ガラツ八の八五郎が、その晩
祝言の相手は金澤町の酒屋で、この邊では有福の聞えのある多賀屋勘兵衞。嫁はその一粒種で、浮氣つぽいが、綺麗さでは評判の高いお福といふ十九の娘、||これが本當の祝言だと、ガラツ八は十手捕繩を返上して、
實際のところは、その晩聟入りの行列などを組んで歩いたら、命を奪られるかも知れないといふ、||眞實の聟、仲屋の
この頼みが持込まれたとき、さすが
祝言は多賀屋の身代にしては出來るだけつゝましやかに、當日の客は餘儀ない親類を五六人だけ、聟入りもほんの型ばかりといふことにして、僞首の八五郎が、
途中は平次の子分や、ガラツ八の友達が多勢で見護り、行列は先づ何の
「どうだい八、滿更惡い心持ぢやあるめえ」
最初の平次の言葉はこんな調子でした。
「變な心持ですよ、親分」
「あやかりものだよ、||
「呑んだつてつまらねえ」
「ひどく
「有難くなくたつて、僞首よりは器量が良いぢやありませんか」
「まア、さう言ふな」
ガラツ八の不滿は、平次も察しないではありませんが、
「親分は、いろ/\の事を調べたんでせう」
「まア、調べたつもりだ」
「誰が一體聟を殺さうなんて氣持になつて居るんで||」
聟の錦太郎が青くなつて平次のところへ飛込んだのは知つてゐますが、深い事情はガラツ八もよくは知らなかつたのでせう。
「金澤町の若い男は皆んなだよ」
「へエー」
「大きな聲ぢや言へねえが、よくもあんなに若い男と
「へエー達者な娘だね」
「祝言の晩錦太郎を打ち殺さうと言ひ出したのは三人ある」
「へエー」
「中でも氣違ひじみてゐるのは、やくざの信三郎と
「危ねえな、親分」
ガラツ八も少しばかり薄寒い心持になります。
「
「
何んな
「大丈夫だつたのかい、八。よく脇腹のあたりを見るが宜い、槍の
「冗談ぢやない、槍の棘なんか立てられてたまるものですか、||本當にそんな危ない聟入だつたんですかい、親分」
ガラツ八も、濟んだこと乍ら、今更
「大丈夫だよ、吠える犬は噛み付かない」
「へエ||」
「その上、途中は二十人もの眼で見張らせたんだ。信三郎や浪藏は指も差せるこつちやない」
「驚いたね、どうも。そんな話を聽くと脇腹がムヅムヅしますよ」
「三々九度の
「そんな思ひまでして、あの錦太郎とか言ふ野郎は祝言をし度いのかね、男の切れつ端のくせに」
八五郎が少しく
「多賀屋は神田で幾軒といふ
「不自由なことだね」
「町人はそれが何よりのほまれさ、約束を守るといふのは決して惡いことぢやない」
「本人の氣持などを
「大層今晩は機嫌が惡いやうだな、八」
「金澤町小町のお預けなんぞ喰はされると、大概機嫌も惡くなりますよ」
ガラツ八は全く以ての外の機嫌でした。
「ところで、盃事の支度はまだかな」
「親分はそんなにして居て構ひませんか」
「構はないとも、
「全くね」
ガラツ八の八五郎は、照れ臭く
「
平次は話頭を轉じました。
「へエ||?」
「あんな評判の
平次の聲は小さくなりました。
「へエ」
「その上仲屋は十年も前に身代限りをして、近頃は其日の物にも困つてゐるんだ。錦太郎はどんなに齒ぎしりしても、多賀屋へ聟にでも入らなきや身の立てやうはない」
「||」
「親と親との昔々の約束は、お福を仲屋が貰つて、錦太郎の嫁にする筈だつたとよ。それが、仲屋の主人が死んで、身代が
「成る程ね」
「
「へエ」
「錦太郎には他に言ひ
「太てえ野郎だね」
「でも、背に腹は代へられなかつたのだらう」
「俺なら背と腹を代へるがな」
「それは
不意に平次は聽耳を立てました。
「何です、親分?」
「變な音がしたやうだ、||來い、八」
「あつしが行つても構ひませんか」
「その
