神童が入って来る||会場はしんとしずまる。しずまったと思うと、やがて人々は手を叩きはじめる。どこかわきのほうの席で、ある生れながらの支配者、統率者である人が、まずはじめに拍手したからである。人々はまだなんにもきかぬうちから、喝采を浴びせている。それは大仕掛な宣伝機関が、この神童の先に廻って活躍したので、知るも知らぬも、みんなすでに眩惑せられているのである。
神童は、一面にアンピイル式の花環と、大きな仙花とで刺繍せられた、華麗な
着物はすっかり白絹ずくめである。それが満場にある種の感動をみなぎらせる。奇抜な仕立の小さい白絹の上着の下に、飾り帯をしめている。靴までが白絹製である。ただし白絹の半ズボンは、濃い鳶色のあらわな脚と、くっきり映り合っている。神童はギリシアの少年なのである。
ビビイ・ザッケラフィラッカスと彼は呼ばれる。これがもとから彼の名である。「ビビイ」というのは、なんという名前の略称か、あるいは愛称か、それは興行主のほかにはだれも知らない。興行主はそれを商売上の秘密だと号している。ビビイの髪は滑らかで黒く、肩まで垂れているが、それでも横のほうで分けてあって、狭い弓なりの、鳶色がかった額にかからぬように、小さな絹紐で結んである。世にもあどけない限りの子供っぽい顔に、まだ成りきらぬ鼻と、何も知らぬ口とがある。ただ漆黒の柔和な眼の下のあたりには、すでにやや疲れた色があって、はっきりと
神童は挨拶の喝采がおさまるまで感謝しつづけて、それからグランド・ピアノのそばへ歩み寄る。そこで聴衆は、最後の一瞥をプログラムに投げる。最初が「祝典行進曲」、次が「夢想」、その次が「梟と雀」||すべてビビイ・ザッケラフィラッカス作曲である。プログラム全体がことごとく彼の手に成るもの、彼の作品ばかりである。もちろん彼はそれを書きとめておくことはできないのだが、しかしその小さな非凡な頭の中に、残らず入れて持っている。しかもそれらの作品に、芸術的な意義を認めざるを得ぬことは、興行主が自ら草した広告文の中に、真摯公正な筆でしるしてある通りである。それを読むと、興行主の批評的な性格はこの承認を、苦闘のうちにようやく獲得したものらしい。
神童は廻転椅子に腰をおろして、かわいい脚でペダルをさぐってみる。ペダルはビビイの脚がとどくように、巧妙な仕掛で、普通よりもずっと高く取りつけられている。これは彼自身のピアノで、彼はこれをどこへでもたずさえてゆく。木の台にのっているが、たびたびの運搬で、塗りが大分いたんでいる。しかしそんなことはみんな、ただ事件の興味をますます深めるばかりである。
ビビイは白絹の足をペダルにのせる。それからちょっとこざかしげな顔つきをして、まっすぐ前を見つめながら、右の手を上げる。薄鳶色の、うぶな、子供らしい手だが、手首はふとくおとなのようで、ごつごつと骨が盛り上っている。
ビビイは聴衆のためにそんな顔つきをして見せる。聴衆をすこしは興がらせねばならぬことを知っているからである。しかし彼自身としても、内心では、この仕事に自分だけの特別な悦楽を感じている。誰にも説き聞かせがたいような悦楽を。それはひらかれたピアノの前に腰かけるたびに、いつもかならず彼の身内を流れる、あのくすぐったい幸福である。あのひそやかな法悦のおののきである||彼は決してこの感じを失うことはあるまい。今も鍵盤はふたたび彼にむかってうちひらかれている。この黒白七つのオクタアヴ||その間で彼は幾度、さまざまな波瀾や、魂をゆり動かす変転のうちに、われを忘れたかしれない。しかしまたそれは、磨き上げた製図板のように清らかな、指一つ触れなかったような姿を現わす。彼の眼前にあるのは音楽である。音楽全体である。音楽は彼の前に、さながら人をいざなう海のごとくひろがっている。彼はその中へ飛び込んで、恍惚として泳ぎ、
満堂は息を殺してしずまり返る。それは第一の音がひびく前の、あの緊張である······どんな風にはじまるだろうか。それはこうはじまった。ビビイは人差指で、第一の音をピアノから呼びおこす。思いがけず力強い中音部の音である。ラッパのひびきに似ている。それにほかの音が加わっていって、やがて一つの前奏になる。聴衆は四肢をゆるめる。
