一人の吃りの男に、道順を尋ねる二人づれの男がゐて、道すぢのことで、三人が烈しく吃り合ひながら、あちらの道を曲るのだとか、こちらの小路からはいつて行くのだとか言つて、ちんぷん、かんぷん言葉が亂れて譯が判らなくなつて了つた。吃りといふものは頭で吃るからだ。吃る人間は燃える發音を消しとめることが出來ない、日劇ミュージクホールの

「出ませう、とても、ぢつとしてゐられないわ。」
「君の吃りはあれほど甚い吃りではないんだよ、いま此處に這入つたばかりぢやないか、一たん吃ると急きこむから一層吃りの上に、吃りが重なり合ふんだ。吃る人間は吃らない人間と何時も二人づれにからみ合つてゐるから吃るんだ。吃る時は落ちついて吃るはうがいいんだ。さうやつてゐる君は少しも吃らないでゐられるぢやないか。吃る人間を見物してゐるから君の吃りが三人の男の發音にまぎれ込んでゐる、つまり、これほど君がらくにゐられる事は稀れなのだ。」
「あなたは何時もあたしが吃ると、愉しさうにくすくすなさいます。けれども、あの人達を見てゐるとあたしもここで吃りの復習をしてゐなければならないんです。あの人達の手眞似、足眞似があたしをあそこまで連れてゆかない前に、もうずつと先刻から吃るお稽古をしてゐて、頭は蒼褪め、脇の下に冷たいあせりが汗になつてにじんでまゐります。吃るくせのある人間が吃りのおしばゐを見てゐることは、笑ひながら自分で自分の解決のつかないところにゐるのと同じなんです。」
「君がそんなにすらすらと話すのを聽いてゐると、まるで吃りがおこりのやうに落ちてゐるやうだ。それにしてもあの俳優は二た月六十日間、ああして毎日吃り續けてゐるのだらうか、吃りといふものは眞似をしてゐる間に本物になる經驗は僕にもあつたが、あの俳優はああしてゐる間に尠くとも、二か月間はふだんの時間のあひだでも少々吃るといふことになりはしないか、あの激しい肩の怒りや手振りの焦り切つたところは、演技中だけであとはけろりと治つてしまふといふことはあるまい。吃りがいとを引いてあの俳優のまはりにふはついてゐる。併しなんといふ吃りといふものは息苦しいものだ。」
「幾らでも吃り續けてゐればいいわ。あなたが面白かつたらどうにもならない程、お笑ひになるがいい、勢ひこむほど舌と喉が
「始まつたね、おお、おさかななんて。」
「か、からかはないでよ。」
「眉が上につり上つて、頬が見る見るうちに赧くなつてくる。」
「あたしね、は、はいいうさんの
「君は吃る時、顏が一杯に張つて來て、齒並がいまにも飛び出しさうになる。」
「それが珍らしいといふのでせう。」
「もう喋るなよ、みな、此方を向くぢやないか。」
男と女は午後四時半に、日劇を出た。さらに三笠會館の階段を登つて窓際の椅子に坐つて、
先刻から千人くらゐの女の脚を見てゐるが、どの脚も嬉しさうで元氣が好い、膝の折れ目から靴先があがるまでの短かい時間の、さつさつと空氣を分けてゆく恰好は人間の運動のなかでも、一等うつくしい、後ろ側のふくら脛の線と外光とのきれめに、ふくら脛にそのわづかな線のかげが映つてゐるなんて、とても言ひやうがないな。三方からの光線があつてそこで殆ど陰影のない先刻見てゐた裸體が、此處ではふんだんに歩いてゐるやうである。女の膝から踵までの立體といふものは、それだけでも女のからだで、別個の生態を持つてゐて單獨の物體として眺められるではないか。こんなふうに言へば女といふものは何處から何處までも、つまり皮も骨も耳も爪もみんな食べられるといふことになるが、それでなかつたら世界に音樂も小説もなくなるのだ、君はあかえといふ海のさかなを知つてゐるか、このさかなは骨が柔らかくてぽりぽりと子供の齒でもたやすく食べられる。僕はだからこのあかえといふさかなの骨を食べる時には、ちよつとした
例をあげるまでもないが、女の腕一本でもこれだけを見てゐても大したものだ。肩つき、二ノ腕、肘、肘から手首へ、さらに五本の指をもつた手といふもの、指のふくらみ、たなごころといふ順序を辿つてみても、どの部分にもどうにもならない美しさがある。あかえではないがそれは結局ぽりぽり
