海の青さに耳をたて 圍ひの柵を跳び越える 仔羊
砂丘の上に馳けのぼり 己れの影にとび上る 仔羊よ
私の歌は 今朝生れたばかりの仔羊
潮の薫りに眼を瞬き 飛び去る雲の後を追ふ
村長邸の裏庭の 百合の花粉にまみれてくる
交番のある四辻で 彼女はちよいと路に迷ふ さうして彼女は風に揚る
椎の木よりもなほ高く 火ノ見櫓の 半鐘よりもなほ高く
雨後の
横雲
そのもとに 鳶の啼く
わが 旅の空
二つ四つ 砂上に咲いた南瓜の花
これらのランプを消し忘れて 夜はどこへいつたか
川の向うへ
夜は貨物列車になつて トンネルにかくれてしまつた
唖蝉よ お前は歌手の姿をして しかも音樂の否定者
お前は一つの矛盾 沈默の詩人 いま婆娑と 私の窗を訪れる
白雲の下 枝頭の禪師
お前の透明な翼に 初秋の空が映り 晩夏の林が透いて見える
土を掘つて 甕を埋め
水を滿たし 鮒を放つた
窗下の秋 芭蕉の蔭に 時たま彼らは音をたてる
假りに私は 彭澤の令 燈火を消して月に對す
書は一卷 淵明集
果は一顆 百目柿
客舍の夜半の靜物を
馬追ひのきてめぐるかな

蝸牛 睡り
百舌 呼ぶ
風に動く
甘い酸つぱい秋の夢 石榴
空にはぢけた
紅寶玉の 火藥庫
秋の日の すがすがしい午前の日ざし 石垣の隙間から
蟹が出る 何かしら小さなものを その赤い爪は拾ひ上げる
はつきりと落ちた 自らの影の上に 爪先立ちで
彼は行き 彼は彳ちどまり さうして彼は戻つてくる
山に向つて 犬が啼いてゐる
その一ところに畑をもつた 夕暮の
谺がかへつてくる また犬が啼く
自轉車が二つ 話しながら麓をすぎる
蝶が一匹 新らしい窓の障子に 半日跪づき
祈祷のさまをしてゐたが 已に 仆れた
さうしてここに 今日囚はれた 目じろの眼
冬 冬である 柱時計を捲く音も
日ひと日 うら山の山懷ろに
おんなじことを喋つてゐる 椋鳥の群れ
松の間 椎の梢に 二羽たち 三羽たち
やがてまた 緑にかくれて······
二つ 三つ 四つ 冬の日の微風に乘つて 海の方
青空の
ああこともなげに 健氣な 小さなものの旅立ちよ
どうかお前に學びたい 日ごろ年ごろ 心配性の私の歌も
秋刀魚ほす
冬の日の
野菜畑の
嘴を研ぐ微かな
お前の唱歌 お前の姿勢 さてはお前の曲藝
それら 願くば なみされたお前の自由よ やがて私の歌となれ
日照れば溜息つく 香ぐはしい冬の薔薇
有明月の
旅にあつて疲れた私 私のための 朝ごとの希望の合圖
嘗て思つただらうか つひに これほどに忘れ果てると
また思つただらうか それらの日日を これほどに懷しむと
いまその前に 私はここに

