深川の材木問屋春木屋の主人治兵衞が、死んだ女房の
三千兩の小判は三つの千兩箱に詰められ、主人治兵衞の手で
「惡い雲が出て來たね、
番頭の源助はさう言ひながら、額の汗を拭き/\、お通の水茶屋の前に立ちました。
「この空模樣ぢや
辰藏は吊臺を
同時に、ピカリ、と凄まじい稻光り、灰色に沈んだ町の
「あれツ」
界隈で評判の美しいお通は、||いらつしやい||と言ふ代りに、思はず悲鳴をあげて了ひました。赤前垂、
丁度その時、||
「喧嘩だツ」
「引つこ拔いたぞ」
「危ないツ、
「わツ」
といふ騷ぎ。兩國廣小路の人混みの中に
「何うした、
「喧嘩ですよ、浪人と遊び人で」
「荷物が大事だ、中へ入れろ」
「へエ||」
鳶頭の辰藏は、吊臺の上に掛けた
續いて、もう一と打、二た打、すさまじい稻光りが走ると、はためく大雷鳴、耳を
向う側の家並も見えないやうな雨足に叩かれて、ムツと立ち昇る土の香、||近頃の東京と違つて電氣事業も
まだ六月になつたばかり、暑さは例年にないと言はれましたが、それにしても、眞晝の大夕立は滅多にないことでした。
お蔭で素つ破拔きに始まつた大喧嘩も流れて、
お通の茶店へも十二三人、
「おツ、何て
「まア、松さん」
ポンと飛込んで來たのは、舞臺で本雨を浴びて來たやうな意氣な兄イ、濡れた
「ほら、ざつと
無雜作に投り出して、切り立ての
「まア、裸で何處へ行くつもりなのさ、松さん」
お通は追つ掛け、戸口まで出ましたが、もう男の姿はその邊に見えません。また一としきり、ぶり返した大降り、光る、鳴るの
その晩、清養寺の
寺の境内に起つたことは、寺社奉行の支配で、町方は關係しないのが普通ですが、
そこで、早速町方へ渡りが付いて、與力笹野新三郎が係りとなり、谷中から淺草一帶を繩張にしてゐる、
「平次」
「へエ、御呼びで」
丁度八丁塀の役宅へ顏を出した、錢形平次が呼出されました。
「寺社から頼まれて、萬一手落があつては町方の恥だ、御苦勞だがお前も行つてくれ」
「へエ||」
平次は
「不服か、平次」
「飛んでもない、旦那、御申付に
「町方一統、||引いては御奉行の顏が潰れても構はぬと言ふのか」
「へエ、恐れ入りました、||それでは潮時を見て出て參りますが、萬七兄哥の顏も立ててやるやうに、差向き八五郎をやつて下さいまし、あれなら三輪のも腹を立てません」
「八五郎で大丈夫か」
「あの野郎は馬鹿みたいな顏をして居りますが、あれで、なか/\好いとこが御座います。萬事は私が
「それぢや、八五郎を呼べ」
笹野新三郎の聲に應じて、
「旦那、此處に居ります、へツ/\」
「何だ。そんな所に居たのか、へツ/\||て挨拶はないぜ」
と平次。
「でもね、親分、||馬鹿みたいな顏||はひどいでせう」
「何だ、聞いて居たのか」
「へエ、||」
「見掛けよりは悧口だつて言つたんだから、禮を言つて貰ひたい位のものだ。旦那のお話を聞いてたんなら、改めて取次ぐ迄もあるめえ。谷中の清養寺に飛んで行つてみな」
「へエ」
「
「成程ね、さすがは錢形の親分だ、眼の付けどころが違ふ」
「褒められたつて
平次は相變らず子分思ひの
「ところで、親分」
「何だ、まだ言ひ
「三輪の萬七親分の鼻を明かしても構はないでせうね」
ガラツ八は少し顎を突出して、長い舌でペロリと
「馬鹿野郎、
「へツ、へツ、それぢや行つて參ります」
ガラツ八は笹野新三郎の前を滑ると、八丁堀から谷中まで、尻をからげて
「おや八兄哥、大層好い鼻ぢやないか」
三輪の萬七とその子分のお
「三輪の親分、當りは付きましたかい」
「いや。まだ付いたといふ程ではねえ」
「笹野の旦那が||寺社御奉行のお頼みだから、三輪のも精一杯の働きを見せるだらう、やい八五郎鼻毛なんぞ拔いてる
