「親分、大変なものを拾って来ましたぜ」
八五郎のガラッ八は、
「何だ、八、小判か、銭か」
銭形の平次は置き
「そんな物じゃねえ、人間ですよ、親分」
ガラッ八の真剣さ。
「
荒っぽいことを言いながらも、平次はニヤリニヤリと笑っているのでした。
「そんな
「女か、男か」
「両方で」
「何?」
「
「つまらねえものを拾って来やがったものじゃないか、そいつが知れると、日本橋の
心中のやり損ねは日本橋の高札場の下に三日も生き恥を曝された時代です。
「日本橋の高札場なら我慢も出来るが、鈴ヶ森の
「何だと?、八」
「こいつは拾いものでしょう」
「フーム」
平次は炬燵から
「八、誰も居ねえぜ」
「そんなはずはないんだが||」
平次の後ろから八五郎、格子の外を月に透かして仰天しました。
「あッ、居ねえ」
「
平次の声は少し怪談調子になりました。
「脅かしちゃいけねえ、確かに足は二本ずつありましたよ」
「
「親分」
八五郎も
「何て騒ぎをするんだい。幽霊よりお前の声の方がよっぽど虫の毒だぜ」
平次はもうケロリとして笑っております。
「だって怖い話をするんですもの、私はもう||」
お静は胸を押さえておりました。
「親分が悪いや。つまらねえ事を言って、脅かすんだもの。畳なんか濡れているものですか、||心中仕損ねの二人が、ここまではあっしと一緒に来たが、銭形の親分の家と聞かされて、驚いて逃げ出したんですよ、馬鹿馬鹿しい」
ガラッ八は
「それほど先が見えるなら、何だって格子の中へ入れてから、俺を呼出さなかったんだ。話の様子じゃ、だいぶこんがらかった筋のようじゃないか」
「驚いたね、親分。まさか心中の仕損ねが、逃げ出そうとは思いませんよ」
「相手の素姓が判っているのか」
「嘘か本当か知らないが、一と通りのことは訊きましたよ」
「そんなら、あわてるにも及ぶめえ、ここで
と平次。
「そんな事をしているうちに、また心中のやり直しをしませんか、親分」
「永代からここまで来るうちに、寒さが骨身に
「ヘエ||」
「
と平次は呑込み兼ねたガラッ八のために註を入れました。
「でしょうか」
「死にたがっていたのは男かい、女かい」
「女の方で」
「男の方は」
「あまり気の進まない様子でしたよ」
「それじゃ大丈夫だ、男が死ぬ気になると、女を引摺って行くが||」
「ヘエ||」
「ところで、二人はどこの誰だったんだ」
「坂本町の丸屋の娘と、町内の専次とかいう若い男で、建具屋の息子だそうで」
「何? 丸屋? あの日本橋の坂本町のか? そいつは大変だ、
「その養い娘のお夏が、青物町の
「行ってみよう、八、話は歩きながらでも聴ける」
平次は煙草入を腰に、||夜風の寒い路地へもう飛出しておりました。
「待って下さい、親分」
続く八五郎、||そんな事には馴れたお静ですが、この晩ばかりは泣き出しそうな顔で二人を見送っております。||万一畳が濡れていたらどうしよう||そんな事を考えていたのでしょう。
話は一と晩前の事件に戻ります。
日本橋坂本町に、二十年前に死んだ夫の仕事を
脂ぎって、精力的で、ちょっと見は四十七八でしたが、||もうすぐ五十五だから||と口癖のように言っていたのをみると、たぶん五十四だったでしょう。とにもかくにも、自分の歳のサバを読むような、生優しい女ではなく、冷酷で、押しが強くて
そのお米が、あまり立派でない||実用一点張りの殺風景な二階で、一刀の下に刺し殺されていたのを、お米の遠縁で、二三年前から居候している
ところで、その見付けようがまた、恐ろしく変っておりました。ガラッ八の言葉で説明すると、
「居候の茂七が、あんまりひどい小言を食らった上、その晩にも追出されそうなので、お米を脅かすつもりかなんかで、質物の脇差のうちから、一番よく光る大ナマクラを持出し、そいつを
「なるほどそいつは変っているな、||曲者はどうしたんだ」
「茂七は逃げて行く曲者の後ろ姿をチラリと見た||と言いますが、二階は四
「青物町の久三郎
「茂七の持っていた脇差には毛ほどの
「フーム」
「青物町の親分は、一番先に養い娘のお夏に目を付けました。お夏はお米の
「············」
「お米婆さんの眼の玉が白くなると、下手人の疑いは一番先にお夏に掛る道理じゃありませんか」
