廻れば
大門の
見返り
柳いと
長けれど、お
齒ぐろ
溝に
燈火うつる三
階の
騷ぎも
手に
取る
如く、
明けくれなしの
車の
行來にはかり
知られぬ
全盛をうらなひて、
大音寺前と
名は
佛くさけれど、さりとは
陽氣の
町と
住みたる
人の
申き、
三島神社の
角をまがりてより
是れぞと
見ゆる
大厦もなく、かたぶく
軒端の十
軒長屋二十
軒長屋、
商ひはかつふつ
利かぬ
處とて
半さしたる
雨戸の
外に、あやしき
形に
紙を
切りなして、
胡粉ぬりくり
彩色のある
田樂みるやう、
裏にはりたる
串のさまもをかし、一
軒ならず二
軒ならず、
朝日に
干して
夕日に
仕舞ふ
手當こと/″\しく、一
家内これにかゝりて
夫れは
何ぞと
問ふに、
知らずや
霜月酉の
日例の
神社に
欲深樣のかつぎ
給ふ
是れぞ
熊手の
下ごしらへといふ、
正月門松とりすつるよりかゝりて、一
年うち
通しの
夫れは
誠の
商賣人、
片手わざにも
夏より
手足を
色どりて、
新年着の
支度もこれをば
當てぞかし、
南無や
大鳥大明神、
買ふ
人にさへ
大福をあたへ
給へば
製造もとの
我等萬倍の
利益をと
人ごとに
言ふめれど、さりとは
思ひのほかなるもの、
此あたりに
大長者のうわさも
聞かざりき、
住む
人の
多くは
廓者にて
良人は
小格子の
何とやら、
下足札そろへてがらんがらんの
音もいそがしや
夕暮より
羽織引かけて
立出れば、うしろに
切火打かくる
女房の
顏もこれが
見納めか十
人ぎりの
側杖無理情死のしそこね、
恨みはかゝる
身のはて
危ふく、すはと
言はゞ
命がけの
勤めに
遊山らしく
見ゆるもをかし、
娘は
大籬の
下新造とやら、七
軒の
何屋が
客廻しとやら、
提燈さげてちよこちよこ
走りの
修業、
卒業して
何にかなる、とかくは
檜舞臺と
見たつるもをかしからずや、
垢ぬけのせし三十あまりの
年増、
小ざつぱりとせし
唐棧ぞろひに
紺足袋はきて、
雪駄ちやら/\
忙がしげに
横抱きの
小包はとはでもしるし、
茶屋が
棧橋とんと
沙汰して、
廻り
遠や
此處からあげまする、
誂へ
物の
仕事やさんと
此あたりには
言ふぞかし、一
體の
風俗よそと
變りて
女子の
後帶きちんとせし
人少なく、がらを
好みて
巾廣の
卷帶、
年増はまだよし、十五六の
小癪なるが
酸漿ふくんで
此姿はと
目をふさぐ
人もあるべし、
所がら
是非もなや、
昨日河岸店に
何紫の
源氏名耳に
殘れど、けふは
地廻りの
吉と
手馴れぬ
燒鳥の
夜店を
出して、
身代たゝき
骨になれば
再び
古巣への
内儀姿、どこやら
素人よりは
見よげに
覺えて、これに
染まらぬ
子供もなし、
秋は九
月仁和賀の
頃の
大路を
見給へ、さりとは
宜くも
學びし
露八が
物眞似、
榮喜が
處作、
孟子の
母やおどろかん
上達の
速やかさ、うまいと
褒められて
今宵も一
廻りと
生意氣は七つ八つよりつのりて、やがては
肩に
置手ぬぐひ、
鼻歌のそゝり
節、十五の
少年がませかた
恐ろし、
學校の
唱歌にも
ぎつちよんちよんと
拍子を
取りて、
運動會に
木やり
音頭もなしかねまじき
風情、さらでも
教育はむづかしきに
教師の
苦心さこそと
思はるゝ
入谷ぢかくに
育英舍とて、
私立なれども
生徒の
數は千
人近く、
狹き
校舍に
目白押の
窮屈さも
教師が
人望いよ/\あらはれて、
唯學校と一ト
口にて
此あたりには
呑込みのつくほど
成るがあり、
通ふ
子供の
數々に
或は
火消鳶人足、おとつさんは
刎橋の
番屋に
居るよと
習はずして
知る
其道のかしこさ、
梯子のりのまねびにアレ
忍びがへしを
折りましたと
訴へのつべこべ、三
百といふ
代言の
子もあるべし、お
前の
父さんは
馬だねへと
言はれて、
名のりや
愁らき
子心にも
顏あからめるしほらしさ、
出入りの
貸座敷の
祕藏息子寮住居に
華族さまを
氣取りて、ふさ
付き
帽子面もちゆたかに
洋服かる/″\と
花々敷を、
坊ちやん
坊ちやんとて
此子の
追從するもをかし、
多くの
中に
龍華寺の
信如とて、千
筋となづる
黒髮も
今いく
歳のさかりにか、やがては
墨染にかへぬべき
袖の
色、
發心は
腹からか、
坊は
親ゆづりの
勉強ものあり、
性來をとなしきを
友達いぶせく
思ひて、さま/″\の
惡戯をしかけ、
猫の
死骸を
繩にくゝりてお
役目なれば
引導をたのみますと
投げつけし
事も
有りしが、それは
昔、
今は
校内一の
人とて
假にも
侮りての
處業はなかりき、
歳は十五、
並背にていが
栗の
頭髮も
思ひなしか
俗とは
變りて、
藤本信如と
訓にてすませど、
何處やら
釋といひたげの
素振なり。
八
月廿日は
千束神社のまつりとて、
山車屋臺に
町々の
見得をはりて
土手をのぼりて
廓内までも
入込まんづ
勢ひ、
若者が
氣組み
思ひやるべし、
聞かぢりに
子供とて
由斷のなりがたき
此あたりのなれば、そろひの
浴衣は
言はでものこと、
銘々に
申合せて
生意氣のありたけ、
聞かば
膽もつぶれぬべし、
横町組と
自らゆるしたる
亂暴の
子供大將に
頭の
長とて
歳も十六、
仁和賀の
金棒に
親父の
代理をつとめしより
氣位ゑらく
成りて、
帶は
腰の
先に、
返事は
鼻の
先にていふ
物と
定め、にくらしき
風俗、あれが
頭の
子でなくばと
鳶人足が
女房の
蔭口に
聞えぬ、
心一ぱいに
我がまゝを
徹して
身に
合はぬ
巾をも
廣げしが、
表町に
田中屋の
正太郎とて
歳は
我れに三つ
劣れど、
家に
金あり
身に
愛嬌あれば
人も
憎[#ルビの「に」は底本では「な」]くまぬ
當の
敵あり、
我れは
私立の
學校へ
通ひしを、
先方は
公立なりとて
同じ
唱歌も
本家のやうな
顏をしおる、
去年も
一昨年も
先方には
大人の
末社がつきて、まつりの
趣向も
我れよりは
花を
咲かせ、
喧嘩に
手出しのなりがたき
仕組みも
有りき、
今年又もや
負けにならば、
誰れだと
思ふ
横町の
長吉だぞと
平常の
力だては
空いばりとけなされて、
辧天ぼりに
水およぎの
折も
我が
組に
成る
人は
多かるまじ、
力を
言はゞ
我が
方がつよけれど、
田中屋が
柔和ぶりにごまかされて、一つは
學問が
出來おるを
恐れ、
我が
横町組の
太郎吉、三五
郎など、
内々は
彼方がたに
成たるも
口惜し、まつりは
明後日、いよ/\
我が
方が
負け
色と
見えたらば、
破れかぶれに
暴れて
暴れて、
正太郎が
面に
疵一つ、
我れも
片眼片足なきものと
思へば
爲やすし、
加擔人は
車屋の
丑に
元結よりの
文、
手遊屋の
彌助などあらば
引けは
取るまじ、おゝ
夫よりは
彼の
人の
事彼の
人の
事、
藤本のならば
宜き
智惠も
貸してくれんと、十八
日の
暮れちかく、
物いへば
眼口にうるさき
蚊を
拂ひて
竹村しげき
龍華寺の
庭先から
信如が
部屋へのそりのそりと、
信さん
居るかと
顏を
出しぬ。
己れの
爲る
事は
亂暴だと
人がいふ、
亂暴かも
知れないが
口惜しい
事は
口惜しいや、なあ
聞いてくれ
信さん、
去年も
己れが
處の
末弟の
奴と
正太郎組の
短小野郎と
萬燈のたゝき
合ひから
始まつて、
夫れといふと
奴の
中間がばらばらと
飛出しやあがつて、どうだらう
小さな
者の
萬燈を
打こわしちまつて、
胴揚にしやがつて、
見やがれ
横町のざまをと一
人がいふと、
間拔に
背のたかい
大人のやうな
面をして
居る
團子屋の
頓馬が、
頭もあるものか
尻尾だ
尻尾だ、
豚の
尻尾だなんて
惡口を
言つたとさ、
己らあ
其時千
束樣へねり
込んで
居たもんだから、あとで
聞いた
時に
直樣仕かへしに
行かうと
言つたら、
親父さんに
頭から
小言を
喰つて
其時も
泣寢入、
一昨年はそらね、お
前も
知つてる
通り
筆屋の
店へ
表町の
若衆が
寄合て
茶番か
何かやつたらう、あの
時己いらが
見に
行つたら、
横町は
横町の
趣向がありませうなんて、おつな
事を
言ひやがつて、
正太ばかり
客にしたのも
胸にあるわな、いくら
金が
有るとつて
質屋のくづれの
高利貸が
何たら
樣だ、
彼んな
奴を
生して
置くより
擲きころす
方が
世間のためだ、
己らあ
今度のまつりには
如何しても
亂暴に
仕掛て
取かへしを
付けようと
思ふよ、だから
信さん
友達がひに、
夫れはお
前が
嫌やだといふのも
知れてるけれども
何卒我れの
肩を
持つて、
横町組の
耻すゝぐのだから、ね、おい、
本家本元の
唱歌だなんて
威張りおる
正太郎を
取ちめて
呉れないか、
我れが
私立の
寢ぼけ
生徒といはれゝばお
前の
事も
同然だから、
後生だ、どうぞ、
助けると
思つて
大萬燈を
振廻しておくれ、
己れは
心から
底から
口惜しくつて、
今度負けたら
長吉の
立端は
無いと
無茶にくやしがつて
大幅の
肩をゆすりぬ。だつて
僕は
弱いもの。
弱くても
宜いよ。
万燈は
振廻せないよ。
振廻さなくても
宜いよ。
僕が
這入ると
負けるが
宜いかへ。
負けても
宜いのさ、
夫れは
仕方が
無いと
諦めるから、お
前は
何も
爲ないで
宜いから
唯横町の
組だといふ
名で、
威張つてさへ
呉れると
豪氣に
人氣がつくからね、
己れは
此樣な
無學漢だのにお
前は
學が
出來るからね、
向ふの
奴が
漢語か
何かで
冷語でも
言つたら、
此方も
漢語で
仕かへしておくれ、あゝ
好い
心持ださつぱりしたお
前が
承知をしてくれゝば
最う千
人力だ、
信さん
有がたうと
常に
無い
優しき
言葉も
出るものなり。
一
人は三
尺帶に
突かけ
草履の
仕事師の
息子、一
人はかわ
色金巾の
羽織に
紫の
兵子帶といふ
坊樣仕立、
思ふ
事はうらはらに、
話しは
常に
喰ひ
違ひがちなれど、
長吉は
我が
門前に
産聲を
揚げしものと
大和尚夫婦が
贔屓もあり、
同じ
學校へかよへば
私立私立とけなされるも
心わるきに、
元來愛敬のなき
長吉なれば
心から
味方につく
者もなき
憐れさ、
先方は
町内の
若衆どもまで
尻押をして、ひがみでは
無し
長吉が
負けを
取る
事罪は
田中屋がたに
少なからず、
見かけて
頼まれし
義理としても
嫌やとは
言ひかねて
信如、
夫れではお
前の
組に
成るさ、
成るといつたら
嘘は
無いが、
成るべく
喧嘩は
爲ぬ
方が
勝だよ、いよ/\
先方が
賣りに
出たら
仕方が
無い、
何いざと
言へば
田中の
正太郎位小指の
先さと、
我が
力の
無いは
忘れて、
信如は
机の
