世間には思いもよらない変った渡世をするものがある。たとえば幽霊が
その稼業は「ずまのネタ」である。その道の人にいわせれば魔術と奇術に相違はある、だが大ざっぱに一つ
その「ずまのネタ」屋を、はじめから志した、そんな人ではなかった彼であった。
元は一かい二やり、頭も大切だが指もはたらく投機師で小蟹弥兵衛といっては、その土地で一時はひどく当りつづけ、花の裾を青畳に引きずる女たちの相場を狂わした男である。何でもそうだが当りに浮かれて拡げたまま、いざとなって緊縮するその手際のよさ悪さ、それが人間一代の運命をぴったりきめる関所である筈。弥兵衛はその関所で落第し、大きな地所つき建物を銀行に引渡し、次第下りに落目となり、手狭な借家でありしその日の栄華をしのぶ、所謂ご沈落の態となったとき、ふと考えたのがよくないことだった。
俺に限らず、浮き沈みは男一代に、ついて廻ることなんだ、そこで沈むときは一と溜りもなくぶくぶくと、金槌流に音も立てずに沈んでしまうから、今の俺のように手も足も出なくなる。これでも多少の資金があれば、もう一度小蟹弥兵衛の天下にしてみせるのだが、何をいうにもレコがない。さあ、そこでだ。と弥兵衛が考えたのは、早くいえば詐欺の方法であった。まず債権者が先手を打って差押えとやってくる。よろしいさあ封印をなさるがいいと、気の悪い執達吏に快く封印をさせる。無論、先方は金庫にもべたりと糊づけの封印をする、されてもこっちはケロリとしている。さすがあの人は度胸がいいと後で噂に出るだろうが、そんな外聞見栄を望んでいるのは、種と仕掛けがあったなら、びくともせずにいられるのが不思議ではない。
弥兵衛の考案は、それからはじまった。というのは、封印を施された金庫の中から、仕舞い込んである有価証券、さては書類を自由自在に、出しもされれば入れもされる、そうすれば封印を何十枚貼られたところで、びくともすることはない筈である。そこを考えたのである。
そういう方面の才能が、天から与えられていた弥兵衛だったのだ。考えつづけて五日目に、横手を摺って、
「出来たッ」
と、凱歌をあげたものである。その考案は||詳しくは遠慮するが||頗る巧妙にされたもので、これならば金庫であることに相違なし、一点の疑いを起させる余地もないほど、叩いても
が、弥兵衛は冷笑した、自分をである。
「今となっては役に立たない。金庫は七所借りをして拵えても、肝腎の入れて置くものがない。ヘッヘッヘッ」
憫笑してその晩は睡ってしまった。
その後しばらくして、弥兵衛はくらしに手詰ってきた。貸す処はなし売る物はなし、口では大法螺を吹いて、今にみろ時節がくればなどと、女房をまず第一に、さも考えがある如く思わせて、質屋通いを卒業させた上、実家へ厭な無心をさせにやった頃、ぶらりと連れ出しに来たのは、これも投機師の、水の上の雲にのりかけている砂地省造という友達だった。
ちと遠出をして名うての旗亭で、砂地め何故か弥兵衛を馳走した。と、果せる哉。
「時にね||君は一度経験があることだが、ガラを食ったときの善後策だが、何かいい方法ってものはないかね」
こんなことだろうと思っていたとおりの相談をうけて、弥兵衛はにやりと笑った。
「それはあるさ。どうだい買うかいその方法を||ちと高いよ、千両だ。それから断っておくが、詐欺の手段を教えるのじゃない。僕は君の処世上もっとも便宜なる金庫を考案したから、その考案を君に売るのだ。勿論、考案を売るのだから他人には今後売らないよ」
砂地がすっかり心を動かしてきたので、
「千両だね。よろしい買うよ||だが、製作は、どうすればいいかな」
「それは実費で僕が引きうけるよ、僕だって考案者としての興味が旺盛なのだ、他人に任したくないからね」
手附に二百円とって、製作には二十里ほど先の都会へ行き、そこで試験製作という触れ込みでつくらせた。出来あがりは予期のとおり、一点の欠けた箇所もなかった。
弥兵衛は、これでまず当座の生活費が出来たので、女房には五百円ポンと渡して、久しぶりに遊びもしてみた。
