嘘言を
私の単純な幼い心は、たゞ一途に年長者たちに受け入れられると云ふことですべては打ち消されて何の不安も罪悪も感じませんでした。けれども刻々に変化してゆく私の心はだん/\にそれ等のことに向つて目をみはつて来ました。私がぢつと自分の嘘を用ゐることについて見てゐて一番に見つけ出したことは、具体的な事柄について嘘を吐いたときにはそして、それが悪気のない一時のごまかしであればある程最も多くの叱責をうけました。しかしそれにしても、だん/\にずるくなつて来て嘘に技巧を用ゐるやうになれば大方はそれが現はれないですんで仕舞ひます。まして気持の上の偽はりとか何とかになりますと殆んど何の問題にもならず他人の目にもふれずにすんでしまひます。もしそれを強ひて正直に人に説明しやうとでもするが最後それは全く飛んでもない誤解をうけて思ひがけない結果をもたらします。
「正直でなくてはならない。」と口癖に云つてゐる人々が不思議に正直でばかりはゐませんでした。私が大人と云ふものゝつまらない叱責や何かを受けたくない為めに嘘をこしらへて云ふのには自分ながら本当にわるいと云ふことを自覚してゐました。しかし、大人の嘘を見出す為め「手段の為め」の嘘は許さるべきものだと段々深く思ひ込むやうになりました。けれども他の嘘はめつたに吐いたことはありませんでした。大人の嘘をわるいともきたないとも思つたことはありませんでした。けれどもそれは私がたしか、十四の時だと思ひます。私にとつては恐らく一生涯忘れることの出来ない事がありました。大人の汚い心をまざ/\と見せつけられました。私の小さい心は怒りと驚きにふるへました。私はそのとき大人の醜い偽りと疑ひを知りました。私は十四になる迄にはかなり他の人たちの少女時代よりも複雑な境遇を経て来ました。けれども私は随分単純でした。私たちの尊敬する学校の先生たちが勿論私たちにいろんなことをおさとしになる程何処も
私が故郷の高等小学校の四年のときでした。私は、四年の十一月に長崎の学校から転じて来ましたので其処の田舎の学校の質素な
受持の先生は、Tと云ふやさしい女の先生でした。ほんとに、「やさしい」と云ふことばで完全にその人のすべてを云ひつくせる人でした。その人は私を本当の妹のやうに可愛がつて下さいました。寂しいその先生はいつも私のおしやべりや歌やそれからお転婆な動作を見ては含み笑ひをしてゐました。私ばかりではなく私たちの級の人たちは皆この気の弱い先生をなつかしがつて大切にしてゐました。
私が長崎にゆく前丁度筑後からかへつて来て、少しの間矢張りこの学校にゐましたときこの学校にゐたHと云ふ先生が私が長崎からかへつたときには
或る日、矢張り私は、前から約束しておきましたので其処へ出かけてゆきました。しばらくあそんでゐるうちに急に天気がわるくなつて大変なあらしになつて仕舞ひました。私は困つて仕舞ひました。外は、二三間先きも見えない程ひどい雨が降つて、おまけに風がピユー/\うなつて来るのです。止むか/\と思つて待つてゐるうちに夜になつて仕舞ひました。私は途方に暮れてゐましたがとても今日はこれではこれから二里以上の道を歩いてはかへれないからとK先生が明日私の家にはよく訳けをはなして詫びることになつて一緒にとまる事になりました。そして私たちはK先生もH先生も知つてゐるYと云ふ学校の直ぐそばの家に泊りました。H先生も学校の宿直室に泊ることになつたのです。
その翌日は幸ひにも雨はあがつてゐました。私は朝はやくおきて一たん家へかへつてそれから学校にゆかうと思つたのですが私の寝坊は学校の前を通りこして家へかへつてまた出直す程の時間の余裕をもてる程はやくは起きませんでしたので仕方なしにそのまゝ学校にゆきました。
私の一つ困つた事はその日図画があるのにその用意をしてゐなかつたことです。殊にその図画の先生は私を一番
「先生、昨夜他へとまりましたので図画の用意をして来ることが出来ませんでした」
先生は意地の悪いかほをして笑ひながら
「そんなことを云つて誤魔化さうとするのでせう? 本当は忘れて来たのでせう」
「いゝえ、本当に泊つたのです」
「そんなら何故昨日その用意をしておかなかつたのです」
「でも先生、昨日は泊るつもりではなかったのです」
「一体何処に泊つたのです」
「波多江に」
「波多江? 波多江の何処です」
「私はよく知りませんがYとか云ふ家です」
「Y? フフン、H先生の処へ行つたんですね」
「えゝ」