「専次は?」
「その晩尺八の復習で、丸屋の隣の
「で?」
「お夏が縛られそうになると、専次と二人で飛出してしまいました。縛られるくらいなら死んだ方がいいとか何とかで、気の進まない男を口説いて、永代まで来たところを、あっしに見付かったんで」||
ガラッ八は、ありったけの聞込みをさらけ出して、耳の後ろをポリポリと掻きました。その大事な二人、心中仕損ねのお夏専次を逃がしてしまったのは、何としても面目が相立ちません。
これだけの説明を聴くうちに、平次と八五郎の足は、神田から日本橋へ、一気に駆け付けておりました。もう
「八、あれがお夏とかいう娘じゃないか」
平次は丸屋の向う側、もう大戸を閉めた店先の
「あッ、有難え、死なずにいましたよ、親分」
八五郎は飛付くように、脅え切った娘の方へ進みます。その退路を絶つように平次。
「おどかすなよ、八、すっかり
静かに娘の顔を差しのぞきます。
「何だって親分の家の前から逃出したんだ、とんだ心配をしたぜ」
とガラッ八は、少し噛み付きそうです。
「済みません」
お夏の消えも入りたい風情を、平次はあわれに見やりました。店先の隈を出ると、満面に青白い月を浴びて、十八娘の可愛らしさが、この上もなく効果的に見えるのでした。
「まア、いいやな、久三郎
お夏は
「専次はどうした」
「一緒に来るというのを、||それではかえって具合が悪いから、そこで別れました」
お夏の声はともすれば恐怖に絶えるのでした。
「それもよかろう、さア、万事は俺に任せるんだぜ、解ったか」
「ハイ」
平次を先に、お夏を中に挟んで、ガラッ八が
「御免よ」
「どなたで? 今晩は取込みがございますが||」
番頭らしい
「神田の平次だが||」
「あ、銭形の親分さん」
番頭は立ち
「何だ何だ、お、銭形の
青物町の久三郎です。平次の姿を見ると、競争意識が一ぺんに
「そんなわけじゃねえ、||永代から身投げをしかけた娘があったから、危ないところで止めて、送り届けて来たまでさ」
「えッ、その娘が、||あの、身投げをしたというのかい」
「何だか知らねえが、縛られるくらいなら身を投げて死んだ方がいいという
平次はさり気なく言いながらもこの事件に少なからぬ興味を持っている様子です。
「急に見えなくなるから、とんだ心配をしたぜ」
久三郎は照臭そうに、お夏の機嫌をとりました。
「ところで、修業のためだ。ちょいと現場を覗かしちゃ貰えまいか」
と平次。
「あ、いいとも、どうせ銭形の兄哥の智恵も借りなきゃなるまい。殺しがあってから、まる一日一と晩経つが、まるっきり眼鼻が付かねえ」
久三郎は少し苦い顔をしましたが、口前だけは器用に、平次の望みを
「お
と平次。
「遠い親類があるそうで、明日もむつかしかろうと言うよ。お通夜の衆に遠慮して貰って、仏様を見るか」
「いや、それには及ぶまい。左貝殻骨の下から、胸まで突き刺す手際じゃ、娘の仕事でないことは判り切っているから」
久三郎はもう一度苦い顔をしました。奥の一と間に集まったお通夜の衆は、世間体を憚って、本当の近親ばかり、平次はその中に交って、百万遍の
「ちょいと、親分さん」
「誰だい」
ガラッ八の八五郎は、
「茂七さんは人なんか殺せる方じゃありません。どんな事を言っても、あの人ばかりは疑わないで下さいな」
「そりゃ一体どういうわけだい」
ガラッ八は闇を透かしました。外は美しい月夜ですが、そのせいで建物の蔭になる中庭の暗さは一倍です。
「頼みましたよ、親分さん、悪者は外から入って、お
仇っぽい声はそれっきり
「チェッ、勝手なことを言うぜ」
ガラッ八は大きい舌鼓を一つ、クルリと元の
「八、今のは誰だ」
「あ、親分」
いつの間にやら平次が、八五郎の後ろに立って、ニヤリとしていたのです。
「とんだ邪魔をしたようだな||たいそう仇っぽい声がしたが、あれは誰だい」
「それが解りませんよ、||何しろ中庭は真っ暗だ、||女には違いないが、
「何を言ったんだ」
「茂七は人を殺すような男じゃないから、疑わないようにしてくれと言うんで、||悪者は外から入ったに相違ないとも言いましたよ」
「すると下手人はやはりこの家の者かな」
平次は裏の裏を考えていました。