言ひ捨てて平次は飛出しました。かなり大きな構へですが、唐紙を二つばかり開けると、其處は嫁の支度部屋になつて居たのです。
「あつ」
「
平次の聲が響くと、さすがに氣の付いたガラツ八は、
「嫁がやられたツ」
「入つちやならねえ、入つた奴には皆んな下手人の疑ひがかゝるぞ。八、其處で
平次の聲が響くと、廊下まで殺到した群集が、
「私は構はないでせう、親分」
その跡に取り殘されて、おろ/\して居るのは
「いや、こいつは聟殿に見せる幕ぢやねえ。親御の勘兵衞さんだけ入つて下さい||それから町内の外科を大急ぎで頼むんだ、
平次は手負を抱き起してフツと口を
「親分さん」
この時、
「大變なことになつたぜ、御主人」
「どうしませう、親分」
六十男の勘兵衞は、娘の後ろから恐る/\差のぞきます。それでも、自分の身體で
「八、何をぼんやりしてゐるんだ。曲者は外へは出られない筈だ、出口々々は先刻の俺の聲一つで、二十人の下つ引が固めてゐる。手前は錦太郎を見張つてゐるが宜い。
平次の命令は周到を極めます。
そのうちに外科が來て、花嫁の傷をしらべました。傷は深くはないが、急所をやられたので、朝までの命がむづかしからうと言ふ噂が、誰からともなくパツと家中に傅はります。
手負を外科と主人に
たつた一つの
「ゐるか」
靜かに聲をかけると、
「親分」
木戸の外から
「誰も出た者は無いな」
「ありませんよ、親分」
「誰でも構はない、外へ飛出さうとする者があつたら、遠慮無しに縛り上げてくれ」
「へエ||」
「御苦勞だな」
平次は言ひ捨てて元の縁側に歸りました。
「おや?」
見ると、其處にも泥の足跡が||よく拭き込んだ縁の板を薄く染めて居るではありませんか。足跡を追つて行くと、眞つ直ぐに花嫁の部屋に入つて行きます。
念の爲にツイ傍の上便所の扉をあけると、二本燈心の薄明りで、||
「親分」
不意にガラツ八が顏を出しました。
「何だ、八?」
「刄物を見付けました」
手拭に包んで來たのは、
「何處にあつたんだ」
「あつしが居た部屋の
「誰が見付けたんだ」
「錦太郎が氣が付いたんで||」
「馬鹿ツ、||その錦太郎を見張つて居ろと言つたぢやないか」
平次の聲は急に激しくなりました。
「だつて、親分」
「何がだつてだ、||刄物なんざ、何處にあつたつて構ふものか、錦太郎に間違ひがあつたらどうするつもりだ」
「へエ||」
ガラツ八は不平らしく引返しました。暫くその後ろ姿を見送つて居た平次、何を思ひ付いたか、猛然として後を追ひます。が、それも及びませんでした。ガラツ八が一寸眼を離した間に、事件は思ひも寄らぬ方へ急展開をしたのです。
「あツ、やられたツ」
ガラツ八の聲が突つ走ります。
「やつたな、畜生ツ」
飛込む平次。先刻まで平次とガラツ八が居た部屋に、錦太郎は半顏血に
「どうした」
「氣をしつかり持て」
平次はそれを後ろから
「あ、有難うございます、もう大丈夫です」
錦太郎は極り惡さうに
「どうしたといふのだ」
「何處からともなく、こいつが飛んで來ましたよ。頬に當つたことまでは知つて居ますが||面目次第も御座いません。私は氣が弱いんで」
錦太郎は恥かしさうに首を垂れます。切られたのは左の頬先、ほんの引つ掻きほどですが、潮時と見えて、血が顏半分を染めて居ります。||尤も錦太郎が夢中で傷を押へた手で
刄物はガラツ八が差して來た、犬おどかしのやうな
「曲者の顏を見なかつたのかい」
傷を見乍ら平次は訊ねました。
「後ろから
「そいつは災難だつたね。
「有難うございます」
「ところで、曲者はいよ/\家の中に居るに決つたぞ。床を
「おーい」
「何處に居るんだ」
「押入の中ですよ」
八五郎の返事は
