を言つた」
「
ガラツ八は到頭大變な事を嗅ぎ出して來ました。
尤も、こんな騷ぎが始まると、大抵の人は掛り合ひを恐れて、知つてる事も默つて了ふのが人情ですが、ガラツ八の調子が開けつ放しで、人間が如何にも
氣さくな平次は、直ぐ駄菓子屋へ飛んで行きました。
「お婆さん、編笠乞食のところへ來る娘さんは、ありや何だらうねえ、大層な
「親分はよく御存じで、町内にもあの娘の事を知つて居るのは、さうたんとはありませんよ」
駄菓子屋の婆さんの舌は、思ひの外滑らかにほぐれます。商賣
「幾つ位に見えるだらう」
「
「身分は何だらう。男には眼の屆かないところがあるものだ、お前さんが見たら判るだらう」
「それがね、親分、側へ寄つて見たわけでも、聲を掛けたわけでもありませんから、
「成程、||ところで、編笠乞食との間柄は何だらう。
「それがネ、親分、こんなに離れて居ちや、聞かうと思つても聞えやしません。裏の井戸端に居る嫁の話聲はよく聞えるんですが||」
「今日も何か食ひ物を持つて來た樣子かい」
「へエ、竹の皮包にして、お
「
「娘さんの後姿を伏し拜むやうにして喰べてましたよ」
「で、その後で苦しみ始めたんだね」
「お
「有難う、それだけわかりや、大助かりだ」
平次はホツとした心持になつたのでせう、思はず岡つ引の地を出して、こんな事を言つて了ひました。
「八、今日は大事な仕事だ。
「親分
「喧嘩ぢやないよ、あの娘の後を
「へエ||」
ガラツ八は眼を見張りました。よくも斯う目が屆いたものです、花川戸の方から入つて來た娘、町一杯に見通す位置に身を
事件の翌る日、變死した乞食の身許を洗ひやうがないと解ると、平次は最後の手段として、馬道に朝から張り通して今日も來るかも知れない娘を待つたのでした。
「||身に覺えがなきア來るに決つて居る。覺えがあつても、下手人は後の樣子を見たがるから、きつと來る||」
そんな事を言つて、半日路地に立つた平次とガラツ八は、晝少し前
「綺麗だね、親分、あれを跟けるのは朝飯前だが、あんなに綺麗ぢや跟ける方で氣がさす」
「何をつまらない、||それ、
「合點、これも
八五郎は驅け出しました、が、思ひ直した樣子で立止ると、裾を七三に端折つて、手拭でヒヨイと顏を包んだものです。ポカポカする
「錢形の」
不意に平次の肩を叩いた者があります。
「あ、
振り返ると、ニヤリニヤリと四十男が、平次の顏と、驅けて行くガラツ八の後姿を半々に眺めて居ります。
三輪の萬七といふ顏のいゝ御用聞、石原の利助が隱居してからは、錢形の平次を向うに廻して、事毎に手柄を爭つて居る男だつたのです。
「大層な手柄だつてネ、
萬七はもう一つ若い平次の肩をポンと叩くと、言ひたいだけの事を言つてクルリと、
「||」
平次は眉を
それから
「親分ツ」
「何といふざまだ」
「
「口惜しくたつて、泣く奴があるものか、大の男が||、娘を見失つたらう」
平次に圖星を指されたのでせう。
「見失つたんぢやねえ。娘の後を跟けて、淺草御門を出るといきなり横合から飛出した野郎が、ドカンと突き當るんだ」
「
「尻に泥が着いて居るから、そんな事を言ひ當てたところで自慢にならねえ、||ね、親分、その突當つた野郎は、あつしが起上がると胸倉を掴んで、ポカポカツと來やがるぢやないか」
一
「それが何うした、八、落着いて物をいへ、大事なところだ」
「その野郎を誰だと思ひなさるんだ。親分、
「何だと八、敵を討つ?」
「清吉の野郎は確かにさういひましたよ、親分、身に覺えがありますかえ」
「馬鹿、敵の覺えなんかあつてたまるものか、||それから娘は何うした」
「そんなに揉んで居るんだもの、女の足だつて
「つまらない事をいふな、到頭縮尻りやがつたらう」
「だつて親分」
「三輪の子分なんかに
「||」
「見ろ、埃と汗と涙で、臺無しぢやないか。往來の人が見て笑つて居るぜ」
「||」
「よくその
口小言を言ひ乍らも、平次の眼も泣いて居りました。
「親分、あつしは口惜しい」