会場はある当世風な第一流のホテルのきらびやかな広間で、四壁にはばら色の裸体画が描かれ、そのほか豪奢な円柱や渦巻模様でふちどられた鏡や、一つの宇宙組織にもひとしい無数の電燈がある。電燈は
前方左手には、神童の母親が腰かけている。すこぶる肉附のいい婦人で、二重頤に白粉をつけて、頭に鳥の羽を一本頂いている。それからその隣に興行主がいる。東洋風な型の紳士で、ひどく飛び出たカフスに、大きな金ボタンをつけている。ところで、前方中央の席には、大公夫人が着いている。小柄で皺だらけで、ひからびてはいるが、優雅な芸術なら、どんな芸術でも奨励する。夫人はふかぶかとしたビロオドの安楽椅子に腰かけていて、その足もとにはペルシア絨毯が敷いてある。弾いている神童を見守りながら、両手を胸のすぐ下で、鼠縞の絹服の上に組み合わせて、首をかしげている様子は、けだかい静穏を画にしたようである。そのそばには侍女が控えている。緑の縞の絹服さえ着ているが、だからといってやっぱり侍女の身に過ぎぬので、うしろへよりかかることすら許されぬのである。
ビビイはきわめてはなやかに曲を結ぶ。この小坊主がなんという力で、グランド・ピアノを扱うことか。人々はおのれの耳を信じない。行進曲の主題をなす雄渾熱烈な旋律が、ゆたかな快い補音を伴って、もう一度壮大にもったいぶってひびき渡る。そしてビビイは、あたかも祝典の行列とともに勝ち誇って行進しているかのごとく、拍節ごとに上半身をうしろへ投げる。それから力強く弾じ終って、身をかがめたまま、横のほうへ椅子からずっておりると、微笑しながら喝采を待ちかまえている。
そこで喝采はいっせいに、感動をもって、熱誠をこめてほとばしる。まあ、見るがいい。女のするようなかわいいお辞儀をしているあの子の、あのほっそりした腰つきはどうだ。手を叩け。手を叩け。まあ、待ってくれたまえ。僕はいま手套をとってしまうから。ばんざい。かわいいサッコフィラックス||だかなんだか知らないが。いやまったく、なんというおそろしい小僧だろう。|| ||
ビビイは三度も衝立のかげからまた出て来なければならない。それでやっと許される。立っていた人たちや、遅れて来た人たちが、後ろのほうからわりこんできて、満員の会場にどうにかこうにか席を占める。そこで演奏がつづけられる。
ビビイは自作「夢想」をやわらかに奏でる。曲はすべて
この巧者なこわっぱが、喝采を引き延ばす術を心得ていることはどうだ。衝立のかげからなかなか出てこないし、壇の昇り口でも、すこしぐずぐずしたうえ、あどけない嬉しさを見せながら、花環についている
次に彼は冥想曲を一つと、そのまた次に練習曲を一つ奏した||なかなか
小さななりをして、白く輝きながら、彼は大きな黒いグランド・ピアノの前に腰かけて弾いている。壇上にたったひとりえりぬかれて、模糊たる群衆を眼下に見ている。群衆はみんなでただ一つの鈍い重苦しい魂しか持っていない。その魂に彼は、ひとり離れてぬきんでた魂で、はたらきかけるわけなのである。······柔かな黒い髪は、白絹のリボンごと額へかぶさってしまった。骨のふといよくきたえられた手首が活躍する。そして鳶色がかった子供らしい頬の筋肉のふるえているのが見える。
時々忘却と孤独の瞬間が来る。すると、彼の異様な、薄黒くふちのできた柔和な眼は横へそれて、聴衆から離れて、自分のそばの、絵で飾られた壁のほうへゆく。さらにそれを貫いて進むと、ついに漠然たる生活に充ちた、波瀾重畳の
悲歎と歓呼、高翔と顛落||「僕の幻想曲だ。」と、ビビイはいつくしみ深く考える。「さあ、みんなよくおきき。ここがあの嬰ハ音へ移るところなんだよ。」そして彼は嬰ハ音へ移りながら、ゆっくりと音を延ばして弾く。「みんな気がつくかしら。」いやいや。どうして。みんな気がつきはしないのである。そこで彼は、せめてみんなになにか見せるだけでも見せてやろうと思って、かわいらしい眼つきをして天井を見上げる。
人々はいくつも長い列になって坐ったまま、神童を見守っている。彼等もまたその凡俗な頭脳の中で、いろいろなことを考えているのである。白髯をはやして、人差指に