「とにかく、変な女ですね。あの声を聞くと、ぼんのくぼへ
それ以上は二人にも解りません。
青物町の久三郎を誘って、お米が殺されたという二階も見ましたが、階段が裏表にある上、部屋が並んで四つもある有様で、曲者にとっては
「これでは||」
平次もさすがに
お米の刺された部屋は、畳の上の血潮もそのまま、何となく昨夜の不気味な情景を思い起させます。
「八、ここへ一人ずつ呼んでくれないか、最初は一番怪しい茂七だ」
平次は久三郎の無言の承諾を得ると、早速銭形流の調べに取りかかります。
「ヘエ||」
八五郎は通夜の席から、そっと居候の茂七を呼出して来ました。
「親分さん、御用だそうで||」
平次と久三郎へ等分に挨拶したのは、三十前後の
「お前と殺されたお神さんとは、どんな筋合になるんだ」
平次はこういった平凡なことから始めました。
「私の叔父の
「さア解らない」
「まア、他人のようなものですよ」
「近頃、お神さんとの仲が面白くなかったそうだね」
「ヘエ、||まア、私も悪いには違いありませんが、あんまり
「それだけか」
「それだけかとおっしゃっても、私にとっちゃそれだけじゃ済みません。三年越し店を手伝って、奉公人並みに働きながら、一文も給金を貰ったことのない私が、たまたま歯磨きを使ったのが
「············」
茂七はさすがにゴクリと
「お神さんの部屋から飛出して、向うの
「男か、女か」
「それが判りません。何しろ江戸一番の締り屋で、二階廊下が危ないのを承知の上で、どうしても
「············?」
「何心なく部屋へ入ると、||驚いたことに、お神さんは、
「どうして死んでいると解った」
「そこら中が血だらけで」
「着物へ吸い取られて、大した血ではなかったというが」
「でも、一と眼で解りましたよ、||あんまりびっくりして、思わず大きな声を出すと、番頭さんが飛んで来ました」
「それから」
「お咲さんも来たようです」
「誰だい、お咲さんというのは」
「番頭の和助さんのお神さんで、||もっとも年は少し上だそうですが」
「それから」
「下女や、小僧も飛んで来ました」
「お夏は?」
「見えなかったようです。もっともしばらく経ってから来ましたが、何でも気分が悪くて、夕飯の後ですぐ寝てしまったそうで」
「それっきりか」
「ヘエ||」
茂七は何もかも言ってしまった安心さに、緊張のうちにもほっとした様子です。
次は番頭の和助、四十男ですが、日蔭の
お米の手足になって、ずいぶん残酷な取立てをするという評判をとった人間です。
「親分さん、御苦労様で」
「番頭さん、幾つだい」
平次は妙な事から訊き始めました。
「本年は
「たいそう若く見えるね」
「御冗談で」
「ところで、お神さんが殺された時は、何をしていたえ」
「
「
「
和助は支配人らしく、いろいろと気を配ったことを言います。
「番頭さんの給料は」
「通って年に十両の約束でございました。が取立ての具合では少々の歩合もありました。もっとも女房がこの家へ住み込まして貰ってからは、それが七両に減りましたが||」
「たいそう少ないようだが」
「ヘエ||」
「お前のお神さんは手伝っていたわけじゃないのか」
「お手伝いも致しましたが||」
女主人お米の徹底した
「主人のお米さんが死ねば、この身上は誰のものになるのだえ」
「お夏さんでございましょう」
「お前は?」
「私はお暇になるのを覚悟しております」
「すると、主人が殺されて困るのは、番頭さん一人ということになるね」
平次の質問は妙に皮肉な調子でした。
「いえ、私も少しばかり給金の前借りがございますし、||誠に申しにくいことですが、親分さんの方の手で知れると面倒ですから思い切って申し上げますが、||お神さんには内緒で、少しばかり
「いくらだ」
「前借りは五十両ほど||私の五年の給料でございます。それに費い込んだのは、二三百両もございましょうか」
「あまり少しばかりではないぜ、番頭さん」
「ヘエ||、でも二十年も勤めて、七両や十両の給金では、私も世帯が持てません」
「フーム」
和助の真意は解りませんが、女主人お米を殺す動機だけは確かに持っていそうです。
その次に呼出したのは和助の女房のお咲、これは和助より三つ四つ年上なのと、すっかり世帯崩れの女房振りで、亭主とは