八五郎にしては一生一代のお世辭です、尤も八丁堀から谷中まで考へて來たんで、これ位の事が言へたのでせう。
「さうかい、まだ大した働きも仕事もしたわけぢやねえ、まア、見てくれ」
萬七も惡い心持はしなかつたでせう、ツイ先に立つて
「柳橋で大夕立に逢つたので、千兩箱の吊臺が寺の門を
「へエ||」
「夜中過までは
「||」
「寢ずの番をして居た
「寢ずの番は鳶頭一人ですか」
「寺男と小坊主が二人、時々顏を出したが、それも宵のうちだけで、
「すると、宵に顏を見せて、千兩箱を眺めるか
ガラツ八は宵に歸つた人間に眼を付けろと言つた平次の言葉を思ひ出したのです。
「八
「それでも、親分の前だが、手引は出來ませう」
「手引があるなら、あんな
萬七は少しムツとした樣子です。
「だが、三輪の親分、外から入るなら、何もあんなに骨を折つて、念入りに岩乘な
ガラツ八の明察、萬七は少したじろぎました。
「大層目先が見えるやうになつたんだね、八兄哥」
「へツ、それほどでもねえ」
「馬鹿なツ」
大舌打を一つ、この法外な
「他に宵に歸つたのはありませんか、親分」
「千兩箱の
「へツ」
八五郎一ぺんに
萬七と清吉とガラツ八は、もう一度寺の中を
「ないね、三輪の親分」
とガラツ八。
「俺は二た時も前から三度も寺内を搜したんだぜ。ないことはとうに判つて居るよ。泥坊が内に居るものなら、千兩箱を三つも持ち出した上、御丁寧に外から
萬七の言ふのは尤もでした。
それから寺内の人を一人々々呼び出して貰つて逢ひましたが、三千兩の大金を盜み出しさうなのは一人もありません。
住職は六十を越した老僧で、
「厚木在から來て居るといふことだが、飯を
「當るのは構はねえが、惚れられでもすると大變だぜ、八兄哥」
お
八五郎も一應はこの飯炊女を疑ひましたが、不具で不
「何時から此處に居るんだ」
「この三月の出代りからだアよ」
間違ひもない
「
「そんなものは知らねえだよ」
どうも少し日當りの惡い人間らしくも見えます。それに、五六貫目の千兩箱を三つ、あつといふ間に持出すにしては、この女は少し弱過ぎるでせう。
「もういゝよ、向うへ行つて猫の子とでも遊んできな。八兄哥、外廻りを見るか」
萬七は先に立つて、寺の外廻りをグルリと一廻りしました。
「おや」
ガラツ八は寺の後ろの墓地||取つ付きにある、新佛の
「どうしたい、八兄哥」
と追つ駈けるやうに清吉。
「
「成程、子供の
向うを向いてゐる塔婆を引つこ拔いて、萬七は土饅頭の上に正面を向けて立ててやりました。
「
「さうだよ、目黒へ御用で行つて薄暗くなる頃歸つた」
「すると、この墓は早くて
「な、何だと」
ガラツ八は大變な事に氣が付きました。
「塔婆の
此處まで聞くと、さすがに萬七は老巧な御用聞でした。
手續に暇取つて、役人立會の上墓を
幸ひ來合せた寄進主の春木屋治兵衞、住職と談合の上、寛永寺の役僧と、寺社奉行から出張の同心立會の上、三つの千兩箱は本堂に移され、治兵衞の手で
「治兵衞、封に間違ひはあるまいな」
と萬七はさすがに默つては居られません。
「何分土の中に埋められて、傷んで居りますから、確かな事は申されませんが、店で拵へさせた封に間違ひはないやうで御座います」
治兵衞はさう言ひながら、封を切つて一番上の千兩箱を開きました。
「あツ」
中は
續いて第二、第三の千兩箱が開けられました。が、いづれも同じことで、中味は綺麗にすり代へられ、砂利と金物の屑を詰めて、
「||」
並居る手先、役人、
「八兄哥、大した手柄だ」
萬七は一番先にかう言ひました。危ふく何も彼も八五郎の手柄になるところを、千兩箱の中味が砂利や金屑で、