「芸術か······」と、おうむのような鼻の商人が考える。「そりゃそうだ。芸術というやつはちょっとした明るさや、すこしばかりの賑やかな音や、白い絹なんぞを人生に持って来るのだ。それにあいつはなかなか儲けているぞ。十二マルクの席が、優に五十は売れている。それだけでも六百マルクになると||それからあとの席がすっかりだな。間代や電燈やプログラムを差し引いても、まるまる一千マルクは大丈夫残るわけだ。ばかにしたものじゃないな。」
「さあ、あれはショパンだったわね、あの子がいま弾いたのは。」とピアノの女教師が考える。尖り鼻の婦人で、ちょうど希望が眠りについて、理智が鋭さを増してこようという年配である。「あの子の弾きかたはあんまり直截じゃないといえるわ。わたしあとでそういおう。どうも直截なところが足りませんて。そういうと聞えがいいから。それにあの子の手の置きかたは全くいいかげんだわ。ほんとは、手の甲に一タアレルの銀貨をのせられるくらいでなければいけないのに。······わたしなら
微妙な思想のよく浮かんでくる、あの緊張した年頃の、蝋細工のような顔をした若い娘が、ひそかにこう考える。「まあ、あれはなんでしょう。あの子は何を弾いているのでしょう。あれは情熱じゃないの、あの子が弾いているのは。でもあの子はまだほんの子供なのにねえ。もしあの子がわたしに接吻したとしても、きっと自分の弟がしたような気がするだけだと思うわ||接吻とはいわれないと思うわ。いったい遊離した情熱というものが、それ自身だけで、地上的な対象のない、ただ熱烈な子供のたわむれにすぎないような情熱というものがあるでしょうか。まあいいわ、もしこんなことを口に出していったら、きっとまた肝油を飲めっていわれるのよ。世の中ってそうしたものなのだわ。」
円柱の一つに、士官がもたれている。大当りのビビイを眺めながら、こう考える。「きさまもさる者だが、わしもさる者だ||おのおのその道によってな。」とはいうものの、彼はかかとをぴたりと合わせて、あらゆる現存の権力に捧げる尊敬を、この神童にも捧げている。
ところが批評家は||初老の男で、黒く光る上着と裾を折り返した、はねの上ったズボンとを着けているが、無料の席に坐りながら、こう考える。「あいつを見ろ。あのビビイを。あの腕白小僧を。個体としてはまだ生長の余地があるが、しかし類型としてはもうすっかり出来あがっている。芸術家の類型としては。あいつはもう心の中に、芸術家の尊厳と陋劣と、その知ったかぶりと、神聖なる霊感と、その軽蔑と、ひそかなる陶酔とを持っているのだ。だが、そんなことを書いてはいけない。書くにはあまりよすぎる。ああ、まったくだ。おれだって、もしこんなことを一々こうもはっきりと見透かさなければ、自分でも芸術家になっていたろうになあ。」
そのとき神童は演奏を終る。すると、会場にはほんとうの嵐のような騒ぎが起る。神童は何度も何度も、例の衝立のかげから現われねばならない。ぴかぴかするボタンの男が、また新しい花環を重そうに運んで出る。月桂冠が四つに、すみれで七絃琴の形に作ったのが一つ、ばらの花束が一つである。この寄贈の品々を神童に渡すのに、その男では手が足りないので、興行主が自ら壇上に出向いていって、てつだいをしてやる。そしてビビイの頸に、月桂冠を一つかけてやったうえ、優しくビビイの黒髪をなでる。と、突然たまらなくなったように身をかがめて、彼は神童に接吻した。大きな音を立てて、まともに口の上へ接吻したのである。すると嵐はたかまって、はやてになる。この接吻が電波のごとく広間中につたわり、神経の戦慄のごとく、会衆の心を貫き走ってゆく。狂暴な喧噪慾が人々を夢中にさせる。すさまじい拍手の音にまじって、こわだかいばんざいの叫びが聞える。ビビイの足もとにいる彼の小さい凡庸な同輩たちの中には、ハンケチを振っているのがある。······しかし例の批評家はこう考える。「むろんそうさ。興行主が出てくるにきまっていたのさ。古い有効なしゃれだ。やれやれ、まったくこうなにもかも見すかしてしまってはね。」