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男と女とが再び街路に出たとき、大きな建物を背負つた少しばかりのコンクリの空地に、うはばみの
小さいはうのうはばみの
大きいうはばみは周圍の見物人の中の、もつとも物好きさうな奴の耳もとで低聲でいつた。もし君にその氣があるなら彼處のゴミ箱のうしろで、この子がはだかになつて一くさりのうたをうたふ間、君にだけそれを見せてもよい、そのかはり金は三百出せといつた。問ひ返しても三百とだけ言つて圓とはいはなかつた。併しそれには
物好きな男は
あんたらも私も毎日髭といふものを剃る。こいつは剃れば剃るほど濃く密になる。實は剃つてゐるのはあんた方や私ではなく、何物か判らない奴であつて、ついでに山も森も叢も、沼もみづうみもみんな剃り落してしまふから、私のゐどころがない、そのあげく、汽車に乘つて娘と二人でこんな所に出て來なければならなくなる。お面を脱げば河はうしろに消え、叢のかはりにゴミ箱がならんでゐるのだ。娘はきいきい聲を擧げ私は日ぐれを待つ。娘は踊る、山にゐた時、
お話すればわたくしにも悲しい一日があつた、と、今度は娘の

父親は話はこれから妙境にはいるのだと言ひ直し、娘を肘で小突いて見せたが、娘はわかつたわよ、あのことでせうと答へ、例の膝の頭から少しづつスカートに時間を置いて、上の方にずらせて行つた。上の方には十四歳の膝がきよらかな
恰度、うまいぐあひに日はさすがに次第に灰鼠色に暮れていつた。さあ、これからだと父親は帽子の裏を見せて、金を集めにかかつた。娘はこの街裏に巡査のすがたが、ないかどうかを警戒しはじめた。
「早く行かないとデパートが閉つてしまひますよ、お金までお出しになつて一體あの娘さんの裸を見るつもりなの、あきれた、あなたといふ人はまるで溝みたいに汚ない處につながつてゐるのね。」
「人間にはいつも偶然といふやつがあつて、それを逃がしてしまふと無味乾燥の地帶を歩かなければならないのだ。何もさう急いで此處を外す必要がない、三百圓といふ金で人間は
「女をつれたあなたの、それが本音だと仰言るんですか、獨り者ならそんな氣になることも許せるんだが、あなたはちやんとした妻まで持つてゐて、まだ見たい物がそんなに澤山にあるんですか、まるで恥づかしいことを知らない方だ、あなたがゴミ箱のそばにいらつしやるのを、あたしがぢつと見てゐられるとお思ひになるんですか。」
「では、君に質問するが、君は十四歳の膝といふものを僕に見せてくれたことがあるかどうか、いまこの機會をのがしたら僕は十四歳の膝を見ることが生涯にないのだ。」
「十四歳の膝に何があるの。」
「十四歳の膝自體は人間といふものを見たことがないのだ、人間がそれに乘ることが出來ないところに、やがては誰かが乘るまでの、無風状態が僕を惹きつけるのだ。嘗て人間の中の女はみなかういふところで、誰にも見られず本人も知らないで育つたといふことに、いま氣がつきはじめたのだ。たんにそれは清いとか美しいといふものではなく、ああ、能くそれまでにひそかに形づけられ成長したといふことで、人間がまれにおぼえる感謝といふものをひそかに受けとりたいのだ、そしてそれは君の十四歳といふ年齡にあと戻りして君を愛するもとにもなる。君は目前のいやらしさがたまらないといふのであらう、僕だつてこの少女の前では僕自身がどうにも厭らしくてならないのだ、併し僕のかういふ根性はここまで墮落してかからなければゐられないのだ。」
「ぢやごらんになるがいいわ、恥づかしくなかつたら。」
「恥づかしいからそれを揉み消すために、無理にも見物するのだ。」
「出來たらその不潔な眼をくり拔いてあげたい。」
「僕もいつもそれをねがつてゐるのだ、僕のセックスも引き拔きたいのだ。」
「あきれた。」
「この二匹のうはばみを見物してゐるのは僕や君ではなくて、實は僕や他のここにゐる連中がかれらから見られてゐるのだ。少女の前でいやおうなしに何かを白状してゐる僕らが、やはり同樣の何匹かのうはばみなんだ。」