「何をつまらねえ、||三輪の親分が、神田か日本橋で、何か嗅ぎ出したんだらう、||ところで、八、此處から淺草橋まで行くうち、娘は後ろを振り向いて見なかつたか」
「後ろを振り向くどころか、横顏も見せねえ。お重詰らしい風呂敷を持つて眞つ直ぐに行きましたよ、あんまり後姿が綺麗だから、何遍か前へ駈け拔けて顏を拜まうとしたが||」
「馬鹿、そんな心掛だから、お神樂の清吉に
「親分、何とか敵を討つておくんなさい。あのお神樂の野郎、あつしの鼻へ指を突つ込みあがつて、勘辧ならねえ野郎だ」
「ウ、フ、お前の鼻を見ると、指位突つ込みたくなるだらうよ。
「ね、親分、せめてあの娘の家だけでも判りア」
「その位のことならわけはないよ。三輪の萬七親分か、お神樂の清吉の後を跟けて居りア、日の暮れるまでにはきつと判る」
「有難てえ、それぢや親分」
ガラツ八は又飛出しました。
娘の素姓は直ぐ判りました。
横山町の米屋||といつても、金貸しの方で名高い萬兩
越後屋の手代彌三郎と言つて、二十五。主人の佐兵衞が、今から二十五年前、觀音樣へ朝詣りをした時、
佐兵衞夫婦は丁度生れたばかりの總領を
二人は負けず
其處へ主人の遠縁に當る、新助といふのが割り込んで來ました。年は二十七、散々他の店で苦勞して商賣にも
茂助は四十年も勤め上げた商賣一點張の老人、支配人の民五郎は、佐兵衞の弟で、これは一と
彌三郎は、妙に自分の不安定な地位を考へさせられる頃から、肉體の上にも、恐ろしい變化と
出入りの醫者に診て貰つて、それは、當時では
親無し子を拾つて、これまで育てゝくれた大恩を思ふと、此上越後屋に踏み止つて、家族に迷惑をかけることは、血をわけない間柄だけに、彌三郎には忍びないことでした。
その上、まだあまり
全國の靈場を
それは三月ばかり前のこと、
業病を遺傳と思ひ込んだ當時の道徳では、彌三郎の態度はまこに[#「まこに」はママ]見上げたものだつたに相違ありません。
ところが、野天に寢て、
お絹は人傳に彌三郎が觀音樣あたりに居ると聞くと、矢も
そのお絹の持つて來た
平次は、兎に角横山町の越後屋に乘込んで行きました。今はおちぶれた彌三郎には相違ありませんが、自分の繩張り内に、人一人殺した下手人が、息を
「あツ、錢形の親分、よくお出で下さいました。丁度今弟と相談して、お願ひに上がらうといふところでした」
主人の佐兵衞はよく
「何か變つたことがありましたか」
平次も少し面喰らひます。
「三輪の萬七親分がいきなりやつて來て、彌三郎を毒害した覺えがあるだらう||つて、娘のお絹と
佐兵衞はカンカンになつて平次にまで食つてかゝりさうです。
「親分、家出をして物貰ひにまで身を落して居るものを、何を物好きに殺す奴があるものでせう。兄が腹を立てるのも無理ぢや御座いません」
民五郎も口を添へました。若い時分は上方から九州までも放浪して、身に餘る野心を抱いたこともありますが、今ではすつかり落着いて、兄の
「へエ||、驚きましたな。新助さんといふ人には逢つたことがありませんが、お孃さんを縛るのは何うかして居ますよ、私が行つてよく話してやりませう」
と平次。
「何分宜しく願ひます。新助だつて、そんな無法なことをする人間ぢや御座いません」
佐兵衞にくれ/″\も頼まれて、平次はぼんやり外に出ました。
「親分」
「何だ、ガラツ八か」
「三輪の親分が、あの綺麗な娘を縛つて行つたんだつてネ、
「何をつまらない」
「だつてさうぢやありませんか、自分が殺した
「||」
「それに、馬道から淺草橋御門まで行くうち、あの娘が後ろを振り返つて見たかつて親分が訊きなすつたが、あれは成程
ガラツ八は首を
「それだけ判りや、
「親分は?」
「俺は他に用事もあるから、もう一度此家の支配人に逢つてみる」
「有難てえ、あつしの口一つで許される段取になると、手もなくお孃さんの恩人だね」
「まアさうだ」
「八五郎さん||と來たら何うしよう」
「馬鹿だね」
平次はさう言ひ乍らも、この
話は飛びますが、平次が豫言した通り、八丁堀へ引いて行つて、奉行所のお白洲へ突出す迄の