引出しから
京都みやげに
貰ひたる、
小鍛冶の
小刀を
取出して
見すれば、よく
利れそうだねへと
覗き
込む
長吉が
顏、あぶなし
此物を
振廻してなる
事か。
解かば
足にもとゞくべき
毛髮を、
根あがりに
堅くつめて
前髮大きく
髷おもたげの、
赭熊といふ
名は
恐ろしけれど、
此髷を
此頃の
流行とて
良家の
令孃も
遊ばさるゝぞかし、
色白に
鼻筋とほりて、
口もとは
小さからねど
締りたれば
醜くからず、一つ一つに
取たてゝは
美人の
鑑に
遠けれど、
物いふ
聲の
細く
清しき、
人を
見る
目の
愛嬌あふれて、
身のこなしの
活々したるは
快き
物なり、
柿色に
蝶鳥を
染めたる
大形の
浴衣きて、
黒襦子と
染分絞りの
晝夜帶胸だかに、
足にはぬり
木履こゝらあたりにも
多くは
見かけぬ
高きをはきて、
朝湯の
歸りに
首筋白々と
手拭さげたる
立姿を、
今三
年の
後に
見たしと
廓がへりの
若者は
申き、
大黒屋の
美登利とて
生國は
紀州、
言葉のいさゝか
訛れるも
可愛く、
第一は
切れ
離れよき
氣象を
喜ばぬ
人なし、
子供に
似合ぬ
銀貨入れの
重きも
道理、
姉なる
人が
全盛の
餘波、
延いては
遣手新造が
姉への
世辭にも、
美いちやん
人形をお
買ひなされ、これはほんの
手鞠代と、
呉れるに
恩を
着せねば
貰ふ
身の
有がたくも
覺えず、まくはまくは、
同級の
女生徒二十
人に
揃ひのごむ
鞠を
與へしはおろかの
事、
馴染の
筆やに
店ざらしの
手遊を
買しめて、
喜ばせし
事もあり、さりとは
日々夜々の
散財此歳この
身分にて
叶ふべきにあらず、
末は
何となる
身ぞ、
兩親ありながら
大目に
見てあらき
詞をかけたる
事も
無く、
樓の
主が
大切がる
樣子も
怪しきに、
聞けば
養女にもあらず
親戚にてはもとより
無く、
姉なる
人が
身賣りの
當時、
鑑定に
來たりし
樓の
主が
誘ひにまかせ、
此地に
活計もとむとて
親子三人が
旅衣、たち
出しは
此譯、それより
奧は
何なれや、
今は
寮のあづかりをして
母は
遊女の
仕立物、
父は
小格子の
書記に
成りぬ、
此身は
遊藝手藝學校にも
通はせられて、
其ほうは
心のまゝ、
半日は
姉の
部屋、
半日は
町に
遊んで
見聞くは
三味に
太皷にあけ
紫のなり
形、はじめ
藤色絞りの
半襟を
袷にかけて
着て
歩るきしに、
田舍物いなか
者と
町内の
娘どもに
笑はれしを
口惜しがりて、三
日三
夜泣きつゞけし
事も
有しが、
今は
我れより
人々を
嘲りて、
野暮な
姿と
打つけの
惡まれ
口を、
言ひ
返すものも
無く
成りぬ。二十日はお
祭りなれば
心一ぱい
面白い
事をしてと
友達のせがむに、
趣向は
何なりと
各自に
工夫して
大勢の
好い
事が
好いでは
無いか、
幾金でもいゝ
私が
[#「私が」は底本では「私、が」]出すからとて
例の
通り
勘定なしの
引受けに、
子供中間の
女王樣又とあるまじき
惠みは
大人よりも
利きが
早く、
茶番にしよう、
何處のか
店を
借りて
往來から
見えるやうにしてと
一人が
言へば、
馬鹿を
言へ、
夫れよりはお
神輿をこしらへてお
呉れな、
蒲田屋の
奧に
飾つてあるやうな
本當のを、
重くても
搆はしない、
やつちよいやつちよい譯なしだと
捻ぢ
鉢卷する
男子のそばから、
夫れでは
私たちが
詰らない、
皆が
騷ぐを
見るばかりでは
美登利さんだとて
面白くはあるまい、
何でもお
前の
好い
物におしよと、
女の一むれは
祭りを
拔きに
常盤座をと、
言いたげの
口振をかし、
田中の
正太は
可愛らしい
眼をぐるぐると
動かして、
幻燈にしないか、
幻燈に、
己れの
處にも
少しは
有るし、
足りないのを
美登利さんに
買つて
貰つて、
筆やの
店で
行らうでは
無いか、
己れが
映し
人で
横町の三五
郎に
口上を
言はせよう、
美登利さん
夫れにしないかと
言へば、あゝ
夫れは
面白からう、三ちやんの
口上ならば
誰れも
笑はずには
居られまい、
序にあの
顏がうつると
猶おもしろいと
相談はとゝのひて、
不足の
品を
正太が
買物役、
汗に
成りて
飛び
廻るもをかしく、いよ/\
明日と
成りては
横町までも
其沙汰聞えぬ。
打つや
皷のしらべ、
三味の
音色に
事かゝぬ
塲處も、
祭りは
別物、
酉の
市を
除けては一
年一
度の
賑ひぞかし、
三島さま
小野照さま、お
隣社づから
負けまじの
競ひ
心をかしく、
横町も
表も
揃ひは
同じ
眞岡木綿に
町名くづしを、
去歳よりは
好からぬ
形をつぶやくも
有りし、
口なし
染の
麻だすき
成るほど
太きを
好みて、十四五より
以下なるは、
達磨、
木兎、
犬はり
子、さま/″\の
手遊を
數多きほど
見得にして、七つ九つ十一つくるもあり、
大鈴小鈴背中にがらつかせて、
驅け
出す
足袋はだしの
勇ましく
可笑し、
群れを
離れて
田中の
正太が
赤筋入りの
印半天、
色白の
首筋に
紺の
腹がけ、さりとは
見なれぬ
扮粧とおもふに、しごいて
締めし
帶の
水淺黄も、
見よや
縮緬の
上染、
襟の
印のあがりも
際立て、うしろ
鉢卷きに
山車の
花一
枝、
革緒の
雪駄おとのみはすれど、
馬鹿ばやしの
中間には
入らざりき、
夜宮は
事なく
過ぎて
今日一
日の
日も
夕ぐれ、
筆やが
店に
寄合しは十二
人、一
人かけたる
美登利が
夕化粧の
長さに、
未だか
未だかと
正太は
門へ
出つ
入りつして、
呼んで
來い三五
郎、お
前はまだ
大黒屋の
寮へ
行つた
事があるまい、
庭先から
美登利さんと
言へば
聞える
筈、
早く、
早くと
言ふに、
夫れならば
己れが
呼んで
來る、
萬燈は
此處へあづけて
行けば
誰れも
蝋燭ぬすむまい、
正太さん
番をたのむとあるに、
吝嗇な
奴め、
其手間で
早く
行けと
我が
年したに
叱かられて、おつと
來たさの
次郎左衞門、
今の
間とかけ
出して
韋駄天とはこれをや、あれ
彼の
飛びやうが
可笑しいとて
見送りし
女子どもの
笑ふも
無理ならず、
横ぶとりして
背ひくゝ、
頭の
形は
才槌とて
首みぢかく、
振むけての
面を
見れば
出額の
獅子鼻、
反齒の三五
郎といふ
仇名おもふべし、
色は
論なく
黒きに
感心なは
目つき
何處までもおどけて
兩の
頬に
笑くぼの
愛敬、
目かくしの
福笑ひに
見るやうな
眉のつき
方も、さりとはをかしく
罪の
無き
子なり、
貧なれや
阿波ちゞみの
筒袖、
己れは
揃ひが
間に
合はなんだと
知らぬ
友には
言ふぞかし、
我れを
頭に六
人の
子供を、
養ふ
親も
轅棒にすがる
身なり、五十
軒によき
得意塲は
持たりとも、
内證の
車は
商賣ものゝ
外なれば
詮なく、十三になれば
片腕と
一昨年より
並木の
活版所へも
通ひしが、
怠惰ものなれば
十日の
辛棒つゞかず、一ト
月と
同じ
職も
無くて
霜月より
春へかけては
突羽根の
内職、
夏は
檢査塲の
氷屋が
手傳ひして、
呼聲をかしく
客を
引くに
上手なれば、
人には
調法がられぬ、
去年は
仁和賀の
[#「仁和賀」は底本では「仁賀和」]臺引きに
出しより、
友達いやしがりて
萬年町の
呼名今に
殘れども、三五
郎といへば
滑稽者と
承知して
憎くむ
者の
無きも一
徳なりし、
田中屋は
我が
命の
綱、
親子が
蒙むる
御恩すくなからず、
日歩とかや
言ひて
利金安からぬ
借りなれど、これなくてはの
金主樣あだには
思ふべしや、三
公己れが
町へ
遊びに
來いと
呼ばれて
嫌やとは
言はれぬ
義理あり、されども
我れは
横町に
生れて
横町に
育ちたる
身、
住む
地處に
龍華寺のもの、
家主が
長吉が
親なれば、
表むき
彼方に
背く
事かなはず、
内々に
此方の
用をたして、にらまるゝ
時の
役廻りつらし。
正太は
筆やの
店へ
腰をかけて、
待つ
間のつれ/″\に
忍ぶ
戀路を
小聲にうたへば、あれ
由斷がならぬと
内儀さまに
笑はれて、
何がなしに
耳の
根あかく、まぢくないの
高聲に
皆も
來いと
呼つれて
表へ
驅け
出す
出合頭、
正太は
夕飯なぜ
喰べぬ、
遊びに
耄けて
先刻にから
呼ぶをも
知らぬか、
誰樣も
又のちほど
遊ばせて
下され、これは
御世話と
筆やの
妻にも
挨拶して、
祖母が
自からの
迎ひに
正太いやが
言はれず、
其まゝ
連れて
歸らるゝあとは
俄かに
淋しく、
人數は
左のみ
變らねど
彼の
子が
見えねば
大人までも
寂しい、
馬鹿さわぎもせねば
串談も三ちやんの
樣では
無けれど、
人好きのするは
金持の
息子さんに
珍らしい
愛敬、
何と
御覽じたか
田中屋の
後家さまがいやらしさを、あれで
年は六十四、
白粉をつけぬがめつけ
物なれど
丸髷の
大きさ、
猫なで
聲して
人の
死ぬをも
搆はず、
大方臨終は
金と
情死なさるやら、
夫れでも
此方どもの
頭の
上らぬは
彼の
物の
御威光、さりとは
欲しや、
廓内の
大きい
樓にも
大分の
貸付があるらしう
聞きましたと、
大路に
立ちて二三
人の
女房よその
財産を
數へぬ。
待つ
身につらき
夜半の
置炬燵、それは
戀ぞかし、
吹風すゞしき
夏の
夕ぐれ、ひるの
暑さを
風呂に
流して、
身じまいの
姿見、
母親が
手づからそゝけ
髮つくろひて、
我が
子ながら
美くしきを
立ちて
見、
居て
見、
首筋が
薄かつたと
猶ぞいひける、
單衣は
水色友仙の
凉しげに、
白茶金らんの
丸帶少し
幅の
狹いを
結ばせて、
庭石に
下駄直すまで
時は
移りぬ。まだかまだかと
塀の
廻りを七
度び
廻り、
欠伸の
數も
盡きて、
拂ふとすれど
名物の
蚊に
首筋額ぎわ
したゝか螫れ、三五
郎弱りきる
時、
美登利立出でゝいざと
言ふに、
此方は
言葉もなく
袖を
捉へて
驅け
出せば、
息がはづむ、
胸が
痛い、そんなに
急ぐならば
此方は
知らぬ、お
前一人でお
出と
怒られて、
別れ
別れの
到着、
筆やの
店へ
來し
時は
正太が
夕飯の
最中とおぼえし。あゝ
面白くない、おもしろくない、
彼の
人が
來なければ
幻燈をはじめるのも
嫌、
伯母さん
此處の
家に
智惠の
板は
賣りませぬか、十六
武藏でも
何でもよい、
手が
暇で
困ると
美登利の
淋しがれば、
夫れよと
即坐に
鋏を
借りて
女子づれは
切拔きにかゝる、
男は三五
郎を
中に
仁和賀のさらひ、
北廓全盛見わたせば、
軒は
提燈電氣燈、いつも
賑ふ五
丁町、と
諸聲をかしくはやし
立つるに、
