「あら
「||||」
恐ろしい魅力のある声を
不意に呼びかけられて、右手に編笠を
「
「お前は?」
「
余吾之介はその
「お、なるほどお秋か、久しぶりであったな」
「お詣りでいらっしゃいましたか」
浅草観音の仁王門をでたところへ声をかけられたのですから、これは間違いもなくお詣りです、まだ奥山に見世物も玉乗りもなかった頃||
「左様」
「お立寄り下さいませ、秋の家へ」
「さア」
「母がどんなに喜びますでしょう」
「この近所か」
「ツイ
少しぞんざいな口をきいて、お秋はよりそうように
二人はそのまま田原町から
よく磨いた格子のなかには、御神灯がブラ下って、居間の長火鉢の上には、三味線が二挺||それを見ると、余吾之介は二の足をふみましたが、
お秋はその頃江戸の町に散在していた、町芸者の一人だったのです。
「元は?」
座もきまらぬに、余吾之介は、うろうろ四方を見廻しております。
「母はあれにおります、余吾之介様」
指した方には、ささやかな仏壇。
「何? 死んだのか」
「え、達者でいるとは申しませんでした、待っているとは
「それは」
余吾之介はそれっきり苦笑いを噛み殺しました。騙されて
「それでも母は、死ぬまで申し暮しておりました。余吾之介様はお見かけは優しいが、お家中でも名誉のお腕前だから、キット悪人共に思い知らせて下さるに違いない||と」
「||||」
「
「||||」
余吾之介は驚きました。こんな色っぽい女の口から、最上家の悪人退治などいう
山形の城主最上
最上家の没落は領主源五郎義俊が酒色に
「余吾之介様、山野辺も、楯岡も、のめのめと江戸に帰っております」
「||||」
「向島の山野辺の寮で碁などを打って、気楽に暮しているという噂を聞くと、私は腹がたってなりません」
「||||」
「あの二人を斬って、御先代様の妄執を晴らし、一つは柳川に淋しい謹慎の日を送る、御父上様、備前様を慰めておやりなさいませ」
「いや」
余吾之介は
「俺はどうもその気になれない。訴訟を起して、お家の獅子身中の
余吾之介の述懐は、道理であったにしても、気が弱そうで、頼りないものでした。
「それでは余吾之介様、あんまりなお諦めじゃございませんか。最上の御家の仇、御父上の敵が、眼の前で栄耀な暮しをしているのを、黙って眺めていては、御刀の手前||」
「お秋、俺は随分両刀を投げだして、町人百姓にでもなりたい||とつくづく思うことさえある」
「余吾之介様」
お秋は火鉢の向う側からにじりよると、余吾之介の膝に手をかけて、ゆすぶり加減に顔をのぞくのでした。江戸の町芸者らしい、
「いや、もう言ってくれるな、俺は臆病になったのだ」
「そんな事があるものでしょうか、余吾之介様。最上藩中、一番の使い手と言われた方が」
「いや、腕と魂は別物だ、俺はもう人を斬ることなど思いもよらない」
「||||」
お秋は黙って男の肩へ手をかけると、その
「お秋、それでは又来る」
「あれ、余吾之介様」
お秋の
「お秋」
「それはあんまりじゃございませんか余吾之介様。天にも地にも頼る者のない私、||乳兄弟に逢った嬉しさに、ツイとりのぼせて、何を申上げたか存じませんが、これっ
「又来るよ」
お秋はこの上絡みつきもならず、やるせなさに身をもんで、涙ぐんでさえおりました。
「それではせめてお宿を
「本所番場町、
「私が参っても
「いや、それは」
「
「||||」
松根余吾之介は、宵闇の路地の外に立っておりました。お秋のむせ返るような妖艶なとりなしもさることながら、本所番場町の浪宅に、淋しく留守をしておる
「お帰り遊ばしませ」
「大層遅くなった、||鹿の子も知っておるであろう、お元の娘のお秋に逢ってな」
「まア。||綺麗な方でした、何をしていらっしゃるでしょう」
「||||」
町芸者||とはさすがに余吾之介も言いかねました。とって十九になったばかり、一年越し、狭い浪宅に差向いで住んでいても、祝言前の隔てを取去ろうとも、取去らせようともしない鹿の子は、お秋に比べると、あまりにも清らかな存在だったのです。