「畜生、ガラツ八の野郎、つまらねえところへ出しや張る」
三輪の萬七とお
新助の方は止め置いて、二三日
お絹が彌三郎に未練があつて、毎日淺草へ出かけるのを、新助は知らない筈もなく、知つて
「お絹さんが淺草とやらへ通ふのは、店中の評判ですから、私もよく存じて居ります。彌三郎が家出した後、私とお絹さんをめあはせるといふ下相談もあつた位ですから、私もお絹さんの出歩きを苦々しいとは思ひましたが、それ位のことで、人一人殺さうとは思ひません。第一私には、そんな恐ろしい毒藥を手に入れやうがありません」
口不調法なほど實直な新助は、これだけの事を何べんも何べんも繰り返して言ふだけで、それ以上に隱し事も
「旦那、見込違ひで[#「見込違ひで」は底本では「見違込ひで」]御座いました。新助といふ男は、人を殺せるやうな
四日目に、三輪の萬七も到頭
事件は其儘うやむやに
「三輪の萬七親分は、お
ガラツ八はそんな事を言つて來ました。
「フム」
平次の返事は一向張合がありません。
「厭が応でも、もう一度新助を縛る積りなんだね、||ところが、新助は
「何だと?」
「藥種屋ならどんな毒藥でも手に入るでせう」
「誰がそんな事を言つた」
「番頭の茂助爺さんですよ。あの親爺は
「フーム」
「親分が又腕を組んだ、この
ガラツ八はさう言つて、晩の支度にいそ/\と立ち働くお靜の美しい後姿を見るのでした。
全く、このガラツ八の豫言も見事に當りました。
翌る日の朝、越後屋から急の迎へ。
「旦那が殺されて、新助どんが
と言ふ使の口上を半分も言はせず、平次は
越後屋へ行つて見ると、全く文字通り上を下への騷動です。
「親分、た、大變なことになりました」
飛んで出たのは、少し
「飛んだ事だね、番頭さん」
平次は言ひ殘して奧へ入りました。
薄暗い佛壇の奧、獨り者の主人が晝でも時々は
傍には弟の民五郎、妙にウロウロして、何事も手の付かぬ樣子で平次を迎へましたが、さすがに落着きを見せる積りか、
「親分、御苦勞樣で」
そんな事を言つて居ります。
平次は默つて會繹して、念入りに其邊を見廻しました。
「恐ろしい腕前だ」
平次は思はずガラツ八を振り返りました。寢て居る者の首が、半分千切れるほど斬るのは、非凡の
曲者の遺留品といふのは、
「この鞘に見覺えはありませんか」
誰へともなく平次が言ふと、
「へエ、そ、それは私の品で||中味は隣の部屋にあります」
待ち構へたやうに民五郎が言ひます。
次の間は
一足入ると、此處は更に
「災難だつたね、番頭さん」
平次は聲を掛けます。
「へエ||、私はよろしう御座いますが、旦那がお氣の毒で、何しろ晝の
新助はおど/\した顏を擧げました。
「曲者の顏を見なかつたのかい」
「今申し上げた通り、何かに驚いて、ハツと飛起きると、
「それから」
「耻かしいことですが、それつきり眼を廻して了ひました。呼び起されれて[#「起されれて」はママ]見るとこの有樣で、へエ||、何とも申譯御座いません」
「
「點いて居りました、へエ」
「
平次は新助の後ろへ廻つて、外科の手當をして居る傷を見せて貰ひました。
右の肩下から、五寸ばかり
「これが曲者の捨てゝ行つた脇差かい」
「へエ」
平次は血刀を取上げて縁側へ出ました。朝の光りにすかして、切つ先から
「この脇差はちよいと借りて行くぜ」
さう言つて、今度は念入りに部屋の中を搜し始めました。
押入の中、
「親分、見當は?」
ガラツ八は心配さうに後ろから尾いて來ました。
「まるつきり
「へエ||」
「此家から人間を一人も出さないやうに手配してくれ。俺はちよいと出て來る。それから新助はなるべく一人でそつとして置く方がいゝぜ、手負は氣が立つちや惡い」
「何處へ行きなさるんで||」
ガラツ八は追つかけて訊きました。
「まだ飯も食はないぢやないか」
「あつしだつて食ひませんよ」
「我慢しな」
平次は風呂敷に包んだ脇差を
其後へやつて來たのは三輪の萬七とお
平次がやつたと同じやうな
「八五郎
萬七は冷たい言葉を浴びせると、ガラツ八を尻目に彌衆馬の群がる中を、腰繩を打つた民五郎を追つ立てゝ八丁堀へ引揚げるのでした。