「············」
何にも言わずに、白い眼で平次と久三郎を見上げながら、小刻みに貧乏
「お咲さんといったね」
「ヘエ||」
「お神さんの殺されたことで、何か気の付いたことはないかえ」
「何にもありませんよ、親分さん方」
男のような太い声です。
「和助にろくな給料を出さなかったそうだから、お前もお神さんを
「ヘエ||、でも締り屋で通った方ですから、三度の物にありつけば、我慢が出来ないこともありませんよ」
貧乏摺れのした女房らしい
「お前も給料無しで働いたそうじゃないか」
「その代り、役得もありましたよ」
「はて?」
「お神さんからお金を借りたい人は、みんな私ども夫婦の御機嫌をとったんですもの」
「なるほどな」
平次は妙な
養い娘のお夏も、一応二階の部屋へ呼込まれましたが、これは何を訊いても、最初は筋の通った事を一つも言いません。
「専次と一緒になるのを、どうしてもお神さんが聴かなかったそうじゃないか」
「············」
「どうするつもりだったえ」
「この家を出るつもりでした」
それにしても、不思議に人を
「お神さんが殺されていた時は、どこに居たんだ」
「少し気分が悪くて、横になっていました。
「
「
「専次のことで、もう一度相談するつもりで、二階へ行ったはずだが||」
「············」
「
「············」
お夏は青くなりました。
「みんな言ってしまった方がいいよ、||お神さんを殺したのを、お前だとは決して思わない」
平次の言葉に、仰天したのは、お夏よりもかえって青物町の久三郎でした。それほどの証拠がありながら、お夏の無実を証明するような、平次の言葉が気にくわなかったのです。
「では、みんな申します。||あの晩、私は専次さんのことをもう一度お母さんにお願いするつもりで、裏梯子をそっと登って、二階の部屋へ行きました。お母さんが許して下さらないと決れば、その晩のうちに、専次さんと一緒にこの家を逃出して、
「············」
お夏の話は、思いも寄らぬものでした。
「部屋の障子を開けて、||私はよく声を出さなかったと思います。お母さんは脇差を背中に突っ立てたまま、
「脇差はたしかに背中に立っていたね」
「え、ギラギラしてよく見えました。||私はあんまりびっくりして、思わず飛込んで抱き起そうとしましたが、もうすっかり死んでいるのに気が付いて、怖くなって立ち
「茂七だろう」
「誰だか解りませんが、||私も姿を見られては悪いと思って、どうしてそんな気になったか、今から考えると少しも解りませんが、||裏梯子から
「茂七が二階で騒いだのは、それからすぐか」
「いえ、私が自分の部屋へ帰って、行灯に
お夏の説明は次第に事件に明るさを添えて行きます。
「茂七は何と言った」
「大変だ、皆んな来てくれ、お神さんが殺されている||と言ったようでした」
「たいそう文句が多いようだが、間違いはあるまいね」
「え」
お夏は若い記憶力に自信を持っていそうです。
「もう一つ訊くが、その晩、専次が来なかったのか」
「来たかも知れませんが、あんまりびっくりして、合図を聞き漏らしてしまいました」
「合図は」
「口笛で||でも
「お前と専次の
「知っていて知らん顔をしているのかもわかりません」
これがお夏から聴き出した全部ですが、事件の真相は、次第に解ってくるような気がします。お夏の言ったことを条件書にすると、||
少なくとも、「死体には最初脇差を突き刺したままであったこと」、「その血刀を誰かが引抜いて、どこかへ隠してしまったこと」、「ちょうどその時刻に、専次が来るはずであったこと」、それから、「お夏と入れ違いに二階へ登った人間のあること」、「茂七がピカピカする脇差を持って、二階で騒ぎ出したのは、それからかなり経った後であること」||以上の通りになるわけです。
最後に下女と小僧を呼出して調べましたが、これは灯のない店とお勝手で
「お神さんは、来年は五十五だというのに、近頃は大変若造りで、そっと
これは下女の言葉です。六十の方へ近くなる老女の化粧が、女同士の下女に変な眼で見られるのはあまりにも当然のことでした。
「八、