「先程
「遠藤?」
「シモン遠藤様」
「えッ」
「||当上様はことの
慎ましく膝に置いた手をあげると、胸元でそっと十字を切って、鹿の子は余吾之介の顔を仰ぎました。
まだ誠の神の
シモン遠藤のような、江戸
「隠さず言ってくれるのは嬉しいが||、シモン遠藤殿に逢うのは危い、気を付けるがよい」
「ハイ」
妙な気まずさ、二人は別々のことを考えて居りました。
「お秋は妙なことを言うのだ」
「||||」
それを迎えて、静かに、慎み深く、またたく黒い瞳。
「山野辺、楯岡一味の者が、向島に栄耀の日を送っておる、最上家の仇、最上の怨み、あれをその
「マア」
「武道のため、斬ってしまえと言うのだ」
「私風情が申す
「されば」
「どうぞ、左様な事を思い
「心配するな、俺はまだ
「余吾之介様」
二人は手をとりあうでもなく、雛と雛のように、静かな顔を見合せるのでした。
「今晩は」
「ハイ」
不意に
「浅草から参りました。お秋さんが九死一生の大難で、放っておけばどんな事になるかわかりません、旦那様にお願い申してくれということで||」
「何? お秋が
余吾之介が格子から顔を出すと、外は冷たい月、人間の
「どうしたのでしょう」
おろおろする鹿の子を押し
「鹿の子、
「あ、もし」
「心配するな、後を頼む」
疾風のように男の姿は月の
元和九年十一月二十四日、イタリー人エロニモ師や、
「己れッ」
「な、何をしやあがる」
囲みは自然に解けて、五六人の荒くれ男、手拭や風呂敷で面体を包んだのが、棍棒、
「無礼者ッ」
続けさまにもう一人二人、元より斬って捨てるほどの相手ではありません。キナ臭くなるように
「それッ」
妙な合図を残して、蜘蛛の子を散らすように、逃げうせてしまいました。
取残されたのは、縛られたままのお秋と、つままれたような余吾之介とたった二人、お秋のこの時の様子は全く言いようもない不思議なものでした。
赤い
「あら、
一塊の赤い物が、くねくねと身を揉むのを見ると、
「||||」
余吾之介は思わず顔を
「縄を解いて下さいな」
「お」
女が縛られていることに、漸く気がついた余吾之介は、後へ廻って、解こうとしましたが、女の怪しい姿態に魅せられたのか、指がなかなか言うことをきいてくれません。それにしても、何んという厳重な
「縄を切って下さいな」
「む」
思い出したように、畳の上へ置いた抜身を取上げると、手首に絡む縄の間へ入れて、サッと切り解きました。
「あッ」
血が、いや、血と見たのは、
「余吾之介様、私は、私は
縄をとかれると、お秋は
「
「あれは楯岡の
「楯岡?」
「私にいやらしい奉公をさせようと、手を代え品を変え苦しめております」
「||||」
妙な反感が、余吾之介の胸にこみあげます。
「余吾之介様、私は我慢がなりません、お願いでございます。せめて楯岡にだけでも思い知らせてやって下さいまし」
「よし、行ってやろう、向島の
「御案内いたしましょう」
お秋は
「さア」
余吾之介はもう外に出ております。
「何んか持って参りましょうか」
「||||」
「鉄砲や脇差はありませんが、菜切庖丁か
「馬鹿なッ」
「ホ、ホ、ホ」
一陣の薫風を先だてて、お秋も戸の外へ、懐かしそうに押し並んで余吾之介の顔を振り仰ぐのでした。
「
「シッ」
二人は
「楯岡甲斐は
「よし」
「
「
余吾之介は越せば越せる低い塀を見ながら、お秋を顧みてこう言うのでした。
「いえ、私は余吾之介様の勇ましいお働きが見たいのでございます」
「危ないぞ」
「大丈夫、危いところへは参りません」
「||||」
余吾之介はその上争いませんでした。たった今日初めて逢ったばかりですが、この女の異常な物好みが、余吾之介にもよく解るような気がしたのです。
塀は六尺そこそこ、手を掛けて何んの苦もなく飛越すと、厳重に締った木戸を開けて、
「入れ」
お秋を引入れました。
幸い月は隠れて、冷々と
「余吾之介様」