「H先生と一緒に泊つたのですか」
「いゝえ、H先生は学校に、K先生と私丈けがYに」
先生は意地悪く私の顔を見ながらそのまゝ黙つて向ふの方へ行かれました。私は子供ながらも無礼なS先生の問ひ方や態度に激しい憤りを覚えながらもS先生に断つたと云ふ
時間前になつて皆が机の上に筆洗や絵の具皿などを並べて用意にかゝつたときに私は、すつかり
「何でも御勝手に、」とツンとしてあちらへ行つておしまひになりました。
私は仕方なしに、鉛筆をもつていろ/\な物の輪廓をとつて見たりなんかしてゐましたけれどもそれにもちつとも興味が続きませんのでボンヤリ隣席の人の彩色するのなんか眺めてゐました。そうしてやつと一時間が済んでほつとしました。S先生にはずゐぶん腹がたちましたけれどつまらない一つことにながく怒つてゐられない私は何時の間にか次の時間には忘れるともなく忘れて一生懸命に理科の説明をきいてゐました。
五時間の授業がすみまして私が帰りかけたときにT先生が少し用があるから残つてゐらつしやいと他の級の生徒にことづけてよこされました。私は何の用なのかと思つてお当番の加勢をしたりして何時迄まつても何の沙汰もないので私はもしか先生が忘れてお出になるのかもしれないと思つて聞きにゆかうとする頃やうやく先生はむかうからお出になつてこちらへゐらつしやいと、廊下の角に私をまたせて一たん職員室にはいつて御自分の傍の火鉢をかゝえて出て来て、一緒に二階の講堂にゆきました。講堂はがらんとした広い/\室でした。おちつき処もないやうなその冷たい室にはいるなり私は泣き出したくなりました。何故今迄もまたしておいて先生はこんな処に私をお連れ込みになるのだらうと思ひますとT先生に、腹がたつて来るのでした。先生は其処に沢山ならんでゐる、小さな木の腰掛の上に抱へて来た火鉢をおいて黙つて立つてゐる私に手まねきをなさいました。私はだまつてその傍にゆきました。
「あなたは、昨夜何処かへ泊つたんですつてね」
すこしたつてT先生は尋ねました。
「えゝ、波多江のYと云ふ家に泊りました」
「其処はお料理家ださうですね」
「さうですか、私は何にも知りませんけれど夜になつてK先生と一緒に泊りにゆきました、そんなことはすこしも知りません」
「さうでせうね、ですけれどS先生は大変いけないつて云つてゐらつしやいますよ。それはお家のお許しもなかつたのでせう?」
「えゝ、だつてK先生と一緒にかへる筈でしたけれどあのあらしでかへれませんでしたから仕方なしに泊りました。今日うちにはK先生がよくわけを話して下さることになつてゐます」
「さうですか、けれどもS先生はおうちのおゆるしもないのにそんな家に泊つたと云ふことは大変いけないと云つてらつしやいます。それにあすこが料理屋だと云ふことを知らない筈はないからきつと知らないなどゝうそをつくだらうと云つてゐらつしやいますよ」
「先生、私はあの近所は学校以外に何処も知りません。そしてYと云ふ家は生徒の家ださうです。私はうそは云ひません。もしうそだとお思ひになりますならばK先生にお聞き下さればおわかりになります。昨日のあらしに、どうして私一人で暗くなつてから帰れませう。本当に仕方なしに泊つたのです」。私は、それ丈け云ひますと涙がこみ上げて来て唇がふるえて口がきけなくなりました。私はたゞH先生とK先生との処へあそびに行つた。そしてかへる時間にひどいあらしになつて夜になつてもやまない。乗物も何にもないのにあんなさびしい道を二里以上も私がかへれないと云ふことを誰が不思議に思はう、止むを得ずすゝめられるまゝに不安ながらどうすることも出来ないで泊つた。其れがどうしていけないことなのか私にはどうしてもこうしてさむい処に日暮近くまで待たされて叱かられる理由を見出しかねました。私は理由もなしに虐待されるのだと思つたときにS先生の
「校長先生のお前にゐらつしやい」
消え入るやうな声でT先生が
私は体中を反抗の血で一杯にしてわく/\させながら校長の前に立ちました。たつて私がまつすぐ目をやりますと校長の膝のあたりにしか私の頭はとゞきませんでした。私は校長の顔を見やうとすればイヤと云ふ程仰向かねばなりませんでした。校長はしばらくして咳ばらひをしながら、丁度今一寸前にT先生が私に尋ねたと同じ順序で同じ事を尋ねました。私は同じことを答へました。最後に校長は云ひました。