平次はフト顔を挙げました。どこかの鐘が鳴ります。
「
「夜中だな、が、岡っ引に時刻はない、もう一と働きしようか」
「一と働きでも二た働きでもやりますよ」
「それじゃ来い、夜の明ける前に片付けよう」
平次は月を踏んで飛出しました。続くガラッ八、青物町の久三郎、すっかり平次にリードされて、もう縄張も年の功も忘れてしまった様子です。
「どこへ? 親分」
「丸屋で訊いちゃまずいから、黙って飛出したが、専次の家はどこだか判らないが、自身番へつれて来てくれ」
「合点」
ガラッ八は飛びました。
それから間もなく、建具屋の専次は、八五郎に連れ出されて、真夜中の自身番に待っている、平次の前へ眠そうな顔を持って来ました。
「お前は専次か」
「ヘエ||」
挙げた顔、少し面喰らってボーッとしていますが、二十二三の色の浅黒い小意気な男で、江戸の町娘のお夏が夢中になりそうな型です。
「あの晩のことをみんな言ってしまえ」
平次は高飛車に極め付けました。
「ヘエ||」
「白ばっくれちゃいけねえ。
「············」
平次に脅かされながらも、専次の首は深々と垂れるばかり、一言も物を言う様子はありません。
「八」
「ヘエ」
「耳を借せ」
平次は何やら八五郎の耳に
「やってみましょう、待っていて下さい」
ガラッ八は猟犬のように飛出しました。
それからしばらく、平次と専次の
「どうだ、証拠を突付けられてからじゃ、手前の損だぞ、今のうちに、みんなブチまけたらどうだ」
「············」
「俺は何もかも知っている。尺八の
「············」
平次の答を空耳に聞いて、専次は一言の応えもありません。
「親分、あった、これでしょう」
飛んで来たのは、ガラッ八でした。平次の手へ渡したのは、尺八を入れた
「これだ、どれ、灯を貸してくれ」
行灯の側へ持って行って、
「あッ、血?」
ガラッ八の驚いたのも無理はありません。尺八の籐に喰い込んで、
「専次、これでも黙っている気か、血刀を誰の手から受取って、この袋の中へ隠した」
「············」
「口笛を吹いて合図した時、お前に血刀を渡した者があるはずだ、||お夏ではあるまい。お夏が見た時は、刀は死骸に突っ立っていたはずだ。お夏はそれを抜いてお前に渡すはずはない、お夏がお前に血刀を渡したなら、下手人は間違いもなくお夏だが、血刀を渡したのが他の者なら、下手人はお夏でない」
平次の推理が手厳しいうちにも、専次を安心に導く様子でした。
「············」
「俺は最初、下手人はお前かも知れないと思った。お夏が刀を隠したなら、お前が下手人だ」
「············」
「お前が下手人なら、一度お米を刺しておいて、また刀を取りにあの家へ入るはずはない」
「············」
「下手人は、お前でも、お夏でもない。これはみんなお前やお夏に疑いをかける細工だ」
平次の推理は次第に専次の頑固な心を動かして行きました。
「本当でしょうか、親分、お夏に疑いは掛らないでしょうか」
「大丈夫だ、俺が引受ける、この平次がお夏を引受ける、||血の付いた脇差をお前に渡したのは誰だ、言ってくれ」
「茂七ですよ、親分」
「何?」
「私が口笛の合図をすると、裏口へ茂七が出て来て、||お夏が間違いを起した、親殺しにされちゃ気の毒だから、この血刀をどこかへ隠してくれ、あとの始末は俺が引受けるから||と言って、生血の付いた脇差を渡しました。あんまり驚いて口も利けなかったので、そのまま尺八と一緒に袋へ入れて、しばらく皆んなの相手をして時を過し、そっと脱け出して脇差は江戸橋の下へ
「何だって、その
と平次。
「お夏が縛られるかも知れないと言って、私のところへ来たので、てっきり、下手人はお夏と思い込み、永代まで行って飛込むつもりでしたが、八五郎親分に止められて||」
「その先は判った」
平次はそこまで聴くと、専次を帰して物思いに沈みます。
「親分、下手人は茂七に決ったじゃありませんか、すぐ手を廻しましょう」
「いや」
平次は首を振ります。
「青物町の親分は、飛んで行きましたよ」
ガラッ八はこの手柄を、久三郎に横取りされるのが心外そうでした。