「飛んだ花咲爺さ、此處掘れワンワンと來やがつたらう、へツへツへツ」
下司な笑ひは、お神樂の清吉の
「親分、かう言つたわけだ。三輪の親分に
八五郎はすつかり取り
「騷ぐな、八、もう少し落着いて物を言へ」
平次も少し持て餘し氣味でした。
「そればかりぢやねえ、親分、寺社の役人の言ふことが
「判つたよ、八、これは成程、お前には荷が勝過ぎた。底には底がありさうだ、行つて見るとしようか」
「有難てえ、親分」
「今晩はもう遲い、明日の朝早く出かけるとしよう。それだけ
平次は落着き拂つて容易に立ち上がりさうな氣色もありません。出來るだけ
「ところで親分、墓を掘り返した時、穴の中からこんなものを見付けたんですが」
「何だ、手紙のやうぢやないか」
「泥だらけになつてよくは判りませんが、かう書いてありますよ(今ばんうしのこく||)と」
「どれ/\、達者な手だが
「萬七親分にも見せてやらうと思つたが、千兩箱の中味を見て、いやな事を言ふから默つててやりましたよ」
「人の惡い奴だ、||が、この手紙は思ひの外役に立つかも知れない。
「へエ」
「それから柳橋へ行つてお通の茶店で見せびらかして、
「本當ですかい、親分」
「本當らしく持ちかけさへすればいゝ。あとの事は、又あとで考へ出さうぢやないか」
「||」
平次の言ひ付けは、何時でも意味深長なことを知つて居るだけに、八五郎はそれ以上訊き返さうともしません。
翌る日平次が谷中の清養寺へ行つたのは、まだ

一應住職にも小僧にも逢ひ、壞された
「玉川砂利に古金物か、||何處かの石置場か、
「||」
千兩箱の封印も泥で滅茶々々、春木屋の主人に
「兎に角、千兩箱が寺へ着いた時は、もう中味が變つて居たに違ひない。小判を拔いた上、用意して來た砂利や古金物を詰めて、わざ/\墓に埋める馬鹿はないだらう」
「||」
ガラツ八はポカリと口を開いて、平次の智慧の動きを見て居ります。
「中味が變つて居るのを知らずに盜んだとすると、曲者は二た組あるわけだ、中味をすり
「親分」
「八、默つてゐろ、これは存外骨が折れさうだ、||俺は中を見て來る、
「おや?」
千兩箱を三つ積んであつたといふ床の間の
「八、もう歸るよ」
「あ、親分、もう見當が付いたんですか」
ガラツ八は例の手紙を懷ろへねぢ込み乍ら飛んで來ました。
「
「へエ||」
「歸つて晝寢でもしたら、結構な智慧が浮ぶかも知れねえ。
「有難いね、だから金はふんだんに持つて居たいよ」
「穴の明いた錢ぢや金のうちに入らないよ」
「へツ、
「馬鹿、今朝、お靜を拜んで借りて居たぢやないか」
「あツ、それも承知か」
平次はガラツ八のとぼけた聲を後に、柳橋に向ひました。例の茶店にはお通も母親も居りましたが、八五郎の報告以上に、此處でも何にも解りません。
「お通、相變らず綺麗だね」
「あれ、親分さん」
「ところで一昨日の晝頃、大夕立と喧嘩と、大金と一緒に來たんだつてね」
「吃驚しましたわ、あの時は」
「三千兩の
「吊臺が入ると間もなく喧嘩で、あつといふ間もなく大夕立でした」
「雨がすつかり上がつてから吊臺は出かけたらう」
「え」
「千兩箱が
「そんな事はありません」
清養寺の床の間の汚點の
茶店の裏は直ぐ神田川ですが、少しばかりの崖になつて、折からの上げ
「大夕立の時、此處に舟がゐなかつたかい」
平次は窓から顏を出しました。
「ゐなかつたやうで御座いますよ。ゐさへすれば直ぐ氣が付く筈ですから」
お通の母親がそんな事を言ひます。水と窓との間はほんの三尺そこ/\ですから、船が
「有難う、何か又氣が付いたら教へてくれ。頼むぜ」
平次は愛想よくお通に別れて、深川の春木屋へ急ぎました。
「これは錢形の親分さん、飛んだお骨折で」