記憶のよければ
去年一昨年とさかのぼりて、
手振手拍子ひとつも
變る
事なし、うかれ
立たる十
人あまりの
騷ぎなれば
何事と
門に
立ちて
人垣をつくりし
中より。三五
郎は
居るか、
一寸來くれ
大急ぎだと、
文次といふ
元結よりの
呼に、
何の
用意もなくおいしよ、よし
來と
身がるに
敷居を
飛こゆる
時、
此二タ
股野郎覺悟をしろ、
横町の
面よごしめ
唯は
置かぬ、
誰だと
思ふ
長吉だ
生ふざけた
眞似をして
後悔するなと
頬骨一
撃、あつと
魂消て
逃入る
襟がみを、つかんで
引出す
横町の一むれ、それ三五
郎をたゝき
殺せ、
正太を
引出してやつて
仕舞へ、
弱虫にげるな、
團子屋の
頓馬も
唯は
置ぬと
潮のやうに
沸かへる
騷ぎ、
筆屋が
軒の
掛提燈は
苦もなくたゝき
落されて、
釣らんぷ
危なし
店先の
喧嘩なりませぬと
女房が
喚きも
聞ばこそ、
人數は
大凡十四五
人、ねぢ
鉢卷に
大萬燈ふりたてゝ、
當るがまゝの
亂暴狼藉、
土足に
踏込む
傍若無人、
目ざす
敵の
正太が
見えねば、
何處へ
隱した、
何處へ
逃げた、さあ
言はぬか、
言はぬか、
言はさずに
置く
物かと三五
郎を
取こめて
撃つやら
蹴るやら、
美登利くやしく
止める
人を
掻きのけて、これお
前がたは三ちやんに
何の
咎がある、
正太さんと
喧嘩がしたくば
正太さんとしたが
宜い、
逃げもせねば
隱くしもしない、
正太さんは
居ぬでは
無いか、
此處は
私が
遊び
處、お
前がたに
指でもさゝしはせぬ、ゑゝ
憎くらしい
長吉め、三ちやんを
何故ぶつ、あれ
又引たほした、
意趣があらば
私をお
撃ち、
相手には
私がなる、
伯母さん
止めずに
下されと
身もだへして
罵れば、
何を
女郎め
頬桁たゝく、
姉の
跡つぎの
乞食め、
手前の
相手にはこれが
相應だと
多人數のうしろより
長吉、
泥草鞋つかんで
投つければ、ねらひ
違はず
美登利が
額際にむさき
物したゝか、
血相かへて
立あがるを、
怪我でもしてはと
抱きとむる
女房、ざまを
見ろ、
此方には
龍華寺の
藤本がついて
居るぞ、
仕かへしには
何時でも
來い、
薄馬鹿野郎め、
弱虫め、
腰ぬけの
活地なしめ、
歸りには
待伏せする、
横町の
闇に
氣をつけろと三五
郎を
土間に
投出せば、
折から
靴音たれやらが
交番への
注進今ぞしる、それと
長吉聲をかくれば
丑松文次その
余の十
餘人、
方角をかへてばら/\と
逃足はやく、
※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、105-15]け
裏の
露路にかゞむも
有るべし、
口惜しいくやしい
口惜しい
口惜しい、
長吉め
文次め
丑松め、なぜ
己れを
殺さぬ、
殺さぬか、
己れも三五
郎だ
唯死ぬものか、
幽靈になつても
取殺すぞ、
覺えて
居ろ
長吉めと
湯玉のやうな
涙をはら/\、はては
大聲にわつと
泣き
出す、
身内や
痛からん
筒袖の
處々引さかれて
背中も
腰も
砂まぶれ、
止めるにも
止めかねて
勢ひの
悽まじさに
唯おど/\と
氣を
呑まれし、
筆やの
女房走り
寄りて
抱きおこし、
背中をなで
砂を
拂ひ、
堪忍をし、
堪忍をし、
何と
思つても
先方は
大勢、
此方は
皆よわい
者ばかり、
大人でさへ
手が
出しかねたに
叶はぬは
知れて
居る、
夫れでも
怪我のないは
仕合、
此上は
途中の
待ぶせが
危ない、
幸ひの
巡査さまに
家まで
見て
頂かば
我々も
安心、
此通りの
子細で
御座ります
故と
筋をあら/\
折からの
巡査に
語れば、
職掌がらいざ
送らんと
手を
取らるゝに、いゑ/\
送つて
下さらずとも
歸ります、
一人で
歸りますと
小さく
成るに、こりや
怕い
事は
無い、
其方の
家まで
送る
分の
事、
心配するなと
微笑を
含んで
頭を
撫でらるゝに
彌々ちゞみて、
喧嘩をしたと
言ふと
親父さんに
叱かられます、
頭の
家は
大屋さんで
御座りますからとて
凋れるをすかして、さらば
門口まで
送つて
遣る、
叱からるゝやうの
事は
爲ぬわとて
連れらるゝに
四隣の
人胸を
撫でゝはるかに
見送れば、
何とかしけん
横町の
角にて
巡査の
手をば
[#「手をば」は底本では「手をは」]振はなして一
目散に
逃げぬ。
めづらしい
事、
此炎天に
雪が
降りはせぬか、
美登利が
學校を
嫌やがるはよく/\の
不機嫌、
朝飯がすゝまずば
後刻に
鮨でも
誂へようか、
風邪にしては
熱も
無ければ
大方きのふの
疲れと
見える、
太郎樣への
朝參りは
母さんが
代理してやれば
御免こふむれとありしに、いゑ/\
姉さんの
繁昌するやうにと
私が
願をかけたのなれば、
參らねば
氣が
濟まぬ、お
賽錢下され
行つて
來ますと
家を
驅け
出して、
中田圃の
稻荷に
鰐口ならして
手を
合せ、
願ひは
何ぞ
行きも
歸りも
首うなだれて
畔道づたひ
歸り
來る
美登利が
姿、それと
見て
遠くより
聲をかけ、
正太はかけ
寄りて
袂を
押へ、
美登利さん
昨夕は
御免よと
突然にあやまれば、
何もお
前に
謝罪られる
事は
無い。
夫れでも
己れが
憎くまれて、
己れが
喧嘩の
相手だもの、お
祖母さんが
呼びにさへ
來なければ
歸りはしない、そんなに
無暗に三五
郎をも
撃たしはしなかつた
物を、
今朝三五
郎の
處へ
見に
行つたら、
彼奴も
泣いて
口惜しがつた、
己れは
聞いてさへ
口惜しい、お
前の
顏へ
長吉め
草履を
投げたと
言ふでは
無いか、
彼の
野郎亂暴にもほどがある、だけれど
美登利さん
堪忍してお
呉れよ、
己れは
知りながら
逃げて
居たのでは
無い、
飯を
掻込んで
表へ
出やうとするとお
祖母さんがお
湯に
行くといふ、
留守居をして
居るうちの
騷ぎだらう、
本當に
知らなかつたのだからねと、
我が
罪のやうに
平あやまりに
謝罪て、
痛みはせぬかと
額際を
見あげれば、
美登利につこり
笑ひて
何負傷をするほどでは
無い、
夫れだが
正さん
誰れが
聞いても
私が
長吉に
草履を
投げられたと
言つてはいけないよ、もし
萬一お
母さんが
聞きでもすると
私が
叱かられるから、
親でさへ
頭に
手はあげぬものを、
長吉づれが
草履の
泥を
額にぬられては
踏まれたも
同じだからとて、
背ける
顏のいとをしく、
本當に
堪忍しておくれ、みんな
己れが
惡るい、だから
謝る、
機嫌を
直して
呉れないか、お
前に
怒られると
己れが
困るものをと
話しつれて、いつしか
我家の
裏近く
來れば、
寄らないか
美登利さん、
誰れも
居はしない、
祖母さんも
日がけを
集めに
出たらうし、
己ればかりで
淋しくてならない、いつか
話した
錦繪を
見せるからお
寄りな、
種々のがあるからと
袖を
捉らへて
離れぬに、
美登利は
無言にうなづいて、
佗びた
折戸の
庭口より
入れば、
廣からねども、
鉢ものをかしく
並びて、
軒につり
忍艸、これは
正太が
午の
日の
買物と
見えぬ、
理由しらぬ
人は
小首やかたぶけん。
町内一の
財産家といふに、
家内は
祖母と
此子二人、
萬の
鍵に
下腹冷えて
留守は
見渡しの
總長屋、
流石に
錠前くだくもあらざりき、
正太は
先へあがりて
風入りのよき
塲處を
見たてゝ、
此處へ
來ぬかと
團扇の
氣あつかひ、十三の
子供にはませ
過ぎてをかし。
古くより
持つたへし
錦繪かず/\
取出し、
褒めらるゝを
嬉しく
美登利さん
昔しの
羽子板を
見せよう、これは
己れの
母さんがお
邸に
奉公して
居る
頃いたゞいたのだとさ、をかしいでは
無いか
此大きい
事、
人の
顏も
今のとは
違ふね、あゝ
此母さんが
生きて
居ると
宜いが、
己れが三つの
歳死んで、お
父さんは
在るけれど
田舍の
實家へ
歸つて
仕舞たから
今は
祖母さんばかりさ、お
前は
浦山しいねと
無端に
親の
事を
言ひ
出せば、それ
繪がぬれる、
男が
泣く
物では
無いと
美登利に
言はれて、
己れは
氣が
弱いのかしら、
時々種々の
事を
思ひ
出すよ、まだ
今時分は
宜いけれど、
冬の
月夜なにかに
田町あたりを
集めに
廻ると
土手まで
來て
幾度も
泣いた
事がある、
何さむい
位で
泣きはしない、
何故だか
自分も
知らぬが
種々の
事を
考へるよ、あゝ
一昨年から
己れも
日がけの
集めに
廻るさ、
祖母さんは
年寄りだから
其うちにも
夜るは
危ないし、
目が
惡るいから
印形を
押たり
何かに
不自由だからね、
今まで
幾人も
男を
使つたけれど、
老人に
子供だから
馬鹿にして
思ふやうには
動いて
呉れぬと
祖母さんが
言つて
居たつけ、
己れが
最う
少し
大人に
成ると
質屋を
出さして、
昔しの
通りでなくとも
田中屋の
看板をかけると
樂しみにして
居るよ、
他處の
人は
祖母さんを
吝だと
言ふけれど、
己れの
爲に
儉約して
呉れるのだから
氣の
毒でならない、
集金に
行くうちでも
通新町や
何かに
隨分可愛想なのが
有るから、
嘸お
祖母さんを
惡るくいふだらう、
夫れを
考へると
己れは
涙がこぼれる、
矢張り
氣が
弱いのだね、
今朝も三
公の
家へ
取りに
行つたら、
奴め
身體が
痛い
癖に
親父に
知らすまいとして
働いて
居た、
夫れを
見たら
己れは
口が
利けなかつた、
男が
泣くてへのは
可笑しいでは
無いか、だから
横町の
野蕃漢に
馬鹿にされるのだと
言ひかけて
我が
弱いを
恥かしさうな
顏色、
何心なく
美登利と
見合す
目つまの
可愛さ。お
前の
祭の
姿は
大層よく
似合つて
浦山[#ルビの「うらやま」は底本では「らやま」]しかつた、
私も
男だと
彼んな
風がして
見たい、
誰れのよりも
宜く
見えたと
賞められて、
何だ
己れなんぞ、お
前こそ
美くしいや、
廓内の
大卷さんよりも
奇麗だと
皆がいふよ、お
前が
姉であつたら
己れは
何樣に
肩身が
廣かろう、
何處へゆくにも
追從て
行つて
大威張りに
威張るがな、
一人も
兄弟が
無いから
仕方が
無い、ねへ
美登利さん
今度一
處に
寫眞を
取らないか、
我れは
祭りの
時の
姿で、お
前は
透綾のあら
縞で
意氣な
形をして、
水道尻の
加藤でうつさう、
龍華寺の
奴が
浦山しがるやうに、
本當だぜ
彼奴は
屹度怒るよ、
眞青に
成つて
怒るよ、にゑ
肝だからね、
赤くはならない、
夫れとも
笑ふかしら、
笑はれても
構はない、
大きく
取つて