「放っておけ、||茂七が下手人なら、何だって、もう一本の新しい脇差なんか抜いて、死体のある部屋へ二度目に飛込んだんだ」
「
「いや、自分で殺しておいて、血刀を専次に隠させ、新しいピカピカする脇差を抜いて、もう一度死骸のある部屋へ入るのは、少し細工すぎると思わないか」
「············」
「それに、あれは腹の良い男だ、和助と違って||」
「和助とどこが違っているんで? 親分」
「もう一度丸屋へ行ってみよう」
平次はガラッ八を従えて、
「番頭さん、少し訊き残したことがあるが」
「ヘエ」
和助は恐る恐る平次に導かれて、人気のない部屋に入りました。
「他じゃない、番頭さんの
「立派な芸人と申すほどじゃございませんが、若い時分に旅の女役者だったことがあります。三十過ぎて水仕事をするようになってからはあの通り女
和助は苦笑いをするのでした。この男の華奢なのに比べて、お咲はまた、あまりにも醜く肥っております。
「もう一つ、これは少し言いにくいことだが、番頭さんはこの一年ばかり、主人のお米さんに可愛がられすぎたようだね」
「············」
和助は黙って
「それを見張るつもりで、番頭さんの
「············」
「返事がなければ、そう思って差支えはあるまい」
和助の
「親分、これからどうなるんで」
ガラッ八はぼんやりその後に従いました。
「これっきりさ||茂七に逢って、たった一と言訊きさえすればいい」
平次は久三郎を追ってもう一度番所へ、
「銭形の、お蔭で下手人を縛ったよ。まだ白状はしないが、なアに、石を抱かせるほどのことはあるまい」
仮縄を掛けた茂七を引据えて、青物町の久三郎はこんな事を言うのです。
「青物町の、俺に一つ二つ訊かしてくれ、茂七でなきゃ知らないことがあるんだ」
「あ、いいとも」
久三郎の寛大さを
「茂七、つまらない我慢は
「············」
平次の言葉を不思議そうに見上げる茂七です。
「あの晩、お前がお米にねじ込むつもりで二階へ行くと、お米の部屋から、飛出して来るお夏の後ろ姿を月明りで見たはずだ、||廊下に灯はないが、高窓から、月がよく射している||昨夜は月がよかった」
「············」
「部屋に入ってみると、お米は殺されている、お前はてっきりお夏の仕業だと思った、||無理もない話さ。お前はお夏を庇ってやる気で、死骸の背中から刀を抜いて、どこかへ隠そうと思って外へ出ると、専次がお夏と逢曳するつもりで、口笛で裏口から合図をした、||お前はその血刀を専次に隠させる気になった心持もよく解るよ||専次はお夏のためならどんな事でもする」
「············」
茂七は始めて平次の顔を
「それから引返してお前は考えたはずだ。あの家の中で女主人のお米が殺されると、疑いは一番先に、その日大喧嘩をしたお前にかかってくる、その疑いを解くためには、下手人のお夏を引渡すか||それはお前に出来なかった、お前は心の中で本当にお夏を可愛がっている、||無理もないよ、お夏は誰にでも可愛がられる娘だ」
「············」
「が、自分で罪を引受ける気にもなれない、||思い付いたのはあの
平次の説明は
「下手人は、親分、本当の下手人は誰で?」
茂七は始めて口を開きました。救われた色が、活き活きとその眼に新しい輝きを添えます。
「亭主とお米の仲を
「えッ」
茂七よりも、ガラッ八と久三郎の方が、どんなに驚いたことでしょう。
「茂七を下手人にするのが気の毒になって、芝居風な
「············」
「
「············」
「お米を刺した脇差はたぶん和助のだろう。
「親分、夜の明けないうちに、行ってしょっ引きましょう」
ガラッ八は立ち上がりました。
「いや、もう少し待つ方がいい、||あれ、丸屋の小僧が飛んで来るじゃないか」
平次の指した
「た、大変、お咲さんが」
「逃げたか、それとも死んだか」
「物置で
「それでいい」
平次は深々とうなずきました。
「親分、知っていたんで?」
とガラッ八。
「知っていたわけじゃないが、俺が和助からいろいろの事を訊き出すのを、あの女は
平次は悲しそうでした。そう言う息は白々と見えて、次第に明ける冬の朝、||ガラッ八はぞっと襟をかき合せます。