「あなたはそんな下劣さをふだんには、うまく匿くしていらつしつたのね。何食はぬ顏つきで女のどんな部分でも見逃がすまいとしていらつしやる慾情が、あたしに嘔きたくなるくらゐ厭世的な氣持になるわ。あんな女の子の膝が見たいなんて、それは、まともな人間の考へだと思つていらつしやるんですか。」
「僕が拂ふ金であの子は何かが買へる。僕が見ないで通りすぎればあの子の收入がそれだけ減るのだ、僕自身だつて見ないより見た方がいい、美しい人間を見ることに誰に遠慮がいるものか。」
「あたしがゐても、見たいんですか。」
「君がゐるから一そう見たいのだ、君にない物がここに存在してゐるとしたら、それを見るといふことも物の順序なんだ。」
「なさけない方だ。そんな方と肌を交はしてゐたことが取り返しのつかない氣がして來るわ。いまは見るかげもない一人の男としてのあなたを、その見るかげのない處からたすけ出すことがあたしには厭になつて來ました。あたしは何時もあなたのいやらしいところから、それをたすけるためにいろいろ苦心をして來たんですけれど、もうまるでそんな氣は
「人間なんかに、物のきまりがあるものか。君の説得はそれきりなの。」
「あさましい方だ。あさまし過ぎて白紙みたいな方だ。併しどうしてそれにいままであたしが氣がつかなかつたのか、寧ろあたしはそれを搜してみたい氣持なんです。」
「僕はそれでたくさんなのだ、品の好い人間にならうと心がけたことは、いまだ、かつて一度だつてないのだ。」
「では、あたしお先にまゐります。ゆつくりごらんになつてゐた方がいい。」
「何も先きに行かなくとも、二分間もあれば見られるぢやないか。」
「その眞面目くさつたお顏も、いままでに一遍だつて見たことがないお顏なんです。あなたにも、そんな懸命みたいなお顏をなさるときがあるのね。」
「あるさ、けふはそれが甚だしく現はれてゐるとでも、君はいひたいのか。」
「二分間であたしを失ふことになつたら、どう處置なさるおつもり。」
「この二分間がどんなに汚ないものであつても、君は去らないさ。」
「去つたとしたら?」
「去らないよ君は、かういふことで女が去るとしたら、女は一生涯去り續けなければならないものだ。」
「では行くわ。」
「何處で待ち合せばいいのか。」
「待ち合せる氣もないわ。」
「そこまで氣持がねぢれたか。先刻からちつとも吃らないぢやないか。」
「あ、吃らないわね、あまりに落ちつきすぎてゐるからよ。」
「ちつとは吃れよ。」
「もう吃らないわ。氣が沈んで急きこむ餘地もないくらゐ、男つてものがあさましく見えて來たんですもの。」
大きなうはばみは片かげになつた建物に、驚くほど大量のゴミ箱の山のあなたに眼をすゑ、これは二分間くらゐで終るのだから、それと同時に私共は引き上げることになるんだ。皆さんも見物が濟んだらさつさと直ぐ立ち退いていただきたい、巡査の見

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おなじ街うらにはいり、おなじ店と店の品物を見る、何日間もこれを見る。デパートの階段を昇りまた階段を下りる、何も思はずに下りる。男はその時うしろから昇つて來た女の子の顏いろを、ふいに見返つた。顏色は柔らいですぐ男にこのあひだはどうもとお禮を言ひ、男はけふは一人かとたづねると、ううん一緒よと賣場の方に眼をやつてみせた。そこに、買物をしてゐる八幡といふ男が、例の
男は、買物にも處女は處女の買物をするものだとへんなことを言ひ、女はまたかといふやうな顏つきをしてみせた。二人が屋上に昇ると同時に、突然人々は街を見下ろせる片側に向つて、顏色を變へて一せいに走り出した。それらの人々は鐵格子に掴まり、街の甃石の上を見下ろしたが、そこでも群衆が揉み合ひ何事かが起つてゐるらしいが、何を
八幡と末野は難なく街路の甃石のうへに出ると、大うはばみはなにやら譯の判らぬお禮のことばをいつたが、どう考へても判りやうがなかつた。甃石はとうに洗はれてゐて何事の兇變も起つたところがなく、二人の興行師は人込みにまぎれて失せた。
