地方の詩のグループも多いことだが、どういふものか、ずつと以前から大連と神戸にだけ面白いものが見られるのだつた。京都は嘗つて小生自身二年間ゐて、詩人にとつては有難い土地だと思つてゐるので、京都あたりからもつと面白いものが出てもよかりさうなものだと、かねがね思つてゐたが、仲々出なかつた。所が今年になつて「新生」を受取るやうになつてから、漸く出たなとおもつた。
「新生」がいいのは、第一に素直な点である。そしてまた肉感的な濃密さがいい。なんだか瓜の肌でも見るやうだ。ただ此の上とも希望したいことは表現の完璧といふことである。つまり簡潔といふことである。このことが果される時に詩は初めて「作品」として通用するのだと思ふ。