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飢えたる百姓達

今野大力




稲の穂先へ米が幾粒実ったとても

それが生活への打撃の少ないものはいい

一粒の種から一粒の穂先が首を天上へ||


野は早くも荒涼

寒冷に夜はあける

稲ハセは痩せて鳥の飢えたる鳴き声に

不吉な暗示を、

百姓達は

ああ どうしようもない 組合もない

いや増しに来る寒さは吹雪となって腿引の破れへ首を釣り

穀物の尠い土地に雑草の種は蒔かれる。


冬空、雪雲が彼方から村を襲う

ああ 饑餓と窮乏のあらそいには

木の葉となって泥沼の中に漂う飢えたる貧しき百姓達。


雪が降って気も心も親も子も家も畑も立枯も草立くさだち

みんな一切は埋れてしまう。

来春らいはるの種もみをどうすべかや」

「役場さ行って借りて来べかし」

「地主様さ行って願って見べかし」

「いやいや出稼ぎに行くべぞ」

村には働く男衆が失われる。


村には今年正月がない 山の神もない

村では物憶えの悪い百姓達があちこちへ寄り合い

羽蚤はむしに痩せ衰えた※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)が卵も生まずにくくられる

酒は悪酔わるよいの地酒 密造酒どぶろく

肴はしなっこい鼠の肉

お銚子料理番は 栄養不良の嬶あ達

松内の祝いは共同で催される

共同は経済だ!


息子は市街へ小僧に送られ

娘は女中や女郎へ追いやられ

「儲けろ 沢山たんとな 立派人いいひとになってれ」

息子は御用聞きをして手足を凍傷しもやけにし

娘はからだをくさらして病院に閉じこもり

親父は炭焼小屋で声もなく圧死する

「儲けなんぞどこに転がってけつかるんぞい」

残された女やもめは焚火の煙りと泣き明しに

ただくさった両眼をしばたたき

幼い子供に藁沓わらぐつ穿かせ左と右へ||

背では赤ん坊が声を枯らしてあえぎ泣き

村には彼女達を養う余力もない。


雪道には橇跡

橇跡には馬糞まんぐそ凍塊かたまり

「馬糞はまさかいびって食うことも出来まいし」

「雪じゃまた腹がくつくなることもあんめい」

「澱粉の三番粉でも雪の下から掘っくり返してくろうたらいいぞ」

「豚こであんめいし喰われっか!」

「何言ってやがるんだい人間だぞよ、地主の畜生奴ら!」

投げつける血べとのような呪咀のろい

いくじなしは世の楽しさも知らない子供を道連れに

鉄道線路せんろでへたばり殺された

田舎街への踏切は一面の血しぶきに染められ

染められた血潮は雪で埋められた。


草色服に真赤い兵隊帽

青年訓練所生徒

「若けい野郎児やろっこら鉄砲担いでどこぞへ?

 戦争でもおっ初まったかよ

 そしたらんさもとられっぺし

 誰ば殺そとて弾丸たまこめるかよ

 ロスケかアメリカか支那兵チャンチャンか騒動か」

「婆さん待ってけれ

 お前の婿あタマ除けでない

 俺らあ戦争あ反対だ!

 俺らあ若い元気もんだ!

 元気もんの腕を見ろ! なあ婆さんや」


村の夜には凍えたともし

雪明りに一筋の細道が拝み小屋へ||

離れ小屋には小馬が空っぽの凍結こおっ馬草桶ひづつをガタン||ガタン||

誰一人の来手もなく

もの倦く一夜をち明かし

板壁を踏みくじき

葦囲いをむしり喰い荒し

寒い曠野への窓を作る。


村に組合が出来た

若いものは熱心になって座談会が開かれた

老耄おいぼれた頑固者が

がいに何にも知らずにくそみそに口説きあげて

それにはまだわかりっこがない

首のあたりに縄目の跡が残されて

文句もいわずに死んで行く

それでも彼等にあまだわかりがないかも知れない

だがそれが何だ

村にも組合が出来た

若いものは熱心になって座談会に集まって来る。


いよいよ来た

ブツクサ婆さんさえ赤い旗を持って立ってる

軍隊から帰って来た庄吉はぎすました鎌を持ってる

 唐竿の柄をぶったぎっても竹槍にあなるだろう

「山からぴょろこでも切って来い」

「やつらあ聞かなきゃそいつでぶんなぐるべ」

「さあ地主の家さ押しかけろ! 誰でも来い!」

「今年の年貢全免だ※(感嘆符二つ、1-8-75)


新聞記者は

「暴動が烽起した!」


雁皮を焚いて火の手が燃え上り

真紅な空映が村を染めて

赤旗はハタハタと雪空の下に飜る


その時こそ

それまで眠ったような北国の雪に埋れた村人たちも地主の家を取巻いて

今こそ、呪咀のろいの声 憤怒の声 物凄く渦を巻き 木立の彼方へ響いて行く

宵闇の空映をどよめかして。


一九二九・一二・七






底本:「今野大力作品集」新日本出版社

   1995(平成7)年6月30日初版

初出:「文芸戦線」

   1930(昭和5)年1月号

入力:坂本真一

校正:雪森

2015年1月6日作成

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