帳場に居た番頭の源助は、平次の顏を見ると、型の如く薄暗い店先へ飛出しました。まだ四十二三、
「番頭さん、あの三千兩は、此處を持ち出す時は、
「それはもう親分さん、主人と私が四つの眼で見たことですから||」
「それぢや、
平次は當然の事を訊きます。
「へエ、へエ、そんなお疑ひもあるだらうと存じまして、店の者一同立會の上、あの晩の頭數を調べて置きました。この通りで御座います」
源助は、何やら書いたものを差出します。半紙を縱二つ折にして、それに二十五六人ほどの名前を書き、その下に一々證人の名を擧げて、夕方から夜明けまでの居所を
「大層行屆いたことだね番頭さん、いや斯うして下さるとこちとらは大助かりさ、||いの一番は支配人の源助さんで、
「伊之助で御座います」
源助のさう言ふのを聞いて、二番番頭の伊之助は、
「いゝ筆蹟だね、材木屋の番頭さんには勿體ない位のものだ」
「親分さん、ご冗談を」
「ところで源助さん、あの
「へエ、皆出入りの者ばかりで、よく解つて居ります」
「ぢや、その名前をちよいと書いてくれ」
「へエ、||私は字が
「いや、それには及ぶまいよ、伊之さんの字はこんなに澤山あるんだから、手本にするに
「へツ、へツ、恐れ入ります」
無駄を言ひながらも、源助は四人の名前を書いてくれました。
「おや、源助さんは伊之さんよりも上手ぢやないか、かうむづかしい字で書かれちやあつしにや讀めねえ。濟まねえが、その側に
「御冗談で、親分」
「冗談ならいゝが、これが本當さ、そんなに學がありや、岡つ引なんかしちやゐないよ」
「これで宜しう御座いますか」
さう言ひ乍ら源助は、ごんろく、あんじ、はつたらう、うたはち||
と四人の名前に振假名を附けてくれました。
それから治兵衞に逢つて、奉公人の身許のことを細々と訊いて平次が引揚げた後へ、ガラツ八の八五郎が、恐ろしい勢ひで飛込んで來たものです。
「何? 親分はもう歸んなすつた、||それは
「そんなものが證據になりませうか」
源助と伊之助は思はず首を出しました。
「なるとも、大なりだよ、字が
ガラツ八は懷から紙片を引出しましたが、又あわてて引込めて、
「ブルブル、親分に見せないうちは、
そんな事を言つてガラツ八は、挨拶もせずに歸つて了ひました。
その足で八五郎は、豫告の通り不動樣の境内へ入つて行つたものです。居合拔、豆藏の藝當、一寸法師の手踊り、と
「あツ、何をしやがる」
内懷ろの中でガラツ八の手は、袖口からそろりと入つて來た細い
「あツ、御免なさい、||そんなつもりぢや」
女は驚いて手を引かうとしましたが、自慢の強力に押へられて、何うすることも出來ません。
「待つて居たぜ、自身番まで來るがいゝ」
ガラツ八はニヤリと笑ひました。
「あツ、何をするのさ、人の手なんか握つて、いけ好かない
拜み倒しでいけないと見ると、女は急にいきりたちました。
打見たところ二十七八、どうかしたら三十といふところでせうが、洗ひ髮のまゝに薄化粧を
第一その年増振りの美しさ、ガラツ八の懷ろの中で手首を握られたまゝ、必死ともがく樣子は狂暴な
「何だ/\」
「女にからかつたんだらう、厭な野郎ぢやないか」
「袋叩きにしてやれ」
氣の早い江戸つ子は、事情に構はず八五郎に喰つてかゝりさうです。
「やい/\/\、馬鹿な事をすると勘辨しねえぞ、
ガラツ八は左の手を袖口から出して、
「御用聞なものか。僞物だよ、畜生ツ」
女はなほも
「懷の手紙に釣られやがつたらう。何處の
ガラツ八はその儘女を追立てるやうに、永代橋を渡つて、八丁堀の笹野新三郎役宅まで參りました。
「親分、到頭捕へましたよ。あつしの懷を狙つたのはこの女で||」
「何だ、女