看板に
出たら
宜いな、お
前は
嫌やかへ、
嫌やのやうな
顏だものと
恨めるもをかしく、
變な
顏にうつるとお
前に
嫌らはれるからとて
[#「嫌らはれるからとて」はママ]美登利ふき
出して、
高笑ひの
美音に
御機嫌や
直りし。
朝冷はいつしか
過ぎて
日かげの
暑くなるに、
正太さん
又晩によ、
私の
寮へも
遊びにお
出でな、
燈籠ながして、お
魚追ひますよ、
池の
橋が
直つたれば
怕い
事は
無いと
言ひ
捨てに
立出る
美登利の
姿、
正太うれしげに
見送つて
美くしと
思ひぬ。
龍華寺の
信如、
大黒屋の
美登利、
二人ながら
學校は
育英舍なり、
去りし四
月の
末つかた、
櫻は
散りて
青葉のかげに
藤の
花見といふ
頃、
春季の
大運動會とて
水の
谷の
原にせし
事ありしが、つな
引、
鞠なげ、
繩とびの
遊びに
興をそへて
長き
日の
暮るゝを
忘れし、
其折の
事とや、
信如いかにしたるか
平常の
沈着に
似ず、
池のほとりの
松が
根につまづきて
赤土道に
手をつきたれば、
羽織の
袂も
泥に
成りて
見にくかりしを、
居あはせたる
美登利みかねて
我が
紅の
絹はんけちを
取出し、これにてお
拭きなされと
介抱をなしけるに、
友達の
中なる
嫉妬や
見つけて、
藤本は
坊主のくせに
女と
話をして、
嬉しさうに
禮を
言つたは
可笑しいでは
無いか、
大方美登利さんは
藤本の
女房になるのであらう、お
寺の
女房なら
大黒さまと
言ふのだなどゝ
取沙汰しける、
信如元來かゝる
事を
人の
上に
聞くも
嫌ひにて、
苦き
顏をして
横を
向く
質なれば、
我が
事として
我慢のなるべきや、
夫れよりは
美登利といふ
名を
聞くごとに
恐ろしく、
又あの
事を
言ひ
出すかと
胸の
中もやくやして、
何とも
言はれぬ
厭やな
氣持なり、さりながら
事ごとに
怒りつける
譯にもゆかねば、
成るだけは
知らぬ
體をして、
平氣をつくりて、むづかしき
顏をして
遣り
過ぎる
心なれど、さし
向ひて
物などを
問はれたる
時の
當惑さ、
大方は
知りませぬの一ト
言にて
濟ませど、
苦しき
汗の
身うちに
流れて
心ぼそき
思ひなり、
美登利はさる
事も
心にとまらねば、
最初は
藤本さん
藤本さんと
親しく
物いひかけ、
學校退けての
歸りがけに、
我れは一
足はやくて
道端に
珍らしき
花などを
見つくれば、おくれし
信如を
待合して、これ
此樣うつくしい
花が
咲てあるに、
枝が
高くて
私には
折れぬ、
信さんは
脊が
高ければお
手が
屆きましよ、
後生折つて
下されと一むれの
中にては
年長なるを
見つけて
頼めば、
流石に
信如袖ふり
切りて
行すぎる
事もならず、さりとて
人の
思はくいよ/\
愁らければ、
手近の
枝を
引寄せて
好惡かまはず
申譯ばかりに
折りて、
投つけるやうにすたすたと
行過ぎるを、さりとは
愛敬の
無き
人と
惘れし
事も
有しが、
度かさなりての
末には
自ら
故意の
意地惡のやうに
思はれて、
人には
左もなきに
我れにばかり
愁らき
處爲をみせ、
物を
問へば
碌な
返事した
事なく、
傍へゆけば
逃げる、はなしを
爲れば
怒る、
陰氣らしい
氣のつまる、どうして
好いやら
機嫌の
取りやうも
無い、
彼のやうなこ六づかしやは
思ひのまゝに
捻れて
怒つて
意地はるが
爲たいならんに、
友達と
思はずは
口を
利くも
入らぬ
事と
美登利少し
疳にさはりて、
用の
無ければ
摺れ
違ふても
物いふた
事なく、
途中に
逢ひたりとて
挨拶など
思ひもかけず、
唯いつとなく
二人の
中に
大川一つ
横たはりて、
舟も
筏も
此處には
御法度、
岸に
添ふておもひおもひの
道をあるきぬ。
祭りは
昨日に
過ぎて
其あくる
日より
美登利の
學校へ
通ふ
事ふつと
跡たえしは、
問ふまでも
無く
額の
泥の
洗ふても
消えがたき
恥辱を、
身にしみて
口惜しければぞかし、
表町とて
横町とて
同じ
教塲におし
並べば
朋輩に
變りは
無き
筈を、をかしき
分け
隔てと
常日頃意地を
持ち、
我れは
女の、とても
敵ひがたき
弱味をば
付目にして、まつりの
夜の
處爲はいかなる
卑怯ぞや、
長吉のわからずやは
誰れも
知る
亂暴の
上なしなれど、
信如の
尻おし
無くは
彼れほどに
思ひ
切りて
表町をば
暴し
得じ、
人前をば
物識らしく
温順につくりて、
陰に
廻りて
機械の
糸を
引きしは
藤本の
仕業に
極まりぬ、よし
級は
上にせよ、
學は
出來るにせよ、
龍華寺さまの
若旦那にせよ、
大黒屋の
美登利紙一
枚のお
世話にも
預からぬ
物を、あのやうに
乞食呼はりして
貰ふ
恩は
無し、
龍華寺は
何ほど
立派な
檀家ありと
知らねど、
我が
姉さま三
年の
馴染に
銀行の
川樣、
兜町の
米樣もあり、
議員の
短小さま
根曳して
奧さまにと
仰せられしを、
心意氣氣に
入らねば
姉さま
嫌ひてお
受けはせざりしが、
彼の
方とても
世には
名高きお
人と
遣手衆の
言はれし、
嘘ならば
聞いて
見よ、
大黒やに
大卷の
居ずば
彼の
樓は
闇とかや、さればお
店の
旦那とても
父さん
母さん
我が
身をも
粗略には
遊ばさず、
常々大切がりて
床の
間にお
据へなされし
瀬戸物の
大黒樣をば、
我れいつぞや
坐敷の
中にて
羽根つくとて
騷ぎし
時、
同じく
並びし
花瓶を
仆し、
散々に
破損をさせしに、
旦那次の
間に
御酒めし
上りながら、
美登利お
轉婆が
過ぎるのと
言はれしばかり
小言は
無かりき、
他の
人ならば一
通りの
怒りでは
有るまじと、
女子衆達にあと/\まで
羨まれしも
必竟は
姉さまの
威光ぞかし、
我れ
寮住居に
人の
留守居はしたりとも
姉は
大黒屋の
大卷、
長吉風情に
負けを
取るべき
身にもあらず、
龍華寺の
坊さまにいぢめられんは
心外と、これより
學校へ
通ふ
事おもしろからず、
我まゝの
本性あなどられしが
口惜しさに、
石筆を
折り
墨をすて、
書物も
十露盤も
入らぬ
物にして、
中よき
友と
埓も
無く
遊びぬ。
走れ
飛ばせの
夕べに
引かへて、
明けの
別れに
夢をのせ
行く
車の
淋しさよ、
帽子まぶかに
人目を
厭ふ
方樣もあり、
手拭とつて
頬かぶり、
彼女が
別れに
名殘の一
撃、いたさ
身にしみて
思ひ
出すほど
嬉しく、うす
氣味わるやにたにたの
笑ひ
顏、
坂本へ
出ては
用心し
給へ
千住がへりの
青物車にお
足元あぶなし、三
島樣の
角までは
氣違ひ
街道、
御顏のしまり
何れも
緩るみて、はゞかりながら
御鼻の
下なが/\と
見えさせ
玉へば、そんじよ
其處らに
夫れ
大した
御男子樣とて、
分厘の
價値も
無しと、
辻に
立ちて
御慮外を
申もありけり。
楊家の
娘君寵をうけてと
長恨歌を
引出すまでもなく、
娘の
子は
何處にも
貴重がらるゝ
頃なれど、
此あたりの
裏屋より
赫奕姫の
生るゝ
事その
例多し、
築地の
某屋に
今は
根を
移して
御前さま
方の
御相手、
踊りに
妙を
得し
雪といふ
美形、
唯今のお
座敷にてお
米のなります
木はと
至極あどけなき
事は
申とも、もとは
此所の
卷帶黨にて
花がるたの
内職せしものなり、
評判は
其頃に
高く
去るもの
日々に
踈ければ、
名物一つかげを
消して二
度目の
花は
紺屋の
乙娘、
今千束町に
新つた
屋の
御神燈ほのめかして、
小吉と
呼ばるゝ
公園の
尤物も
根生ひは
同じ
此處の
土成し、あけくれの
噂にも
御出世といふは
女に
限りて、
男は
塵塚さがす
黒斑の
尾の、ありて
用なき
物とも
見ゆべし、
此界隈に
若い
衆と
呼ばるゝ
町並の
息子、
生意氣ざかりの十七八より五
人組七
人組、
腰に
尺八の
伊達はなけれど、
何とやら
嚴めしき
名の
親分が
手下につきて、
揃ひの
手ぬぐひ
長提燈、
賽ころ
振る
事おぼえぬうちは
素見の
格子先に
思ひ
切つての
串談も
言ひがたしとや、
眞面目につとむる
我が
家業は
晝のうちばかり、一
風呂浴びて
日の
暮れゆけば
突かけ
下駄に七五三の
着物、
何屋の
店の
新妓を
見たか、
金杉の
糸屋が
娘に
似て
最う一
倍鼻がひくいと、
頭腦の
中を
此樣な
事にこしらへて一
軒ごとの
格子に
烟草の
無理どり
鼻紙の
無心、
打ちつ
打たれつ
是れを一
世の
譽と
心得れば、
堅氣の
家の
相續息子地廻りと
改名して、
大門際に
喧嘩かひと
出るもありけり、
見よや
女子の
勢力と
言はぬばかり、
春秋しらぬ五
丁町の
賑ひ、
送りの
提燈いま
流行らねど、
茶屋が
廻女の
雪駄のおとに
響き
通へる
歌舞音曲うかれうかれて
入込む
人の
何を
目當と
言問はゞ、
赤ゑり
赭熊に
裲襠の
裾ながく、につと
笑ふ
口元目もと、
何處が
美いとも
申がたけれど
華魁衆とて
此處にての
敬ひ、
立はなれては
知るによしなし、かゝる
中にて
朝夕を
過ごせば、
衣の
白地の
紅に
染む
事無理ならず、
美登利の
眼の
中に
男といふ
者さつても
怕からず
恐ろしからず、
女郎といふ
者さのみ
賤しき
勤めとも
思はねば、
過ぎし
故郷を
出立の
當時ないて
姉をば
送りしこと
夢のやうに
思はれて、
今日此頃の
全盛に
父母への
孝養うらやましく、お
職を
徹す
姉が
身の、
憂いの
愁らいの
數も
知らねば、まち
人戀ふる
鼠なき
格子の
呪文、
別れの
背中に
手加※[#「冫+咸」、U+51CF、113-2]の
秘密まで、
唯おもしろく
聞なされて、
廓ことばを
町にいふまで
去りとは
耻かしからず
思へるも
哀なり、
年はやう/\
數への十四、
人形抱いて
頬ずりする
心は
御華族のお
姫樣とて
變りなけれど、
修身の
講義、
家政學のいくたても
學びしは
[#「學びしは」は底本では「學びしぞ」]學校にてばかり、
誠あけくれ
耳に
入りしは
好いた
好かぬの
客の
風説、
仕着せ
積み
夜具茶屋への
行わたり、
派手は
美事に、かなはぬは
見すぼらしく、
人事我事分別をいふはまだ
早し、
幼な
心に
目の
前の
花のみはしるく、
持まへの
負けじ
氣性は
勝手に
馳せ
廻りて
雲のやうな
形をこしらへぬ、
氣違ひ
街道、
寢ぼけ
道、
朝がへりの
殿がた一
順すみて
朝寢の
町も
門の
箒目青海波をゑがき、
打水よきほどに
濟みし
表町の
通りを
見渡せば、
來るは
來るは、
萬年町山伏町、
新谷町あたりを
塒にして、一
能一
術これも
藝人の