「その意氣だ、しつかり搜せ、||外から二三人呼び入れて手傳はせても宜い」
疑ひは三人にかゝりました。
多賀屋の外を、ウロウロして居た、やくざの信三郎と、髮結の浪藏と、||これはお福の甘い言葉に取り
あとの一人は、多賀屋の番頭で品吉、三十そこ/\の
三人とも機會がありました。が、便所の
「此野郎ですよ、親分。思ひ切り
聟から岡つ引に
「待て/\、もう少し考へてからにしよう。家に居る者が怪しいとなると、手代、下女、下男、それからお前も俺も、聟の錦太郎も怪しくなる、||こいつはそんな
「||」
平次が變なことを言ひ出すのを、ガラツ八は縁側から聽いて居りました。
「お福が死んで、一番損をするのは誰だ」
「父親と聟の錦太郎ぢやありませんか」
ガラツ八の應へは素直で簡明です。
「ところで今は
平次は又變な事を訊きます。
「
「あと半刻で明日か」
「||」
「明日は
「それが何うしたんで、親分」
「明日祝言がいけないとなると、今日のうちでなければなるまい」
「誰が祝言をするんで? 親分」
「多賀屋の娘お福と、仲屋の伜錦太郎だ」
「えツ」
平次の言葉の意外さに、驚いたのは、隣の部屋で外科に手當をして貰つて居る錦太郎自身でした。
「お福は
「||」
ガラツ八と錦太郎はゴクリと
「この上に
平次は斯う錦太郎と八五郎を
その夜の婚禮は、世にも不思議なものでした。
多賀屋の二階二た間を打ち拔き、善美を盡した調度の中に、
早桶を中に、
一歩、この席に入つた錦太郎の顏色は、さすがにサツと變つたのも無理はありません。
「これは?」
ツイ唇をついて出た言葉、頬の色は半面を包んだ
「娘は到頭
多賀屋勘兵衞は
「それで、私は、私は?」
「祝言の盃事をするのだ。あんなに
平次の聲は妙に荒つぽく響きました。
「||」
「さア、早桶の
平次は後ろからせき立てます。
「||」
思はず尻ごみする錦太郎。
「解らねえ聟ぢやないか、三々九度は
ガラツ八は後ろから抱きすくめるやうに、早桶の傍の座に錦太郎を引据ゑました。
「そんなに遠慮するなら蓋は俺が取つてやらう」
平次は早桶の側に寄ると、その蓋を取つて、桶ごとパツと引つくり返しました。
「あツ」
中から現はれたのは、お福の死骸と思ひきや、||血の附いた
「錦太郎、これを知つて居るだらう。手拭はお前の品に相違あるまい、花嫁を殺して間もなく押入で見付けた品だ」
「||」
「さア、のがれぬところだ、白状せい。

錦太郎は唇を噛みました。が、暫く自分の心持を落着けると、白々とした
「白状する迄もあるまい、||殺したがどうした」
「錦太郎、それがお前の言ふ事か」
平次も思はずカツとなります。
「お、三千兩の身上を横取りされた上、江戸一番の
錦太郎の聲は次第に
「宜い心掛けだ、||が、お前は誰を相手にして芝居を打つてゐるか忘れたんだらう、||俺のところへ驅け込んで、聟の身代りを頼んだ時から、俺は
「それほど用心深い錢形平次が、お福の殺されるのを知らずに居たらう」
錦太郎は勝利感に
「よし/\、その氣で居るなら逢はせるものがある、||それ」
平次の手が動くと、錦太郎の後ろの
「あツ、お前は、お前は」
驚く錦太郎。
「驚いた錦太郎、聟に身代りがあれば、嫁にも身代りがある事に氣が付かなかつたらう。お前が
「||」
錦太郎は何べんかお福に飛びかゝりさうにしましたが、その
「便所の草履をはいて、庭木戸を開け、曲者が外から入つたやうに見せかけたり、八五郎の脇差で、自分の顏を斬つて、自分の身體に附いた血を
「||」
「お前は||」
續ける平次の聲を
「止してくれ、俺はその
「それがどうした」
靜かに迎へた平次、このたけり狂ふ男に、もう少し事情を説明させる必要があつたのでせう。