あれ以来、たよりのなかった砂地省造が、一敗地に塗れた様子は新聞の商況面で知れた。さてはいよいよあの金庫をつかうなと思うと、ことの善悪よりも考案の成功が気遣われた。
「君、いつかのお礼だ」
こっそり夜やってきた砂地が、証券で価格三百円ほどのものをそっと置いて帰って行った。後で聞くと彼はその足で土地を棄てて他国へ出たのだそうな。弥兵衛の考案は役に立ったのである。
三百円、思いもかけず手にはいって、弥兵衛は喜ぶ筈だったが悲しんだ。自分のしたことが悪事の片棒をかついだと思うと、その三百円が汚らしく思えた。
浮かぬ顔をそれから幾日かしていた弥兵衛は、三百円には手もつけず、思い捨てて箪笥の底へ投げ込んでおいた。しかし、後にはつかった。
「俺はもうあんな考案はしまい」
と決心してみると意地悪く、ひょいひょいと面白い考案が湧いて出てくる。
「いけないなあ」
自制しても効能はそのときだけで、蒲団の中で寝つく前、不浄場にいるとき、さては新聞をひろげているときまで、新奇な考案が湧いて出る||もっともそれは考案の素材だけではあるが||で、とうとう弥兵衛は有害ならざる物としての考案をすすめはじめた。そうなると落ちつく処は所謂「ずまのネタ」である。
こうして出発した弥兵衛の渡世であった。しかし、それを本職の者へ売る路は開けてなかった。恰度その頃、有名な奇術の梅玉斎仙辰がその土地へ興行にきた。売り物は「懸賞百円魔法樽」である。樽の中から
「あれも無論結構ですが、私ならこうしますな」
思いついた考案を語ったので、仙辰も太夫元も色を消して驚いた。それから態度が一変して、弥兵衛は梅玉斎仙辰一座から特別待遇をうけた。
弥兵衛の渡世はこうして門が開かれた。
半年に一つ
奇術魔術のネタは外国からカタログを送ってくる、それを見てよさそうなのを買い込み、特殊の工夫を加えて舞台へかける、だから仙辰一座は日本では第一位を常にしめている。長曲斎仙花一座、これも二といって三に下らぬが、万端何彼と仙辰一座には及ばなかった。弥兵衛は仙辰一座に二つ売り、仙花一座には一つ売る、という風にやっていた。
弥兵衛は或るとき、箱抜け||甲を箱に入れて消えさせその代りに乙を出すといった風のもの||の根本的改革を思い立った。かなり苦心して漸く一通りの纏まりをつけ模型をつくった。今度の模型は従来のと違って、真物同様なものをつくった。これは自分でも精力を傾倒したものだけに、ツイそこまで奮発したのである。
小学校へ通っている弥兵衛の長女が、その日突然見えなくなった。母親が頻りに心配しているのに、弥兵衛は存外平気を装っていた、しかし、隠し切れない懊悩がその顔に出ていたので、事実は直ぐわかった。
十二になる長女は改良箱抜けの模型の中にいるのだ、だが、模型は考案の不完成を雄弁に語って沈黙しているのである。外から開こうとして弥兵衛はあぶら汗を既に絞った後だった。とうとう模型は打ち破られ、長女は救い出されたがそのために今だに||十年近く||改良箱抜けは出来ないでいる。
弥兵衛が近来考案したものに、ラジオ応用の魔術がある。考案料が高いので、さすがの仙辰も買わずにいる。いつか舞台にそんなものを見るときがきたら、弥兵衛の手に考案料がはいったのだ、という風に考えるつもりだ。
この考案は頗る面白いもので、今のところ、弥兵衛の外には私だけで、外に知っているものは世界中にない。
近来の弥兵衛はちょいとみると仙骨を帯びている。投機をやっている頃の
その弥兵衛が砂地省造に邂逅した話を終りにつけておこう。
「いつか君に話をいたした砂地省造。彼その後東京へ出て、元来才物じゃから幽霊会社創立をやって、諸方から金を大分掻き集めたのじゃとね。いかん奴じゃよ。零細なる金を集めて態よく横領するのじゃからだ。彼砂地省造はすべて現金でもっておる。皆金庫の中へ入れて置くのじゃ。万一、発覚しても最初は民事訴訟じゃからね、という観察の下に現金を集めたのじゃ。持って逃げるに都合がよいから皆百円紙幣にしてあった。すると火事で金庫が焼けて紙幣も灰じゃ。彼砂地一文なしになったのじゃね。わしの考案した金庫をつかっていたお蔭でのう||あの考案には防火の点には少しの考慮も置かなかったよ。ヘッヘッヘッ」