「僕は子供の時からヘビを見ると怖くて、どうしても殺さずにゐられなかつたのだよ、他の友達もみんな怖がつてゐるものだから、つい、おれは些つとも怖くないふうをして見せて誰よりも先頭に立つて、殺してしまふ、それが成年になつてからも、ずつと僕の英雄氣をあふつて未だに見つけると殺すことになるんだ。かぞへると數十匹になるが、無益な殺生をしたなんて氣は少しも起らなかつた。だが或る時、或る女の人が遊びに來てゐる最中に、石垣の間を
「つまりあいつには何處かに偉さがある。無理にいへば俗物ばなれのした、いつもひとりでゐなければ生きてゐられない、果の果で生きてゐるからだ。それに妙なことには好きな女の人には、みんなあいつのしなやかさか棲んでゐる。からだのこなしは勿論だが、その樣子がつつまし過ぎてそれが奧ぶかく構へると、にじみ出る温和しい人がらの氣はいがあいつに見えてくる。つまり僕が女の人からさういはれてから、あいつを殺すとか威かすといふこともしなくなつた。ただ、そのすがたをしげしげと見送るだけだ。草の向うに山があれば日ぐれに近かつたりしてゐたら、あいつの去つたあとのただ動いた雜草だけを見てゐても、小さい草のうごいてゐるのが、いひやうもなく可愛らしい、眉とか肩とを感じる。呼びかけるといふことは人間にだけ限られた聲ではない、あいつも、山上に向つて誰かをつねに呼びかけなから消えて見えなくなる、······」
「僕はいままでずつと書くことがなくなると、さかなとか、へびとかが眼にうかんで來て、それの未だ書かないところが書きたくなる。決して人間の誰々を書いてみたいといふ氣が起つて來ない。時とすると人間を書く氣がなくなるのだ、こんな奴が作家といふ仕事をするといふことが間違つてゐる。も一つ肝心なことはあいつの姿を何處かで見た日には、それが僕には吉報のやうにその日には喜ばしい事件が起つて來て、僕はそれをあいつの姿を見たせゐだと考へてゐる。實にばかばかしい話だが、めいしんといふ奴ほど面白いものはなく、毎日めいしんを作つてそれに勝手氣儘な運命を食つつけて笑つてゐることが好きなのだ。八幡といふ變な男と、末野といふ少女にしても、僕のめいしんの中にずるずるに這入りこんでゐることは實際である。縁も何もない人間の、ちよつとした事件が頭にのこつてゐて、どう仕樣もないこともあるのだ。」
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男と女とは何時も態々中華饅頭で有名な或る料理店にはいり、食後の菓子を取り寄せて食べることにしてゐた。この店は銀座界隈に勤める人達が簡單に夕食がはりに、大きな肉饅頭を一個とか二個あて食べて去るところだが、二個以上はどんなに腹の空いた時でも食べられなかつた。それほど膨大な量があり肉入りと餡入りの二つ分を食べれば、それで榮養攝取は充分に足りるわけだ。支拂ひは百圓で何時も足りたから若い女事務員や女給達で、夕方からずつと一杯であつた。男と女は空いた椅子に坐りわざわざ饅頭を取り寄せ、それを二つ切りにして食べてゐた。到底それは一個あては食べられなかつたからである。
「先づ大きさは二尺から二尺五寸くらゐある奴が、からだと動作も手頃であつて見應へも恰度好い。大きさが肝心だ、あまり小ちやい奴はただの紐みたいで面白くない。」
女はからかつた。
「あなたの聖書も耳にたこが出來てしまつて、ちつとも面白くなくなつてゐるわ。話がなくなると二尺五寸からはじまりますが、二尺から二尺五寸といふのが餘程お好みの背丈なのね。」
「うつむくと少女の顏になり、そして一度きりしか來ない用向きの人が來て、來るとすぐ歸つてしまふやうな氣ぶりも見せるのだ、白い靴をはいてそれが歸るまで座敷の外の沓脱の上で待つてゐる。間もなくそれをすつぽりと嵌めてかへつて行く、あれは仁王さんのやうに立派な顏をしてゐてからだも仁王さんだ。仁王さんのやうな女は美しいな。」
「そしてあなたはどれだけの人に今まで惚れられましたかと、お聽きになりたいんでせう、何てお節介なおべんちやらを言ひたいんでせう。聽いても聽かなくても大概の女は尠くとも何時も惚れられ續けてゐるわよ。ひふさへ美しければね。」