名はのがれぬ、よか/\
飴や
輕業師、
人形つかひ
大神樂、
住吉をどりに
角兵衞獅子、おもひおもひの
扮粧して、
縮緬透綾の
伊達もあれば、
薩摩がすりの
洗ひ
着に
黒繻子の
幅狹帶、よき
女もあり
男もあり、五
人七
人十
人一
組の
大たむろもあれば、一
人淋しき
痩せ
老爺の
破れ
三味線かゝへて
行くもあり、六つ五つなる
女の
子に
赤※[#「ころもへん+攀」、U+897B、113-12]させて、あれは
紀の
國おどらするも
見ゆ、お
顧客は
廓内に
居つゞけ
客のなぐさみ、
女郎の
憂さ
晴らし、
彼處に
入る
身の
生涯やめられぬ
得分ありと
知られて、
來るも
來るも
此處らの
町に
細かしき
貰ひを
心に
止めず、
裾に
海草のいかゞはしき
乞食さへ
門には
立たず
行過るぞかし、
容貌よき
女太夫の
笠にかくれぬ
床しの
頬を
見せながら、
喉自慢、
腕自慢、あれ
彼の
聲を
此町には
聞かせぬが
憎くしと
筆やの
女房舌うちして
言へば、
店先に
腰をかけて
往來を
眺めし
湯がへりの
美登利、はらりと
下る
前髮の
毛を
黄楊の
櫛にちやつと
掻きあげて、
伯母さんあの
太夫さん
呼んで
來ませうとて、はたはた
驅けよつて
袂にすがり、
投げ
入れし一
品を
誰れにも
笑つて
告げざりしが
好みの
明烏さらりと
謠はせて、
又御贔負をの
嬌音これたやすくは
買ひがたし、
彼れが
子供の
處業かと
寄集りし
人舌を
卷いて
太夫よりは
美登利の
顏を
眺めぬ、
伊達には
通るほどの
藝人を
此處にせき
止めて、
三味の
音、
笛の
音、
太皷の
音、うたはせて
舞はせて
人の
爲ぬ
事して
見たいと
折ふし
正太に

いて
聞かせれば、
驚いて
呆れて
己らは
嫌やだな。
如是我聞、
佛説阿彌陀經、
聲は
松風に
和して
心のちりも
吹拂はるべき
御寺樣の
庫裏より
生魚あぶる
烟なびきて、
卵塔塲に
嬰兒の
襁褓ほしたるなど、お
宗旨によりて
搆ひなき
事なれども、
法師を
木のはしと
心得たる
目よりは、そゞろに
腥く
覺ゆるぞかし、
龍華寺の
大和尚身代と
共に
肥へ
太りたる
腹なり
如何にも
美事に、
色つやの
好きこと
如何なる
賞め
言葉を
參らせたらばよかるべき、
櫻色にもあらず、
緋桃の
花でもなし、
剃りたてたる
頭より
顏より
首筋にいたるまで
銅色の
照りに一
點のにごりも
無く、
白髮もまじる
太き
眉をあげて
心まかせの
大笑ひなさるゝ
時は、
本堂の
如來さま
驚きて
臺座より
轉び
落給はんかと
危ぶまるゝやうなり、
御新造はいまだ四十の
上の
幾らも
越さで、
色白に
髮の
毛薄く、
丸髷も
小さく
結ひて
見ぐるしからぬまでの
人がら、
參詣人へも
愛想よく
門前の
花屋が
口惡る
嚊も
兎角の
蔭口を
言はぬを
見れば、
着ふるしの
浴衣、
總菜のお
殘りなどおのずからの
御恩も
蒙るなるべし、もとは
檀家の一
人成しが
早くに
良人を
失なひて
寄る
邊なき
身の
暫時こゝにお
針やとひ
同樣、
口さへ
濡らさせて
下さらばとて
洗ひ
濯ぎよりはじめてお
菜ごしらへは
素よりの
事、
墓塲の
掃除に
男衆の
手を
助くるまで
働けば、
和尚さま
經濟より
割出しての
御不憫かゝり、
年は二十から
違うて
見ともなき
事は
女も
心得ながら、
行き
處なき
身なれば
結句よき
死塲處と
人目を
恥ぢぬやうに
成りけり、にが/\しき
事なれども
女の
心だて
惡るからねば
檀家の
者も
左のみは
咎めず、
總領の
花といふを
懷胎し
頃、
檀家の
中にも
世話好きの
名ある
坂本の
油屋が
隱居さま
仲人といふも
異な
物なれど
進めたてゝ
表向きのものにしける、
信如も
此人の
腹より
生れて
男女二人の
同胞、
一人は
如法の
變屈ものにて一
日部屋の
中にまぢ/\と
陰氣らしき
生れなれど、
姉のお
花は
皮薄の二
重腮かわゆらしく
出來たる
子なれば、
美人といふにはあらねども
年頃といひ
人の
評判もよく、
素人にして
捨てゝ
置くは
惜しい
物の
中に
加へぬ、さりとてお
寺の
娘に
左り
褄、お
釋迦が
三味ひく
世は
知らず
人の
聞え
少しは
憚かられて、
田町の
通りに
葉茶屋の
店を
奇麗にしつらへ、
帳塲格子のうちに
此娘を
据へて
愛敬を
賣らすれば、
秤りの
目は
兎に
角勘定しらずの
若い
者など、
何がなしに
寄つて
大方毎夜十二
時を
聞くまで
店に
客のかげ
絶えたる
事なし、いそがしきは
大和尚、
貸金の
取たて、
店への
見廻り、
法用のあれこれ、
月の
幾日は
説教日の
定めもあり
帳面くるやら
經よむやら
斯くては
身體のつゞき
難しと
夕暮れの
縁先に
花むしろを
敷かせ、
片肌ぬぎに
團扇づかひしながら
大盃に
泡盛をなみ/\と
注がせて、さかなは
好物の
蒲燒を
表町のむさし
屋へあらい
處をとの
誂へ、
承りてゆく
使ひ
番は
信如の
役なるに、
其嫌やなること
骨にしみて、
路を
歩くにも
上を
見し
事なく、
筋向ふの
筆やに
子供づれの
聲を
聞けば
我が
事を
誹らるゝかと
情なく、そしらぬ
顏に
鰻屋の
[#「鰻屋の」は底本では「饅屋の」]門を
過ぎては
四邊に
人目の
隙をうかゞひ、
立戻つて
駈け
入る
時の
心地、
我身限つて
腥きものは
食べまじと
思ひぬ。
父親和尚は
何處までもさばけたる
人にて、
少しは
欲深の
名にたてども
人の
風説に
耳をかたぶけるやうな
小膽にては
無く、
手の
暇あらば
熊手の
内職もして
見やうといふ
氣風なれば、
霜月の
酉には
論なく
門前の
明地に
簪の
店を
開き、
御新造に
手拭ひかぶらせて
縁喜の
宜いのをと
呼ばせる
趣向、はじめは
恥かしき
事に
思ひけれど、
軒ならび
素人の
手業にて
莫大の
儲けと
聞くに、
此雜沓の
中といひ
誰れも
思ひ
寄らぬ
事なれば
日暮れよりは
目にも
立つまじと
思案して、
晝間は
花屋の
女房に
手傳はせ、
夜に
入りては
自身をり
立て
呼たつるに、
欲なれやいつしか
恥かしさも
失せて、
思はず
聲だかに
負ましよ
負ましよと
趾を
追ふやうに
成りぬ、
人波にのまれて
買手も
眼の
眩みし
折なれば、
現在後世ねがひに
一昨日來たりし
門前も
忘れて、
簪三
本七十五
錢と
懸直すれば、五
本ついたを三
錢ならばと
直切つて
行く、
世はぬば
玉[#ルビの「たま」は底本では「だま」]の
闇の
儲はこのほかにも
有るべし、
信如は
斯かる
事どもいかにも
心ぐるしく、よし
檀家の
耳には
入らずとも
近邊の
人々が
思はく、
子供中間の
噂にも
龍華寺では
簪の
店を
出して、
信さんが
母さんの
狂氣顏して
賣つて
居たなどゝ
言はれもするやと
恥かしく、
其樣な
事は
止しにしたが
宜う
御座りませうと
止めし
事も
有りしが、
大和尚大笑ひに
笑ひすてゝ、
默つて
居ろ、
默つて
居ろ、
貴樣などが
知らぬ
事だわとて
丸々相手にしては
呉れず、
朝念佛に
夕勘定、そろばん
手にしてにこ/\と
遊ばさるゝ
顏つきは
我親ながら
淺ましくして、
何故その
頭は
丸め
給ひしぞと
恨めしくも
成りぬ。
元來一
腹一
對の
中に
育ちて
他人交ぜずの
穩かなる
家の
内なれば、さして
此兒を
陰氣ものに
仕立あげる
種は
無けれども、
性來をとなしき
上に
我が
言ふ
事の
用ひられねば
兎角に
物のおもしろからず、
父が
仕業も
母の
處作も
姉の
教育も、
悉皆あやまりのやうに
思はるれど
言ふて
聞かれぬ
物ぞと
諦めればうら
悲しき
樣に
情なく、
友朋輩は
變屈者の
意地わると
目ざせども
自ら
沈み
居る
心の
底の
弱き
事、
我が
蔭口を
露ばかりもいふ
者ありと
聞けば、
立出でゝ
喧嘩口論の
勇氣もなく、
部屋にとぢ
籠つて
人に
面の
合はされぬ
憶病至極の
[#「憶病至極の」はママ]身なりけるを、
學校にての
出來ぶりといひ
身分がらの
卑しからぬにつけても
然る
弱虫とは
知る
物なく、
龍華寺の
藤本は
生煮えの
餠のやうに
眞があつて
氣に
成る
奴と
憎くがるものも
有りけらし。
祭りの
夜は
田町の
姉のもとへ
使ひを
吩附られて、
更るまで
我家へ
歸らざりければ、
筆やの
騷ぎは
夢にも
知らず、
明日に
成りて
丑松文次その
外の
口よりこれ/\で
有つたと
傳へらるゝに、
今更ながら
長吉の
亂暴に
驚けども
濟みたる
事なれば
咎めだてするも
詮なく、
我が
名を
借りられしばかりつく/″\
迷惑に
思はれて、
我が
爲したる
事ならねど
人々への
氣の
毒を
身一つに
背負たる
樣の
思ひありき、
長吉も
少しは
我が
遣りそこねを
恥かしう
思ふかして、
信如に
逢はゞ
小言や
聞かんと
其三四
日は
姿も
見せず、やゝ
餘炎のさめたる
頃に
信さんお
前は
腹を
立つか
知らないけれど
時の
拍子だから
堪忍して
置いて
呉んな、
誰れもお
前正太が
明巣とは
知るまいでは
無いか、
何も
女郎の一
疋位相手にして三五
郎を
擲りたい
事も
無かつたけれど、
萬燈を
振込んで
見りやあ
唯も
歸れない、ほんの
附景氣に
詰らない
事をしてのけた、
夫りやあ
己れが
何處までも
惡るいさ、お
前の
命令を
聞かなかつたは
惡るからうけれど、
今怒られては
法なしだ、お
前といふ
後だてが
有るので
己らあ
大舟に
乘つたやうだに、
見すてられちまつては
困るだらうじや
無いか、
嫌やだとつても
此組の
大將で
居てくんねへ、
左樣どぢ
計は
組まないからとて
面目なさゝうに
謝罪られて
見れば
夫れでも
私は
嫌やだとも
言ひがたく、
仕方が
無い
遣る
處までやるさ、
弱い
者いぢめは
此方の
恥になるから三五
郎や
美登利を
相手にしても
仕方が
無い、
正太に
末社がついたら
其時のこと、
决して
此方から
手出しをしてはならないと
留めて、さのみは
長吉をも
叱り
飛ばさねど
再び
喧嘩のなきやうにと
祈られぬ。
罪のない
子は
横町の三五
郎なり、
思ふさまに
擲かれて
蹴られて
其二三
日は
立居も
苦しく、
夕ぐれ
毎に
父親が
空車を五十
軒の
茶屋が
軒まで
運ふにさへ、三
公は
何うかしたか、ひどく
弱つて
居るやうだなと
見知りの
臺屋に
咎められしほど
成しが、
父親はお
辭氣の
[#「お辭氣の」はママ]鐵とて
目上の
人に
頭をあげた
事なく
廓内の
旦那は
言はずともの
事、
大屋樣地主樣いづれの
御無理も
御尤と
受ける