「||大きな声を出して、中の人数をおびき出してくれ。人が出たら、木立の中に隠れるのだ、俺はその間に家の中へ入る」
「||||」
お秋は黙ってうなずきました。女に取っては思いの外の大役ですが、お秋は見ん事やりとげて見せる積りでしょう、何んのこだわりもなく引受けると、余吾之介の側を少し離れて、
「火事だ、火事だ、火事、火事」
打ちこわしにならない程に呶鳴って、サッと深い木立の中に身を隠しました。家の中は急にザワめいて、
「
二三ヶ所雨戸が開いて、バラバラと人が飛出します。
その隙を狙って余吾之介、パッと家の中へ||
暫らくは他愛もない騒ぎが続きましたが、結局、
暫らくは何んの音も聞えません。
ものの小半時もたつと、
「
「
家の中は又急に騒ぎ出しました。
今度は棒を入れて掻きまわしたような大混乱です、悲鳴と、
真ん中に刃を振り
「あッ、女もおるぞ」
「逃すなッ」
木立に潜んでいたお秋、思わず庭に出たところを、多勢の者に見つかってしまったのです。
「あッ」
逃げようとしたが及びません、飛付いた男の腕、後から
「己れッ」
それと見た余吾之介、二三人踏み倒して飛込みざま、お秋を引立てる男を、
「わッ」
最初の血潮が流れました。
「来い」
血振いして構えた青眼、余吾之介の眼は
「余吾之介様」
「お秋、楯岡は留守だ、引揚げよう」
二人は
余吾之介はそのままお秋の家へ引返しました。お秋に執着を感じたわけではありませんが、血汐に汚れた手も洗わずに、夜と共に静かに静かに祈っておる鹿の子の
一と休みして起きると、もう、陽は高く、狭い中庭に落ちておりました。
顔を洗うともう酒。
「余吾之介様、嬉しいじゃございませんか」
銚子を取って、お秋の眼が精一杯の
「何が?」
余吾之介の答は、思いの外の素気ないものでした。
「
「||||」
「||||」
「もうどんな事があっても帰しはしません」
お秋はそんな事を言いながら、一脈の物足らなさを紛らしておるとも知らぬげに、余吾之介は、黙って考え込んでばかりおります。
「お秋、山野辺右衛門大夫の寮は
「白鬚橋の近所||よく存じております、そのうち折を見て御案内しましょう」
「今晩は?」
「昨夜の今日では」
お秋の方が
「それではもう少し折を待とう」
それからは酒、酒、酒。
思い出さないわけではなく、正しく言えば、出来るだけ思い出そうとはしなかったのでしょう、とに角余吾之介の心はこうして、一日一日と血の雨を望む
「余吾之介様、山野辺の寮の様子を見て貰いました」
ある日お秋は、不思議なことを言い出します。
「ホウ、どんな様子だ」
「一時厳重に固めておりましたが、近頃は警固もすっかり緩んで、ろくな奉公人もいないということでした」
「それは
「余吾之介様」
「なんだ」
「警固がないといっても、ずいぶん危い仕事じゃありませんか」
「そうかも知れぬ」
「間違えば命に
「
「余吾之介様」
「何んだ」
「これっきりお別れになったらどうしましょう」
「何をつまらぬ」
余吾之介は、その両脇に手を差し入れて、ソッと抱き起すと、少し
「こんなに思い込んでいるのに、余吾之介様、それはあんまり情無いというもの」
「待て待て。お秋は勘違いをしているのだ、俺には、鹿の子という、まだ祝言はせぬが、定まる
「||||」
「お前の気持はよく解るが、この上の罪を重ねるわけにはゆかぬ」
「それでは、どうして番場町へ帰りません」
「俺は鹿の子が怖いのだ、あの女は、あまりに
「それじゃ鹿の子様は、もしや昔のままの切支丹の宗門を||」
「これ、つまらぬ事を言うな」
「あの頃は禁制といっても大したことはありませんでした。山形におる頃は、私も鹿の子様と一緒に、お
「もうそんな話は止めだ。それより、楯岡の家来共が、あれっ切り
「ホ、ホホ」
「何を笑う」
「あれは皆んな私の細工とはお気がつきませんでしたか」
「何?」
「大急ぎで番場町へ帰った余吾之介様が憎らしいばかりに、町内の悪に少しばかり握らせて、あんな芝居を書きました」