やがてこの神童の演奏会は終りに近づく。七時半にはじまって、八時半にすむのである。演奏壇には花環が溢れているし、ピアノの燭台には、小さな花鉢が二つのっている。ビビイは最終の曲目として、「ギリシアのラプソディ」を奏する。曲は結局ギリシアの国歌に移ってゆく。そしてもしこれが高級な音楽会でなかったら、ビビイと同国の来聴者たちは、一緒になって歌い出す気になったかもしれない。その代りに、彼等は最後に猛烈な喧噪で、熱狂した騒動で、国民的な示威運動で、埋め合わせをつけた。ところが、あの初老の批評家はこう考える。「むろんそうさ。国歌が出てくるにきまっていたのさ。すこしほかの畑へ持ってゆくのだな。煽情手段を一つもあまさず試みるのだな。それは非芸術的である、とおれは書いてやる。だがもしかすると、正にこれが芸術的なのかもしれないね。芸術家とはなんぞや。道化役者である。批評が最高のものなのである。しかしそんなことを書いては大変だ。」そして彼は例のはねの上ったズボンのまま立ち去った。
九度か十度呼び出された後、上気した神童はもう衝立のうしろへは行かずに、段を降りて、聴衆席のお母さんと興行主のところへやって来る。会衆は算を乱した椅子の間に立って喝采してから、ビビイを近くで見ようというので、前のほうへ押しかけてゆく。中には大公夫人をも見ようとするのがある。そこで演奏壇の前には、神童の廻りと大公夫人の廻りとに、二つの厚い輪が出来上ってしまって、いったい二人のうちどっちが、謁見をおおせつけているのやら、よくわからなくなった。しかし侍女は命を奉じて、ビビイのところへ出向くと、ビビイの絹の上着をちょっとつまんだり伸ばしたりして、ビビイに参内の資格を与えたうえ、自分の腕に手をかけさせながら、ビビイを大公夫人の前へ連れてきて、妃殿下の御手に接吻するようにと、おごそかに指図する。「そなたはどうしてあのようによう弾くのやら。」と大公夫人が問う。「あそこに腰をおろせばひとりでに心に浮かぶのかえ。」||「はい、さようでございます。」とビビイは答える。しかし腹の中では「なんだい、ばかな婆さんだなあ······」と思っているのである。やがてはずかしそうに、かつ無作法に、くるりとうしろを向いて、ふたたび自分の同族のところへ行ってしまった。
外の携帯品預り所では、黒山のような人がごった返している。番号札を高く差し上げる。両腕をひろげながら、毛皮や襟巻やオオヴァア・シュウズなどを、テエブル越しに受け取る。どこかで例のピアノの女教師が、知人たちの間に立って、批評を試みている。「どうも直截なところが足りませんわね。」と彼女はいって、あたりを見廻す······
大きな壁鏡の前で、若い上品な淑女が、その兄弟なる二人の少尉に、夜の外套と毛皮の靴とを着けてもらっている。青黒い瞳と、純種の清明な顔とを持つ佳人である。正銘の貴族令嬢である。支度がすむと、令嬢は兄弟たちを待っている。「そんなにいつまでも鏡の前に立っているものじゃないことよ、アドルフ。」と、彼女は小声でおこったように、兄弟の一人にいう||鏡に写った自分のきれいな素朴な顔から離れるに忍びないでいる一人に。へえ、これは御挨拶ですね。失礼ながらアドルフ少尉だって、鏡の前で外套のボタンぐらいかけてもかまわないじゃありませんか。||やがて彼等は立ち去る。アアク燈が雪の煙にぼっとかすんでいる往来に出ると、アドルフ少尉は歩きながら、足を軽く蹴るように動かし動かし、襟を立てて、両手を外套の斜めのかくしに突っ込んだまま、固くいてついた雪の上で、ちょっとした黒ん坊踊りを演じはじめる。あんまり寒いからである。
「子供ね。」と、なにも持たずに両腕をさげたなり、一人の陰気な青年と連れ立って、アドルフたちのあとから歩いてゆく、散らし髪の少女が考える。「かわいらしい子供ね。あの中にいたのは、崇拝してもいいような······」それから大きな単調な声で少女はいう。「あたしたちはみんな神童なのだわ。あたしたち創造する者はね。」
「これは、これは。」と例の「
しかし陰気な青年は、少女を言葉通りに理解して、ゆっくりとうなずく。
そのまま二人は黙る。そして散らし髪の少女は、貴族の姉弟たちを見送る。少女は彼等を軽蔑している。しかし彼等を見送る||彼等の姿が角を曲って見えなくなるまで。