質なれば、
長吉と
喧嘩してこれこれの
亂暴に
逢ひましたと
訴へればとて、それは
何うも
仕方が
無い
大屋さんの
息子さんでは
無いか、
此方に
理が
有らうが
先方が
惡るからうが
喧嘩の
相手に
成るといふ
事は
無い、
謝罪て
來い
謝罪て
來い
途方も
無い
奴だと
我子を
叱りつけて、
長吉がもとへあやまりに
遣られる
事必定なれば、三五
郎は
口惜しさを
噛みつぶして七日十日と
程をふれば、
痛みの
塲處の
癒ると
共に
其うらめしさも
何時しか
忘れて、
頭の
家の
赤ん
坊が
守りをして二
錢が
駄賃をうれしがり、ねん/\よ、おころりよ、と
背負ひあるくさま、
年はと
問へば
生意氣ざかりの十六にも
成りながら
其大躰を
恥かしげにもなく、
表町へものこ/\と
出かけるに、
何時も
美登利と
正太が
嬲りものに
成つて
[#「成つて」はママ]、お
前は
性根を
何處へ
置いて
來たとからかはれながらも
遊びの
中間は
外れざりき。
春は
櫻の
賑ひよりかけて、なき
玉菊が
燈籠の
頃、つゞいて
秋の
新仁和賀には十
分間に
車の
飛ぶ
事此通りのみにて七十五
輛と
數へしも、二の
替りさへいつしか
過ぎて、
赤蜻蛉田圃に
亂るれば
横堀に
鶉なく
頃も
近づきぬ、
朝夕の
秋風身にしみ
渡りて
上清が
店の
蚊遣香懷爐灰に
座をゆづり、
石橋の
田村やが
粉挽く
臼の
音さびしく、
角海老が
時計の
響きもそゞろ
哀れの
音を
傳へるやうに
成れば、四
季絶間なき
日暮里の
火の
光りも
彼れが
人を
燒く
烟りかとうら
悲しく、
茶屋が
裏ゆく
土手下の
細道に
落かゝるやうな三
味の
音を
仰いで
聞けば、
仲之町藝者が
冴えたる
腕に、
君が
情の
假寐の
床にと
何ならぬ一ふし
哀れも
深く、
此時節より
通ひ
初るは
浮かれ
浮かるゝ
遊客ならで、
身にしみ/″\と
實のあるお
方のよし、
遊女あがりの
去る
女が
申き、
此ほどの
事かゝんもくだ/\しや
大音寺前にて
珍らしき
事は
盲目按摩の二十ばかりなる
娘、かなはぬ
戀に
不自由なる
身を
恨みて
水の
谷の
池に
入水したるを
新らしい
事とて
傳へる
位なもの、
八百屋の
吉五
郎に
大工の
太吉がさつぱりと
影を
見せぬが
何とかせしと
問ふに
此一
件であげられましたと、
顏の
眞中へ
指をさして、
何の
子細なく
取立てゝ
噂をする
者もなし、
大路を
見渡せば
罪なき
子供の三五
人手を
引つれて
開いらいた
開らいた
何の
花ひらいたと、
無心の
遊びも
自然と
靜かにて、
廓に
通ふ
車の
音のみ
何時に
變らず
勇ましく
聞えぬ。
秋雨しと/\
降るかと
思へばさつと
音して
運びくる
樣なる
淋しき
夜、
通りすがりの
客をば
待たぬ
店なれば、
筆やの
妻は
宵のほどより
表の
戸をたてゝ、
中に
集まりしは
例の
美登利に
正太郎、その
外には
小さき
子供の二三
人寄りて
細螺はじきの
幼なげな
事して
遊ぶほどに、
美登利ふと
耳を
立てゝ、あれ
誰れか
買物に
來たのでは
無いか
溝板を
踏む
足音がするといへば、おや
左樣か、
己いらは
少つとも
聞なかつたと
正太もちう/\たこかいの
手を
止めて、
誰れか
中間が
來たのでは
無いかと
嬉しがるに、
門なる
人は
此店の
前まで
來たりける
足音の
聞えしばかり
夫れよりはふつと
絶えて、
音も
沙汰もなし。
正太は
潜りを
明けて、
ばあと
言ひながら
顏を
出すに、
人は二三
軒先の
軒下をたどりて、ぽつ/\と
行く
後影、
誰れだ
誰れだ、おいお
這入よと
聲をかけて、
美登利が
足駄を
突かけばきに、
降る
雨を
厭はず
驅け
出さんとせしが、あゝ
彼奴だと一ト
言、
振かへつて、
美登利さん
呼んだつても
來はしないよ、一
件だもの、と
自分の
頭を
丸めて
見せぬ。
信さんかへ、と
受けて、
嫌やな
坊主つたら
無い、
屹度筆か
何か
買ひに
來たのだけれど、
私たちが
居るものだから
立聞きをして
歸つたのであらう、
意地惡るの、
根性まがりの、ひねつこびれの、
吃りの、
齒かけの、
嫌やな
奴め、
這入つて
來たら
散々と
窘めてやる
物を、
歸つたは
惜しい
事をした、どれ
下駄をお
貸し、
一寸見てやる、とて
正太に
代つて
顏を
出せば
軒の
雨だれ
前髮に
落ちて、おゝ
氣味が
惡るいと
首を
縮めながら、四五
軒先の
瓦斯燈の
下を
大黒傘肩にして
少しうつむいて
居るらしくとぼ/\と
歩む
信如の
後かげ、
何時までも、
何時までも、
何時までも、
見送るに、
美登利さん
何うしたの、と
正太は
怪しがりて
背中をつゝきぬ。
何うもしない、と
氣の
無い
返事をして、
上へあがつて
細螺を
數へながら、
本當に
嫌やな
小僧とつては
無い、
表向きに
威張つた
喧嘩は
出來もしないで、
温順しさうな
顏ばかりして、
根性がくす/\して
居るのだもの
憎くらしからうでは
無いか、
家の
母さんが
言ふて
居たつけ、
瓦落/\して
居る
者は
心が
好いのだと、
夫だからぐず/\して
居る
信さん
何かは
心が
惡るいに
相違ない、ねへ
正太さん
左樣であらう、と
口を
極めて
信如の
事を
惡く
言へば、夫れでも
龍華寺はまだ
物が
解つて
居るよ、
長吉と
來たら
彼れははやと、
生意氣に
大人の
口を
眞似れば、お
廢しよ
正太さん、
子供の
癖に
ませた樣でをかしい、お
前は
餘つぽど
剽輕ものだね、とて
美登利は
正太の
頬をつゝいて、
其眞面目がほはと
笑ひこけるに、
己らだつても
最少し
經てば
大人になるのだ、
蒲田屋の
旦那のやうに
角袖外套か
何か
着てね、
祖母さんが
仕舞つて
置く
金時計を
貰つて、そして
指輪もこしらへて、
卷煙草を
吸つて、
履く
物は
何が
宜からうな、
己らは
下駄より
雪駄が
好きだから、三
枚裏にして
繻珍の
鼻緒といふのを
履くよ、
似合ふだらうかと
言へば、
美登利はくす/\
笑ひながら、
背の
低い
人が
角袖外套に
雪駄ばき、まあ
何んなにか
可笑しからう、
目藥の
瓶が
歩くやうであらうと
誹すに、
馬鹿を
言つて
居らあ、それまでには
己らだつて
大きく
成るさ、
此樣な
小つぽけでは
居ないと
威張るに、
夫れではまだ
何時の
事だか
知れはしない、
天井の
鼠があれ
御覽、と
指をさすに、
筆やの
女房を
始めとして
座にある
者みな
笑ひころげぬ。
正太は
一人眞面目に
成りて、
例の
目の
玉ぐる/\とさせながら、
美登利さんは
冗談にして
居るのだね、
誰れだつて
大人に
成らぬ
者は
無いに、
己らの
言ふが
何故をかしからう、
奇麗な
嫁さんを
貰つて
連れて
歩くやうに
成るのだがなあ、
己らは
何でも
奇麗のが
好きだから、
煎餅やのお
福のやうな
痘痕づらや、
薪やのお
出額のやうなのが
萬一來ようなら、
直さま
追出して
家へは
入れて
遣らないや。
己らは
痘痕と
濕つかきは
大嫌ひと
力を
入れるに、
主人の
女は
吹出して、
夫れでも
正さん
宜く
私が
店へ
來て
下さるの、
伯母さんの
痘痕は
見えぬかえと
笑ふに、
夫れでもお
前は
年寄りだもの、
己らの
言ふのは
嫁さんの
事さ、
年寄りは
何でも
宜いとあるに、
夫れは
大失敗だねと
筆やの
女房おもしろづくに
御機嫌を
取りぬ。
町内で
顏の
好いのは
花屋のお六さんに、
水菓子やの
喜いさん、
夫れよりも、
夫れよりもずんと
好いはお
前の
隣に
据つてお
出なさるのなれど、
正太さんはまあ
誰れにしようと
極めてあるえ、お六さんの
眼つきか、
喜いさんの
清元か、まあ
何れをえ、と
問はれて、
正太顏を
赤くして、
何だお六づらや、
喜い
公、
何處が
好い
者かと
釣りらんぷの
下を
少し
居退きて、
壁際の
方へと
尻込みをすれば、それでは
美登利さんが
好いのであらう、さう
極めて
御座んすの、と
圖星をさゝれて、そんな
事を
知る
物か、
何だ
其樣な
事、とくるり
後を
向いて
壁の
腰ばりを
指でたゝきながら、
廻れ/\
水車を
小音に
唱ひ
出す、
美登利は
衆人の
細螺を
集めて、さあ
最う一
度はじめからと、これは
顏をも
赤らめざりき。
信如が
何時も
田町へ
通ふ
時、
通らでも
事は
濟めども
言はゞ
近道の
土手々前に、
假初の
格子門、のぞけば
鞍馬の
石燈籠に
萩の
袖垣しをらしう
見えて、
縁先に
卷きたる
簾のさまもなつかしう、
中がらすの
障子のうちには
今樣の
按察の
後室が
珠數をつまぐつて、
冠つ
切りの
若紫も
立出るやと
思はるゝ、その一ツ
搆へが
大黒屋の
寮なり。
昨日も
今日も
時雨の
空に、
田町の
姉より
頼みの
長胴着が
出來たれば、
暫時も
早う
重ねさせたき
親心、
御苦勞でも
學校まへの
一寸の
間に
持つて
行つて
呉れまいか、
定めて
花も
待つて
居ようほどに、と
母親よりの
言ひつけを、
何も
嫌やとは
言ひ
切られぬ
温順しさに、
唯はい/\と
小包みを
抱へて、
鼠小倉の
緒のすがりし
朴木齒の
下駄ひた/\と、
信如は
雨傘さしかざして
出ぬ。
お
齒ぐろ
溝の
角より
曲りて、いつも
行くなる
細道をたどれば、
運わるう
大黒やの
前まで
來し
時、さつと
吹く
風大黒傘の
上を
抓みて、
宙へ
引あげるかと
疑ふばかり
烈しく
吹けば、これは
成らぬと
力足を
踏こたゆる
途端、さのみに
思はざりし
前鼻緒のずる/\と
※[#「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE、122-3]けて、
傘よりもこれこそ一の
大事に
成りぬ。
信如こまりて
舌打はすれども、
今更何と
法のなければ、
大黒屋の
門に
傘を
寄せかけ、
降る
雨を
庇に
厭ふて
鼻緒をつくろふに、
常々仕馴れぬお
坊さまの、これは
如何な
事、
心ばかりは
急れども、
何としても
甘くはすげる
事の
成らぬ
口惜しさ、ぢれて、ぢれて、
袂の
中から
記事文の
下書きして
置いた
大半紙を
抓み
出し、ずん/\と
裂きて
紙縷をよるに、
意地わるの
嵐またもや
落し
來て、
立かけし
傘のころころと
轉がり
出るを、いま/\しい
奴めと
腹立たしげにいひて、
取止めんと
手を
延ばすに、
膝へ
乘せて
置きし
小包み
意久地もなく
落ちて、
風呂敷は
泥に、
我着る
物の
袂までを
汚しぬ。
見るに
毒の
氣なるは
[#「毒の氣なるは」はママ]雨の