「その女の人は言つた。一人も誰も正式に惚れた人はなかつたと。僕はあなたがちつとも他人の言葉を容れない
男はまた君とかうして對ひ合つてゐると、君の頸のまはりに美しいえうらくのやうに、あいつらのからだが取り捲いてゐることも何時も感じてゐる。人間はいつも他の動物とくらべられたところで一層立派な生き物であることを覺える。もう直ぐ夏の盛りになるが早くあいつらに會ひたい、何處かで見られる姿が眼に迫つてゐると男は話をした。
「あなたといふ人は半分馬鹿で、またの半分は眞人間で馬鹿が顏を出した時には、同じことばかりを聽かされていやになつて了ふ。いくら書き物の商賣をしてゐても、鼻持ちにならぬことばかりを話されてゐては、どうにも、遣り切れなくてばかばかしくなるんです。」
「つまり僕のいふ
「もうやめてよ、そんな詰んないこと幾ら聽いたつて、頭がばうとするだけで些つとも面白くないわよ。」
「ああ。」
「そんな話を素晴らしいとか何とかいつて、褒めて聽く人にそれを話してあげた方がいい。」
その時、二人ははつとして眼を合せた。眼立たぬやうに扉からすべりこんだ二人づれに、眞正面に眼をあはせたからだ。少女は例の末野、男は八幡であつた。服裝は親子づれの、ちよつとした身なりに變へられ、二人は着席すると饅頭を注文した。
男は言つた。これで再度も行き會つたが、まるで諜し合せて會つてゐるやうなものだ、この人達と僕には何のつながりもないが氣になる人達だ。
女は答へた。行く先き先きにこの人達を見るのも、あなたには益々佳境に入つた場面になつて來たわね。かうして見るとあの子はなかなか好い顏をしてゐるぢやないの、とても、十四なんぞに見えはしない、眼の動かしやうもまるで小鳥みたいに、
「はたらいた後の夕食といふところだ。」
「作家なみのあなたと同じところに這入るなんて、しやれてゐるわね。」
突然、少女は顏をふりむけると、男に挨拶をした。ちやんと先刻からとうに知つてゐたのだ。八幡も挨拶をし、これも這入つた時から彼らを見て知つてゐたのである。少しも見ないふりをしてゐる間に、見てゐたのだ。ここにもこの親子が何時も平均した警戒心を伏せてゐるのだ。
この時また少女が突然立つて、饅頭の皿を手に持つて男のとなりの椅子に不意に思ひがけなく坐りこんだ。この中華料理店は四人列びの列車のボックスのやうになつてゐた。少女は椅子にすわるとすぐに、をぢさん、たすけてと、低い聲で言つた。ここに坐つて居ればたすかるのかときくと、をぢさんのつれであると訊く人があれば、つれだと言つてくだされば、たすかるのだといつた。それではそこのをばさんの椅子にかけてゐるがよい、をばさんは女であるから恰度君も女の子だから好いぐあひに、つれに見えるぢやないかといふと、少女は鋭く肯いて女のそばの椅子に移つた。それも問答無用の迅速な移行であつた。
八幡はうつむいて、饅頭を二つに分けて食べてゐた。末野は表の扉に背を向けてゐたが、この時から二人づれの男は表の扉際に立つて客の頭數を眼でしらべてゐたか、頭數について不審の打ちどころのない顏附をしてゐるのが、しだいにその平靜なおちつきの樣子で讀み取れた。だが熱心な搜査はこんどは階上に登つてゆくことで證明された。階上は一般向きでない定食の客すぢになつてゐたから、二人づれは直ぐに降りて來てもう一度トイレの方にも這入つて行つた。トイレは階段裏になつてゐて彼らの横合ひを通らなくとも、行けた。二人の男はすすんで客の間を縫つて見て歩くといふことを、しなかつた。もはや、それまでに査べなくとも、此處に彼等が必要とする人物を認めることか出來なかつたらしいのだ。彼等は扉の外側に消えた。
少女は言つた。ありがたう、たすかつたと言ひ、八幡は向う側の卓の上で丁重に頭を下げて見せた。いま扉の方に立つてゐた人は警察の人かときくと、末野は肯いて見せ、別々に居れば判らないが一緒にゐると直ぐに見つかる。だから街を歩くときは何時も別々だといつた。成程、さういへば八幡は金を拂ふと末野に、な、いいな、あそこだよ、と顎と眼で合圖をして出て行つた。
男と女とがこの店を出て、街路を渡りかける時まで、末野は二人のつれのやうに食つついて歩いた。細心にあたりを小