吟味與力の笹野新三郎は、その時丁度平次と話し込んで居りました。
「萬七が越後屋の支配人を縛つて參りました」
取次がさう言ふと、
「何、萬七が? ||兎に角庭へ廻せ」
その聲を聞くと萬七は、待つてたと言はぬばかりの顏を縁側へ出しました。
「旦那樣、平次から御聞きで御座いませう。越後屋の主人を殺し、手代に
「フーム」
笹野新三郎が顏を擧げると、庭へはもう、お神樂の清吉が、民五郎を引据ゑて居ります。
「兄哥、たうとう民五郎を擧げたね」
同じく縁側へ滑つた平次は、天を仰いで歎息するやうに斯う言ひました。
「それが惡いのか、錢形の、||彌三郎殺しを新助の仕業と思つたのは俺の
萬七は少しいきり立ちます。
「二人共、靜かにせぬか、||萬七、何よりその證據と言ふのを聞かうか」
笹野新三郎は二人の爭ひをなだめて斯う言ひます。
「申しますとも、第一に主人の佐兵衞と、養子分の新助を殺せば、あの身代は民五郎の自由になります。佐兵衞を斬つたのは、かなりの腕前ですが、民五郎は若い時ならず者の仲間に
「||」
「それに、曲者は外から入つたやうに見せてありますが、縁側の泥足は、すぐその下の
||隨分ヘマな證據を拵へたんだネ||平次はさう言はうとして口を
「新助は怪しいが、自分であれだけの傷を背中へつけられるわけはなく、番頭は年寄で荒つぽい事の出來る柄ではありません。もう一つ、動きの取れない證據は、主人と新助を斬つた脇差はこの民五郎のもので、中味は錢形のが持つて居る筈で御座います」
萬七の言葉には
「それは非道だ。私は人を殺すやうな人間ぢやありません。まして自分の兄を手にかけるなんて、聞いても恐ろしい||」
民五郎はあまりの事に轉倒して、縛られたまゝ身を揉みますが、
「錢形の、民五郎が下手人でなきア、誰が殺したんだ。
萬七はしきりといきり立つて居ります。
「そんな譯ぢやないよ、三輪の、口で言つても解らない事があつちや、人間一人の命にかゝはるから、旦那を
平次はそれを
「この
平次は重大な謎を投げかけました。それを解けるのが、||いつぞや平次が女房のお靜に
「||それからこの柱を御覽下さい、かなりひどく血が附いて居りますが、これは手や着物から附いたのではなくて、傷口から
「||」
「主人の死體からも新助からも、遠い、この柱の此方の側に血が飛沫く筈はありません。それに、新助は先刻、曲者に斬られた時主人の部屋の
「それでは下手人は誰だ」
笹野新三郎、たまり兼ねて言ひました。
「お待ち下さいまし、此樣にかう脇差の
平次はさう言ひ乍ら、自分の持つて居る風呂敷を解き、中から血だらけな脇差を出して、その柄を風呂敷で柱に縛り付け乍ら續けました。
「斯う三尺五寸のところへ脇差を縛り、刄を下へ向けて、切つ先に肩先を當て、スーツと上へ起ち上がると、人間の身體が
其處まで聞くと、半身を白布で卷いて、ウンウン唸つてゐた新助は、いきなり起上がつて這出さうとしました。
「八、その野郎を
「何をツ」
猛烈な取つ組合ひが始まりました。
平次が手を貸さなかつたら、本當にガラツ八もどんな目に逢はされたか知れません。
「新助、まだ逃げるには早いぞ、もう少し聞かせることがある。この脇差の
「||」
新助はすつかり恐入ると急に背中の傷が痛み出したらしく、縛られたまゝ疊の上へ
三輪の萬七とお神樂の清吉は、何時の間に歸つたか、もう其邊には居ません。
× × ×
「恐れ入つたね、親分、三輪の萬七とお神樂の清吉がコソコソ逃げ出した恰好はなかつたぜ」
「馬鹿ツ、つまらねえことをいふな。俺は人を縛ると後の氣持がよくねえ、||だが、あの野郎は助けるわけに行かなかつたよ。尤も、あれほどの惡黨でも、主人の血の着いた脇差で自分を切る氣がなかつたのは不思議さ、餘つ程、氣味が惡つたんだね。それでたうとう
平次はさう言ひ乍らガラツ八を
言ふ迄もなく新助は越後屋を乘取つて、お絹を手に入れる積りだつたのです。彌三郎を殺した毒藥は、民五郎が物好きで持つて居たのを、