ああ 百の蕾 ほのぼのと茜さす 一枝の梅
鵯どり啼く端山のほとり 聲たてる小川の上に
槎


さうしてお前は默してゐる 私はお前が羨ましい
海が見える
船が見える
山の狹間の白梅花 枯れ枯れの藪の前に
それらの花は 一瞬 落ちることをやめた綿雪
ああいつとなく 私に親しい人々も 既に半ばはみまかつた
ふと途すがら 昔の家の
それもこの 梅の香りの戲れか 多謝す路傍の君子
||海が見える 一轉瞬の幻を 海の
海のほとり 小山のかげ 今日もその農家の庭に
今日はまた 昨日よりも美しい 君の木影へ 野菜畑の小徑を行かう
そこに主人は跪づいて 牛の蹄を拭いてゐる 海の聞える農家の庭
雀はみな
ジャケツの襟に ちよいとカラーをのぞけてゐる
さうして向き向きに 何か
雨が降つてゐる 濡れた甍に 彼らの胸が映つてゐる
枇杷の樹に百舌がとまつてゐる
百舌も
闇の小窗へ 自轉車が一つ走りこむ
向うの山の 新らしく出來た
水のほとりの
霞の奧に帆が二つ ああこの 皿の中の靜かな風景
皿の外は春の宵 おほかた詩情を失つた 憐れな詩人が夕餉をする
炬燵の上に猫がゐる 眞上にランプが點つてゐる
耳鳴りほどの
やがてランプが光を増す 山も林も見えなくなる 猫は
尻尾を卷きかへる 風が鳴る 榾がはじける 文福茶釜に湯が
帽子よ 年ごろの孤獨の
私の憂ひの表情を いつとはなしに分たれた
お前もまた 私の心の影法師 そを手にとつて 頭に戴き
冬の日の 海邊の村へやつてきた
熊の膽賣りの一行は いたいけな 月ノ輪熊の
熊の仔を 車の檻に入れてきた お頭は口上申す
子分らは鞄をあける 時も時 沖渡る船の
山鳩が啼いてゐる······
去年の春 この林を通つた時も やはり啼いてゐたつけな
今日もまた あそこまで登つてみよう 眸にしみる空の色
櫻の花の雲間から 乙に氣取つて現れた
これはこれ
はたと
木がくれの 山椒の枝に一やすみ
妙高の肩
(思出よ 思出よ 爲すこともなく年を經た 百の詩情)
日沒の
熊ン蜂の羽音ほど 微かな聲をたてながら 尾根を下る送水管
その逞ましい
その直線の指さす方 脚もと遙かの谷底に 發電所の白い建物
樹間がくれに駄馬が一頭 石ころ路を下りてゆく 時たま蹄の音も聞える
正午の村に
あの森の 山寺の 木魚の聲ではあるまいな
いや さうだ 木兎が啼いてゐる また啼いてゐる
桐の花二つ三つ散る 古い火ノ見櫓に 半鐘の新らしい村
とある農家の庭できいた 蠅の羽音
噫あの
耳鳴り
水のほとり みづ楢の若葉の日蔭 靜かなその落窪に 鶯が鳴いてゐる
四方の山が耳をかたむけ 額をあつめて聽いてゐる その歌の
一たびは絶え 二たびは止み また三たび高音を張つて 歌ひつぐ
初夏の調べを 聽いてゐる 雲の峰も遙々と こちらへ崩れてくる樣子
山みちを 犬が歸つてゆく
ああその 山上の 水番小屋の
木の間がくれの
鯉幟
向ひの山の 山襞に 燐寸の箱をぶちまけたほど
錯落と 伐りだされた杉の丸太
やや離れて炭燒小屋 小屋のほとりに 馬が見える 人が見える
時たま 微かな音が起る 後はまた 谿いつぱいの 水の聲
とある普請場の 廣場に溢れた鉋屑
木ッ葉
雄鷄の
初夏や
裸麥の新兵さん
夕刊賣りの時鳥
通りすがりに 私は見た
人影もない谿そこの 流れのふちに
砥石が一つ
使つたばかりに 濡れてゐるのを
日まはり 日まはり
その花瓣の海
その
若かりし日の 夢の總計
旅人よ旅人よ 路をいそげと
海邊をくれば 浪の音
野末をゆけば 蝉の聲
山路となれば
ふと見れば 路のほとりの電柱に
小蝉が一つ啼いてゐる
その電燈の影もうすれた
明方の 土の薫り 草の薫り
夏日午下 時に寂寞に疲れ
途に彳つて
鳥の飛ぶ姿を見る
囀鳴 また寥爾
路の上 土藏の壁に
火ノ見櫓の影
火ノ見櫓の
雲を纏つた 妙高嶽
空しいひと日 しかし樂しいひと日
樂しいひと日 しかし空しいひと日
牛乳車はからからと
村の酒屋の 酒倉の 日蔭に搖れる 白桔梗
燈火うす暗い湯殿の隅を 五六匹 大山蟻が走つてゐる
その一匹はたちどまり いそいそと 仲間の者らと私語をかはし
また小走りに走りだす 彼等の向ふ一つの方角
この夜ふけ 何の仕事に就くのであらう 憐れにも 虔ましい
一つ また一つ 雲は山を離れ 夕暮れの空に浮ぶ
雨の後 山は新緑の襟を正し 膝を交へて並んでゐる
峽の奧 杉の林に 發電所の
さうして後ろを顧れば 雲の切れ目に 鹿島鎗
圓い小窗を穿たれた 立枯れの赤松の樹は
この丘の
はや三日月は傾いて
山山に 霧の濃淡