「あなたの云ふのはうそではないかもしれないけれども父母の許もうけずに他へ泊るなどといふことは大変わるいことです。お父さんやお母さんがどんなに御心配なさるかもしれません。第一さういふ遠い処に学校のかへりにあそびにゆくと云ふのがまちがひです」
「でも先生、何時でも行くんです。そしてK先生と一所に何時でもかへりますから家ではよく承知してゐるのです。昨日もあすこに行つたことは家でも知つてゐますから、あんなあらしになつてとてもかへれなかつたと云ふことは家の人にもわかつてゐますし、K先生もおかへりになつてはゐませんから。||」
「まあお待ちなさい。あなたは一体つゝしみをしらない。私がまだ話して
校長先生はまつ青になつて怒りました。
「女はもう少し女らしくするものです。第一もうあなた位の年になれば遊ぶことよりも少しでも家の手伝ひでもすることを考へなくてはならない。昨日のことは仕方がなかつたとしてももしもあなたがもつと女らしい、心がけのいゝ人ならあんな処に遊びに出かけることもないだらうしそうすればあんな間違ひはおこらない。第一不意にさうして心配をかけることもないし学科にさしさはりの出来るやうなこともないし、常々うちの手伝ひでもしてゐれば家の為めにもどの位なるかしれない。それにあなたは何だつてHさんの学校へなどあそびにゆくのです。あなたはあすこの学校へ何の関係があります。関係もない処に遊びに行つて泊るなどゝ実にけしからん事です。あなたはどんなに悪い事をしたのか分つてゐますか?」
「私は何にも悪いことは一つもしません、悪いことなんか一つもしません」
私はせき込んで漸くそれ丈け出来るかぎりの力をこめて叫びました。実際私は何にも悪いことはしませんでした。悪いことをしたといふ意識は何処を叩いてもありませんでした。そうして私は何一つかくさずにありのまゝを云ひました。私の小さな頭をしぼりつくしていくら悪い理由をこしらへやうとしても出来ませんでした。私はわるいことなんか一つもした覚えはない! もう一度自分の心の中でさう叫びながら私は真青になりました。立つてゐる足が体をさゝえきれない程に震へるのでした。
「それ、そんな傲慢なことをまた云ふ。これがどうして悪いことでないと云へます。あなたは少しも物の道理をしらない、長上を尊敬することをしらない。いくら、学科が出来やうと何しようと慎しみのない女は人の上にたつ資格はありません。以後再びこんなことがあれば決して、許しておけませんからそのつもりで||」
おしまへに力を入れてそれ丈け云ふともう小暗くなつた広い
K先生は約束のとほりに家にわけを話して下さいました。勿論家のものもあのあらしではと少しも気にかけてはゐませんでした。そして却つて私の今日のかへりのおそいことに気をもんでゐました、私はかへるなり袴もとらずに明るいランプの下で近所の人と世間話をしてゐた父の前に座つて今日の不法な先生の態度や叱責を
翌日もその翌日も友達が誘ひに来ても断はつて学校へはゆかずに終日古い本箱のふたをあけたり、犬をいぢつたりして祖母のそばで暮しました。二日目の夕方私が夕御飯前に犬をからかひながら松原へあそびに出たるすにT先生がうちに来られて父としばらく話をしてそれから私をたづねて松原へ出てお出になりました。そして、出会ふといきなり先生は私の手をしつかり握つてどもり/\私におわびを仰云るのでした。それは自分がよはいために職員室で大勢の方たちの前で私のわるいことをいろ/\ならべたてゝあんな子供を訓戒も何にもあたへずに放つておくといふ法はないと云ふことをしきりにT先生にS先生があてこすつたのを、見かねたやうな顔をしてMと云ふ先生があなたが云ひにくければ校長にたのんで訓して貰つた方がいゝではないか、校長には自分がたのんでやると仰云つたのでつい心よはさからM先生がS先生と同じ腹の人だと云ふことをしりながらいやだとも云へないで「自分がゆき届かないのだからいゝやうになすつて下さい」と云ふよりしかたがなかつた。自分は何と云ふふがひないものだらう。とT先生は私に涙と一緒に其処にしやがんで話されるのでした。さうして何卒自分を許して明日から学校に出てくれ、たのむと先生は手をつかないばかりに
其の次に私がH先生に会ひましたときに先生は意外にも、