「何も彼も見拔いても、多賀屋勘兵衞の
「何?」
「言つてやらう、||その多賀屋勘兵衞は、今から十年前、死にかけてゐる俺の父親を
「嘘だ」
勘兵衞は不意に
「||」
平次は默つてそれを押へたまゝ、一方、錦太郎の言葉を續けさせました。
「俺が成人するまでといふ約束だつた、||證人はうんとある、現に此處に居る
「||」
「父親の
「||」
「お福を俺の嫁にしても、行く/\は仲屋のものは仲屋に返さなければなるまい。||惡智惠のたけた勘兵衞は、俺を聟にして多賀屋の養子に直し、
錦太郎は泣いて居りました、
「それから何うした」
と穩やかに平次。
「俺は捨鉢になつた。が、母が生きてゐるうちは、命を捨てて多賀屋へ斬込むわけにも行かない。お福が江戸一番の蓮葉娘で、大勢の馬鹿な男に騷がれて居るのを
錦太郎の言葉は次第にか細い
「それから?」
平次はもう一度靜かに
「お福さへ居なきや、俺は勝手だ。
「||」
「細工が過ぎて親分に見現はされた、||
紋附姿の錦太郎が、身を顫はせ、疊を叩いて斯う言ふのです。
「嘘だ/\」
抗辯もしどろもどろに、多賀屋勘兵衞は立つたり坐つたりして居ります。
誰ももう、口を利く者もありません。
平次は一座の空氣を、愼重に味ひ盡しました。
「八」
「へエ||」
突如、平次に呼ばれてガラツ八は入つて來ました。
「この家は出口々々を
「へエ||、下つ引が五六十人、
「よし/\」
八五郎の應への常識以上に
「何をやらかすんで、親分」
「俺の指した野郎を縛れ」
「へエ||」
「それ」
平次の指は、ピタリと、
「御用ツ」
「わツ、御勘辨。私は、私は何にも知りません」
あわてた寳屋、疊の上を額で
「野郎ツ、神妙にせいツ」
「申します、申します。皆んな申上げてしまひます。||多賀屋さんには數々のお世話になつて居るので、斷り切れなかつたのでございます。||仲屋さんの先代の
寳屋祐左衞門は、懷中から紙入を取出して、ガラツ八の腕力の下に、何やらモゾモゾ續けて居ります。
「多賀屋さん、この祝言は取止めにしても
平次は勘兵衞の方へピタリと向きました。
「それはもう、親分さん。娘の命を
勘兵衞はブルブルと頭を振りました。
「よし/\。それでは、仲屋の先代の遺言通り、三千兩に利息をつけて、この錦太郎に返してやつちやどうだ。いやならお
「それは親分、
勘兵衞は泣き出しさうです。
「貧乏になるのも
「親分、それは可哀想ぢやございませんか」
「まだ/\可哀想な人間は、廣い世界にうんとあるぜ」
平次はなか/\
「親分」
錦太郎は顏をあげました。
「何だい」
「お禮の申上げやうも御座いません。||親分のお心持はよく解りました。さうとも知らずに、御手數を掛けた上、數々惡口を言つて||」
錦太郎はボロボロと涙をこぼし乍ら、疊の上へ
「氣が立つと、餘計な事も言ふものだ。そんな事は心配しなくて宜い」
と平次。
「親分、||私も此上
「それは本氣か、錦太郎」
平次は
「本當ですとも、親分。六十になる母親の
「よし/\、それ以上負けさしちや、多賀屋も
「へエ」
「三千兩の利息で、膏藥がどれ位買へると思ふ」
平次はそんな無駄を言ひ乍ら、もう歸る支度をして居りました。
× × ×
「
曉方近い街、女房のお靜が待つて居る家路を急ぎ乍ら、平次は
「氣の毒なのはお福さ、心柄とは言ひ乍ら、あれぢや江戸中に貰ひ手もあるまい」
「あつしは親分」
八五郎はニヤリニヤリとほろ苦い笑ひを見せます。
「お前も氣の毒だよ、たま/\祝言をする事になると思ふと、それが身代りだつたりして、||でも、あんな
「チエツ」
八五郎は大きな舌打を一つしましたが、腹の中では怒つてるわけではありません。親分平次の今晩の