「||||」
そう聞くと思い当ることばかり、余吾之介も、
その晩、白鬚橋の襲撃は、余吾之介の方から言えば手違いだらけでした。
何を感じたか、あんなに血を見ることの好きなお秋は行かず、余吾之介一人出かけたのですが、||それは、なまじ足手
警固はない||という報告は、余吾之介をおびき寄せる為の詭計で、締りもない門に飛込むと、いきなり十人あまりの腕達者が、闇の大地から湧いたように余吾之介を取巻いてしまったのです。
「それ鴨がかかったぞ、逃すな」
八方から
「己れッ」
余吾之介も血に餓えておりました。刃を舞わすと、近間の一人を斬って落し、二人ばかりに手を負わせて、サッと縁側に飛び上りました。
が、罠は到る
「逃すな」
十人が二十人になり、三十人になり、最後には、飛道具や、さす又や、本職の捕物道具まで
余吾之介は、続けざまに斬り立てました。嘗て、山形藩随一の使い手と言われた腕は、異常な興奮に冴え返って、触るる者悉く斬って、自分も満身の返り血に
幸い手傷はおいませんが、相手に用意があるだけ、闘争が長引けば、たった一人の方が負けに決まっております
目ざす山野辺右衛門大夫は顔も見せません。
「卑怯な
二度、三度、猛烈な襲撃をくれ、さっと身を引くと、辛くも血路を開いて、余吾之介の身体は元の庭へ||
「それ逃すなッ」
追いすがる潮のような人数。
「あッ」
余吾之介は張り渡した縄に足を取られて、思わず闇の中にもんどり打ちました。
「しめたッ」
追い
「わッ」
恐ろしい悲鳴、それを背後に聞いて、余吾之介は塀の上へ
外も一パイの人数、
それから
山野辺一家の家来や奉公人なら
が、十二月二十日過ぎの夜の寒さ、水に退路を求められる時候でもなく、その上困ったことに、山形城に育った余吾之介は、武芸百般暗きはない中にも、泳ぎの方だけは、まことに不得手だったのです。
とある小屋を見つけて入り込もうとしましたが、意地悪く厳重に
捕方は
幾刻かたちました。
夜がほのぼのと明け
「||||」
枝の上の余吾之介は、ホッとした心持で、
何心なく下を見ると、最初の朝陽に照らしだされた枝の上の自分の姿が、下の水へ、蔽うところもなく映っているのです。
「||||」
何んというそれは凄まじい姿でしょう。満身紅に染んで、小袖も袴も破れに破れ、
藍のような真っ蒼な顔、貝殻のようにギラギラ光る眼、桜の枝に
余吾之介はぞっとして身を
余吾之介は滑るように桜の梢から降りると、幸い岸に繋ぎ捨てた船の中へ潜りこみ、朝の往来の始まる前に、血汐を洗い落して身仕舞いをしました。
日の暮れるまで船の中に身を潜めて、番場町へ帰ったのは夜、余吾之介は血潮を浄めて、もう一度、鹿の子の浄らかな祈りの前に立とうとしたのでした。
が、鹿の子の姿は浪宅には見えません。
近所の衆がそっと、
「鹿の子さんは切支丹宗門に帰依した疑いがあるとやらで、縛られて行きましたよ」こう教えてくれたのです。
「えっ」
空しく冷たい自分の家の中を覗いて、余吾之介はどんなに驚いたことでしょう。
「明日は札の辻でエロニモ師やガルベスフランセスコ師や、ヨハネ原主水様や、シモン遠藤様と一緒に
隣りの人はそう言って、そっと宵闇の中に十字を切りました。これもまた、切支丹宗門に心を寄せる一人でしょう。
余吾之介は真暗な家の中に入ると、まだ
「鹿の子、許してくれ、鹿の子」
ボロボロと涙をこぼしながら、当もなく首を垂れました。
明くれば元和九年十二月二十四日(鮮血遺書によれば十二月四日、徳川実記は十月十三日)、原主水以下五十名の切支丹宗徒は三組に分けられて江戸中を引廻された上、東海道品川の刑場に到着しました。
刑場は竹矢来を
見物の男女は竹矢来の外へ犇々と詰めかけ、その数幾千とも知れません、中には家光将軍宣下祝賀のため江戸表へ出た諸国大小名まで交っていると伝えられました。
磔柱を後ろに、ヨハネ原主水は太く逞しき裸馬に乗ったまま「長の牢問いに指は断たれ足は萎えた、が、未来を助かる道を得たれば憂うる心は