「此の間の日曜にSさんに会つたら、Tさんが波多江のYに野枝さんがあなたと一緒にとまつたと云ふことについて大変怒つて、本当に、野枝さんが可愛さうなやうでした。おまけに、校長に迄訓戒をさせるんですもの何にも別にわるいことはないぢやありませんか、野枝さんは、K先生と泊つたと云つてゐるのにH先生と泊つたのでうそをついてゐるのだとさういつてらつしやるのですよと云ふので、私はそれはちがひます、僕はあの晩はC君と一緒に学校にとまりました。Kさんと野枝さんがYにとまつたのです。と云つたら、さうでせうね私は屹度さうなんだと云ひますのにね、きかないんですものMさんと相談して校長の処にそんなつまらないことを持ち込んでゆくのですもの本当に可愛さうぢやありませんか、それに丁度とまつた翌日は私の図画があることになつてゐましたのにね野枝さんは用意してゐなかつたので私に大変すまないから放つておいてくれなんてTさんは云ふのですよ、あんな優しさうな顔してゐながら本当にえらい事を仰云ひます。可愛さうに野枝さんは二日ばかり学校に来なかつたんですよ、あんまりTさんは下らないことに迄干渉しすぎますなんてしきりにT先生の悪口を云つてゐたよ、私は別に何とも云はなかつたけれど先生ひとりで怒つてゐた。何つて云つて叱かられたの」
「嘘! 嘘つきね、S先生は!」
私は驚ろいてにはかには云ふことも失つてしまふ程でした。私のあたまがどんなに子供の頭でもそれが立派なこしらへた嘘だといふことは分りますのに、先生がまあそんな醜いうそをついて迄自分を保たうとしてその為めに善良なT先生迄も貶すと云ふことがどれ程私にとつて驚くべきことであつたか分りませんでした。私の頭はひつくりかへるやうなさはぎでした。もう一二年もたつてからの私ならばその位のうそに驚きはしませんけれど、私の考てゐた大人の嘘とはあんまりにちがつてゐました。自分の悪いことをそのまゝ他人になすりつけて自分丈けがいゝ子になると云ふことがどの位わるいたくらみに見えたかしれません。その日は全く私はろくに口もきかずにかへりました。そして私はT先生に一晩中かゝつて永い手紙を書きました。今日H先生にきいたことは一句もらさず書きました。そうしてS先生は何といふ恐ろしい方でせうと書きました。やがてT先生から御返事が来ました。それにはS先生としてはあの位のことが何でもないことであることやもつと大人と云ふものは
私が此処に何の為めにこんな叙事を長くつゞけたかおわかりにならない方があるかもしれません。私は「嘘」と云ふ言葉を思ひ出すと何時もこのことを考へ出さずにはゐられない程強くこの事は私の頭の中に印象を残したのです。こんなことはざらに其処らに転がつてゐます。けれどそれはまだほんの子供の小さな頭でうそと云ふものは本当のことを云つて叱られると云ふやうな場合にたゞその叱責をのがれる為めに吐くといふ||しかもそれは子供にとつてはしかられるやうな事を仕出かしてもその仕出かした動機は自分でも正しいと得心が出来る事なのでそれを叱られないやうに嘘をつくと云ふことが別に悪いことではないと無意識に思ひ込んてしまふのだ。(その罪は実際は大人にある)||位な考へしか持つてゐないのにいきなりそんな醜いうそを見せられたのです。本当におどろかずにはゐられません。
けれども私が学校を卒業してだん/\時がたつにつれてその嘘は何でもなくなりましたけれどそのかはり此度は私が校長に何の為に叱られたかゞ分らなくなりました。私は或る時ふつと思ひついてS先生も校長もH先生もT先生もよく知つてゐる人にそのことを話ました。するとその人は突然皮肉な声で哄笑しながら
「あゝSですか、なに、あの女の例のやきもちからさ、あなたはまだ小さくてわからなかつたらうがいゝ迷惑さね、あなたがあの女には大人並に見えた迄さハヽヽヽハヽいゝ目に会ひましたね」
嘲けるやうな目付きをその人はしました。それを聞いてから私の不快な印象は更に深みをましました。そうしてS先生の嘘がまたよみ返つて来て多くの意味を持つて考へられるやうになりました。
私にとつてはこの印象は一日も今迄わすれられないものゝ一つです。これ程すべてに淡泊すぎる程忘れることのはげしい怠けもの(?)の頭に深くきざみつけられてゐるのです。一生とり返すことの出来ない屈辱が時々あたまをもたげます。けれども私のこの苦い印象は私に、いろ/\なことを教へてくれました。嘘といへば直ぐこのことを思ひ出すことが出来る程の印象を私がもつてゐることは私自身の嘘を警戒するばかりでなく私は私の子供の為めにも一つの幸ひであることを思ひますと、私は本当に尊いものを一つ持つてゐることを感じます。私は私のこの追想がこれを読んで下さる方に何かの影をおとす丈けでも満足に思ひます。
[『青鞜』第五巻第五号、一九一五年五月号]