待つてました。と飛んで出た平次は、八五郎の獲物を見ると、少し豫想外な顏になります。
「あツ、錢形の親分さん、今日は何にも
お兼は平次の顏を見ると、急に元氣になります。
「八、本當にその女が
「何だか知らねえが、いきなり内懷ろへ手を入れましたよ」
「親分さん、お目こぼしを願ひます。今日は本當に何にも盜つたわけぢやありません」
とお兼。
「盜りたいにも、その男は一兩と
「飛んでもない、親分さん」
「お兼、お前は巾着切だけかと思つたら、飛んでもねえ仕事へ足を踏み込んだね」
「親分さん」
「いや俺には段々判つて來る、||巾着切は重くて遠島、精々叩き放しか
「親分」
お兼はさすがにギヨツとした樣子ですが、何處までも、ガラツ八のケチな財布を狙つたんだと言ひ張ります。
「よし/\、それぢやお前の言ふ通り、巾着切で奉行所へ送るとしやう、||だが、お兼、お前の巣は何處だい」
「||」
「言へまい。||種々仕掛は樂屋にちやんと用意してある筈だ。顏へ
「||」
「八、大急ぎで谷中へ行つてみな。清養寺の飯炊きのお類といふ
平次は後ろを向いて首を下げました。其處には與力の笹野新三郎、默つて平次の明察を聞いてゐたのです。
「そのお兼は、清養寺の飯炊きに化けてゐたのか」
「萬に一つ間違ひは御座いません。お兼の顏を御覽下さいまし」
「それに相違あるまいな、お兼」
と開き直つた笹野新三郎の前に、
「恐れ入りました」
女巾着切のお兼は到頭觀念の
清養寺の飯炊きのお
「千兩箱を三つ盜み出して、新墓に埋めたのは、私と仲間の者の仕業に相違御座いませんが、中味を
お兼にかう言はれると、事件は大きい壁にハタと行詰つて了ひます。
もう一つ困つたことに、ガラツ八が穴の中から拾つた密書の
さすがの平次も、この上は手の出しやうがありません。
翌る日の晝頃、使に出た女房のお靜は血相變へて飛込んで來ました。
「柳橋のお
お靜とお通は昔水茶屋に居る頃の
「お通や松吉にそんな器用なことが出來るものか、誰が一體縛つたんだ」
と平次。
「三輪の萬七親分ですよ||松さんが大夕立の中へ飛出したのが怪しいつて言ふさうですが、あの仲間の
「仕樣がねえなア」
平次はもう一度出直しました。女房の友達とその
「八、兩國へ行つてあの邊で聞いたら解るだらう。あの大夕立のあつた日に喧嘩を始めた武家と遊び人の名と所を訊き出して來てくれ、大急ぎだぜ」
「そんな事ならわけはねえ、半刻經たないうちに、二人の鼻へ繩を通して
「馬鹿、縛つて來いと言ふんぢやねえ。名と所が解りやいゝんだ。が相手に嗅ぎ出されねえやうにしろ」
「合點」
ガラツ八は
「解りましたよ、親分。||浪人は井崎八郎、北國者で劍術も學問も大なまくらだが、
「所は」
「それが不思議なんだ、親分。二人共本所
「しめた、八、その二人を
「相手は武家ですぜ」
「武家だつて、押借の名人といふ大なまくらだ。まさか二人の手に餘るやうな事もあるめえ、それとも二本差が
「冗談だらう、親分。二本差が怖かつた日にや
「もう解つたよ、八、さア出かけよう」
二人は本所相生町へ行つて惣十郎店の長屋を探し當てたのはもう夕方でした。
「踏込んで見ませうか、親分」
「待て/\、浪人と遊び人はどうせ
「||」
「かうしようぢやないか、八」
平次は何やら八五郎の耳に囁くと、町内の番所へ入つて、
「薄暗くなつて顏の判らない時分を見計つてやるんだよ、いゝか、八」
「勘次、不都合なことがあるものだな」
「何です、井崎の旦那」
壁の穴の向うと此方で、井崎八郎と
「今しがたあれから手紙が來たよ、||三千兩の金は手に入つたが、今急に箱を開くわけに行かぬ。いづれゆる/\取出すつもりだが、俺達二人が江戸に居ては、