続いて、能弁の聞え高き遠藤シモンの演舌は、見物の群衆をすっかり熱狂させ、「私も信者だ」「俺も信者だ」「一緒に処刑して貰おう」と押し寄せた人数だけでも三百余名、さすが警固の武士達も、色を失ってこれを阻止しました。この上邪宗徒の数を増しては、新将軍家光の
時を移さず、五十基の磔柱は、順々に火をかけられました。山と積まれた薪が
その時、
「待って下さい、違った人が一人交りました、あの人を助けて下さい」
「これ、何をする、
飛込んで来た役人、柱から引離そうとしましたが、蛇の如く絡みついて、男の力でも
「この人を助けて下さい、私が訴人して磔柱に上げましたが、このまま
そういうのは、浅草の町芸者お秋、磔柱の上に静かに眼をつぶって、召される運命を待っているのは、言う迄もなく余吾之介の
「何を言う。さア、
二三人の武士、お秋を手取り足取り引離そうとしましたが、
「いえいえ、私こそ切支丹宗徒、||首にかけた十字架を見て下さい、この人の代りに、私を、処刑して下さい、この人を殺してはなりません」
「えッ、二人とも磔柱に上げるぞ」
「私が代ります、私が切支丹です、お願い、お願いでございます、訴人した私が言うのです」
お秋は必死でした。大の男二三人の手も必死の女一人をどうすることも出来ません。
「これこれ、訴人した女が自分で言う事に嘘はあるまい、真実切支丹に相違ない者なら、囚人を代えても差支はあるまいとの仰せだ」
同心が二人、奉行米津勘兵衛の旨を
必死の運命を観念して、磔柱の上に夢心地に祈っていた鹿の子は、このとき始めて目を開きました。遠い国で起っているような騒ぎが、自分の身の上に
「あ、お秋」
「お嬢様、私が悪うございました、訴人をしてお嬢様を縛らせたのは、余吾之介様を独り
お秋はふり落ちる涙を払いもあえず、磔柱の上の鹿の子をふり仰いで口説き立てるのでした。
「お秋、お秋、それは違います」
「いえいえ、私が切支丹に相違ございません。お役人様、聴いて下さい。私は醜い怨みのために、このお嬢さんを訴人しました。本人の私が申すことに何んの間違いがありましょう、
「お秋、私は何んにも怨んではいない、静かに召され||」
「いえいえお嬢様、それはなりません」
燃えさかる焔は次第に近づいて、祈りの声は刑場一パイに
余吾之介が駈けつけた時は、何もかも済んでおりました。五十基の磔柱には焼け
あまりの残酷な姿に、見物は中頃から次第に散って、この時はもう、竹矢来の外に殉教者達の身寄の、悲しみに打ちひしがれた姿を残すだけでした。
「お願い申す、拙者も切支丹宗徒の者、御処刑を願いたい」
余吾之介は焼け爛れた五十の死体に引寄せられるように、竹矢来の中へパッと飛込みました。
「これこれ、入ってはならぬ。何、切支丹宗徒だから処刑されたい」
「
与力らしい立派な武家の前に、余吾之介は小腰を屈めました。
「これこれ、見れば武家のようだが、とりのぼせてはならぬ」
「何と言われる?」
「切支丹だから処刑されたいと望む者が三百人からあった、恐れ多い事ながら、上様は、お膝元に左様に多勢の邪宗徒があると聞かれたら、さぞお怒り遊ばすであろう」
「||||」
「火を見るとツイ誰でも取りのぼせるものだ、帰らっしゃい」
「お言葉だが||」
余吾之介は一歩進みました。と、
「余吾之介様」懐へ飛込むように、顔を見上げるのでした。
「お、鹿の子、無事であったか」
「余吾之介様、お秋が代って死にました、私も処刑を願いましたが許されません、何事も
「鹿の子」
二人は犇と、
活きよ、活きて教義の為に尽せよ||
と言っているようです。
間もなく島原の乱が起り、日本の切支丹は根を絶ち、枝も葉も枯らされましたが、それでも江戸三百年の峻烈無比な禁制を潜って一脈の教義は伝えられました。
十字架を持った観音像を背負って、九州から松前まで、四十年の間巡礼に暮した夫婦者、||余吾とお鹿というのが、その江戸切支丹の源泉でもあり、守護者でもあったのでした。