中の
傘なし、
途中に
鼻緒を
踏み
切りたるばかりは
無し、
美登利は
障子の
中ながら
硝子ごしに
遠く
眺めて、あれ
誰れか
鼻緒を
切つた
人がある、
母さん
切れを
遣つても
宜う
御座んすかと
尋ねて、
針箱の
引出しから
反仙ちりめんの
切れ
端をつかみ
出し、
庭下駄はくも
鈍かしきやうに、
馳せ
出でゝ
縁先の
洋傘さすより
早く、
庭石の
上を
傳ふて
急ぎ
足に
來たりぬ。
それと
見るより
美登利の
顏は
赤う
成りて、
何のやうの
大事にでも
逢ひしやうに、
胸の
動悸の
早くうつを、
人の
見るかと
背後の
見られて、
恐る/\
門の
傍[#「傍」は底本では「侍」]へ
寄れば、
信如もふつと
振返りて、
此れも
無言の
脇を
流るゝ
冷汗、
跣足に
成りて
逃げ
出したき
思ひなり。
平常の
美登利ならば
信如が
難義の
體を
指さして、あれ/\
彼の
意久地なしと
笑ふて
笑ふて
笑ひ
拔いて、
言ひたいまゝの
惡まれ
口、よくもお
祭りの
夜は
正太さんに
仇をするとて
私たちが
遊びの
邪魔をさせ、
罪も
無い三ちやんを
擲かせて、お
前は
高見で
釆配を
[#「釆配を」はママ]振つてお
出なされたの、さあ
謝罪なさんすか、
何とで
御座んす、
私の
事を
女郎女郎と
長吉づらに
言はせるのもお
前の
指圖、
女郎でも
宜いでは
無いか、
塵一
本お
前さんが
世話には
成らぬ、
私には
父さんもあり
母さんもあり、
大黒屋の
旦那も
姉さんもある、お
前のやうな
腥のお
世話には
能うならぬほどに
餘計な
女郎呼はり
置いて
貰ひましよ、
言ふ
事があらば
陰のくす/\ならで
此處でお
言ひなされ、お
相手には
何時でも
成つて
見せまする、さあ
何とで
御座んす、と
袂を
捉らへて
捲しかくる
勢ひ、さこそは
當り
難うもあるべきを、
物いはず
格子のかげに
小隱れて、さりとて
立去るでも
無しに
唯うぢ/\と
胸とゞろかすは
平常の
美登利のさまにては
無かりき。
此處は
大黒屋のと
思ふ
時より
信如は
物の
恐ろしく、
左右を
見ずして
直あゆみに
爲しなれども、
生憎の
雨、あやにくの
風、
鼻緒をさへに
踏切りて、
詮なき
門下に
紙縷を
縷る
心地、
憂き
事さま/″\に
何うも
堪へられぬ
思ひの
有しに、
飛石の
足音は
背より
冷水をかけられるが
如く、
顧みねども
其人と
思ふに、わな/\と
慄へて
顏の
色も
變るべく、
後向きに
成りて
猶も
鼻緒に
心を
盡すと
見せながら、
半は
夢中に
此下駄いつまで
懸りても
履ける
樣には
成らんともせざりき。
庭なる
美登利はさしのぞいて、ゑゝ
不器用な
彼んな
手つきして
何うなる
物ぞ、
紙縷は
婆々縷、
藁しべなんぞ
前壺に
抱かせたとて
長もちのする
事では
無い、
夫れ/\
羽織の
裾が
地について
泥に
成るは
御存じ
無いか、あれ
傘が
轉がる、あれを
疊んで
立てかけて
置けば
好いにと一々
鈍かしう
齒がゆくは
思へども、
此處に
裂れが
御座んす、
此裂でおすげなされと
呼かくる
事もせず、これも
立盡して
降雨袖に
詫しきを、
厭ひもあへず
小隱れて
覗ひしが、さりとも
知らぬ
母の
親はるかに
聲を
懸けて、
火のしの
火が
熾りましたぞえ、
此美登利さんは
何を
遊んで
居る、
雨の
降るに
表へ
出ての
惡戯は
成りませぬ、
又此間のやうに
風引かうぞと
呼立てられるに、はい
今行ますと
大きく
言ひて、
其聲信如に
聞えしを
耻かしく、
胸はわくわくと
上氣して、
何うでも
明けられぬ
門の
際にさりとも
見過しがたき
難義をさま/″\の
思案盡して、
格子の
間より
手に
持つ
裂れを
物いはず
投げ
出せば、
見ぬやうに
見て
知らず
顏を
信如のつくるに、ゑゝ
例の
通りの
心根と
遣る
瀬なき
思ひを
眼に
集めて、
少し
涙の
恨み
顏、
何を
憎んで
其やうに
無情そぶりは
見せらるゝ、
言ひたい
事は
此方にあるを、
餘りな
人とこみ
上るほど
思ひに
迫れど、
母親の
呼聲しば/\なるを
詫しく、
詮方なさに一ト
足二タ
足ゑゝ
何ぞいの
未練くさい、
思はく
耻かしと
身をかへして、かた/\と
飛石を
傳ひゆくに、
信如は
今ぞ
淋しう
見かへれば
紅入り
友仙の
雨にぬれて
紅葉の
形のうるはしきが
我が
足ちかく
散ぼひたる、そゞろに
床しき
思ひは
有れども、
手に
取あぐる
事をもせず
空しう
眺めて
憂き
思ひあり。
我が
不器用をあきらめて、
羽織の
紐の
長きをはづし、
結ひつけにくる/\と
見とむなき
間に
合せをして、これならばと
踏試るに、
歩きにくき
事言ふばかりなく、
此下駄で
田町まで
行く
事かと
今さら
難義は
思へども
詮方なくて
立上る
信如、
小包みを
横に二タ
足ばかり
此門をはなれるにも、
友仙の
紅葉目に
殘りて、
捨てゝ
過ぐるにしのび
難く
心殘りして
見返れば、
信さん
何うした
鼻緒を
切つたのか、
其姿は
何だ、
見ッとも
無いなと
不意に
聲を
懸くる
者のあり。
驚いて
見かへるに
暴れ
者の
長吉、いま
廓内よりの
歸りと
覺しく、
浴衣を
重ねし
唐棧の
着物に
柿色の三
尺を
例の
通り
腰の
先にして、
黒八の
襟のかゝつた
新らしい
半天、
印の
傘をさしかざし
高足駄の
爪皮も
今朝よりとはしるき
漆の
色、きわ/″\しう
見えて
誇らし
氣なり。
僕は
鼻緒を
切つて
仕舞つて
何う
爲ようかと
思つて
居る、
本當に
弱つて
居るのだ、と
信如の
意久地なき
事を
言へば、
左樣だらうお
前に
鼻緒の
立ッこは
無い、
好いや
己れの
下駄を
履て
行ねへ、
此鼻緒は
大丈夫だよといふに、
夫れでもお
前が
困るだらう。
何己れは
馴れた
物だ、
斯うやつて
斯うすると
言ひながら
急遽しう七
分三
分に
尻端折て、
其樣な
結ひつけなんぞより
是れが
夾快だと
下駄を
脱ぐに、お
前跣足に
成るのか
夫れでは
氣の
毒だと
信如困り
切るに、
好いよ、
己れは
馴れた
事だ
信さんなんぞは
足の
裏が
柔らかいから
跣足で
石ごろ
道は
歩けない、さあ
此れを
履いてお
出で、と
揃へて
出す
親切さ、
人には
疫病神のやうに
厭はれながらも
毛虫眉毛を
動かして
優しき
詞のもれ
出るぞをかしき。
信さんの
下駄は
己れが
提げて
行かう、
臺處へ
抛り
込んで
置たら
子細はあるまい、さあ
履き
替へて
夫れをお
出しと
世話をやき、
鼻緒の
切れしを
片手に
提げて、それなら
信さん
行てお
出、
後刻に
學校で
逢はうぜの
約束、
信如は
田町の
姉のもとへ、
長吉は
我家の
方へと
行別れるに
思ひの
止まる
紅入の
友仙は
可憐しき
姿を
空しく
格子門の
外にと
止めぬ。
此年三の
酉まで
有りて
中一
日はつぶれしかど
前後の
上天氣に
大鳥神社の
賑ひすさまじく、
此處かこつけに
檢査塲の
門より
亂れ
入る
若人達の
勢ひとては、
天柱くだけ
地維かくるかと
思はるゝ
笑ひ
聲のどよめき、
中之町の
通りは
俄に
方角の
替りしやうに
思はれて、
角町京町處々のはね
橋より、さつさ
押せ/\と
猪牙がゝつた
言葉に
人波を
分くる
群もあり、
河岸の
小店の
百囀づりより、
優にうづ
高き
大籬の
樓上まで、
絃歌の
聲のさま/″\に
沸き
來るやうな
面白さは
大方の
人おもひ
出でゝ
忘れぬ
物に
思すも
有るべし。
正太は
此日日がけの
集めを
休ませ
貰ひて、三五
郎が
大頭の
店を
見舞ふやら、
團子屋の
背高が
愛想氣のない
汁粉やを
音づれて、
何うだ
儲けがあるかえと
言へば、
正さんお
前好い
處へ
來た、
我れが

この
種なしに
成つて
最う
今からは
何を
賣らう、
直樣煮かけては
置いたけれど
中途お
客は
斷れない、
何うしような、と
相談を
懸けられて、
智惠無しの
奴め
大鍋の
四邊に
夫れッ
位無駄がついて
居るでは
無いか、
夫れへ
湯を
廻して
砂糖さへ
甘くすれば十
人前や二十
人は
浮いて
來よう、
何處でも
皆な
左樣するのだお
前の
店ばかりではない、
何此騷ぎの
中で
好惡を
言ふ
物が
有らうか、お
賣りお
賣りと
言ひながら
先に
立つて
砂糖の
壺を
引寄すれば、
目ッかちの
母親おどろいた
顏をして、お
前さんは
本當に
商人に
出來て
居なさる、
恐ろしい
智惠者だと
賞めるに、
何だ
此樣な
事が
智惠者な
物か、
今横町の
潮吹きの
處で

が
足りないッて
此樣やつたを
見て
來たので
己れの
發明では
無い、と
言ひ
捨てゝ、お
前は
知らないか
美登利さんの
居る
處を、
己れは
今朝から
探して
居るけれど
何處へ
行たか
筆やへも
來ないと
言ふ、
廓内だらうかなと
問へば、むゝ
美登利さんはな
今の
先己れの
家の
前を
通つて
揚屋町の
刎橋から
這入つて
行た、
本當に
正さん
大變だぜ、
今日はね、
髮を
斯ういふ
風にこんな
島田に
結つてと、
變てこな
手つきをして、
奇麗だね
彼の
娘はと
鼻を
拭つゝ
言へば、
大卷さんより
猶美いや、だけれど
彼の
子も
華魁に
成るのでは
可憐さうだと
下を
向ひて
正太の
答ふるに、
好いじやあ
無いか
華魁になれば、
己れは
來年から
際物屋に
成つてお
金をこしらへるがね、
夫れを
持つて
買ひに
行くのだと
頓馬を
現はすに、
洒落くさい
事を
言つて
居らあ
左うすればお
前はきつと
振られるよ。
何故々々何故でも
振られる
理由が
有るのだもの、と
顏を
少し
染めて
笑ひながら、
夫れじやあ
己れも一
廻りして
來ようや、
又後に
來るよと
捨て
臺辭して
門に
出て、十六七の
頃までは
蝶よ
花よと
育てられ、と
怪しきふるへ
聲に
此頃此處の
流行ぶしを
言つて、
今では
勤めが
身にしみてと
口の
内にくり
返し、
例の
雪駄の
音たかく
浮きたつ
人の
中に
交りて
小さき
身躰は
忽ちに
隱れつ。
揉まれて
出し
廓の
角、
向ふより
番頭新造のお
妻と
連れ
立ちて
話しながら
來るを
見れば、まがひも
無き
大黒屋の
美登利なれども
誠に
頓馬の
言ひつる
如く、
初々しき
大島田結ひ
錦のやうに
絞りばなしふさ/\とかけて、
鼈甲のさし
込、
總つきの
花かんざしひらめかし、
何時よりは
極彩色のたゞ
京人形を
見るやうに
思はれて、
正太はあつとも
言はず
立止まりしまゝ
例の
如くは
抱きつきもせで
打守るに、