「へエ||、判つたやうな判らねえ話だ。が、退散するもしねえも、路用次第ぢやありませんか、千兩も持つて來ましたかい」
「飛んでもない」
「それぢや百兩」
「百兩ありや、隨分一年や半年は江戸を遠退いてもいゝな」
「まさか十兩や、二十兩ぢやないでせう」
「それが十兩にも程遠いから驚くだらう」
「五兩ですかい」
「たつた一兩だよ」
「えツ」
「驚いたらう、勘次」
「さア勘辨ならねえ。人面白くもねえ、大夕立の中で立廻りまでさせやがつて、三千兩の手間にたつた一兩とは何だ」
「俺のせゐではないぞ」
「だから、怒鳴り込んでやりませう。さア」
「刀の手前、この儘引込むわけには行かぬな」
井崎八郎と
行く先は、大方豫想した通り木場の材木問屋、春木屋の裏口。何やら合圖をすると、
「何だつてこんな時分に來るんだらう。俺は、
ブツブツ言ひながら出て來た者がありました。
「時分や時節で考慮して居られるか。あれ程の大仕事をさせながら、たつた一兩で追拂はうとは何事だ」
井崎八郎の聲は
「たつた一兩? 一體何が何うしたんだ。え、井崎さん」
「白ばつくれるない。||井崎さん手紙を見せてやりませう」
これは勘次の聲です。
「お、言ふ迄もない」
「何、何、||これは俺の書いたものぢやないぞ。誰かにだまされて此處まで來たんだらう」
「えツ」
「さア、大變ツ」
三人が身構へる間もありませんでした。
「御用ツ、神妙にせい」
闇の中から不意に飛出した平次とガラツ八。
「何をツ」
手が廻つたと見るや、井崎八郎早くも一刀を引拔いて身構へました。番頭風の男と勘次の手には夜目にも
「親分、三人ぢや手に
「おうツ」
三方から斬りかゝるのを引つ外して、平次の手が懷中に入ると、久し振りの投げ錢。闇を
「あツ」
一番先に
續く一枚は番頭の額を
この闇試合は
番頭風の男といふのは、言ふ迄もなく支配人の源助。穴の中で見付けた手紙も、この男が書いてお兼のお
曲者は四人まで縛られました。
仲間はまだ外に二人、その日のうちに擧げられました。三千兩を
筋書は不意の大夕立で少し狂ひましたが、大體豫定の通り運ばれました。
豫定の通り引渡しが夕方あつたとすると、千兩箱の中から砂利や古金が出て來た時、一番先に疑はれるのは、何といつても源助と
店中の者の名を書いて、その晩外へ出た者のない事を平次に呑込ませたのは、
事件はこれで綺麗に片附きましたが、三つの千兩箱の行方だけは何うしても解りません。
源助始め惡者の一味を、思ひ切つた
「まだ
笹野新三郎も
平次は毎日のやうにお通の茶店へ行きました。
「その時川に船は居なかつた||。二人であの大夕立の中を三つの千兩箱を持つて遠くへ逃げられる道理はない」
平次はさういつた見當で、橋の下、石垣、川の中、近所の物置、床下など、
丁度一月目。
平次は搜し疲れて、お通の茶店の奧に、うつら/\と
「おや、もう
上野の鐘を遠く聞いて、思はず起上ると、目の下の川の
「
棒を持つて來てヒヨイと突いて見ると、蓋の上の取手に紐が付いて、何やら水の底に沈めてある樣子です。
「解つた。これだツ」
平次の頭には、電光のやうな智慧が働きました。あれから丁度一ヶ月目の新月、お月樣の工合で潮のさしやうが同じになつたので、丁度眞晝の
それから船を出して、紐を
「親分さん、お目出度う。三千兩
お通は
「お蔭で町方の恥にならずに濟んだよ。これが見付かれば、春木屋から百兩の
「あれ親分さん、そんな事を」
「あとの三十兩で八の野郎に女房を持たせると」
「まア」
「まだ四十兩殘るが、これはお靜と俺が
「まア」
「が、それも捕らぬ
「||」
お通はシクシク泣いて居りました。十日あまりの萬七の厭がらせな
それよりも