彼方は
正太さんかとて
走り
寄り、お
妻どんお
前買ひ
物が
有らば
最う
此處でお
別れにしましよ、
私は
此人と一
處に
歸ります、
左樣ならとて
頭を
下げるに、あれ
美いちやんの
現金な、
最うお
送りは
入りませぬとかえ、そんなら
私は
京町で
買物しましよ、とちよこ/\
走りに
長屋の
細道へ
驅け
込むに、
正太はじめて
美登利の
袖を
引いて
好く
似合ふね、いつ
結つたの
今朝かへ
昨日かへ
何故はやく
見せては
呉れなかつた、と
恨めしげに
甘ゆれば、
美登利打しほれて
口重く、
姉さんの
部屋で
今朝結つて
貰つたの、
私は
厭やでしようが
無い、とさし
俯向きて
往來を
恥ぢぬ。
憂く
恥かしく、つゝましき
事身にあれば
人の
褒めるは
嘲りと
聞なされて、
嶋田の
髷のなつかしさに
振かへり
見る
人たちをば
我れを
蔑む
眼つきと
察られて、
正太さん
私は
自宅へ
歸るよと
言ふに、
何故今日は
遊ばないのだらう、お
前何か
小言を
言はれたのか、
大卷さんと
喧嘩でもしたのでは
無いか、と
子供らしい
事を
問はれて
答へは
何と
顏の
赤むばかり、
連れ
立ちて
團子屋の
前を
過ぎるに
頓馬は
店より
聲をかけてお
中が
宜しう
御座いますと
仰山な
言葉を
聞くより
美登利は
泣きたいやうな
顏つきして、
正太さん一
處に
來ては
嫌やだよと、
置きざりに
一人足を
早めぬ。
お
酉さまへ
諸共にと
言ひしを
道引違へて
我が
家の
方へと
美登利の
急ぐに、お
前一
處には
來て
呉れないのか、
何故其方へ
歸つて
仕舞ふ、
餘りだぜと
例の
如く
甘へてかゝるを
振切るやうに
物言はず
行けば、
何の
故とも
知らねども
正太は
呆れて
追ひすがり
袖を
止めては
怪しがるに、
美登利顏のみ
打赤めて、
何でも
無い、と
言ふ
聲理由あり。
寮の
門をばくゞり
入るに
正太かねても
遊びに
來馴れて
左のみ
遠慮の
家にもあらねば、
跡より
續いて
縁先からそつと
上るを、
母親見るより、おゝ
正太さん
宜く
來て
下さつた、
今朝から
美登利の
機嫌が
惡くて
皆な
あぐねて
困つて
居ます、
遊んでやつて
下されと
言ふに、
正太は
大人らしう
惶りて
加※[#「冫+咸」、U+51CF、128-5]が
惡るいのですかと
眞面目に
問ふを、いゝゑ、と
母親怪しき
笑顏をして
少し
經てば
愈りませう、いつでも
極りの
我まゝ
樣、
嘸お
友達とも
喧嘩しませうな、
眞實やり
切れぬ
孃さまではあるとて
見かへるに、
美登利はいつか
小座敷に
蒲團抱卷持出でゝ、
帶と
上着を
脱ぎ
捨てしばかり、うつ
伏し
臥して
物をも
言はず。
正太は
恐る/\
枕もとへ
寄つて、
美登利さん
何うしたの
病氣なのか
心持が
惡いのか
全體何うしたの、と
左のみは
摺寄らず
膝に
手を
置いて
心ばかりを
腦ますに、
美登利は
更に
答へも
無く
押ゆる
袖にしのび
音の
涙、まだ
結ひこめぬ
前髮の
毛の
濡れて
見ゆるも
子細ありとはしるけれど、
子供心に
正太は
何と
慰めの
言葉も
出ず
唯ひたすらに
困り
入るばかり、
全體何が
何うしたのだらう、
己れはお
前に
怒られる
事はしもしないに、
何が
其樣なに
腹が
立つの、と
覗き
込んで
途方にくるれば、
美登利は
眼を
拭ふて
正太さん
私は
怒つて
居るのでは
有りません。
夫れならどうしてと
問はれゝば
憂き
事さまざま
是れは
何うでも
話しのほかの
包ましさなれば、
誰れに
打明けいふ
筋ならず、
物言はずして
自づと
頬の
赤うなり、さして
何とは
言はれねども
次第々々に
心細き
思ひ、すべて
昨日の
美登利の
身に
覺えなかりし
思ひをまうけて
物の
恥かしさ
言ふばかり
無く、
成る
事ならば
薄暗き
部屋のうちに
誰れとて
言葉をかけもせず
我が
顏ながむる
者なしに
一人氣まゝの
朝夕を
經たや、さらば
此樣の
憂き
事ありとも
人目つゝましからずは
斯くまで
物は
思ふまじ、
何時までも
何時までも
人形と
紙雛好とを
相手にして
飯事ばかりして
居たらば
嘸かし
嬉しき
事ならんを、ゑゝ
厭や/\、
大人に
成るは
厭やな
事、
何故此やうに
年をば
取る、
最う
七月十月、一
年も
以前へ
歸りたいにと
老人じみた
考へをして、
正太の
此處にあるをも
思はれず、
物いひかければ
悉く
蹴ちらして、
歸つてお
呉れ
正太さん、
後生だから
歸つてお
呉れ、お
前が
居ると
私は
死んで
仕舞ふであらう、
物を
言はれると
頭痛がする、
口を
利くと
目がまわる、
誰れも/\
私の
處へ
來ては
厭やなれば、お
前も
何卒歸つてと
例に
似合ぬ
愛想づかし、
正太は
何故とも
得ぞ
解きがたく、
畑のうちにあるやうにてお
前は
何うしても
變てこだよ、
其樣な
事を
言ふ
筈は
無いに、
可怪しい
人だね、と
是れはいさゝか
口惜しき
思ひに、
落ついて
言ひながら
目には
氣弱の
涙のうかぶを、
何とて
夫れに
心を
置くべき
歸つてお
呉れ、
歸つてお
呉れ、
何時まで
此處に
居て
呉れゝば
最うお
朋達でも
何でも
無い、
厭やな
正太さんだと
憎くらしげに
言はれて、
夫れならば
歸るよ、お
邪魔さまで
御座いましたとて、
風呂塲に
加※[#「冫+咸」、U+51CF、129-9]見る
母親には
挨拶もせず、
ふいと
立つて
正太は
庭先よりかけ
出しぬ。
眞一
文字に
驅けて
人中を
拔けつ
潜りつ、
筆屋の
店へをどり
込めば、三五
郎は
何時か
店をば
賣仕舞ふて、
腹掛のかくしへ
若干金かをぢやらつかせ、
弟妹引つれつゝ
好きな
物をば
何でも
買への
大兄樣、
大愉快の
最中へ
正太の
飛込み
來しなるに、やあ
正さん
今お
前をば
探して
居たのだ、
己れは
今日は
大分の
儲けがある、
何か
奢つて
上やうかと
言へば、
馬鹿をいへ
手前に
奢つて
貰ふ
己れでは
無いわ、
默つて
居ろ
生意氣は
吐くなと
何時になく
荒らい
事を
言つて、
夫れどころでは
無いとて
鬱ぐに、
何だ
何だ
喧嘩かと
飯べかけの

ぱんを
懷中に
捻ぢ
込んで、
相手は
誰れだ、
龍華寺か、
長吉か、
何處で
始まつた
廓内は
鳥居前か、お
祭りの
時とは
違ふぜ、
不意でさへ
無くは
負けはしない、
己れが
承知だ
先棒は
振らあ、
正さん
膽ッ
玉をしつかりして
懸りねへ、と
競ひかゝるに、ゑゝ
氣の
早い
奴め、
喧嘩では
無い、とて
流石に
言ひかねて
口を
噤めば、でもお
前が
大層らしく
飛込んだから
己れは一
途に
喧嘩かと
思つた、だけれど
正さん
今夜はじまらなければ
最う
是れから
喧嘩の
起りッこは
無いね、
長吉の
野郎片腕がなくなる
物と
言ふに、
何故どうして
片腕がなくなるのだ。お
前知らずか
己れも
唯今うちの
父さんが
龍華寺の
御新造と
話して
居たを
聞いたのだが、
信さんは
最う
近々何處かの
坊さん
學校[#ルビの「がくがう」はママ]へ
這入るのだとさ、
衣を
着て
仕舞へば
手が
出ねへや、
唐つきり
彼んな
袖のぺら/\した、
恐ろしい
長い
物を
捲り
上るのだからね、
左うなれば
來年から
横町も
表も
殘らずお
前の
手下だよと
煽すに、
廢して
呉れ二
錢貰ふと
長吉の
組に
成るだらう、お
前みたやうのが百
人中間に
有たとて
少とも
嬉しい
事は
無い、
着きたい
方へ
何方へでも
着きねへ、
己れは
人は
頼まない
眞の
腕ッこで一
度龍華寺とやりたかつたに、
他處へ
行かれては
仕方が
無い、
藤本は
來年學校を
卒業してから
行くのだと
聞いたが、
何うして
其樣に
早く
成つたらう、
爲樣のない
野郎だと
舌打しながら、
夫れは
少しも
心に
止まらねども
美登利が
素振のくり
返されて
正太は
例の
歌も
出ず、
大路の
往來の
夥たゞしきさへ
心淋しければ
賑やかなりとも
思はれず、
火ともし
頃より
筆やが
店に
轉がりて、
今日の
酉の
市目茶々々に
此處も
彼處も
怪しき
事成りき。
美登利はかの
日を
始めにして
生れかはりし
樣の
身の
振舞、
用ある
折は
廓の
姉のもとにこそ
通へ、かけても
町に
遊ぶ
事をせず、
友達さびしがりて
誘ひにと
行けば
今に
今にと
空約束はてし
無く、さしもに
中よし
成けれど
正太とさへに
親しまず、いつも
耻かし
氣に
顏のみ
赤めて
筆やの
店に
手踊の
活溌さは
再び
見るに
難く
成ける、
人は
怪しがりて
病ひの
故かと
危ぶむも
有れども
母親一人ほゝ
笑みては、
今にお
侠の
本性は
現れまする、これは
中休みと
子細ありげに
言はれて、
知らぬ
者には
何の
事とも
思はれず、
女らしう
温順しう
成つたと
褒めるもあれば
折角の
面白い
子を
種なしにしたと
誹るもあり、
表町は
俄に
火の
消えしやう
淋しく
成りて
正太が
美音も
聞く
事まれに、
唯夜な/\の
弓張提燈、あれは
日がけの
集めとしるく
土手を
行く
影そゞろ
寒げに、
折ふし
供する三五
郎の
聲のみ
何時に
變らず
滑稽ては
聞えぬ。
龍華寺の
信如[#ルビの「しんによ」は底本では「しんぢよ」]が
我が
宗の
修業の
庭に
立出る
風説をも
美登利は
絶えて
聞かざりき、
有し
意地をば
其まゝに
封じ
込めて、
此處しばらくの
怪しの
現象に
我れを
我れとも
思はれず、
唯何事も
耻かしうのみ
有けるに、
或る
霜の
朝水仙の
作り
花を
格子門の
外よりさし
入れ
置きし
者の
有けり、
誰れの
仕業と
知るよし
無けれど、
美登利は
何ゆゑとなく
懷かしき
思ひにて
違ひ
棚の一
輪ざしに
入れて
淋しく
清き
姿をめでけるが、
聞くともなしに
傳へ
聞く
其明けの
日は
信如が
何がしの
學林に
袖の
色かへぬべき
當日なりしとぞ
(終)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- [#···]は、入力者による注を表す記号です。
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「抜」の「友」に代えて「丿/友」、U+39DE | | 105-15、122-3 |
「冫+咸」、U+51CF | | 113-2、128-5、129-9 |
「ころもへん+攀」、U+897B | | 113-12 |
「抜」の「友」に代えて「丿/友」 | | U+39DE |